PRINCOの今日のパチパチ
Sidosso Princoちゃんの思わず拍手パチパチ記録
 



仏教を開かれたお釈迦さまは、形而上学的な問いに対しては、YESともNOとも言わなかったとされます。これは「無記(むき)」と呼ばれ、経典によって十無記、十四無記、十六無記などがあります。パチパチ!



十無記
(1)世有常(この世は永遠か)
(2)世無有常(この世は永遠でないか)
(3)世有底(この世は有限か)
(4)世無底(この世は無限か)
(5)命即是身(魂と身体は同じか)
(6)命異身異(魂と身体は別物か)
(7)如来終(如来は死後存在しないか)
(8)如来不終(如来は死後存在するか)
(9)如来終不終(如来は死後存在し、かつ存在しないのか)
(10)如来亦非終非不終(如来は死後存在せず、かつしないでもないか)



現代の我々で考えてみると、例えば、「宇宙人はいるか、いないか」という問いに対し、アメリカのNASAが「宇宙人はいません」と言っても、いると思っている人は「NASAは何かを隠しているはずだ」とか「だったらいないという証拠を示せ」などと言って、諦めずに食って掛かるでしょう。反対に「宇宙人はいます」と言ったら、同様に「だったら、なぜ我々の前に姿を現さないのか」とか「いると言うなら見せろ」というグループがいるでしょうし、、、、、


つまり、どちらの答えを言っても、受け取る側が受け取りたいように解釈する問いに関しては、お釈迦さまは「〇〇である」という明確な答えを示しませんでした。そして「そんなことに時間を使うより善く生きることを急ぎなさい」とおっしゃったのでした。


当時(紀元前)はおそらく人間なんて40歳も生きれば長生きだったことでしょう。15歳くらいまで成長し、子育てをして30歳くらいで死んでしまう人生に、余計なことを議論する暇なんてなかったろうと思います。



「幽霊はいるか、いないか。」



いると言われても、いないと言われても、議論は終わらないことでしょう。
だったら、そんなことは「分からない」「気にしない」とさっさと片付けて、ネクストステージへGOです。



それでも、気になる、、、、、、という方は、ぜひ円東寺へ(^^)

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