PRINCOの今日のパチパチ
Sidosso Princoちゃんの思わず拍手パチパチ記録
 



野田のご住職に聞かれました。
「増○くんちの方の高架下に、野田で有名な店の支店ができたっていうんだけど、分かる?揚げ物の店で、、、」
「串カツ田中っすか?」


さて、流山おおたかの森北口、ルミエールグランデの1階に作っていた『おおたかの森フードホール』が、明日開店です。パチパチ!


プレオープンしてるかも!とこっそりのぞきに行ったら、皆さん、研修されてました、、、。

※昨日(2/27)、プレオープンしていたそうです。


クラフトビールが各種550円。私は聖職者なのでお酒は飲みませんが、こりゃあ、楽しそうです。




ランチはファーマーズテーブル(肉バル)の方が、サラダ、スープ、ライス、惣菜がブッフェスタイル。ドリンクも飲み放題で、メインにより1480円~って、感じのようです。







おまけ~
だから、(ちゃんとした)傘持って行きなさいって言ったのに、、、






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昨日の写真ですが、ウエリスおおたかの森サウスアリーナの前に信号機用のポールを建ててました。パチパチ!
いよいよ、ここから県道に向けての道路が開通しそうです。新しくできる道路の地下には、調整池からの雨水が通る太い管が入ってます。そして雨水は坂川へ。

来月の、まちづくり推進会は出られないので残念。いろいろ聞きたいこともあったんだけどな。ぐっすし。



おおたかの森SCもだいぶ店が入れ替わるみたい。これは2階の様子。

いよいよ、年度末だなー。





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忙しい自慢は鼻につくといいますが、でも、本当にごめんなさい。2月の入ってから(タイに行っていたせいで)とにかく忙しかったんです。貧乏暇なしとはよく言ったものです。全然、映画を観に行く時間がありませんでした。でも今日はナントか時間をひねくり出して、「隠れ埼玉県人」として、ぜひとも観たかった、『翔んで埼玉』を観てきました。パチパチ!

、、、、映画が始まる前に『ドラえもん』の予告編があり、一気に萎えました。だって、ドラえもんを観に来る人と被ってるってことですから。

実際の感想は、、、、いやあ、くだらない映画でした(^^;)
でも、いいのです。
最近の「もうすぐ死んじゃう人との恋愛」とか「王子様がいっぱい出てるよ」とか、食傷気味で、何も考えなくて笑えるのが観たかったんですもの。


以下、ネタバレ有。反転させて読んでください。


とにかく豪華キャストでハチャメチャな映画です。京本政樹なんか出てきただけで笑えます。BGMが単調なので、ちょっと中だるみしたのが残念。
「敵は流山橋にあり!」
のシーンでは、流山おおたかの森のTOHOで観たので、館内全体が「おおっ!」と、ざわめきました(^^)
ディスり方では、与野市の扱いがひどく、申し訳ない気分になりました。私自身、与野出身の人に会うと「与野っ!?」って、未だに言ってしまうので。あと、蕨も(^^;)

あと、母校の名前が出たのがちょっとうれしかったりしました。以上、現千葉県在住の隠れ埼玉県人でした。


追伸
ジャガーさんが出てきたりするので、千葉と埼玉の両方に精通していないと、すべてに笑えないと思います。もしかすると、茨城県人とか、栃木県人にしか分からない、くすぐりもあったのかなー。









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『第9回千葉県北西部不登校支援団体交流会
~支援者同士で語り合おう・不登校の子どものサポートについて~』
が、本日、流山市生涯学習センターで開かれたので、いそいそと参加してきました。パチパチ!
平成22(2010)年から毎年開催されている会ですが、これまで、松戸市や市川市が会場で、流山市での開催は今年が初めてです。
今日は、スクールカウンセラー(SC)やスクールソーシャルワーカー(SSW)さんのお話を伺い、その後、グループに分かれての交流タイムでした。
SSWさんって、千葉県に26人しかいないんですね、、、。こりゃあ、悩んでいる子どもや親御さんたちに、なかなか届かないなー。



そして、そして、、、、ババーン!ついに出ました。『不登校親子応援ガイドマップ/千葉県北西部/2019年版』ですっ!

円東寺で10部頂きました。必要な方にお分けいたしますので、メールやお電話等でお問い合わせください。
内容は、不登校の支援をしている民間団体や公的施設を網羅し、紹介しています。そしてコラムなどの読みもの、不登校経験者(男子、女子、父親、母親)へのインタビュー記事などです。これ、全部、ボランティアの方々が記事を集めて、編集して、出版して、無料で配っているんです。ホント頭が下がります。不登校支援する人たちを、支援したいっ。



以下、あくまでも個人的な感想ですので、ここだけの話にしてください。






不登校支援で、東葛地域でもっとも先進的なのは市川市。地域で唯一の公立夜間中学があり(この4月から松戸市にも開校します)、教育委員会の方々も大変熱心で、不登校支援の案内なども全員がきちんと目を通してくださるそうです。続いて理解があるのは、古くから文教都市として名高い我孫子市。支援団体からの要望にきちんとレスポンスがあるそうです。



そして、、、、保守的なのがN市とN市。2つの市はお隣同士です(^^;)
もっとも、最近、良い方向に変わりつつあるというお声もいただきました。今年度の会場市になったことも、その表れでしょう。
とまれ、学校の先生も、教育委員会の方々も、とにかく仕事量が多すぎです。PTAの役員決めだとか、給食費の未払いだとかで疲弊して欲しくないのですが、、、。



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タイの話が続きます。

ロンピーデン師はワット・ホーリン(ホーリン寺)の住職ですが、子弟教育などの様々な活動の為に新寺建立をしました。パチパチ!
日本では、オウム何とか教のおかげで、新しくお寺を作ること(宗教法人の設立)が非常に非常に非常に難しくなってしまいました。例えば私の友人は20年かかって、今年ようやく申請が認められます。一方、タイでは、新たに寺を作りたいと思えばいくらでも作れるようです。うらやましいっ!



小学生から16歳までの少年たちがプチ修行に訪れていました。課外授業として正式に学校に認められているのだそうで、先生たちも様子を見に来ておりました。





我々も、脱・依存症に効果があるという礼拝法を伝授されました。





お布施をすると、子どもたち全員で我々の健康と幸せを祈ってくれました。おかげさまで、誰ひとり体調を崩すことなく帰国できました。





子どもたちの合宿所。テントですね(^^;)





ロンピーデン師が境内にある自宅に招待してくださいました。なんじゃこの、テーマパークみたいな建物は、、、、





中は、ワンルーム。ご本尊と礼拝するための壇、ベッドっぽい窪みがあるだけ。洞窟に住んでいる感じですね。ここで瞑想するのが一番好きだとおっしゃってました。

これだけの様々な活動をされている師ですが、目下の懸案事項は後継者選び。
「うーん、一切の経済活動から離れて、こういう『食う寝る拝む』の生活も憧れるなー」
と思ったんですが「既婚者はダメ」だそうです(^^;)

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タイのお話が続きます。

プラサンジャイの縫製工場から、ロンピーデン師と我々が向かったのは、サンパトン病院(かなり大きな総合病院)でした。パチパチ!
日本でも、臨床宗教師、臨床仏教師、ビハーラ僧などの名前で、医療現場において終末期患者の不安な気持ちに寄り添う活動をされている方は大勢います。しかし、その格好は、スーツの上に白衣を羽織るなど、僧侶だということをあからさまには示しません。正しくは示せません。それは、僧侶が衣を着て、病院内に入ると、ほとんどの方が「不吉だ」「縁起が悪い」などと、不快感をあらわすからです。
しかし、タイの開発僧らは、僧衣で堂々と病院内に入り、僧侶であるからこそできる活動を、僧侶として行っています。それが、患者や家族から感謝され、医療のプロたちからは心理的サポーターとして絶大なる信頼を得てもいます。


館内放送で、病室に向けた法話をします。このこと一つとっても、日本ではありえない光景です。




プラサンジャイメンバーの作ったバッグなどが総合受付前で売られていました。写真に写っているのはもちろん、ロンピーデン師。




ここからは、3班に分かれました。





廊下ですれ違う患者さんに、パーリ語(インドの昔の言葉)のお経を唱えながら、手首にサーイシン(魔除けの聖糸)を巻きます。



病室を訪れ、読経、お見舞いの言葉をかけながら、サーイシンを巻きます。



※写真は、病院と患者さんと家族、全ての方から許可をもらい撮影しています。



ICUにもどんどん入っていき、今わの際の方にも声をかけます。誰一人断る人はいないし、週に一度のこの訪問を楽しみにしているとのことでした。
売店のおばちゃんも、看護師さんも手を出して結んでもらいます。ちなみにこの写真の子は、まだ僧侶見習いなので、女性に触れてもいいのです。




タイはテーラワーダ仏教(上座部仏教)であり、僧侶は、自分一人の悟りのみを求めるもので、貧困や差別など社会問題に取り組むような活動は本来しません。しかし、1980年代から、エンゲイジドブディズム(行動する仏教)というムーヴメントが広がり、日本でもメディアで紹介されているのはご存知の通りです。とはいえ、ロンピーデン師のような開発僧はタイ国内では、まだまだ異端です。師の活動の一端をまさに「臨」体験でき、胸が熱くなりました。



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タイのお話が続きます。

チェンマイ中心部から車で1時間ほどのホーリン村へ。パチパチ!
開発僧ロンピーデン師が住職をつとめるワット・ホーリン(ホーリン寺)。タイでは、寺は常に生活の中心であり、村の行事の際は、境内は大勢の人びとで賑わうそうです。




村には『プラサンジャイ』という、女性HIV感染者たちが1995年に立ち上げた自助グループがあります。当初、プラサンジャイはワット・ホーリンのこの建物でスタートしました。少数民族カレン族によって織られた布で、小物等を作って販売しておりましたが、経営状況は厳しかったそうです。




1998年、高橋卓志師の立ち上げた『アクセス21』が『プラサンジャイ』と運命の出合いを果たし、カレン族の布で作務衣を作り、日本とのフェアトレードで利益を生み出すことを考えます。まず、アクセス21は、彼女たちにミシンを提供し、縫製の指導者を送り込んだそうです。グループのメンバーは文字通り必死に技術を習得し、やがて、大きな評価と共に、利益を順調に生み出せるに至りました。
そして、2005年、寺から歩いてすぐの場所に、新しい縫製工場が完成しました。





日本から送られた、JUKIのミシンが活躍しておりました。



ホーリン村の様子。ラムヤイ(中国名:龍眼ロンガン)という果物が名産品の、空が広いのどかな農村です。しかし、約30年前、こんな田舎で爆発的なHIV感染が起こり、妻や子どもたちへの二次感染も危惧されました。想像を絶する差別と、迫りくる死への恐怖に村人たちがさらされたのです。





『プラサンジャイ』グループのメンバーと記念撮影。




続いて我々は、ロンピーデン師と共に、日本では信じられないような、ある場所へと向かいます。その場所とは、、、、?
次回のお楽しみ!


※ロンピーデンは親しみを込めた尊称で、師の本名はタナワットさんだそうです。タイ語で僧侶は「ロンピー」なので、デン和尚という意味でしょうか。デンがどういう意味なのかは分かりません、、、、、






おまけ~
お昼ごはんは、ロンピーデン住職が、手料理を振る舞ってくれました。メニューは、精進あんかけ焼きそば。おいしいのでうっかり2杯食べてしまいました。


うー、お腹いっぱい。と思ったら、、、、、、、
次に出てきたのがこのサラダの山。砂マンダラならぬ、野菜マンダラ(^^;)



ガイドのオーさんが
「食べもの残しちゃダメ。食べ物に失礼。作ってくれた人に失礼。なんちゃらかんちゃら、、、、」
というので、かなりがんばりました。それでも食べきれなかった食事は、グループのメンバーが持ち帰ってくださいました。


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昨夜は仏教関連のお仕事をされている方々と会っていました。私が、タイへ行っていた話をしたら、新聞記者の方が「我々の中で、(僧侶の)スーパー3と言えば、大阪の秋田さん、新潟の小川さん、そして、長野の高橋さんですよ」とおっしゃいました。
秋田光彦師は、言わずと知れた應典院のご住職。かつて私も、大阪に会いに伺いました。小川英爾師は、安穏廟という名前の、今でこそ当たり前にある「永代供養墓」を30年前に発案された方(以前、都内に講演を聴きに伺いました)。最近、住職を退かれ、ご長女に譲られたのですね。そして、今回、我々がタイへ追っかけていった、高橋卓志師です。パチパチ!



チェンマイを見下ろす、標高1000mの山に建つ寺院、ワット・プラタート・ドイステープにて集合写真。



御堂の中では、灌頂に似た儀式を随時行っており、お布施をした人は、サーイシン(聖糸)を手首に巻いてもらえます。僧侶は、直接お金は受け取らず、女性には決して触れません(女性は、聖糸をもらい、別の人に結んでもらいます)。徹底して戒律を守っています。

私も、巻いてもらいました。自然に切れるまで有効な、魔除けのようなものだそうです。
ミサンガみたい!という人もいるそうですが、きっと、こっちが元祖でしょう。


ちなみに件の新聞記者さんには「若い僧侶で、3人の真似をする人が多いですが、無理ですよ」と言われました、、、、
これは、3人を参考にしながら、あなたはあなたに向いていることをしなさい、というエールだと私は受け止めましたが。



さあ、いよいよ、次は今回の旅のメイン。タイの開発僧とその活動篇です!





おまけ~
菩提樹の周りに納骨堂が。タイ版の樹木葬型永代供養墓ですね。








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タイの開発僧の活動を見聞するため、私や仲間たちが尊敬してやまない僧侶、高橋卓志師のいるチェンマイへ行っておりました。パチパチ!
円東寺は、私の一馬力で回しているため、基本的に、次の日に帰って来れるようなところでないと出掛けられません。海外へ行くのはナント11年前のインド仏跡巡り以来。留守中はいろいろとご迷惑お掛けしました。ふかぶか。


エンゲイジド・ブディズムとか、開発僧とかの説明をすると、長大な文章になってしまうので、巨大雑把に言うと、、、

タイは上座部仏教(南伝仏教)なので、僧侶は霊性をもつ神聖な存在であります。よって、ボランティアをしたり、一般人と交わるような活動をしてきませんでした。しかし、ここ20年くらいで少しずつ変わり、社会参画をするようになってきたのです。その大きなきっかけがAIDSでした。タイは人口6000万人ですが、ピーク時には120万人のHIV感染者がいたそうです。つまり50人に1人!(しかも、その40%が北や東北部の貧しい人たちでした)
感染者たちは凄まじい偏見やAIDS発症の恐怖、家族を失う苦しみを同時に抱えることになりました。医者が匙を投げたものに対し、誰がその心の傷を癒すのか、、、、。


その時です。ついに、それまで、一般人とは関わらなかったタイの僧侶たちが立ち上がったのです。ジャジャーン!


彼らの驚きの活動内容等はまた今度。



写真~
タイでは、僧侶は特別。一般の方々から大変敬われています。電車にも優先席があります。





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雪でした。パチパチ!
関東南部に生まれ育ったため、私にとっての雪は、何となくウキウキするもの、なのですが、、、、
もし、今日事故や災害等で、屋外で過ごさざるを得ないことになったら、、、ぶるぶる(T_T)
やっぱり、あったかいおうちは有難いなー。

写真は水難物故者供養のために建立された、手賀沼聖観世音菩薩。
明治初期からだけでも、今日まで手賀沼では、昭和17年9月21日の行商人等6人の殉難、昭和19年11月22日の教職員16名と男女二児の合計18名の大殉難事故などを含め、250名以上の方が命を落としていると言われます。特に教職員の大殉難事故は、男性教員たちが戦争に行っていたため、乗っていたのは、ほとんどが女性教員。殉難者名簿を見ると十代後半の若い、というよりむしろ幼い、先生が大勢亡くなっています。初冬の凍るような冷たい水の中、厚手のモンペに姶の着物の冬支度で、泳ぐこともままならず、懸命の救助の中、次々と力尽きていったそうです。合掌



手賀沼教職員殉職事件


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