教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

歌う歓びと教師―大正新教育実践家・北村久雄から

2020年10月06日 18時50分23秒 | 教育者・保育者のための名言
 芸術教育・音楽教育については素人ですが、塚原健太「北村久雄の「音楽的美的直観」概念―音楽教師としての音楽と生命の理解」(橋本美保・田中智志編『大正新教育の思想―生命の躍動』東信堂、2015年、467~485頁)を読んでいて、北村久雄(1888~1945)の以下の言葉に感じるものがあったのでここにメモとして残しておきます。
 これだけ抜き出すと何気ない文章なのですが、塚原論文によるベルクソンの自由・内的持続論の解説と合わせて読むと、新教育実践家とはここまで深く考えながら実践していたのだな…と感銘を受けることができました。

---
 歌ふと云ふことは、対象たる歌曲に、唱歌者自身の芸術的直観を充すことに依って、その直観の必然的発展として歌謡を産み出すことである。尚これを言い換へて見ると、歌はうとする歌曲を美的に直観してその直観の結果どうしても歌はずには居られなくなって来るのである。若し彼れの直観が歌曲の中に余すところなく充されるならば、彼れは歌はずには居られなくなって来るのである。何故なれば芸術的直観と云ふものは、その立場が深くなればなるほど表現的になって来るのがその特徴であるからである。
 (北村久雄『音楽教育の新研究』モナス、1926年、14頁より)

 私が止み難い感謝に充されたことは、斯うした外面的に実証された効果[表現衝動の満足による歓喜を味わわせられたことや、独唱の時間を放課後に設けることによって唱歌の授業時における斉唱練習の時間を多くとることができたことなど]よりは、児童が最も自由な姿に、自分をうたってゆくことに依って、彼等自身――の生命――が、伸び伸びて行くと云ふ、児童等の歓びに報いられたことである。実際彼等は、野に囀[さえ]づる小鳥の如[よう]な、自由な楽しさをうたって居るのである。
 (北村、同上、606頁より)
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授業は教師みんなの力で高めあう

2019年11月15日 19時13分49秒 | 教育者・保育者のための名言
 日本教育学史研究のため、時間を見つけて先行研究の読書をしています。日本教育方法学会編『日本の授業研究』上巻(学文社、2009年)の豊田ひさき氏の論文を読んでいて、昭和の小学校教師・東井義雄(1912~1991)の名言に出会えたのでメモ。出典はまだちゃんと調べられていない孫引きなので注意。著作集に入っているか今度確認してみよう。

―――
「授業は教師みんなのものとして、みんなの力で高めあわなければならぬ。」

東井義雄「研究授業と授業研究はどう違うか」『授業研究』No.21、明治図書、1965年より。
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教師論概念「教師は教科書に使われてはならない」の初出を探る

2014年05月31日 15時44分51秒 | 教育者・保育者のための名言

 以前、沢柳政太郎の「教科書に使役されて、教科書を授けるための教師となってはいかぬ」(1908年)という言葉を紹介したことがあります。「教科書は使うものであり、使われてはならない」という言葉は、教育現場では今でもよく使われる言葉ですが、沢柳の発言より前の事例を見つけたので紹介します。
 以前、学位論文をまとめているときに、見つけた史料です。

 「教科書は教員といふものが自から能く使用すべきものであるのに、教科書の為に教員が使役せられて居る事はなからうか、教員は書物の奴隷になって居るやうな事はなからうか」

 発言者は、中川謙二郎。明治26(1893)年8月6日、大日本教育会夏季講習会の期間中に開かれた講談会での発言です。日本最古の全国的教育専門団体である大日本教育会は、主催する教員講習会の課外に、有識者の講談を実施していました(8月6日、13日、20日、27日実施)。中川は、肝付兼行、西村貞、三宅秀、西村茂樹、井上哲次郎、杉浦重剛、後藤牧太というそうそうたる登壇者の一人でした。
 中川は、教育史のなかでもマイナーな人ですが(関係者すみません)、東京開成学校(のち東京大学)の出身で、文部官僚や女子高等師範学校教員を務め、普通教育・師範教育・実業教育に造詣の深かった人物です。のちに東京工業学校教授や東京教育博物館主事、文部省視学官も務めています。そのうち「大日本教育会・帝国教育会の群像」(無期限休止状態)を再開させたいので、詳しくはその時に。

 中川は、200名の講習員(多くは全国各地からやってきた小学校教員)を前にして、家庭と学校、社会と学校、教員相互、教員と児童、教員・教科書・児童、学科間、男女教員間における関係調和・協力・交流の重要性についてを論じました。紹介部分は、その講談のうち、教員と教科書との関係に言及した部分です。この部分は、講談全体のなかでのほんの一部なのであまり深まってはいませんが、児童を教育するには小学校教員が教科書に「使役」されてはならない、という教師論の一概念をはっきり述べています。また、これは、初等教育における教師と教科書との関係の特徴について、中等教育におけるそれらの関係と比較して明らかにしている部分です。中川は、小学校教員だからこそ教科書に「使役」されてはならない、といったのです。のちに沢柳は、中等教員のあり方に絡めて、教師は教科書に使われてはならない、と述べました。「教科書に使われるな!」というあり方は、まず小学校教員に対して求められ、そののちに内容の深まりとともに中等教員にも求められたということになります。1893年の中川発言と1908年の沢柳発言とは、それぞれこのような教員史の流れのなかに位置づくのではないでしょうか。
 以下、該当部分の引用です。前半部分は、中等教員に関する内容です。教科書をそのまま読むのでなく、批判的に講義することがイギリス由来の新しい教育方法として語られているところも、時代状況を示していて面白いです。また、この発言は、教員・教科書(教材)・子どもの三者を一体化する方法、または教科書を教員と子どもとの関係を媒介するもの(つまり、教員と子どもとの関係を結ぶメディア)として述べていることも興味深いところです。


 「教科書は教員といふものが自から能く使用すべきものである」

中川謙二郎「大日本教育会夏季講習会演説」(『大日本教育会雑誌』第133号、大日本教育会事務所、1893年10月、)より。
 (『大日本教育会雑誌』第23巻(近代日本教育資料叢書・史料篇一)、宣文堂書店、1969年復刻)
 ※一部の必要部分に濁点を付け、促音「つ」は「っ」に置き換え、新たに段落分けを行い、旧字体はなるべく新字体へ置き直した。

 教科書を用ひます上には、或は教科書を批評致して、夫を教授の一の方法にするやうな事を能く聞いて居ります。即ち英吉利[イギリス]の中学校抔に於きまして、教員が古い教科書を択んで用ひて居る。其古い書物に就て批評的に教授を致すので、前々から種々変更して今日の今日たる所のあるのを明かにする。只以前の事を捨置いて、今日の事丈け稽古させるといふよりは、其方が明瞭になって、教授の効力が著しいといふ事を度々聞いて居ります。
 我国に於きましても、或は中等以上の学校に於ては、此教授の方法即ち教員・書物・生徒の三ツが全く三物となって、言い換ゆれば教員と生徒との間に書物といふものが這入て教授するといふ事は、或は一の便利なる方法、且有益なる方法であるかも知れませぬ。併ながら初等の教育に於きましては決して之に倣ふことは出来ぬと思います。

 初等の教育に於きましては、教科書と教員といふものが必ず一体となる事が必要であらうと思ひます。教科書が無い時と教科書のある時と全く教授力に於ては同様であると云ふ風になければなるまいと思ひます。教科書を用ひる為に時間の節約が出来ると申しますれ共、教科書は即ち教員自己といふものゝ一部分として用ひるやうな体でなければ、初等の教育の上に此三ツの調和を全うする事は出来まいと思ひます。然るに時としては教員と生徒とか理科(Science)を講究する方法と同じく、書物といふものを真中に置いて、頻りに其れに喰って掛かって居るやうな顕象が無からうか、教科書は教員といふものが自から能く使用すべきものであるのに、教科書の為に教員が使役せられて居る事はなからうか、教員は書物の奴隷になって居るやうな事はなからうかと云ふ箇条に疑ひが御座います。其三物調和の仕方は即ち教科書といふものが教員と一体になる事は甚だ必要なる事と思ひます。

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育ての心―自ら育つものを育たせようとする心

2014年01月16日 21時16分14秒 | 教育者・保育者のための名言

 久しぶりに名言を紹介。


 かつて、倉橋惣三(1882~1955)という幼児教育・保育学者がいました。倉橋は、東京女子高等師範学校教授で同校附属幼稚園主事を長年務め、極めて素朴な言葉で保育・子どものあり方を語り続けました。彼の主著である『育ての心』(1936年)、『幼稚園真諦』(初版1933年・改題1953年)などは、大正・昭和期の保育現場のみならず、今でも人気の高い保育書です。
 今回は、その『育ての心』のまえがきの一部を紹介します。


 「育ての心」とは何か。それは、自ら育とうとするもの(子ども)を育てずにはいられなくなる心である。その心によって、子どもと保育者・親とはつながることができ、子どもだけでなく保育者・親も育つことができる。子どもを信頼・尊重し、発達を実現させることもできる。この心は、職務として現れるものではなく、義務として現れるものでもない。自然なものである。
 とても力強い言葉です。教育者にとって、自らの存在の確かなよりどころを直感させる言葉でした。最初にこの部分を読んだとき、心底感動しました。なお、この「育ての心」の考え方は、いわゆる「教育愛」の説明としても適用できると私は思っています。また、倉橋が語り掛けたのは幼稚園保母ですが、すべての段階の教育者や保護者にもぜひ受け止めてほしい言葉です。


 明日の「教育原理Ⅱ」で取り上げる予定で授業準備していたのですが、ここでも紹介したくなりました。以下、引用です。




「自ら育つものを育たせようとする心、それが育ての心である。」


倉橋惣三『育ての心』刀江書院、1936年より。
(倉橋惣三文庫3、フレーベル館、2008年、3~4頁)


 自ら育つものを育たせようとする心、それが育ての心である。世にこんな楽しい心があろうか。それは明るい世界である。温かい世界である。育つものと育てるものとが、互いの結びつきに於て相楽しんでいる心である。
 育ての心。そこには何の強要もない。無理もない。育つものの偉[おお]きな力を信頼し、敬重して、その発達の途に遵[したが]うて発達を遂げしめようとする。役目でもなく、義務でもなく、誰の心にも動く真情である。
 しかも、この真情が最も深く動くのは親である。次いで幼き子等の教育者である。そこには抱く我が子の成育がある。日々に相触るる子等の生活がある。斯[こ]うも自ら育とうとするものを前にして、育てずしてはいられなくなる心、それが親と教育者の最も貴い育ての心である。
 それにしても、育ての心は相手を育てるばかりではない。それによって自分も育てられてゆくのである。我が子を育てて自ら育つ親、子等の心を育てて自らの心も育つ教育者。育ての心は子どものためばかりではない。親と教育者とを育てる心である。 



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教師は教科書を使いこなさなければならない

2012年12月02日 23時55分55秒 | 教育者・保育者のための名言

 仕事をしていると、いろんな問題が起こるもんですね。来週、がんばって乗り越えます。

 さて、本日は、沢柳政太郎のこの名言を紹介。
 「教科書に使役されて、教科書を授けるための教師となってはいかぬ。」

 「教科書は使うものであり、使われてはならない」とは、授業者としての教師のあり方を示す言葉として、今でも現場でよく言われる言葉です。私も授業実践をしていていつもこの言葉の大事さを思い知らされます。
 この類の言葉の早い使用例が見られるのが、沢柳政太郎の『教師及校長論』(1908年)です。沢柳は、教科書をそのまま教えて満足している教師に対して、「そういう教え方をしている君。子どもはこう思っているぞ。『この先生より教科書の方がえらい』とね」と警告しました。また、次のようにも言っています。教育においては、教師が主であり、教科書はその道具である。教師は教科書の奴隷ではない。教科書を使いこなさねば生きた教育はできない。教科書を自由に使いこなすには、教科書の十分な研究(教材研究)が必要である。
 これは、教育内容や教室における教え方に関する教師の自律性を示す言葉です。教師の専門性を考える上では、無くてはならない言葉だと思います。沢柳が初めて言ったのかどうかはわかりませんが、当時の教師に対して強い影響力をもっていた沢柳がこれを言ったことの意味は大きいでしょう。なお、沢柳のこの名言の意味は、教師の勝手に教科書・教材を扱って良い、という意味では決してありません。しっかり教材研究し、教材を使いこなすべきという意味なのには注意してください。
 教師は、教科書(教材)を十分研究して教科書(教材)を使いこなすことで、はじめて子どもたちを本当に教育することができる。よりよい授業実践を求めて教壇に立っている教師なら、誰もが理解・共感できる言葉だと思います。

 ちなみに、教育史研究者として、この発言のどこが面白いかというと、国定教科書時代・権威主義的時代にこういう風に言っているというところです。この部分の掲載されている『教師及校長論』は、当時の教員社会の大ベストセラーの一つです。ということは、後の教育社会のリーダーとなる沢柳が、国定教科書に使われてはならない、使いこなすのだ、と主張し、それを多くの教師が同調・共感したわけです。
 この言葉の直接の対象は主に中等教員のようですが、初等教員も読んでいたはずですから、国定教科書の話をもってくるのもあながち間違いとも思えません。(国定教科書を直接批判してはいけないので、中等教員対象に見せかけた可能性もあるかもしれません) 国定教科書時代、教育目的・内容へのアクセスができなくなったと通説では言われていますが、学説・現場レベルではどんな感じで受け止められ、運用されていたのでしょうね。…というより、国定時代だったからこそ、大事にされた言葉なのかもしれませんね。


 「教科書に使役されて、教科書を授けるための教師となってはいかぬ。」

沢柳政太郎「教師と教科書」(『教師及校長論』同文館、1908年)より。
 (『教師と教師像』沢柳政太郎全集第6巻、国土社、1977年、86~90頁)
 ※句読点・濁点は付け直し、旧字体はなるべく新字体へ書き直した。

 教師は主で教科書は器械でなければならぬのに、教科書が主で教師は恰[あたか]も生徒に向て教科書を解釈取次するものに過ぎないやうな有様が実際存して居る。しかも何人もこのさまを見て怪まない。教師自身もかく思うて居る。考へて見ると驚くべきことである。この弊は中等の学校に於て特にひどい。教師自身が教科書の奴隷を以て甘んずる次第であるから、生徒が教師よりは教科書をえらいと考えるのは無理もない。
 教師が教室にのぞんで今日は何枚目からはじめると宣告するのは、即ち教科書の取次者たるを表明するものである。この学期には予定の如く教科書を終ることの出来たのは満足であるといふのも同様の思想から出て来て居る。[略]
 教科書を授けるのが教授ではない。教科書の内にかいてある事項や理屈を教へるのが教授である。否、教科書の内にのって居る材料をかりて生徒の思想を開発拡充するのが教授である以上は、教師は成るべく直接に生徒の思想に向て働くことをせんければならない。教科書とにらみ合をし、首引をして居り、もし教科書をとられたならば仕事が出来ないやうではいけない。[略]つまり教師は教科書に拘束されて少しも自由自在に且、臨機応変に働いて行くことが出来ない。前に申したやうに、教師は教科書を講釈する道具にすぎない観がある。洵に憐むべきである。
 全体、教師は生徒を教授するものであり、生徒は教師より教授を受くるものである。即ち、教授は教師と生徒との関係である。唯、方便として図書、器械、標本等を使用することがあるのである。然るに実際に於ては、教授は教科書と生徒との関係で、教師は唯その教科書を生徒に理解せしむる媒介者に過ぎない。故に教師は生徒を教授するものにあらずして、教師は生徒に教科書を紹介するものであるといふ有様である。教師は直接に被教育者に対するものにあらずして、中継ぎ人たるに過ぎない状態である。果して然らば教育の定義にいふが如く、教師は被教育者に直接に影響を及ぼすものでない。これ即ち教師が教科書の奴隷となり居るためである。軽重本末を誤て居るためである。少しく酷にいふと中継媒介者ならばまだしもよけれど、書物に使役されて居るものに過ぎない観がある。[略]
 教師も生徒も教科書に拘束されて居るやうでは本当でない。[略]教師は教科書を見ずして自由自在に教授してもらひたい。生徒も皆教師を見つめて教師の教授に注意して本を開くに及ばないやうにしたい。唯教科書は復習のとき、教師が前に居ないときに参考する位にしたい。分らぬ事柄があったら事柄そのものを取て教師に質さすやうにするがよい。[略]教師たるものはかく質問するやうに生徒を指導してもらひたい。
 教師が教科書に使役されずにこれを使役しやうとするには、教科書を放棄して置いては出来ない。能く教科を諳誦する位にこれをのみ込まねばならぬ。教科書を見ずに教へるには、予め充分よく教科書を研究して置かねば出来ぬ。既によく教科書を研究して諳誦する位になれば、そこで初めて教科書を自由に使役することが出来る。かくて教授は活発に自在に面白く為すことが出来る。教科書に束縛されて居る間は、とても活発な面白い教授は出来ない。洵に活気のない死んだ教授より出来ない。畢竟、教科書に使われるは、それを使ふだけによく研究してないからである。[略]教科書の効能はこれを利用して現はれ、これに使役されては没する。
 [略]もし教科書に誤があった時には、教師は訂正して教ふることが出来るか。[略]次に教科書の内にあることを加除して教ふることが出来るか。[略]かく教師はその見込に依り教科書を活用して行かなければならぬが、教材を加除し順序を変更するが如きは軽々しくなすべきではない。能く研究して確乎たる見込がある場合に限るべきであって、決して容易に勝手にしてよいというふ次第ではない。要するに、従来よりも一層能く教科書を研究し、よく之を活用すべきである。決して教科書に使役されて、教科書を授けるための教師となってはいかぬ。

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子どもを「生きさせなければならない」

2012年11月13日 23時55分55秒 | 教育者・保育者のための名言

 中国四国教育学会、無事発表を終えられました。研究の質を上げられるようないい質問ももらえました。質問してくださった方々、本当にありがとうございました。日曜の仕事にも無事(?)参加できました。

 さて、普段の生活において、なかなか書けそうなネタがないので、たまに教育に関する名言でもたまに紹介しようと思い立ちました。忙しいのですが、ちょっと書きためていたので、以下公開。下線から上は私のコメント、下は原文(翻訳原文)です。

 まず最初に取り上げますのは、子育ての方針についてのルソーの名言。
 「[子どもの]死をふせぐことよりも、[子どもを]生きさせることが必要なのだ。」

 子どもを「生きさせなければならない」、という主張には、なるほどそうかと思わせられました。強制的な響きのある主張ですが、ルソーの時代は保護者の不注意や無理解により乳幼児がたくさん死んでいた時代であり、子どもの自由や適切な発達が妨げられていた時代ですから、そういう言い方になったのでしょう。現代日本では、ルソーの時代ほど多く子どもが死んでいるはずはないのですが、ほぼ毎日虐待死が報じられるような社会ですから、今ふり返ってもよい言葉なんじゃないかと思います。

 どこへ向かって子どもを「生きさせる」のか。死なないようにという消極的な目標ではなく、勝手に生かしておくというような放任的な目標ではなく、生涯を通してどんな境遇においても生きていけるようにという積極的な目標へ向かって。
 ここで「生きる」こととは何か。それは「活動」することである。自分の体や能力を用いることである。子どもは思うままに跳びはね、走り回り、大声を上げる。これは、子どもの体が強くなろうとして生じる運動なのだ。そのような運動を支え、子どもを活動させ、生きさせなければならない。今の感覚でいえば、体だけでなく、心の運動を支えていくことも大事だろう。それが子どもを育てるということなんじゃないのか。

 以下、その部分の原文(翻訳)です。


 「[子どもの]死をふせぐことよりも、[子どもを]生きさせることが必要なのだ。」

出典:ルソー『エミール』(1762年)より
 (今野一雄訳『エミール』上巻、岩波文庫、33頁)

 人は子どもの身をまもることばかり考えているが、それでは十分でない。大人になったとき、自分の身をまもることを、運命の打撃に耐え、富も貧困も意にかいせず、必要とあればアイスランドの氷のなかでも、マルタ島のやけつく岩のうえでも生活することを学ばせなければならない。[略] 死をふせぐことよりも、生きさせることが必要なのだ。生きること、それは呼吸することではない。活動することだ。わたしたちの器官、感官、能力を、わたしたちに存在感をあたえる体のあらゆる部分をもちいることだ。もっとも長生きした人とは、もっとも多くの歳月を生きた人ではなく、もっともよく人生を体験した人だ。 (同上、33頁)

 自然は[子どもの]体を強くし成長させるためにいろいろな手段をもちいるが、それに逆らうようなことはけっしてすべきではない。子どもが外へ行きたいというのに家にいるように強制したり、じっとしていたいというのに出ていかせるようなことをしてはならない。子どもの意志がわたしたちの過失によってそこなわれていなければ、子どもはなにごとも無用なことを欲することはない。子どもは思うままに跳びはね、駆けまわり、大声をあげなければならない。かれらのあらゆる運動は強くなろうとする体の構造の必要から生まれているのだ。しかし、子どもが自分ではできないこと、他の人々が子どものためにしてやらなければならないことを望むばあいには、警戒しなければならない。 (同上、116頁)

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「真の道」とは

2012年05月24日 21時10分22秒 | 教育者・保育者のための名言

 ほんとうの道は、あたりまえの道である。

 ――倉橋惣三『幼稚園真諦』(フレーベル館、1953年)「終わりに」より
     (津守真・森上史朗編「倉橋惣三文庫」①、フレーベル館、2008年、134頁)


 最近なかなか更新できませんが、生きています。
 今、ゼミで学生と倉橋の『幼稚園真諦』を読んでいます。ようやく読み終わったのですが、最後の最後に「深いなぁ…」と思ったのでメモ。
 倉橋の保育思想と重ねてこの言葉をかみしめると、さらに面白い。

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フレーベル「われわれの子どもたちに生きよう」

2012年03月23日 21時11分33秒 | 教育者・保育者のための名言

 「幼稚園の祖」フリードリッヒ・フレーベル(1782~1852)の言葉のなかで、最も有名な言葉に以下のものがあります。


さあ、われわれの子どもたちに生きようではないか!
Kommt,lasst uns unsern Kindern leben!


 子どもたち「と」、または子どもたち「のために」であれば、よくわかる言葉です。
 しかし、ちょっとまってください。訳は、子どもたち「に」、になっています。なぜ、ここを「に」と訳すのか? 子どもたちの中「に」生きるということか? だったらそれはどういう意味だ? とまあ、私はこのところがうまく理解し切れず、ずっと心に引っかかっていました。


 フレーベルの幼児教育論説の訳者である岩崎次男によれば、フレーベルのこの標語は、以下のように解釈されています。


この言葉は、親や教育者たちが子どものために、子どもとともに、子どもの気持にたちかえって、子どもから学びつつ生きること、子どもにかわって子どもの言葉にならない要求を代弁し、子どもを通じて自由な国家の実現を期待しつつ生きることを、呼びかけたものにほかならない。(フレーベル(岩崎次男訳)梅根悟編『幼児教育論』世界教育学名著選、明治図書、1974年、237頁)。


ふむ、なるほど、子どもたちのため「に」、子どもたちととも「に」、の両方の意味を含意させている様子です。さらに、「子どもを通じて自由な国家の実現を期待しつつ生きる」という意味が込められているとのこと。ここのところが、どうも私の疑問を晴らすポイントのようです。


 実は今、教材研究として、フレーベルの古典を読んでいます(翻訳ですが)。フレーベルを読んだことのある方はご存じの通り、フレーベルの文章は、装飾と難解な概念(おそらくフレーベル自身の直感的な把握だけによるものも多い?)がちりばめられていて、読みにくいです。そんな苦労をしつつ、「ドイツ幼稚園にかんする報告および弁明」(1843年)を読みました。その巻末で、以下のように書いてありました。


現代が追求するものは、教育をつうじてのみかちとられうる。幼年時代はもっとも欠乏せるまたもっとも可塑性にとんだ時期である。したがって、われわれが待望しかつ希望するものを、萌芽の段階にある世代が達成しかつみることになってほしいものである。「したがって、来たれよ、そしてわれわれの子どもたちに生きようではないか。」 (同上、126頁)


この文脈からすると、フレーベルは「子どもたちに生きよう」という標語に、次のような意味を込めているように思います。すなわち、我々現代を生きる大人の希望は、子どもたちの教育によってのみ得られる。我々の希望は、教育によって子どもたちに引き継がれ、達成されるしかない。我々は、子どもたちの中で生きて(希望を託して)のみ、自らの希望を達成することができる。そのため、我々に対して、子どもたち「に」生きることが勧められるわけです。(※この引用中の「われわれ」は、誰を指しているのかは明確ではありません)
 子どもたちの人生は子どもたちのものじゃないか、という反論が聞こえてきそうです。ただ、その反論の前に、まずはフレーベルの立ち位置を理解することをお勧めします。フレーベルのいう「現代が追求するもの」「待望・希望するもの」という概念は、もちろん19世紀半ばドイツで形成された概念であり、歴史的な特殊の意味をもつものです。大ざっぱに理解したところでは、フレーベルは子ども個人の発達を論じていますが、究極的に目指すところは、普遍・根源への到達・一体化や、人類・ドイツ社会・家庭などの改革にあるようです。また、幼児教育・保育は子ども個人の発達だけのためではなく、保育者が自分自身を理解するためでもある、という論旨も見かけました(「遊び」、1838年)。そういった論旨からすると、子どもの教育は子どものためではあるが、大人・市民・国民のためにもなるのだ、という理解もありうるのかなと思います。
 上の引用文は、ブランケンブルク市長とミッデンドルフ、バーロップ(フレーベルの協働者)との連名で書かれた文書であり、1840年に呼びかけた幼稚園設立運動に対する支持と無理解との間で書かれたものです。この運動への支持者は、予定ではすぐ1,000人に達する予定であったのですが、この文章が書かれた1843年6月時点で155人でした。また、1842年には、内務省に対して行った幼稚園設立のための株式申請が、「ドイツ幼稚園への需要がない」という理由で却下されています。この文章は、「幼稚園は必要なものだ」ということを、国家社会や保護者へ切実に訴えるための文章であったと思われます。そういう執筆背景からも、上のような解釈は重要ではないかと思います。


 以上のように理解すると、岩崎氏の後半の解釈も納得できます。「われわれの子どもたちに生きよう」という標語は、この1843年の文章が初出ではないようですし、他の文章でも見かけました。ただ、上の引用部分に出会って、ようやく「に」の意味が理解できたような気がしました。
 フレーベルの「子どもたちに生きよう」という呼びかけの意味は、「子どもたちと」だけではなく、「子どもたちのために」だけでもないんですね。そして、「私の子どもたち」ではなく、「われわれの子どもたち」であることに意味があるようですね。


 それにしても、有名な標語なだけに、誤解していたり、私のような疑問を持つ人もいるんじゃないでしょうか。もっとわかりやすい訳はないのでしょうかねぇ。そもそもドイツ語が読めれば、どういう意味の「に」なのか、すぐにわかるのでしょうか。本ブログはドイツ語で研究している学者さんも読者にいるようですが、皆さんはどう考えますか?



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授業がうまくなるために欠かせないこと

2010年12月25日 23時55分55秒 | 教育者・保育者のための名言

 沢柳政太郎(詳しくはこちらを参照のこと)の文章を読むと、いつも共感する。私が経験的に思っていることを述べているから。時代背景が違うのはわかっているが、100年も前にこんな風にわかりやすく論じてくれていたと思うと、感心せざるを得ない。

 沢柳政太郎『教師及校長論』(明治41(1908)年刊)の第1章第9節「師弟の関係」には、以下のような一節がある。

 近来師弟の関係が紊れたと教師の人物徳行を非難するものが多いが、余は師弟の関係をよくする方法として教授法の改良を以て最も大切なりと信ずるものである。
 教授がへたであるために生徒が興味を感じない、授業がよくないために生徒の理解が十分でない、従て又苦むことがある。さる場合には教師の人格が高くとも生徒は教師を以て自身等を苦むるものである、面白くないことを強ふるものであると考へる。そうしてその考は尤のことである。この感が一たび起ったならば生徒の教師を尊敬することを求めてもそれは出来ない話である。これに反して教師は自身等の知識を開発して呉れる人である、誠に授業は面白い[、]教師のおかげで能く明瞭に理解することが出来ると感じたときにはどうであらう。生徒は自然に教師を尊敬し、これに心服し師恩の高きを感ずるに至るであらう。これ全く授業の巧みなるより来る結果である。授業の巧拙は師弟の関係に大影響を及ぼすものである。
 (引用部分の初出は、沢柳政太郎『教師論』(明治38(1905)年刊))

 もっと授業がうまくなりたい。教育を受ける者たちが学びを楽しいと感じられるように。

 そのためには、様々な教授技術を覚えればよいのか。機械を駆使して、演出を凝ればよいのか。よい教科書を使えばよいのか。よい授業案を参照すればよいのか。もちろん、それらも有効だろう。それらも授業をうまくする手がかりになる。
 しかし、それらは授業を構成する「部品」である。必要なのはそれだけではない。必要なのは、教材をより広くより深く研究し、被教育者一人ひとりとじっくりつきあいながら理解を深め、目標と展開を練りに練り、授業後に計画と実践とを丁寧に検討して、確実に改善につなげていくこと。授業をする、ということは、授業時間数十分を過ごすだけではない。前後の準備と省察が必要なのだ。そのための時間が必要なのだ。

 今の教育現場では、授業時間数十分は確保されている。しかし、その前後は確保されているだろうか。
 よい教育を、という言葉は、授業前後の時間を確保してから発せられるべきである。教師を本気でしたことのない人にはわからないかもしれないし、部外者から見れば無駄な時間に見えるかもしれない。しかし、前後に準備と省察の時間が確保されなければ、よい教育などやりようがないのである。この技術を、この授業案を渡せば、すぐに面白い授業ができる、というのは幻想である。授業がうまくなるための特効薬など存在しない。
 教師には、一回の授業につき、せめて授業時間と同程度の時間を与えてほしい。また、教師自身も、自らの仕事をよりよくし、教育を受ける者たちをより高めていくために、授業前後の時間を確保し、しっかり使っていくよう努めなければならない。

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