教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

忙しいことを報告しても仕方ないけど

2009年03月20日 19時27分19秒 | Weblog
 このところかなり忙しい毎日を送っております。
 仕事を始めて気がついたら、すでに夕方になっているという。かなり早起きしても、結局そうなっていることも。そうなるとほとんど研究できないので、よくガッカリしています。研究は、私の生活の一部なので。
 仕事で忙しいので、ブログに書くことが可能な内容もないという。

 このたび、11年間住んできたアパートを引っ越すので、休日すら引っ越し準備で忙しい毎日。本日、11年間使ってきた家電を処分しました。リサイクル料1萬5千5百円也。マジかよ。使えるものを捨てずに再利用することはとてもいいことですが、「モノを捨てにくい=モノを買いにくい」という図式が生まれはしないもんかね。
 どうしてもこの日しか日程が合わないため、明日は休日出勤。うーむ。
 さらにさらに、免許更新のため、片道1時間くらいかかる免許センターに行かないといけないという。近くの警察署では、更新まで1ヶ月くらいかかるんだと。そんなにかかっては面倒なので、思い切って明後日行く予定。わかってるけど、こぉのタイミングに時間を食うのは痛い。また、視力が落ちてきてるので、かなり不安。でも、ゴールド免許になるので、少し嬉しい。
 来週も用事が山積み状態。
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「夢」とは何か―生きるための原動力

2009年03月07日 18時31分59秒 | 教育研究メモ
 一昨年使い始めて以来、よく使うようになった「夢」という言葉。実は、高校の非常勤を終える際に、口をついて出た言葉でした。一昨年の7月、自分が教壇を離れるにあたって、将来に不安と期待をいっぱいにかかえた高校生に、何を語るか。生きることに迷いに迷っていた自分に、どこへ向かえと言い聞かせるか。夢。使い方によってはうさんくさい言葉ですが、あのとき自分が伝えたかった内容を表現するには、この言葉しか思いつきませんでした。
 私は、「夢」とは、生きるための原動力だと思っています。幻のようにつかみ所がないようでいて、現実感をもって「実現したい」という意欲を生み出す理想・イメージ。誰のものでもない、自分自身のもの。でも、自分だけのためのものではなく、自分を含めた「みんな」のためのもの。
 夢は、生きるためのもの。具体的であればあるほど、実現可能であればあるほど、人生にとってより有意義です。「目標」と言い換えても問題ないかもしれませんが、できるなら、自分自身のものとして、自らそのイメージへと「成る」という意味を持たせたい。そのため、私はこれを、あえて「夢」という言葉を使います。
 私の夢は、「先生の先生」になること。普通教育に携わる学校教員を養成する仕事。要するに、大学の教員養成担当教員。でも、単に大学に教員として就職すれば、それで実現するものではありません。
 「先生の先生」になることとは、「先生の先生」としてふさわしい生き方を目指し、実践し、具体化しつつ、生を全うすること。「先生の先生」としてふさわしい生き方とは、教師の理想的な生き方(人として、日本人として、地域社会の一員として、教育者として、学校教員として…)だと思います。そのためには、生き方を追究する、適切な授業・指導をする、生徒のモデルとなりうる人格を備えるなど、常にやっていかなくてはいけないことが山ほどあります。
 今は、どのような生き方が教師としてふさわしいのか、とても知りたいです。教員史を学べば、かつて聖職(天職)的教師像、師範タイプ、教育労働者、公務員的教師像、専門職的教師像などなど、様々な理想的教師像が結ばれてきました。最近では、「市場経済人養成装置」的教師像とでも言えそうなものが結ばれていますね。どの教師像にも一長一短があります。このなかの一つをまるごと選べばよい、というような問題ではありません。ではどんな生き方がふさわしいのでしょうか。
 このように、私の夢は、まだまだ具体的とは言えません。ですが、就職しただけでは実現しないことは確信しています。私の夢は、一生かけて実現していくものです。私は、夢に向けて生き、生きながら夢を実現していくのです。
 今の私が伝えられることがあるとしたら、一生をかけられる夢の重要性だけかもしれません。私と関わることによって、人々が一生かけて実現していく夢を抱くことができたなら、これに勝る幸せはありません。

 ま、こんな抽象的な悪文・長文では伝えられんよね~(苦笑)。
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あのときの高校生が、高校生ではなくなった

2009年03月06日 22時49分35秒 | Weblog
 先日、一昨年非常勤に行った高校が、卒業式を開いたそうです。当時、2年生と3年生を担当したので、ついに私が関わった生徒たちは、みな高校生ではなくなりました。ついこの間まで、高校教師をしていたような気がするのですが、もう2年近く経ってしまったことには、素直に驚きます。
 何人かの進路は知っているけど、知らない生徒の方がほとんど。みんな、「夢」はみつかったかい。「夢」を実現する道筋は見えたかい。
 あの2ヶ月は、教師として、本物の体験をさせてもらった貴重な時期でした。当時もらった写真・色紙や、生徒に書かせた座席表、テストの時に書いてもらった地理科への思い、など。いつも大事に手元においています。あのときの苦労と生徒たちとの時間とを思い出せる、そして、前へ踏み出す力をくれる、一生の宝物です。

 もう彼ら彼女らが高校生でないことを思ったら、なんだか急に感傷的になってきました。
 そろそろ私も、新しい生活を始めないといけないな。
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ゆきつれづれ

2009年03月03日 18時52分54秒 | Weblog
 どうも。久しぶりに写真をば。
 今日は、水分をよく含んだ雪がたくさん降りました。そのため、樹氷(樹雪?)があちこちでできております。写真は、教育学部講義棟を背にしたキャンパス内の風景です。
 最近は、書きにくいことばかりで、更新が滞っておりました。でも、行事づくしの2月は何とか乗り越えましたよ。上司主催の日本東洋教育史研究会も、2月28日に第2回目が無事開催されました。
 ついに花粉症になってしまったらしく、目がかゆい。そして鼻水、くしゃみがひどい。こいつは聞きしにまさるツラさ。
 それから、本日、「大日本教育会・帝国教育会の群像」の広島県会員ファイルが50を突破。2月中に15人追加しようと目標を立てていたので、それも達成できて満足。しかし、情報量には人によってかなり格差が… 資料が足らんのです。
 3月は、あちこち行かなければならず、またもや忙しいです。
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