今年度に入って学会・研究会が軒並みオンライン化しています。私もこれまで、3つの研究会にZOOMで参加してきました。一つは所属する教育会史・教育情報回路研究会で、長年一緒に研究を続けてきた、お互い顔も性格も知っている集まりです。発表も質問もいつも通り、しっかりできました。もう一つは後輩たちとやっている読書会です。気軽に集まれるのでとても楽しく勉強させてもらっています。それからもう一つは、日本教育学会が企画した座談会1「新型コロナウィルス禍の中の学校を考える」でした。ウェビナー形式だったので講師の皆さんが発表・質疑応答される様を見ていただけですが、とても勉強になりました。自分の身の回りで起こったことを整理しながら聴けましたし、自分にはなかった発想・立場からの話を聞けてとても有意義な時間でした。
我々の学会・研究会でこれまでよく見られましたが、発表を聴くだけ、シンポジウムを聴くだけの参加態度であれば、オンラインでの参加でまったく問題ないと思いました。議論するということになると、やはりまったく関係性のない中ではやりにくいでしょうが、話を聴くだけならオンラインの方がメリットがあるようにも思います。何より、地方に住んでいる者としては、関東・関西圏に住む実力のある学者の話を、自宅や研究室で聴けるというのは、すごいメリットです。これまでは前日や早朝から出発して、慣れない交通機関を使って長時間移動して出張しなければ聴けなかった話が、普段の通勤手段(場合によっては通勤すら不要)で聴けるのです。家族にも少し不便をかけるくらいで済みますし。正直少しうれしくなりました。今まで関東・関西圏の学者はこんな軽々と研究会・学会に参加していたのだなと思うと、今まで気づかなかったけれども、学修・研究機会の不平等は結構大きかったような気もします。オンラインはそういう機会の不平等を解消する有効な手立ての一つだな、なんて思ったりもします。今後のオンライン学会・研究会、少し楽しみになってきました。
とはいえ、日本教育学会の座談会で松下佳代氏がおっしゃっていましたが、これからは、「オンラインでもできる/だからできる/ではできない」ということをしっかり考えていくといいと思いました。松下氏は学校教育の文脈でおっしゃったことですが、学会・研究会という学問共同体の在り方にもかかわると思います。「オンラインでもできる」というのは、発表や質疑応答を聴くだけならオンラインでもでき、むしろ地方在住者にとってはメリットは大きいです。「オンラインだからできる」というのは、まだはっきりしませんが、あちこちに住んでいる研究者を集めやすいという点かもしれません。教育会史研究会は九州から北海道までの研究者が集まり、日本教育学会の座談会は東京と京都の研究者が講師を務めました。外国の研究者とも比較的気軽に研究会が開けそうです(日本教育学会の座談会4はそういう試みを企画している様子)。講師・発表者にとってもオンラインのメリットは大きいようです。「オンラインではできない」というのは、開かれた集団のなかでの一歩踏み込んだ議論でしょうか。顔見知りの集まりではオンラインでも十分議論できると思いましたが、大きな学会のように(業績は知っていても)見知らぬ関係性の間で一歩踏み込んだ議論は難しいように思います。議場の文脈を飛躍した話題が提供されて議論が滞ったり、誤解が誤解を呼んでケンカになったりしそうです(リアルでもありますけども…)。また、「心のケア」や「つながりづくり」という面では(これらも松下氏の発言に触発)、オンラインではできないことも多いかと思います。
今年度の学会・研究会は全面的なオンラインでの実施が多いですが、来年度以降、コロナショックが収まったらどうするか、今から考えておくことは意味のあることでしょうね。全面的にリアルのみに戻るのはもったいないくらい、オンラインにはメリットがあるようです。出席率も上がるようにも思います。私もこの状態にならなければ、オンラインで学会・研究会なんて違和感があるな、と思って、ずっと先まで利用することはなかったでしょう。しかし、今では、これまで行けなかった学会・研究会にオンラインなら積極的に参加したいな、と思っているくらいです。親しい友人や先輩後輩ともオンライン研究会をしたいなとも、密かに思っています。
我々の学会・研究会でこれまでよく見られましたが、発表を聴くだけ、シンポジウムを聴くだけの参加態度であれば、オンラインでの参加でまったく問題ないと思いました。議論するということになると、やはりまったく関係性のない中ではやりにくいでしょうが、話を聴くだけならオンラインの方がメリットがあるようにも思います。何より、地方に住んでいる者としては、関東・関西圏に住む実力のある学者の話を、自宅や研究室で聴けるというのは、すごいメリットです。これまでは前日や早朝から出発して、慣れない交通機関を使って長時間移動して出張しなければ聴けなかった話が、普段の通勤手段(場合によっては通勤すら不要)で聴けるのです。家族にも少し不便をかけるくらいで済みますし。正直少しうれしくなりました。今まで関東・関西圏の学者はこんな軽々と研究会・学会に参加していたのだなと思うと、今まで気づかなかったけれども、学修・研究機会の不平等は結構大きかったような気もします。オンラインはそういう機会の不平等を解消する有効な手立ての一つだな、なんて思ったりもします。今後のオンライン学会・研究会、少し楽しみになってきました。
とはいえ、日本教育学会の座談会で松下佳代氏がおっしゃっていましたが、これからは、「オンラインでもできる/だからできる/ではできない」ということをしっかり考えていくといいと思いました。松下氏は学校教育の文脈でおっしゃったことですが、学会・研究会という学問共同体の在り方にもかかわると思います。「オンラインでもできる」というのは、発表や質疑応答を聴くだけならオンラインでもでき、むしろ地方在住者にとってはメリットは大きいです。「オンラインだからできる」というのは、まだはっきりしませんが、あちこちに住んでいる研究者を集めやすいという点かもしれません。教育会史研究会は九州から北海道までの研究者が集まり、日本教育学会の座談会は東京と京都の研究者が講師を務めました。外国の研究者とも比較的気軽に研究会が開けそうです(日本教育学会の座談会4はそういう試みを企画している様子)。講師・発表者にとってもオンラインのメリットは大きいようです。「オンラインではできない」というのは、開かれた集団のなかでの一歩踏み込んだ議論でしょうか。顔見知りの集まりではオンラインでも十分議論できると思いましたが、大きな学会のように(業績は知っていても)見知らぬ関係性の間で一歩踏み込んだ議論は難しいように思います。議場の文脈を飛躍した話題が提供されて議論が滞ったり、誤解が誤解を呼んでケンカになったりしそうです(リアルでもありますけども…)。また、「心のケア」や「つながりづくり」という面では(これらも松下氏の発言に触発)、オンラインではできないことも多いかと思います。
今年度の学会・研究会は全面的なオンラインでの実施が多いですが、来年度以降、コロナショックが収まったらどうするか、今から考えておくことは意味のあることでしょうね。全面的にリアルのみに戻るのはもったいないくらい、オンラインにはメリットがあるようです。出席率も上がるようにも思います。私もこの状態にならなければ、オンラインで学会・研究会なんて違和感があるな、と思って、ずっと先まで利用することはなかったでしょう。しかし、今では、これまで行けなかった学会・研究会にオンラインなら積極的に参加したいな、と思っているくらいです。親しい友人や先輩後輩ともオンライン研究会をしたいなとも、密かに思っています。