教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

資料調査・収集、山雲

2009年04月26日 19時32分37秒 | Weblog
 毎日授業づくりに追われていまして、なかなか日記すら書けない毎日でした。
 授業づくりで教育学的思考・認識は深まります。しかし、これでは学問的生産に携わっているとはいえず、このままでは研究者とはいいがたいことになってしまいますね。
 これではいけないと思いまして、先の土曜日には資料調査・収集へ出ておりました。自宅から1時間程度かけて鳥取県立図書館へ出向き、鳥取県の教育会雑誌を手当たりしだいにコピー。ふつう、明治期の教育会雑誌はぼろぼろなので、雑誌が崩れ落ちはしないかヒヤヒヤしながらコピーするのですが、今回は大半がマイクロ資料になっていたので、安心です。残念ながら、マイクロリーダーのプリンタの処理速度がとんでもなく遅いので、あまりはかどりませんでしたが…。
 ともかく、明治前期の雑誌はほとんどないものの、後期以降の雑誌はほぼ残っているので、研究上とてもうれしい所蔵状況でした。午後5時閉館後15分もたたないうちに、開架部分の電灯がすべて落とされる、などのカルチャーショックもありましたが、郷土資料係の担当職員さんたちがとても親切でしたので、とても快適に資料収集させていただきました。
 日も暮れた帰り道、途中、浜村温泉あたりの風景が気になったので、車を停めて撮影。雨が降った後なので空気もきれいで、山に雲(湯気じゃないよね?)がかかっていたのが心に響きました。写真はそのときのもの。
 鳥取県はとにかく絶景がいっぱいです。
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30歳になりました。

2009年04月18日 18時08分01秒 | Weblog
 昨日、ついに30歳になりました。
 おかげさまで、任期無しの教員養成校の常勤職に就けました。なんとか夢の入り口に立つことができたように思います。これから楽しみであると同時に、気持ちがひきしまります。本当の意味での「先生の先生」であるために、吸収できるものは徹底的に吸収して、生きていきたいと思います。
 30歳になった感想を一言で言うと、人生における新しい「ステージ」に立った気持ちがしています。実際、たくさんの新しいことをすでに始めています。有無を言っているヒマもなく、始めざるを得ない、というのが正直なところですが。
 でも、同じやるからにゃあ、強制的にやらされるよりも、自分から積極的に学んでいこうとするほうがいい。そのほうが、結果的に自分の人生を豊かにできるはずだからです。
 これからも、精一杯、生きていきますよ!
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道徳教育はなぜ必要か

2009年04月15日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 〈学生たちへ: この記事をコピペしてレポートの字数をかせぐことを禁ず。 2010.8.3追記〉

 たまには学問っぽいことを語りましょう。今日は道徳教育とはなぜ必要か、考えてみましょうか。

 道徳とは、要するに「人間らしいよい生き方」です。「道」とは、社会にける行為の規範のことです。「徳」とは、規範に合致した行為であり、その習慣化を支える性格や能力のことです。自分が実践するわけではないけれど、現として存在する規範は、ただの「道」です(剣道、柔道、茶道、華道、人道…)。ただ知っているだけの規範(ルール)は、「道」ではあっても、「道徳」ではありません。「徳」とセットになっている規範は、実際に行為されなければなりません。行為することによって初めて、「道徳」は成り立ちます。
 道徳は、人間らしい生き方です。人間らしくあるためには、外から押し付けられるものであってはなりません。自主的に選び取られなければなりません。また、人間らしくあるためには、その道徳をひとまず受け入れていなければなりません。その道徳について、批判と反省により、もっともらしい自分の結論を導いていなければなりません。
 たとえば、人権尊重という規範について考えて見ましょう。この規範は、日本国憲法にも規定されている公的な規範です。社会科や公民科で、日本の児童・生徒は重要語として学びます。しかし、しばしば子どもは、クラスメートをいじめるとまでいかなくとも、悪口を言ったり、時には教師や有名人について暴言を吐くなどします。この子どもたちの中では、人権尊重は道徳にはなっていません。これを道徳にするには、まずは人権への理解を知的に、直感的に深める必要があるでしょう。哲学的・歴史的・社会的そして生活的に「人権は尊重すべき」であることを自分の頭で、からだで、心で理解したとき、初めて子どもたちは人権尊重を道徳として選び取るはずです。そうでなければ、本当の意味で、人権尊重が行為となることはないでしょう。ここに道徳教育の出る幕があります。
 別の視点から考えて見ましょう。そもそも、われわれは、ヒトという生物です。生物としてのヒトが幸福であるには、生理的な欲求が満足される必要があります。睡眠、食事、排泄など、生理的欲求が満たされたとき、われわれは生物として幸福を感じます。しかし、われわれは生理的欲求の満足だけで幸福でいられるでしょうか。われわれは、人格の成長、知識の増大、自己実現、計画の達成、他人との意思疎通などを実現させたいという、精神的な欲求をもっています。この精神的欲求が満足されたとき、われわれは幸福を感じます。精神的欲求の満足によって幸福を感じる存在は、ただの生物としてのヒトではないでしょう。そのような存在を人間と呼びましょう。
 精神的欲求を満足させるには、普通、生理的欲求を自ら一時制御しなければならないことがほとんどの場合でしょう。たとえば、講義で新しい知識を得るためには、われわれは眠気と戦い、睡眠という欲求を制御しなければなりません。ヒトが人間になるには、自己の欲求を制御しなければならないのです。制御するための基準こそ、規範であり、規範と合致した道徳です。授業中寝てはいけない、教師の言うことは起きて聞かなければならない、他人が話しているときには聞かなくてはならない、という規範を内面化し、実践に移さなければならないのです。
 道徳教育は、自らが自主的に道徳を選び取るために必要です。精神的な幸福を得るために必要です。つまり、ヒトが人間になるために必要なのです。人間として生きるために必要なのです。

 とか何とかかんとか。

<推薦文献(教科書レベル)>
○藤田昌士『道徳教育―その歴史・現状・課題』エイデル研究所、1985年。
○田中圭治郎編『道徳教育の基礎』ナカニシヤ出版、2006年。
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桜散るなかで

2009年04月11日 16時15分22秒 | Weblog
 昨日10日、国際基督教大学シーベリー記念礼拝堂にて、私の恩師の葬儀が行われました。当日朝の飛行機でかけつけ、出席して参りました。恩師は、66歳の若さでした。
 体調がお悪いとは聞いていましたが、まさかこんなに早くこの世を去られるとは思っていませんでした。水曜の夜、研究室OBの先輩から電話があり、愕然としたのをおぼえています。赴任早々であったので葬儀に行けるとは思っていなかったのですが、上司のご配慮により行かせてもらうことができました。
 国際基督教大学をたずねたのは初めてです。広大なキャンパスのなかに、すばらしい桜並木が立ち並んでいました。天気は雲ひとつない快晴。風にゆられ、散っていく桜の花びらが、この世のものとは思えないくらいとても美しいものでした。青い空と気持ちいい風、そしてキラキラと散っていくうす桃色の花びら。そのすがすがしいさまは、何事もサッパリとこなしていく潔さと、時折見せた女性らしさを兼ね備えた恩師をほうふつとさせ、「なんだか先生らしいなぁ…」と思いながら式場へ向かいました。
 葬儀へ向かう途中、移動時間がかなりあったので、恩師の声を思い出しながら移動していました。あの声をもう聞くことができないと思うと、たまらない気持ちになります。大学入学と同時にチューター、学部3年から主任指導教員を勤めていただいた恩師。学部から大学院後期2年までの8年間、厳しくも愛情をかけてご指導くださいました。そもそも日本東洋教育史研究室に入ることになったのも、学部3年の研究室選択の際、恩師が直接勧めてくださったからでした。
 反抗したこと、うれしかったこと、つらかったこと、恩師のご指導を受けて、いろいろな経験をしました。今の自分には、間違いなく、恩師のご指導を受けた経験が生きづいています。
 ただ、ただ、師恩に感謝するばかりです。
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爆発しそうに大変だけど、うれしい

2009年04月09日 00時32分39秒 | Weblog
 現任地のキャンパスには、たくさんの桜の木があります。ただいま満開。
 さて、明日、現任地での初授業です。本当は夕方には準備完了になるはずが、不測の事態が起こりまくり、日付変更までかかってしまったところです。
 この数日思い通りにいかないことが多く、風邪までひいて、その上に授業準備も進まないのもあり、あやうく爆発しそうでした。そんな中、他人が気づかないうちに、自分の感情をコントロールして落ち着けるようになったのは、自分でも驚きの成長です(笑)。でも、鋭い人は気づいていたかもしれないなぁ。
 初担任の業務はとっても大変です。でも、同じくらい楽しいし、うれしい。今度の職場は、保育者(保育士・幼稚園教諭)養成中心の現場ですが、保育者になりたいという夢を語ってもらい、それに向けてがんばろうとしている人を直接応援できることは、とてもうれしいことです。まぁ、逆の場合もあるので、よろこんでばかりもいられませんが…
 自分のクラスの学生は30名以上います。ようやく半分くらい、顔と名前をぼんやりと覚えることができてきたかな。かかわればかかわるほど、意外な一面が見られて、とてもいとしい(笑)学生たちです。
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うむむ、前へ進まないぞ

2009年04月04日 00時47分58秒 | Weblog
 ↑今の状態。

 スケジュールを立てる→新しく用事が増える→スケジュールを立てる→…(繰り返し)
 細切れに仕事が知らされてくるので、一年の仕事がいまだに全体像をつかみ切れない。
 かなり時間を使って、職場の先輩に聞きまくって、おぼろげながら見えてきたところ。
 単独の研究室はいただけたものの、仕事ができる環境にするまでに数日かかってしまった。
 いつ未知の仕事が入るかわからないので、落ち着いて生活できない毎日。

 あ、9日から新職場での初講義です。
 担当するのは、教育原論、教育実習、教育実習指導、道徳教育の研究など。
 教壇に立つのは1年以上ぶり。
 授業内容は、ある程度形になってきているけど、本当はもっと深めたい、広げたい、推敲したい。
 それには授業準備にもっと時間を割きたい。教材研究したい。
 未知の事務仕事に手間取ってしまってるうちに、どんどん講義日が近づいてくる。
 ちくしょうめぃ。
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転出(転勤)のお知らせ

2009年04月03日 01時35分16秒 | Weblog
 このところこのブログで音沙汰なかったため、諸方面にご心配をおかけしております(苦笑)。
 私事ですが、この4月1日づけで、山陰地方のT短期大学へ転出(転勤)いたしました。

 3月後半は、引越、仕事の引継ぎ、新しい仕事の準備などでバタバタしておりました。ネットもつなげない状態でしたし、転出(転勤)についてはとても微妙な問題なので、何も書くことができなかったわけです。
 1日より新しい仕事が始まりましたが、怒涛のごとく膨大な情報量が降り注いできます。書かなくてはならない書類も多く、会議やら打ち合わせも多いため、研究など何もできない状態が続いています。今度はいくつか授業を持つのですが、その準備もなかなか十分にできないので、かなり困っています。
 幸いにも同僚・上司および他学科の先生方が親切にしてくださるので、少しずつ不安も解消されてきてはいます。しかし、1年の校務スケジュールや仕事の体制もまだ不明な部分が多くて、なかなかスケジュールが立てにくく、教材研究の時間がほとんどとれないのが現状です。不安は拭い去れない、というのが正直なところです。
 はやく生活を立て直さなくては、いろいろヤバイことになりそう。
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