先週、2冊目のテキストを発行し、学生にも配布し終わりました。4年かけてやってきた仕事(授業内容づくり)がようやく一区切りついた心地です。まだまだ、テキストを使った授業づくりや、さらなる教材研究・授業改善を考えていかなければなりませんが…
以下、先日発行された拙著第1巻のまえがきとあとがきの一部です。別記事の目次などをご参照の上、そんな内容なんだなと思っていただければ幸いです。 理念・歴史学習の必要性に関する根拠への言及部分は、個人的に気に入っています(笑)。
拙著『幼児教育とは何か』幼児教育の理論とその応用①、社会評論社、2013年より。
はじめに
本書の目的は、幼児教育に関する理念・歴史・制度から、「幼児教育とは何か」を原理的に考えることである。
現在の幼稚園は、「幼児教育」の理念にもとづく3歳以上~就学未満の幼児対象の保育施設(文部科学省所管)である。保育所は、「児童福祉」の理念にもとづく0歳以上~就学未満の乳幼児対象の保育施設(厚生労働省所管)である。これらの2つの施設は、管轄部署や対象年齢を異にするが、その違いはそれだけではない。これら両施設は、それぞれ理念・歴史を異にする。幼児教育の理念や歴史は、固有の思いと文脈とによって大勢の先人が守り、かつ形成してきたものである。それらを「なかったこと」にはできない。
また、理念・歴史は、今を生きる我々がこれからを考えていく上で重要な知的基盤となり、手段ともなる。制度・実践は人の作るものである。そこには何らかの理念(目指すものや思い)と歴史(実践の積み重ね)が込められている。制度・実践は、完全または超越的なものではなく、未完かつ人間的なものである。だからこそ、批判する余地は残るし、合意・遵守する価値もある。幼保一体化をこのまま進めるべきか、もっと考え直すべきかは、幼児教育の理念・歴史(もしくは児童福祉の理念・歴史)を知ることによって、はじめて深く確かに考えることができる。
[略]
なお、本書は、保育学生・現役保育者・保育関係者だけでなく、国民一般も読者として想定している。幼児教育は、将来の国民を育てる事業であり、全ての国民の考えるべき問題である。また、幼児教育の直接の担い手は保育者だが、国民の支えがなければそれも立ちゆかない。本書は、われわれやわれわれの子孫の将来について、深く確かに考える機会を提供したい。本書が、幼児教育についてみんなで考える機会を提供できれば、幸甚である。
おわりに
[略]
本書は、もともと鳥取短期大学幼児教育保育学科の学生対象のテキスト『幼児教育の理論と応用』(私家版、2012年)の一部であった内容を再構成したものである。本書の内容を除いた残りの内容は、第2巻『保育者の専門性とは何か』に再構成した。子どもに対する保育者の役割については、本書では十分に論じていないが、その部分は第2巻で徹底的に論じている。子どもとかかわらない保育者などあり得ない。本書の内容は、第2巻とあわせて一つとなるので、ぜひ手にとっていただきたいと思う。
歴史と理念は、ものごとの経緯と現状を知る手だてとなる。それゆえに、今後の方向性を定め、将来を生み出す基盤となる。歴史なき思考と実践は、自分の立ち位置を見い出せず、教訓を得られず、失敗と非効率とをくり返す。理念なき思考と実践は、目指すべきところを見失い、空論と罪とを生み出す。自らの役割すら知らない者に、責任をもって幼児教育・保育ができるわけがない。歴史・理念を知らない者に、責任の重い幼児教育・保育の将来を任せるわけにはいかない。幼児教育の実践・制度の今と未来は、幼児教育の歴史・理念を確かにふまえた人々の手で、担われることを願う。