今日も寝起きが悪く、眠気が体の芯に残っている?ような感じの目覚めでした。就寝時間が遅いのが理由なのは当然ですが、そもそも眠れていないのでしょうね…原因は無呼吸だろうと思うのですが、機械を使っているのに効かないというのは、症状がひどくなっているのでしょうね。その原因はだいたい予想がつきます。実は無呼吸治療を始めたころ(数ヶ月前?)から、2、3kg体重が増えているのです。このあいだ温泉にある体重計に乗って愕然としました。無呼吸を直すため、体重を減らそうと、ダイエットしていたのに…(T_T) 間違いなく筋肉が増えたのは、自分でもわかります。その上脂肪が減っていないとすれば…そりゃ体重は増えるだろうさね(T_T)。まあ、筋肉が増えているだから、食事さえ気を付ければ自然に脂肪は減っていくはず、はず…。
まあ、眠気が残っている状態だけど寝ていたら時間がもったいないので、がんばって起きて洗濯物を干して昼飯を食って正午出勤。さて、年表作成のノルマを消化しようか…と思ったら定例の書架整理で図書館は閉館日。しかたないので、他のことをするはめに。しかも15時から研究会なので中途半端な時間しか確保できないので、身は入らないよね。教育史学会投稿論文をいじくり、TAの事務仕事をいじくりしていると、あっという間に研究会の時間。
今日の研究会は、橋本美保「及川平治 『分団式動的教育法』 の系譜-近代日本におけるアメリカ・ヘルバルト主義の受容-」(日本教育学会編 『教育学研究』 第72巻第2号、2005年、220~231頁)を読んで、日本教育学会編『教育学研究』に掲載されるような教育史研究論文に書かれた歴史的意義って何?ということを考えました。同論文を分析した結果、研究論文における歴史的意義って結局は「歴史的事実を実証して得られる、新しい歴史像の提示」かな、ということに。橋本論文における歴史的意義の構造を徹底的に分析した結果、やはりここに落ち着くんだなあ、と得心がいった次第。うーん、今書いている教育史学会投稿論文は、どんな新しい歴史像を提示できるのだろう?
研究会終了後は、研究室の後輩たちと日本教育史読書会。今日から『日本近代教育史事典』(平凡社、1971年)を読んでいくことにしました。この事典は、私らの師匠が「この事典を超える日本教育史の事典はまだ現れていない」と強く勧めていたもので、明治初年から敗戦直後まで各分野・各時代ごとに編纂されたもの。各分野・各時代ごとにはっきりと歴史像が描かれており(事実が並んでいるだけのところも少ないながらもあるが)、基礎的な勉強にはもってこいの教材だと思います。まあ、ホントは教材じゃなくて、研究のお供なんですが。私は自分の専門については多少詳しいと思いますが、(近代)日本教育史という全体的な歴史像を描くだけの知識が不足しています。だからこそ論文の内容も細かくなり、自分の論文がどんな歴史像を提示できるかも気づかずに、事実がならんだだけの「調べました」論文を書いてしまうのでしょう。このことを反省し、勉強をしようとするわけです。かなり遅いんですがね(笑)。後輩たちと一緒に、少しずつ前へ進もうと思います。
さて、眠い。
まあ、眠気が残っている状態だけど寝ていたら時間がもったいないので、がんばって起きて洗濯物を干して昼飯を食って正午出勤。さて、年表作成のノルマを消化しようか…と思ったら定例の書架整理で図書館は閉館日。しかたないので、他のことをするはめに。しかも15時から研究会なので中途半端な時間しか確保できないので、身は入らないよね。教育史学会投稿論文をいじくり、TAの事務仕事をいじくりしていると、あっという間に研究会の時間。
今日の研究会は、橋本美保「及川平治 『分団式動的教育法』 の系譜-近代日本におけるアメリカ・ヘルバルト主義の受容-」(日本教育学会編 『教育学研究』 第72巻第2号、2005年、220~231頁)を読んで、日本教育学会編『教育学研究』に掲載されるような教育史研究論文に書かれた歴史的意義って何?ということを考えました。同論文を分析した結果、研究論文における歴史的意義って結局は「歴史的事実を実証して得られる、新しい歴史像の提示」かな、ということに。橋本論文における歴史的意義の構造を徹底的に分析した結果、やはりここに落ち着くんだなあ、と得心がいった次第。うーん、今書いている教育史学会投稿論文は、どんな新しい歴史像を提示できるのだろう?
研究会終了後は、研究室の後輩たちと日本教育史読書会。今日から『日本近代教育史事典』(平凡社、1971年)を読んでいくことにしました。この事典は、私らの師匠が「この事典を超える日本教育史の事典はまだ現れていない」と強く勧めていたもので、明治初年から敗戦直後まで各分野・各時代ごとに編纂されたもの。各分野・各時代ごとにはっきりと歴史像が描かれており(事実が並んでいるだけのところも少ないながらもあるが)、基礎的な勉強にはもってこいの教材だと思います。まあ、ホントは教材じゃなくて、研究のお供なんですが。私は自分の専門については多少詳しいと思いますが、(近代)日本教育史という全体的な歴史像を描くだけの知識が不足しています。だからこそ論文の内容も細かくなり、自分の論文がどんな歴史像を提示できるかも気づかずに、事実がならんだだけの「調べました」論文を書いてしまうのでしょう。このことを反省し、勉強をしようとするわけです。かなり遅いんですがね(笑)。後輩たちと一緒に、少しずつ前へ進もうと思います。
さて、眠い。