教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

歴史像の提示って

2005年10月27日 20時44分32秒 | Weblog
 今日も寝起きが悪く、眠気が体の芯に残っている?ような感じの目覚めでした。就寝時間が遅いのが理由なのは当然ですが、そもそも眠れていないのでしょうね…原因は無呼吸だろうと思うのですが、機械を使っているのに効かないというのは、症状がひどくなっているのでしょうね。その原因はだいたい予想がつきます。実は無呼吸治療を始めたころ(数ヶ月前?)から、2、3kg体重が増えているのです。このあいだ温泉にある体重計に乗って愕然としました。無呼吸を直すため、体重を減らそうと、ダイエットしていたのに…(T_T) 間違いなく筋肉が増えたのは、自分でもわかります。その上脂肪が減っていないとすれば…そりゃ体重は増えるだろうさね(T_T)。まあ、筋肉が増えているだから、食事さえ気を付ければ自然に脂肪は減っていくはず、はず…。
 まあ、眠気が残っている状態だけど寝ていたら時間がもったいないので、がんばって起きて洗濯物を干して昼飯を食って正午出勤。さて、年表作成のノルマを消化しようか…と思ったら定例の書架整理で図書館は閉館日。しかたないので、他のことをするはめに。しかも15時から研究会なので中途半端な時間しか確保できないので、身は入らないよね。教育史学会投稿論文をいじくり、TAの事務仕事をいじくりしていると、あっという間に研究会の時間。
 今日の研究会は、橋本美保「及川平治 『分団式動的教育法』 の系譜-近代日本におけるアメリカ・ヘルバルト主義の受容-」(日本教育学会編 『教育学研究』 第72巻第2号、2005年、220~231頁)を読んで、日本教育学会編『教育学研究』に掲載されるような教育史研究論文に書かれた歴史的意義って何?ということを考えました。同論文を分析した結果、研究論文における歴史的意義って結局は「歴史的事実を実証して得られる、新しい歴史像の提示」かな、ということに。橋本論文における歴史的意義の構造を徹底的に分析した結果、やはりここに落ち着くんだなあ、と得心がいった次第。うーん、今書いている教育史学会投稿論文は、どんな新しい歴史像を提示できるのだろう?
 研究会終了後は、研究室の後輩たちと日本教育史読書会。今日から『日本近代教育史事典』(平凡社、1971年)を読んでいくことにしました。この事典は、私らの師匠が「この事典を超える日本教育史の事典はまだ現れていない」と強く勧めていたもので、明治初年から敗戦直後まで各分野・各時代ごとに編纂されたもの。各分野・各時代ごとにはっきりと歴史像が描かれており(事実が並んでいるだけのところも少ないながらもあるが)、基礎的な勉強にはもってこいの教材だと思います。まあ、ホントは教材じゃなくて、研究のお供なんですが。私は自分の専門については多少詳しいと思いますが、(近代)日本教育史という全体的な歴史像を描くだけの知識が不足しています。だからこそ論文の内容も細かくなり、自分の論文がどんな歴史像を提示できるかも気づかずに、事実がならんだだけの「調べました」論文を書いてしまうのでしょう。このことを反省し、勉強をしようとするわけです。かなり遅いんですがね(笑)。後輩たちと一緒に、少しずつ前へ進もうと思います。
 さて、眠い
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時代の中の人間像

2005年10月26日 23時55分55秒 | Weblog
 今日も昼登校。しかし、洗濯物を干して、昼飯を食べてから、12時代の登校なので進歩したものだ(それでもダメだろう(笑))。登校後、雑務を済ますとすでに14時。何だか損をしたような気がする。やっぱ早起きしないとなあ…
 例によって年表作成(昭和9年)。昭和6(1931)年以来、『帝国教育』も時代を反映してか、だんだんきな臭い感じになってきた。しかし、当時の人たちの生の声(といっても70年以上時を超えた文献を通してだが…)に目を通していると、彼等もいろんな時代のとらえ方をしていたのだなあと何気なく思う。私は雑誌記事をずっと読んでいるわけだが、これらの記事はやはり「消費」される情報なのだと思う。そのためか、執筆者も素直に思ったことを書いており、着飾った学術論文よりも生に近い言葉のような気がして仕方がない。そしてその言葉を読むにつれ、そこに表れているのは、理想と現実の間でどう両者の折り合いをつけるか、格闘している様子に私は見える。所謂「十五年戦争」と後に呼ばれ、自由や人権があちらこちらで抑圧された時代。その中で必死にもがいている人間を見ている気がする。『帝国教育』に執筆している人は、いわゆる「体制側」の人たちが多いけど、そういう人たちすら、そんな風に見えるのは私の目がおかしいからだろうか?
 まあ、そんなことを思いながら、年表作成のノルマを達成。その後、明日の研究会の準備をする。日付が変わったので、そろそろ帰ろうかと思って何気なくホームページを開くと、研究用掲示板にKさん(掲示板では基本的に実名(匿名にしたい方はそのままで)でやろうと思いますが、このブログでは匿名にしたいと思います)から新しい書き込みを発見。あっ、書き込まれてから一日以上経ってる。書き込みの遅いことを申し訳なく思いながら、思ったことを書いた。
 そして、最後の仕上げにこの記事を書く。また夜遅いなあ…(2005-10-27 01:35:17)
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悩みの解消法(なまかた)

2005年10月21日 19時54分39秒 | Weblog
 他の生き物が悩むかどうかはさておいて…
 人間は悩む生き物です。悩みは人間に苦しみを与え、集中力も気力も体力も奪っていきます。集中力を奪われた者はうまく行動することが不可能になり、気力を奪われた者は行動を忘れ、体力を奪われた者は行動することが不可能になります。人間は行動することによって生きていける生き物ですから、気力や体力を奪い、いつしか行動を忘れさせる、悩みは人間にとって解消すべき存在です。
 悩みは、今現在置かれている状況を不満としているからこそ、生じるものです。悩みを解消するには、自らの現状を理解し、現状から抜け出す方法を考え、実行するしかありません。悩みは深くなると行動を忘れさせますから、理解するという行動、方法を考える行動、実行する行動を不可能にさせます。ですから、悩みを解消することは非常に難しいことです。
 悩みは個人個人のものであり、他人が肩代わりすることはできません。しかし、悩みを聞き、理解し、アドバイスし、手助けすることはできます。悩みを解消するのは悩んでいる本人ですが、一人で悩む必要はありません。ただ、悩みを相談することを相手の迷惑と考え、相談を止めてしまうことがあります。さらには、手をさしのべてくれている場合でも、相手の迷惑を想像して尻込みすることもあります。しかし、よく考えてください。相談ができる相手というのは、悩める人とプライベートや仕事などで近しい関係でなくばなりえない人です。悩める人が悩み、行動を忘れれば、それこそ迷惑をかける人です。悩みを相談する行動は、自分のためだけではなく、むしろ悩みを相談する相手のためでもあるのです。もちろん、自分の悩みを解消できるのは自分だけなので、他人ばかりを頼って、自分で解消する努力を怠ってはいけませんが。
 悩みは集中力・気力・体力を消耗させ、ついには行動を忘れさせます。行動をしなくなれば、何もしない状態になり、それが許されるならば、実は心地よい状態であったりもします。また、悩んでいる自分に酔い、悲壮感に身を委ねることもあります。実は私もそのような時がありました。しかし、悩みに浸(ひた)っている状態は、自分の近しい人(家族・友人・恋人・同僚・上司…)に迷惑をかけている状態でもあることを忘れてはいけません。悩みは、自分にも、自分の大切な人にも不利益を与えるのです。
 悩みがあるなら、少しでも早く解消する努力をするべきです。そして、なるべく早く他人に相談するべきです。社会的な地位が高くなれば、自分や周りだけではどうにもならない悩みもあるでしょうが、これが悩みの解消法の基本だと思います。そして、自分も周りも大事にしながら、悩みを解消できる方法なのだと思います。
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目が痛い

2005年10月14日 23時55分55秒 | Weblog
 目が充血してかるく痛い、というのが今日の感想。
 ここのところ無呼吸の症状がひどいのか、寝起きが非常に悪かったのですが、担当医に相談したところ固定式のCPAP療法からオートCPAP療法に移行。というより、数ヶ月ぶりにこの療法に再び戻りました。昨晩から今朝にかけてちゃんと使って寝たところ、快眠、寝起きもしっかりしてました。ただ、治療の効果かどうかは明確でない。最近、肥満を解消するために寝起きの散歩をしていたので、少しやせたから睡眠も改善されたのかもしれない。まあ、なんだってやって越したことはないので、どうでもいいのですが。
 雨が降っていたので今日は朝の散歩は中止。寝起きが快調だったので、早朝から登校。昨日読みかじった柏木敦論文をしっかり線を引きながら読みこむ。読み終わったので、図書館へ行って『帝国教育』を借り出し、年表作成(昭和3年分)。来月末にまた学会発表なので、11月始めまでには年表を完成させないといけないのだ。昭和3(1928)年は、沢柳政太郎会長の逝去を受けた林博太郎新会長の就任の年。明確に会の性格が変化しているのがわかって、非常に興味深い。どうやら会長が交代すると、会の事業がだいぶ変化し、ひいては性格も変わるらしい。『帝国教育会五十年史』や『帝国教育』復刻版の解説を読んで、知識としては知っていたし、辻会長から沢柳会長への交代にともなう変化はすでに実感していたが、沢柳会長から林会長への交代にともなう明確な変化はそれを超えているような気がする。今まで昭和期の教育会に関する研究論文を読んで、自分の知っている教育会像とズレを感じていたものが、ここに現れているのかもしれない。
 ともかく、一日年表一年分というノルマは達成したので、先日からの続きである教育史学会発表テーマに関する研究。ちょっと気になっていたけどやってなかった別方面からの勉強をしてみる。自分がやっているのは中央のことだからってチラ見しただけで放っていた、地方教育行政の勉強。神田修『明治憲法下の教育行政の研究』(福村出版、1970年)をちゃんと読む。教育会に関する部分は実証性には欠ける(と思う)が、さすが違った視点からのアイデアがつまっていた。
 痛い目に目薬を点しながら「はじめに」を書き直す。おもしろくなりつつあるようだが、まとまらない。さすがに13時間ちかく勉強しっぱなしだと、頭がクリアではなくなるようだ。また明日にしよう。
 …って、日付変わってるって!(2005-10-15 01:23:16)
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私の発表についてご意見等ください

2005年10月11日 12時34分50秒 | Weblog
 飛行機と同行者の関係上、本日ようやく広島に帰って参りました。なにしろ、広島-仙台間の飛行機は一日2便、早朝と夕方の2便しかなかったので。本日はAM5:00起床。7:30ごろ仙台駅に到着しました。9:30の飛行機で広島へ。12:00前ぐらいに広島大学に帰還しました。後回しにすると結局書かないはめになりそうなので(笑)、昨日までのブログを書いて帰ることにします。

 15:42、たまっていたブログの書き込み終了。写真は学会の残骸(笑)。
 仙台の感想。ずっとパラパラ雨が降っていて少し残念。仙台の街は、印象として広島市の中心部に似ていたので、親近感がわきました。朝夕はさすがに寒いっす。
 学会の感想。自分の専門の教育会研究については、今後の方向かなり意義ある大会だったと思います。一般研究発表については、自分のことを棚に上げていいますが(オイ)、去年の学会の一般研究発表とあまり代わり映えがしない気がしました。また、全体に元気がない気がしました。今回、日程が別の大きな催しとぶつかってしまい、ホテルが取れない人がいたようで、そのあたりが影響したのでしょうか? それとも…
 ともかく、教育史学会大会は終了。後は投稿の準備です。今回あまり質問・意見がなかったので、大丈夫でしょうか… もちろん、現在の私の師匠である佐藤尚子先生(東洋教育史)には教育史研究の指導者として全幅の信頼をしていますが、日本教育史専門の師匠が私にはいないので、レフェリー論文の準備には大いに不安があります。。そこで、このブログのコメントでも、掲示板でも、メールでもいいので、学会当日の私の配布資料をご覧になった方は、匿名でもよろしいので是非感想・意見を送って欲しいと思ってやまないのです。

 教育史学会第49回大会での私白石の発表「大日本教育会および帝国教育会に対する文部省諮問」について、発表を聞いた方、配付資料をお持ちの方、ご意見・ご感想、募集します。お手数でしょうが、よろしくお願いします。この記事のコメント(↓下)、HPの掲示板、メール( s i r a i s i @ h i r o s h i m a - u . a c . j p )などに書いて送って下さるとうれしいです。院生の方でももちろん歓迎ですよ。

 九大のS先生のブログのブックマークに、私のブログが登録されておりました。S先生、いつもありがとうございます。
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仙台三日目

2005年10月10日 23時55分55秒 | Weblog
 本日、仙台三日目。
 佐藤先生につれられ、研究室の数名と「有備館及び庭園」へ行ってきました。有備館は、17世紀末に設置された伊達家の学問所(藩校、でよいのでしょうか?)だそうです。改築されたもののあるようですが、きれいに設備が残ってまして、非常に有意義な見学になりました。悔やまれるのは、藩校の史跡なのに意外と教育史的な展示がなく、しかも私はあまり近世の教育史を勉強していないので、十分この施設から見て取れる歴史像や意義を見いだし得なかったことです。広島に帰ったら近世教育史の勉強もしなくちゃ!と決意をした次第です。
 その後、有備館近くの岩出山町立岩出山中学校にも寄りました。調べたらやはり芸術家の先生が設計したのですね、非常におしゃれな凝ったつくりの学校でした。岩出山中学校は、小高い丘の上にあって、体育館?なんかはどこかの空港みたいなつくりになってました。まあ、予約をしていたわけではないので、外見を見ただけですが、「ほー」と単純に感心しました。私の出身の愛媛県石井北小学校も新設学校で(当時としては)変わったつくりだったし(だったと思っていただけ?)、以前行った広島県安芸区矢野南小学校も変わったつくりです。最近凝ったつくりの学校が新設されてきたような気がします。つい明治初期の学校建設ブーム(?)を思い出しますが、最近の新設学校校舎も明治の凝った学校のように、いずれは遺構になっていくのでしょうかね。
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教育史学会二日目

2005年10月09日 23時55分55秒 | Weblog
 写真は、昨日食べた牛タンを思い出して、学会でもらったパンフレットを(笑)。
 今日は、教育史学会第49回大会(於・東北大学)の二日目最終日。今年は初めて学会の最後までおりました。というのも、学会の催しの最後に、コロキウム「近代日本における教育情報回路としての中央・地方教育会」があったからです。まがりなりにも教育会研究をメインテーマにしている私は、教育会をメインテーマにしたこのコロキウムに出席しないわけにはいくまい、と勝手に一人で盛り上がっていたわけです(笑)。
 教育史学会の二日目は、いつも個人研究発表→昼休憩→個人研究発表→コロキウム、という日程のようです。個人研究発表はいくつか部会が設定されており、同時進行で別々の教室にわかれて発表を行っています。研究発表を聞く側は、興味のある発表があればそれぞれの教室へ向かうわけです。私もいろいろまわっていましたが、昼休憩後はここ二日の疲れがピークに達して受付近くのベンチでバテていました(笑)。しばらく休んで研究発表を聞きにいきましたが、どうも興味のわく発表がないし、あまりに疲れて眠いのでコロキウムまで休むことにしました。その時間帯の発表者の方々すみません。
 個人研究発表は必ず聞きにいかなくてはならないものではないので、無理してでも聞きにまわるのが間違っているのかも… でも、せっかく大金はたいて学会に参加しているのだから、つねに発表を聞いていたいという気持ちもわからないでもない。と、自己分析してみる。
 コロキウムとは、対話とか討論といった意味で、教育史学会では自由討議といった意味合いが強いのではないかと勝手に推察してます。毎回いくつかのテーマにわかれてコロキウムが開かれ、今回は4つ開かれました。私はもちろん、先述した教育会に関するコロキウムに出ました。今回のコロキウムは、M.K先生(東北大学)が司会、K.K先生(宮城教育大学)とY先生(茨城大学)とW先生(埼玉工業大学)が報告者でした。K.K先生とY先生がしっかりした研究成果を発表したため、W先生が「分科会のようだ」とおっしゃったように、コロキウムというよりも研究発表会っぽかったですね。時間も限りがあるものですから、三人の先生方の発表で制限時間いっぱいになってしまって、討議の時間がほとんどなかったのは残念でした。私も質問をいくらか準備していたのですが、討議に入った時には時間が切迫していたので、このまま何も質問できないまま終わってしまうのか?とあせりました。三人の先生方の発表についてもいくつか聞きたいことがあったのですが、自分では教育会の性格づけのために重要不可欠であると思ったかなり大づかみな質問しかできず、しまったなあ、単なる生意気な小僧で終わってしまったのではないかなあと、余計な心配をしてしまいました。
 学会は今日で終わり。外は真っ暗でした。
 今回の教育史学会第49回大会は、自分の研究関心だけで申し上げると、教育会研究の転機となったのではないかと思います。シンポジウムの教育史研究へのメディア論導入も、教育会研究には重要な示唆を与えたと思います。まだまだ課題は山積みですが、少しずつ成果を積み上げていくしか課題は解消できません。私もその一人になれたらいいなと思います。それにしても、大会委員長を務めながら、シンポジウム・コロキウムの司会をも務めた、M.K先生のご尽力に感服します。
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教育史学会一日目

2005年10月08日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は東北大学において教育史学会一日目。受付は8:20からなので、もちろん前日入りしないと広島からは間に合わない。てなわけで、今日は仙台のホテルから朝が始まりました。以下、教員の方は「先生」、院生の方は「さん」で呼んでます。
 学会へ来るといつも面白いのが、会場へ向かう方向の朝の風景。バスなんかでも、必ず見知った先生の顔を見つけることができるのです。ああ、あの先生が乗ってる、あの人どこかで見たことあるな、などと思いながら、東北大学へ。前を歩く人について、ぞろぞろと歩いていく。いつもの学会の朝の風景。教育史学会一日目は、いつも個人研究発表(一般研究発表)→昼休憩→総会→シンポジウム→懇親会、の順。今回も同じ。
 私は午前中の一般研究発表で、10:00から三番目の発表。発表時間25分・質疑時間5分。少し早めに発表は終えておきました。今回は、私の発表のときそこそこ人がいたのに、フロアからの質問がまったくなかったことが残念でした。私と同じ教育会研究に熱心なK先生は学会準備委員長でもあったので非常にお忙しく、発表の場にいなかったそうで、残念。私は発表にいっぱいいっぱいだったので、ほんとに前の方しか視界に入らず、誰が聞きにきていてくださったのかわかりませんが、来てくださった方々、ありがとうございました! なかでも、博論の副指導教員のS先生(ドイツ教育哲学)が見えていたので、びっくり。哲学者の前で「専門性」なんて言葉を使ったもんだから、内心何か言われまいかとびくびくでした(笑)。後で会った時は笑ってただけで、何も言ってませんでしたが(帰った後がこわいな(汗))。
 写真はそのときの発表原稿の最終頁。司会者から出た質問のメモつき。今回の題目は「大日本教育会および帝国教育会に対する文部省諮問」ということで、両会に対する文部省諮問そのものの全体的性質を明らかにする研究であって、いちいちの諮問の中身や答申後の影響を明らかにする研究ではありませんでした。ですので、司会の質問にあった、文部省諮問答申の実際への影響はどうですか、と聞かれたときは、まだ検討していませんとしか答えられなかったのです。そもそも一つ事例をとって研究するとしたって、また「その事例をとりあげるのは妥当なのか」という問題が発生してしまうので、このテーマの論文一本分で私がやれることではないと思います。ところが、偶然にも私の次に発表したTさん(東北大院生)が、そのテーマに沿って一回の諮問の中身について研究されていて、非常に興味深く発表を聞かせてもらいました。つい質問したくなってしまい、いろいろ自分の興味関心にひきよせて質問してしまいました。Tさんには申し訳ない。
 司会のW先生(埼玉工業大学)も、教育会を研究されていたことがあり、最後の総合討論の時間では、生き生きとした目で質問されていました。私と私の前に発表されたYさん(京大院生)は「中央教育会」、先のTさんは「地方教育会」の発表であり、この部会の発表者5名のうち3名が教育会に関する発表で、さながらこの部会は教育会部会のようになっていました。他の2名はその間とりのこされたようになってかわいそうでしたが、今まで司会が総合討論の時に「テーマがばらばらすぎてまとめられません」とギブアップする光景しか見たことがない私は、今回まとまった議論ができたこの部会は非常に生き生きしたものになったように思います。いや…自分の専門だったからかな?(笑)
 総会に出た後、シンポジウム「教育史研究のメディア論的展開」。難しい内容でしたが、ちょっとだけど勉強してきた者にとっては面白かったです。途中休憩前、どうしても行っておかなくてはならないことがあって中座しましたが、全体的に深い内容になっていたと思います。これも自分の専門に関係あったからひいき目に見てるのかもしれません。とりあえず、教育会をメディアとして捉えられないか、しっかり考えようと思って聞いていました。新規な流行に乗っかるのは嫌いなので(笑)、これからは、今日のことを参考にして私なりの答えを見いだして行かなくてはなりませんが。なお、私が疑問に思ったことは、だいたい休憩後のフロアからの質問に出て、その上を行く質問がでる。さすが先生たちだなあと関心してました。
 懇親会は、話ばっかりしていて、あんまり食べ物が食べられませんでした(笑)。まあ、お世話になってる先生方・院生方には挨拶できたので、よかったかな。ホテルに帰って冷静になった後、学部の頃仲のよかったヤツ(東北大の院に入学している、生物系)のことを思い出し、久しぶりに電話をしてみる。今はあんまりうまくないよと言いながら、うまいという牛タン屋にいって牛タンとサンマの刺身を食べる。めちゃくちゃ旨かった。店の名前は忘れました(笑)。この友人が、最近研究方法について疑問があるのだとして、やたら私の研究について質問をする。教育史研究者の現代への姿勢であるとか、私の研究の展望だとか。彼は理系なのだが、非常に熱心に聞いてくるので、私も熱心に答えていました。はたから見たら何話てんだと思われたでしょうね。しかし、非常に有意義な時間でした。いろいろ言われましたが、特に、「お前は今回の発表で小学校教育行政における大日本教育会・帝国教育会の影響力が特に強いことを明らかにしたんだろ? だったら、これからはその点に焦点をしぼってその影響を研究するのがお前の独自性じゃないか?」と言われたのは、納得。その通りだと思います。
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