寒くなってきました。みなさま風邪をひかれませぬよう。
明日明後日11月15日・16日に中国四国教育学会第66回大会が広島大学で開催されます。例年通り私は発表しますが、やっと発表準備ができました。
明日15日10:30から「明治期帝国教育会における教員講習の展開奪取中等教員程度の学力向上機会の小学校教員に対する提供」と題して発表します。これまで、明治31(1898)年までの大日本教育会・帝国教育会の教員講習事業を明らかにしてきましたが、それ以降の講習事業は概要と中等教員講習所について明らかにしてきただけでした。今回、明治32(1899)年から45(1912)年までの帝国教育会の教員講習事業を整理しました。
教員講習史研究って、地方の講習は最近研究が進められているのですが、中央の講習の研究は意外と見当たらないんですよね。明治20~30年代に限っても、文部省主催のものや、帝国教育会・明治義会・育成会などの私立団体主催のものもたくさん開かれているので、やりようによっては研究のしがいがありそうですが…。中央の教員講習史をどのように描くか。まだまだ研究の蓄積が必要ですが、帝国教育会の講習を見る限り、地方の講習と中央の講習とをまったく同じようには語れないように思います。
さて、明治30年代以降、帝国教育会の講習事業は、夏期講習会だけでなく夜間・女子・冬期・常設とバリエーションが広がります。今回はそのあたりの展開過程を明らかにしました。夏期講習会の一覧も作りましたので、どんな科目が誰が講師で開講され、どれくらいの受講者がいたのかなども整理しました。ついでに、明治32年~45年の教育学講師の履歴分析も簡単にやりました。明治後期の教育学を一覧することもできるような気がします。
学位論文執筆の際にできなかった研究をして、学位論文の補填をした感じです。結論を補強しただけでなく、おもしろいこともわかりました。女子受講者や准教員の受講などです。
それにしても家から通いで中四(中国四国教育学会の略称)に出席できる日がまた来ようとは。不思議な気持ちです。