教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

なぜ教育史を学ぶか?3―専門職になるための教育観の問い直し

2019年02月23日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 「なぜ教育史を学ぶか?」の最後です。

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3.専門職になるための教育観の問い直し

 教師が教育の専門家として生きるならば、問題解決の過程で教育観・子ども観を問い直して根本的に考え直すことができるようにならなければならない。一般人と教師とを分ける根本的なものの一つは、自分の教育観・子ども観などの観念のレベルから問題を問い直す姿勢だと考える。このような姿勢は、生活の中で自然に出会う経験だけでは形成しにくい。教育史教育という特別な教育が必要である。
 人は誰でも一定の教育観をもっている。人が教育する時、意識する・しないに関わらず、「教育とはこういうものだ」という自分なりの教育観に従っている。教育観は、教育実践のあり方や被教育者・同僚などとの関わり方を決めてしまう。教育観は、日々生活するなかで自然に形成されている。親からのしつけや、今まで出会ってきた教師の指導、同級生や先輩後輩との教え合いなどを通して、人々はそれぞれ教育観を形成しているのである。教育史教育の対象は、何の教育観も抱いていない無垢な人々ではない。そのため、教育史教育は、ゼロから学習者の教育観を形成する機会ではなく、すでにもっている教育観を問い直す機会にならなければならない。
 2008年度に実施された調査によると、教職志望の学生たちは、教育思想史の授業を通して次のような効果を実感した。ある学生は、思考を「教育を受ける」側から「教育を行う」側に転換させた。別の学生は、教育思想・方法は歴史の中で作られてきたことを把握して、自分が当たり前だと思っていたことで成立していた教育観を相対化し、様々な立場から考える複眼的思考を可能にした。教師像を模索する境地に進めたり、自分の教育経験を掘り下げて省みたりして、教育観を広げたり深めたりできた学生たちもいた。教育史教育においては、学生自身が自分の教育観を意識化・主題化して、省察の出発点に位置づけることが重要である。
 筆者が教育史教育を担当した学生の中にも、上記のような受講後感をもった学生がいた。具体的な理解を助けると思うので、以下に引用しておきたい。

 [引用略]

 上記のように、教育史教育は、教員志望者に対して教育観を問い直すきっかけを与える。そして、歴史的事実を通して教育の歴史性に気づき、現在の教育を相対的に見る視点を得て、歴史の流れから「教育とは何か」を客観的・日常的に考え続ける態度を形成することができる。
 教師の役割を果たし、教師としてふるまう上でも、教師が教育観を問い直す姿勢は重要である。確かに、教育観を問い直す姿勢がなくとも教育することはできる。しかし、問い直しの姿勢がなければ、その教育が根本的に間違っていても修正することができない。「教育とは何か」を深く考えたことがない教師や、教えたことや教育のやり方が間違っていた時に直すことのできない教師に、誰も教わりたいとは思わない。教師が子どもに対して自らの責任を果たそう、子どもに対して誠実であろうとするならば、教育観を問い直す姿勢は重要である。
 また、教師が社会に対して責任を果たし、誠実であるためにも、教育観を問い直す姿勢は重要である。社会が変化すれば教育に期待される役割も変化する。社会の変化や期待が自分の思いややってきた事と異なる時、教師は自分の教育観を問い直す必要に迫られる。あるいは、社会の期待そのものが不明確・不十分であったり、間違っていたりすることもある。その場合には、無批判や思考停止状態ではいられない。教師自身が社会に働きかけ、適正な手段を講じて修正を迫る必要があるかもしれない。社会の期待に応えるにしても、批判的に行動するにしても、教師に確固とした教育観がなければそれは不可能である。教育観を確立するには、自らの教育観を問い直し、改善・補強し、その根幹を発見・自覚しておく機会が必要である。教育史教育はその機会を提供することができる。
 教育史教育は、学習者が自分の教育観を問い直す機会を提供しなければならない。だから、年号や人名、著者名、重要語句を覚えさせるだけでは不十分なのである。これらは、過去から考えるための索引のようなものであり、教育史教育の入り口や道具でしかない。従来、教育史教育では、「総花的通史」と呼ばれるような歴史的事実を年代順に並べるだけの概説的通史の講義が行われていた。特に、通史教育は、過去や外国の学校などをイメージできない想像力の未成熟や、史料の読解力不足などのような、現代日本の学生が陥りがちな実情と不適合を起こしやすい。もちろん、通史的な展望のない歴史はあり得ない。時代や事柄について歴史的文脈や相互連関のなかで捉えたり、人類の歩みの中に教育の歩みを位置づけて学んだりする上で、通史教育は必要である。そこで、教育史教育は、学生の関心や現在・将来の教育問題と結びつけて、取り扱う時代・地域・課題等を限定して教える「問題史的通史」の教育が必要である。年号や重要語句の紹介や通史教育によって教育史教育の入り口に立たせることに一応の教育的意義はある。しかし、入り口の先に何が見えるかまで示さなければ教育史教育にはならない。教育史教育は、史料や歴史叙述を教材にして、学習者を歴史的事実に出会わせ、自分の教育観を問い直すところに導く教育実践である。
 また、教育史教育においては、母校史・自校史や地域の教育史を研究したり、その研究を支える技能として、史料の調査・分析方法を訓練したりすることの重要性も指摘されている。将来、教員が自校史や地域教育史の編纂に参加する可能性はある。自校史編纂は、地域に対する愛着や自校の教育実践を確認して、自己省察を進め、ひいては教育の本質や教職アイデンティティを確認する機会になる。このように、自校史編纂は教職生活の中で極めて重要な学びの機会である。その際、教育史教育の成果が生かされることになる。

 以上の通り、教育史教育の意義から、なぜ教育史を学ぶかについて考えてきた。教育史は、教育に関する歴史的事実を年代順に記憶するために学ぶのではない。教育問題を物事の経緯から批判的に考察し、過去の成功例から学び、教訓を得るために学ぶ。また、過去の教育問題の歴史的文脈を明らかにし、現在・将来の教育に対する慎重・適切な思考と態度とを生み出して、将来の教育のあり方を考える態度の基盤を作るために学ぶ。そして、我々は教育問題を経緯から問い直す原理的・批判的思考力を育て、学校教育だけでなく生涯学習や子育て・進路選択など、広く国民生活を主体的に形成するための足がかりを作っていくことができる。また、教育史教育の成果は、教職生活全体を通して、子どもや地域、政策、教職生活などの問題に誠実に向き合うために重要な役割を果たす。教育観の問い直しや、教育改革・政策やカリキュラムの解釈、子ども・地域・教師間の対話、自校史・地域教育史の研究などにおいて、教育史教育の役割は大きい。このような教育史教育の意義を最大限に発揮するには、学習者の論理的思考と想像力、そして自らの教育観などを自覚し相対化する客観的視点が鍵となる。事実を憶えようとするよりも、現代と過去の教育問題にまたがる因果関係や、自分自身の教育観の構造について、想像力をしっかり働かせて論理的に考えることが重要である。
 教師は、何をどのように教えるかという問題から逃れることはできない。この問題には、価値判断や規範の問題が含まれてくる。また、教職の専門性や独自性を主張すれば、それだけ自分たちの営みを反省することが必要になる。これらのことを考えるには、原理的・批判的思考力の高まりが必要である。教育について常に考え続け、教職の専門性を確立するためにも、ますます原理的・批判的思考力を育成するような教育史の学びは重要になる。

<参考文献一覧>
・小玉重夫『シティズンシップの教育思想』白澤社、2003年、25~26頁。
・白石崇人「教員養成における教育史教育」広島文教女子大学高等教育研究センター編『広島文教女子大学高等教育研究』第2号、2016年、29~48頁。
・TEES研究会編『「大学における教員養成」の歴史的研究―戦後「教育学部」史研究』学文社、2001年。
・橋本美保「教員養成における教育的思考」教育思想史学会編『近代教育フォーラム』第23号、2014年、131~132頁。
・林泰成・山名淳・下司晶・古屋恵太編『教員養成を哲学する』東信堂、2014年。
・山田昇『戦後日本教員養成史研究』風間書房、1993年。
・「シンポジウム:教員養成のための教育史教育の問題点」『日本の教育史学』第18集、教育史学会、1975年、123~139頁。
・「シンポジウム:私の教育史教育―教育内容の構成について」『日本の教育史学』第20集、教育史学会、1977年、130~146頁。
・「シンポジウム:教育史的認識をいかに形成するか」『日本の教育史学』第21集、教育史学会、1978年、91~114頁。
・「教育史教育と研究のあり方をめぐって」『日本の教育史学』第37集、教育史学会、1994年、226~240頁
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なぜ教育史を学ぶか?2―教職生活に役立つ原理的・批判的思考力の育成

2019年02月22日 21時17分05秒 | 教育研究メモ
 「なぜ教育史を学ぶか?」の続きです。

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2.教職生活に役立つ原理的・批判的思考力の育成

 今、教育哲学会や教育史学会は、今日の実践的指導力重視の教員養成改革に対して、「原理的な考察の層を薄くしようとする傾向」を見ている。教育史教育の問題は、危機感をもって議論が進められているところである。教育現場では、新しい教育問題が次々に生じてくる。このような状況には、他の誰かから対処療法が提供されるのを待つ姿勢だけでは対応できない。教師には、事態の背景を深く分析・洞察する思考力や、未知の状態に臨機応変に対応する省察の力が必要である。教育史教育は、教育史の学習を通して、教育とは何かを問う原理的思考力や、問題背景を分析するための洞察・省察力を育てる。
 2010年度に行われた調査によると、教師たちが教育哲学に期待するのは、教育全般に関する原理的な考え方や、人間の生き方、人生観・世界観、教育事象の分析などであった。教師は、時には、自明だと考えられていることを教育史から批判的に吟味して、現代の教育のあり方の根拠を見つけ、よりその理解を強化し、より実効的にするためにはどうするか考える必要がある。また、教師が子どもや自分・社会に誠実であろうとするならば、自分の狭い個人的な経験を乗り越えなければならない時がやってくる。その時、過去の教育者の思想や教訓などを用いれば、自分の教育観・子ども観を問い直し、鍛え上げることができる。
 また、現在の教育現場では、すべてを文部科学省や教育委員会から指示されなければ動けない教師ではなく、自分たちなりに政策を解釈して組織的に取り組むことができる教師が求められている。組織的に政策内容やその背景、児童生徒やその集団の特徴、および学校の物的・人的条件などを解釈しようとする時、自説に閉じこもって独善に陥ってはならない。独善に陥らないためには、開かれた場で多くの人と思考・議論しながら、お互いに教育観や実践を磨いていくことが重要になる。このとき、教師たちは、生産的な懐疑・批判を進め、相手の主張に耳を傾け、相手の状況を暫定的に受け入れていかなければならない。それは同僚の間だけではなく、子ども・保護者・地域住民との間でも必要である。教師が独善に陥らないためには、自分たちが当たり前だと思ってやっていることは実は間違っているのではないかと見直すことはとても大事である。ただし、現場という「内部」にいる教員が、「内部」の問題を追究・批判することは容易ではない。それを可能にするには、「内部」に入り込む前の教員養成の段階で、社会構造・教育行政・教育実践を解釈・判断する上で働く「外部」の視点を、ある程度育てておく必要がある。教育史教育は、経験的事実や古典的テキストから出発して、教育現実の背後にある原理や価値を考察し、自分の理解範囲を超えた(「外部」の)視点を自分のものにして自己変容を促すような「難解さ」をもつ。むしろ、教育史教育は「難解」だからこそ、自ら考える教員の育成にとって不可欠であり、現在・将来役立つのである。安易に歴史的事実の暗記教育に流れてしまっては、このような教育史教育の本質に達することはできない。教育史教育は、教育改革・政策や、教師の教育的信念、カリキュラムなどの解釈や捉え直しを支える原理的・批判的思考力を育て、教職生活上の問題解決にかかわっていく必要がある。

【出典】
白石崇人『[再訂版]資料から考える教育史』広島文教女子大学、2018年、5~6頁。
※白石崇人『資料から考える教職原理』広島文教女子大学、2017年、41~42頁(第6章)も内容はほぼ同じ。誤字脱字を直した。
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なぜ教育史を学ぶか?1―教育史教育とは何か?

2019年02月20日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 昨年末から一度も投稿できない状態が続いています。論文もそうですが、成績、校務、その他の締切が…… とはいえ、足繁く見に来て下さっている方に申し訳ないので、すでに手元にある原稿を何日かに分けてご披露します。これなら時間がなくても予約投稿でできるから大丈夫!(^_^;)

 これからご披露するのは、所属大学の専門科目「教育史」のためにまとめた授業用テキストの原稿です。第1回目にやるのですが、これがなかなか学生の反応が良くて、このあとの講義をめちゃくちゃ頑張ってくれるようになりました。ノート提出をさせているのですが、私が予想していないくらい、たくさんの考察の跡のある充実したノートを提出してくる学生も大勢いて、本当に驚嘆・感動しています。
 原稿は、教育史教育の意義を考察した論文です。教育史の有用性については数年前から教育史学会で問題になっていますが、私なりの今のところの答えの一つです。(なお、さらに続きとしてこの3月に論文が出ます) なお、出典は白石崇人『[再訂版]資料から考える教育史』広島文教女子大学、2018年です。みなさんが確認できるのは、改訂前のもので、『資料から考える教職原理』広島文教女子大学、2017年の第6章に掲載しています。また、白石崇人「教員養成における教育史教育」広島文教女子大学高等教育研究センター編『広島文教女子大学高等教育研究』第2号、2016年3月、29~48頁を土台にして執筆したものです。

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なぜ教育史を学ぶか?

 本章では、なぜ教育史を学ぶかについて、近年の教育史教育論から明らかにする。ただし、教育史教育論はまだまだ研究が進んでいない。本章は、最近の論調をまとめたものなので、参考にしながら、自分はなぜ教育史を学ぶか考えてみてほしい。

1.教育史教育とは何か?

 一般に、教育史教育というと、教育に関する歴史的事実を年代順に記憶すること、と考えがちである。しかし、このような意味での教育史教育は、その本当の意義を発揮することはできない。教育史教育とは、教育の歴史的事実を年代順に暗記することではない。この点は最初に明記しておく。では、そうでない教育史教育とは何か。まず教育史そのものの意義を確認しておきたい。
 教育史は、教育に関する歴史的事実の体系である。この事実体系は、何年に何があったというだけでなく、この出来事がこの出来事を生み出したという因果関係とその意義とを明らかにする。過去は現在の原因である。過去の経緯を理解できると、現在の出来事が何の理由もなく存在する当たり前のことではなく、今後も変化するかもしれない流動的な存在であることに気づく。教育史は過去の経緯を明らかにし、現在の教育のあり方を相対化する。相対化することによって、現在のあり方は批判可能になる。批判とは、単なる否定や非難ではなく、結論に行き着くよりよい答えを求める行為である。過去(歴史)は、現在を相対化することによって、未来について自由に考える可能性を拓く。
 教育史は、過去の教育の成功を明らかにする。そして、教育する時やその条件整備の際に、守っていくべき理念や手順などを見極める材料を提供する。あるいは、教育史は、過去の失敗を明らかにし、教訓を示す。それは、類似の教育課題に取り組む際に配慮すべき留意点を見つけ出す材料になる。また、教育史は、教師や国民に、現在や将来の教育のあり方に関する決断や合意について、根拠を与え、的確さや説得力を与える材料になる。
 また、教育史は、過去において特定の思想や学説、方法、制度などが成立した歴史的文脈を明らかにする。その結果、現在に生きる我々は、特定の思想・方法等の歴史性に気づく。ある教育方法は特定の時代背景の中で作られたものであり、そのままの形では現在の時代背景の中では十分に役割を果たすことはできないことに気づく。このことに気づくことによって、我々は、現在や将来に合った教育を構想することができる。教育史は、過去の成功や教訓をそのまま現在に適用するような短絡的な「輸入」や、物事の形骸化を防ぐ。あるいは、現在の歴史的文脈に注目を促し、現在・将来の教育に対する慎重・適切な思考と態度を生み出す。
 そして、教育史は、将来のあり方を考える態度を形成し、そのための材料を提供する。教育史は、教師に、教育問題の経緯から問い直すような本質的な教育研究・教材研究を進める立場を用意し、既存のやり方から解放されて、よりよい実践を自由に追究する可能性を拓く。また、教師に限らず、国民一般にとっても教育史には大きな意義がある。教育史は、職業・進路選択や子育て、生涯学習、教育政策への参加などに関する歴史的事実を含む。教育史は、国民にこれらに関する批判的立場を用意し、進路選択や子育て、生涯学習、政策参加などをより主体的に進めていく足がかりを作って、より自由に国家社会の形成に参加する可能性を拓くのである。
 日本の教員養成における教育史教育は、戦前から行われてきた。しかし、今、教員養成における教育史教育の位置は根本から問われている。1970年代以降、日本の教員養成政策では、それまでの教師の一般教養形成を重視する傾向が弱まり、実践的指導力を育成する傾向が強化されてきた。このような流れの中で、教育職員免許法施行規則が何度も改正され、教職課程に教育史単独の科目を設定するかどうか各大学に委ねられるようになった。教員養成の時間・単位数には限りがあり、養成段階で取り上げるべき問題も山積している。このような状況の中で、教育史単独の科目は、大学の教職課程において低い優先順位におかれ、削除されてしまうところも少なくない。今、教育史は、実践的指導力を育成する「大学における教員養成」原則の下で、いかに教育されるべきか問われている。教員採用試験における教育史関係の問題は、教育哲学・思想関係の問題と同様に、思想家の名前や著作、法令名などの細かい知識を暗記しているかどうか問うものが目立つ。仮に教育史教育が暗記教育でよいとすれば、それこそ大学で教育する必要性が問われてしまう。教育史教育の問題は、教育史学者の存在意義に関わるだけでなく、大学における教員養成のあり方に関わる重要な問題である。
 教育史教育とは、教師・国民に対して教育に関する批判的・主体的・教訓的・相対的立場を形成する意識的・体系的行為である。それは、年代順の事実を暗記することでは実現できない。教育史が現在の問題の原因・経緯であることに気づかせ、現在を相対化し、未来を見通すことにつなげることが必要である。このとき学習者が最も働かせるべき能力は、暗記能力ではない。因果関係を理解する論理的能力であり、経緯を踏まえて将来を構想しようとする想像力である。教育史を学ぶときは、想像力をしっかり働かせながら論理的に考えることが重要である。

【出典】
白石崇人『[再訂版]資料から考える教育史』広島文教女子大学、2018年、5~6頁。
※白石崇人『資料から考える教職原理』広島文教女子大学、2017年、41~42頁(第6章)も内容はほぼ同じ。誤字脱字を直した。
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