子どもの権利を守る教師
というより
子どもの権利を支える教師
といった方が、私にはしっくりくる。
子どもを受け身にするのではなく、生きる主体へ。
何となく参考→「子どもの権利を支える教師」(2012.7.21記事)
子どもの権利を守る教師
というより
子どもの権利を支える教師
といった方が、私にはしっくりくる。
子どもを受け身にするのではなく、生きる主体へ。
何となく参考→「子どもの権利を支える教師」(2012.7.21記事)
「負けぐせ」がつくと、努力するにも余計に力が必要になる。
人間の発達過程において、成功体験が重要なゆえんであろう。
「きっと何とかなる」と希望や夢をもつことが、より容易になるから。
「どんなにがんばっても、どうせダメなんでしょ…」という思いが、いちいち心をかき乱す。
自分で自分の足をひっぱるのである。
つらい現実を見たくないだけかもしれない。
うまくいかなかった時、「ほらやっぱりダメだった」と予防線を張りたいだけかもしれない。
こんな逃げ腰の弱い心に負けてはいけない、と頑張るのにも力がいる。
結果を気にせず、ひたすらやるべきことをやる。
「負けぐせ」に打ち克つには、この「やるべきことをやる」姿勢をつくっていく必要がある。
やるべきことをやっていれば、きっと結果はついてくる。
そう思えるようになるにも、努力が必要だ。
つらいが前へ進もう。
人間は前にしか進めないのだから。
今、目の前に仕掛けられているハードルは、
今の私が越えられる高さから一段高く設定されたもの
だからこそ越えるべきであり、
だからこそ越えられるのだ