この3月、新しく論文を活字化しました。まずはその一つをご紹介。
中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第61巻に、拙著「明治30~40年代における『教師が研究すること』の意義」(174~179頁)を掲載しました。その論文構成は以下の通りです。
はじめに
1.「教師が研究すること」に関する論点とその継承―明治20年代後半から30年代へ
2.問題解決のための教育研究
(1)原理研究と実地研究―授業観察・批評会・教授案への注目
(2)研究対象・領域の拡大と教師でなければできない研究
3.教師が教師であるための教育研究
おわりに
以上の通り、本稿では、明治20年代後半に見られた「教師が研究すること」の意義が、明治30年代に継承されたと同時に、変容し始めたことを明らかにしました。明治30~40年代には、「教師にしかできない研究がある」という言説や、「研究しない教師は教師として十分ではない」という言説が、かなり明確な論理を伴って述べられるようになってきたことがわかりました。日本の教員の授業研究の歴史は、世界的にも高い評価を受けており、最近では中教審の審議過程でも高い評価を受けるようになっていますが、その起源にも関わる研究成果になりました。教員の教育研究の伝統がどのように形成されてきたかという問題は、日本の教員たちのアイデンティティに関わる重要な歴史的問題だと確信しました。
なお、おわりにの最後には、東京帝国大学の教育学研究の伝統に関わる仮説も述べておきました。今はまだ勇み足かもしれませんが。
本稿は、まだ、目についた書籍を用いた小論で、間欠泉的な史料しか扱っていません。ただ、鳥取県の事例と重ねて考えると(拙著『鳥取県教育会と教師―学び続ける明治期の教師たち―』鳥取県、2015年参照)、かなり一般化できる事実に迫ってきていると思います。今後はもっと広く史料を検討し、研究成果をより強固なものにしたいと思っています。(ゆえに時間がほしい…)
取り急ぎ、「おわりに」部分の一段落を以下に引用しておきます。
明治30年代以降の「教師が研究すること」の意義は、教育問題の解決や教師であり続けるための要件として論じられた明治20年代後半の論調を引き継いだ側面があった。しかし、明治30年代以降には、他学問依拠の原理研究の限界を乗り越える形で、問題解決のための実験的・協同的な実地研究重視論が詳細に展開した。実地研究が盛んになるにつれて、研究方法論・資料論・対象論も多様に展開し、教師の研究において授業参観・批評会や教授案、日常的事実、教材・教科書・教育法規・子ども研究などの重要性が高まった。そして、実地研究重視の傾向は、学者でなく教師でしかできない研究があることを指摘することにつながっていた。このような論展開の中で、教師の研究心は教職を果たすための規範と化し、教育学の体系化の必要条件として考えられるようにもなったのである。
日本の教師は、研究心を大事にしてきました。それはこれからも大事にすべきことです。