教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

明治30~40年代における「教師が研究すること」の意義

2016年03月30日 21時36分43秒 | 研究業績情報

 この3月、新しく論文を活字化しました。まずはその一つをご紹介。

 中国四国教育学会編『教育学研究紀要(CD-ROM版)』第61巻に、拙著「明治30~40年代における『教師が研究すること』の意義」(174~179頁)を掲載しました。その論文構成は以下の通りです。

 はじめに
1.「教師が研究すること」に関する論点とその継承―明治20年代後半から30年代へ
2.問題解決のための教育研究
 (1)原理研究と実地研究―授業観察・批評会・教授案への注目
 (2)研究対象・領域の拡大と教師でなければできない研究
3.教師が教師であるための教育研究
 おわりに

 以上の通り、本稿では、明治20年代後半に見られた「教師が研究すること」の意義が、明治30年代に継承されたと同時に、変容し始めたことを明らかにしました。明治30~40年代には、「教師にしかできない研究がある」という言説や、「研究しない教師は教師として十分ではない」という言説が、かなり明確な論理を伴って述べられるようになってきたことがわかりました。日本の教員の授業研究の歴史は、世界的にも高い評価を受けており、最近では中教審の審議過程でも高い評価を受けるようになっていますが、その起源にも関わる研究成果になりました。教員の教育研究の伝統がどのように形成されてきたかという問題は、日本の教員たちのアイデンティティに関わる重要な歴史的問題だと確信しました。
 なお、おわりにの最後には、東京帝国大学の教育学研究の伝統に関わる仮説も述べておきました。今はまだ勇み足かもしれませんが。

 本稿は、まだ、目についた書籍を用いた小論で、間欠泉的な史料しか扱っていません。ただ、鳥取県の事例と重ねて考えると(拙著『鳥取県教育会と教師―学び続ける明治期の教師たち―』鳥取県、2015年参照)、かなり一般化できる事実に迫ってきていると思います。今後はもっと広く史料を検討し、研究成果をより強固なものにしたいと思っています。(ゆえに時間がほしい…)

 取り急ぎ、「おわりに」部分の一段落を以下に引用しておきます。

 明治30年代以降の「教師が研究すること」の意義は、教育問題の解決や教師であり続けるための要件として論じられた明治20年代後半の論調を引き継いだ側面があった。しかし、明治30年代以降には、他学問依拠の原理研究の限界を乗り越える形で、問題解決のための実験的・協同的な実地研究重視論が詳細に展開した。実地研究が盛んになるにつれて、研究方法論・資料論・対象論も多様に展開し、教師の研究において授業参観・批評会や教授案、日常的事実、教材・教科書・教育法規・子ども研究などの重要性が高まった。そして、実地研究重視の傾向は、学者でなく教師でしかできない研究があることを指摘することにつながっていた。このような論展開の中で、教師の研究心は教職を果たすための規範と化し、教育学の体系化の必要条件として考えられるようにもなったのである。

 日本の教師は、研究心を大事にしてきました。それはこれからも大事にすべきことです。

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卒業生に向けて

2016年03月23日 19時41分44秒 | Weblog

 3月21日は、卒業証書・学位記授与式でした。そのあと、学科卒業式、卒業パーティと続きました。快晴の中、すばらしい一日でした。初等教育学科32期生は、私が本学に着任して最初にチューターを務めた学年でした。教えた科目はそれほど多くありませんでしたが、思い出深い学年です。

 ゼミ生7名も、ゼミ決め・テーマ設定の最初から担当した初めての学生たちでした。ゼミでは最後の最後まで手のかかる人がいましたが(笑)、何とか全員無事に卒業できました。本当によかった! よくがんばりました。
 白石ゼミの卒業生は、4月から全員保育者になります。いろいろ課題含みの保育士業界ですが、みんなならきっといい先生になれます。息抜きは言わなくてもすると思うので、今後とも努力を続けてほしいと思います。

 「いい先生」になるには、子どもたちが自然にあこがれられるような輝く人になる必要があります。輝く人になる方法を語る、それほど複雑な話ではありません。常に学び続ければいいのです。子どもたちだけでなく、保護者、同僚・先輩・上司たちも、常に学び続けるあなたを見て、自然と尊敬の念を抱き、あこがれを抱くようになるでしょう。
 学びは大学卒業で終わりではありません。常に学び続けてください。そうすれば、常に輝くことができるでしょう。迷ったら大学に戻ってらっしゃい。連絡してきても構いません。
 あなたたちなら、いい先生・社会人になれます。応援してます!

 

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学校所蔵史料について

2016年03月21日 03時42分39秒 | 教育研究メモ

 18・19日は久しぶりに鳥取市にいました。鳥取県史編さん事業のためです。3月になっても一向に時間がないのですが、今回は無理やり時間をこじ開けての訪鳥です。最初は単純に県立公文書館所蔵の資料を見に行ったのですが、編さん室職員さんのご配慮により鳥取西高等学校にも史料調査に行けました。現在、県史編さん事業では資料編の編さんに取り組んでいますが、これで中等教育の史料についても充実できそうです。
 鳥取西高等学校は、旧県立第一中学校と旧県立高等女学校とが合併してできた高校です。他県の場合、一中と県立高女とは別々に高校になり、それぞれ男女共学にしていくことが多かったと認識していますが、鳥取の場合はそうでなかったようです。なお、戦後の高校設立の際に、旧県立鳥取商業学校も合併しています(こちらはすぐに分離独立しますが)。

 鳥取西高は現在校舎改修・新築工事中で、所蔵史料は同窓会館に山積みされています。学校史料は合併・廃校・改修時によく散逸します。鳥取県でもすでに散逸状態になってしまった学校がかなりあります。鳥西では関係者の努力でかなりの史料が残っていますが、今後も維持できるよう応援していきたいです。ちなみに、『鳥取西高百年史』には資料編がつけられており、かなり充実した史料復刻がされています。
 現在の鳥取西高には、残念ながら一次資料はそれほど多くないのですが、一中と高女のさまざまな史料が残されています。ただし、前身の旧尚徳館(藩校)資料は散逸してしまっています。また、鳥西は家政科附属として久松(きゅうしょう)幼稚園をも合併していました。久松幼稚園は明治39年創立の伝統ある幼稚園でしたが、園舎を久松保育園に移管して2003年に廃園されています。史料はどこにいったかわからなかったのですが、少し鳥西に所蔵されていることを確認しました。県内の幼稚園史料はほとんど残っていないので、これはうれしい発見でした。

 ちなみに、鳥取県立公文書館には、平成10(1998)~12(2000)年の間に県内小学校所蔵資料調査が行われた際に大量に撮影された複製資料が残っています(鳥取県初等教育資料)。次々に学校が統廃合されて資料散逸が進んでいる県内の状況を考えると、この複写資料は非常に貴重です。私もここに残っている資料の現物を確認しにいったことがありますが、そこの資料はすでに散逸していました…。県史編さんではこの資料をしっかり使い、その貴重さを少しでもアピールして、これ以上の史料散逸を防止することに貢献できたらいいなと思っています。
 史料を復刻したら用済みだということで現物史料を廃棄する学校もあると聞きますが、とんでもないことです。また、永久保存の学校沿革史があるからという 理由で、史料を廃棄してしまう学校もあるようです。これもとんでもないこと。史料は失われたら二度と作ることはできません。復刻は史料を利用しやすくしますが、現物あってこそはじめて最大の価値を持ちます。また、学校は、地域や関係者のさまざまな思いや支えによって設立・運営されてきたものです。学校史料は、それらの思いや支えを確かめる手立てです。学校史料の散逸は、それらの思いや支えを学校が忘却・無視・軽視してしまった結果とも言えます。戦後、学校の存在意義が問われ始めて長い時間が経ち、いまだに問われ続けています。このような状況を生じさせたのは、意識的・無意識的いずれにしても、史料を散逸させて自校の存在根拠を見失ってしまった学校が増えたことも、ひとつの原因なのではないでしょうか。鳥取県だけの話ではありません。全国で学校史料の散逸が危ぶまれる現在、各自治体・教育委員会・学校関係者の見識と姿勢が問われています。

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教員の多忙化問題を解決するには

2016年03月09日 21時13分59秒 | 教育研究メモ

 この数日は少し忙しさがやわらぎました。

 さて、教員の多忙化は、このところずっと問題にされ続け、緊急の解決を要する重要な教育問題です。子どもと関わる時間が多すぎて忙しいという問題ではありません。必ずしもその教員しかできないわけではない業務に追われて、子どもと関わる時間がほとんど取れないという問題です。
 教員の多忙化は、単に物理的に忙しくて疲れるという状況を招くだけではありません。子どもと関わる時間が少ないということは、教員が子どものことを観察したり理解したりする時間が少ないということです。被教育者の実態を把握しなければ、よい教育などとてもできません。教員の多忙化を放置することは、教育の質を保証しないことと同義です。
 教員の多忙化は、教材研究や授業準備の時間を確保できない状況をも招いています。多忙な中で真っ先に削られたり、勤務時間外に追いやられるのが、教材研究・授業準備の時間だからです。この時間を確保できないと、授業の質や授業改善の機会を保証することはできません。教材研究や授業準備をしっかりできていないと、授業中に子どもの姿をじっくり見る余裕は生まれないからです。その意味でも、教員の多忙化は教育の質を低下させます。
 また、教育の質を落としたくないが教材研究・授業準備の時間を確保できないという真面目な教員たちは、どのような境地に陥るのでしょうか。研究・準備に時間をかけられなければ、当然、授業もうまくいきません。授業がうまくいかないと生じるのは、自信の喪失です。自信がなければ、各種パフォーマンスの質は落ちます。そういう意味では、教員の多忙化は、教員の自信欠如・喪失を招き、その結果、教育の質を低下させるのです。
 ここまででわかるように、教員の多忙化問題の核は、教員が忙しくて疲れているということではないのです。だから、休めばいい、休みを確保してやればいい、という方向では解決しません。解決のためには、子どもに関わる時間と、教材研究・授業準備の時間とを確保することが重要になって来ます。その意味では、たとえば最近話題になっている、部活動の外部委託では解決しないのではないかと思います。教員によっては効果があるでしょう。しかし、部活動指導を熱心にやっていた教員にとっては、子どもと関わる時間を失うことになります。そうなると、多忙化問題を本質的に解決することはできないでしょう。

 教員の多忙化の解決策は2つ考えられます。
 まず第一に、職場に事務職員を増やし、事務員の専門性を高めて役割分担を整理することによって、教員の事務作業時間を徹底的に削減・効率化することです。教員の多忙化は、事務作業時間(=事務作業量)の増加が原因です。その教員にしかできない事務作業というのは限られていますが、「手近な教員がやればいい、そのほうが早い」「教員でも作業可能である」という理由でたくさんの作業が教員に課されています。事務作業量の単純な増加だけでなく、職場の人員削減や前例踏襲主義の思考停止、教員の事務員不信がそれに拍車をかけています。このような問題を改善するには、まず長い間に培われた職場文化の見直しが必須です。
 教員には自分が抱えている仕事を手放す勇気や計画性が必要であり、教員が安心して仕事を任せられるためにも、事務職員の資質・力量・専門性向上が必要です。古来より、専門職には「助手」が必要です。専門職は自分だけですべての事をする存在ではありません。必要な「助手」になるべき人々の数を削減したり、その意義を無視したりすれば、教員が忙しくなるのは当然なのです。
 第二の解決策は、教育の質を保証・向上できる、教員一人当たりの適正な授業時間数を見極めることです。教員数を削減すれば、当然、教員一人当たりの授業時間数は増えざるを得ません。授業時間は、教員が子どもと関わる時間であり、減らせばよいというものではありません。しかし、授業時間を増やせば、その分その準備や教材研究の時間をも増やさなければ、教育の質は保証できません。また、子どもは授業時間だけに生きているわけではありません。授業数が増え、準備時間数が増えれば、授業時間外に子どもたちと関わる時間は減り、子どもを理解する機会を保証することはできません。授業時間数、およびそれに付随する授業準備・教材研究の時間数は、適正な時間数があるはずなのですが…。

 結局、教員の多忙化問題は、学校人事の発想を変えていかなければ解決できません。そのため、教育の質を向上させ、国家社会の発展と国民の福祉を向上させるためには、現代日本にはびこる人員削減・抑制の方針は非常にまずいと思います。多すぎても無駄であるが、現状を鑑みるに、減らしすぎたのではないかと疑うべきです。さらに、今後しばらく高年齢層の大量退職が続き、教職員数はどんどん減っていきます。子ども数の減少に合わせて教員数が減るのはかまわないという考え方もあるようですが、そもそも教職員数が足りていない現状があるのに、そんな状況を維持してはならないのではないでしょうか。

 なお、教員の多忙化は、小中高校だけではなく、大学の現場においても進んでいます。大学教員のやるべきことは、20年前くらいから、爆発的に増えているようです。大学に対する監督官庁の管理が強まって事務作業量が増える中で、助手・事務職員を中心に人員削減が進み、教員が事務作業を進めざるを得なくなったように思います。教員数もポスト数の減少によって減っています。しかも、18歳人口減少・大学過多の時代の中では、教育の質や学生指導を丁寧に行わなければ生き残ることはできません。かつて多く見られた、もっぱら研究(または学内政治・学会活動・地域貢献)にいそしみ、その合間に授業を行っていた大学教員はすでに「絶滅」しています。今よく見られるのは、もっぱら事務作業にいそしみ、その合間に授業と学生指導を行い、余暇・睡眠時間を削って研究を行う「大学教員」の姿です。
 大学が教育機関であるならば、せめて授業と学生指導とそのために必要な準備・教材研究にいそしみ、その合間に学術研究と事務作業を行うようなところまで持っていきたいところです(それでも地域貢献の行き場がありませんが)。その解決策は、やはり上述の通り、「助手」を務めるべき人々の数を増やすことと、授業時間数の適正化(その条件としての教員数増)です。

 ともかく、教員の多忙化問題は、物理的に忙しくて疲れることだけが問題なのではありません。休めばいいじゃない、では解決しないのです。

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