教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

学校のカリキュラムをどうするかメモ

2025年01月09日 19時53分08秒 | 教育研究メモ
 現在の学校の働き方改革を進めるには、午前に教師主導の授業をして、午後に児童生徒主導の課題解決型の授業を進めたらどうか、と常々考えてきました。そして、事例はいろいろ思いつくのだけど、全体としてどういう理屈で説明できるだろうか、というところで考えは足踏みしてきました。
 10月から教育学コースの他の先生や学生たちと一緒に月一でやっている『教育学研究』を読む会でお題になっている、桂直美「芸術批評が提起するカリキュラム構成の枠組み―アートに根ざす授業論」(『教育学研究』第88巻第3号、日本教育学会、2021年9月、419~431頁)を読んでいて、なるほどと思ったので、ちょっとメモを。

 桂論文は、教授目標に基づくカリキュラムと評価に対してアートに根差す学びを通した批判を行い、個人の個性的な認識や他者との対話を通して探究するカリキュラムに転換することを主張しています。それはアートの学びだけでなく、他の領域でも、総合的・学習的な学習の場合も可能だといいます。そのカリキュラムでは、授業者が自分の目標をオープンに保ち、授業の目指すところは実践の中で学習者とともに追究・合意形成されていく、といいます。まだ全体を理解できていませんが、なるほどなと思う反面、今の学校教育のすべてをそういったカリキュラムで置き換えることは可能だろうか、と思いました。

 私のアイディアに戻すと、アート的な学びのカリキュラムとオープンな形での目標設定?は、私のいう「午後」の協同的な問題解決型学習の考え方とぴったり合います。一方で、そういうカリキュラムだけで、今の日本の学校教育が成立できるはずもない、と思っています。ここまで成果主義で説明責任の求められる制度になっていると、そういうカリキュラムでは成果も説明責任も果たすことが困難だからです。今のこういう制度は学校や教員がそうしたいと思って作っているものというより、今の社会がそう作っているものですから、学校だけが対処できる問題ではありません。こういうカリキュラムを構成しながらも、現状に応じたカリキュラムも構成する必要があります。
 私のいう「午前」の授業は、「午後」の学習で必要な基礎知識・技能等を学ぶために必要だと考えていましたが、上のような問題を考えると、社会に説明責任を果たす学校の義務を果たすためにも必要な気がしてきました。学校教育は児童生徒のためにあるのが第一義ですが、国家社会のためにもあるという側面も持ちます。もちろん、あくまで、「も」の立場を堅持する必要がありますけど。

 まとまりませんが、今日はこの辺で。メモなので。

参考文献
・桂直美「芸術批評が提起するカリキュラム構成の枠組み―アートに根ざす授業論」『教育学研究』第88巻第3号、日本教育学会、2021年9月、419~431頁。


 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新学習指導要領が諮問された時に思う

2024年12月28日 11時37分00秒 | 教育研究メモ


 2024年12月25日、中央教育審議会に学習指導要領改正が諮問されました(「初等中等教育における教育課程の基準等の在り方について(諮問)」)。現行の学習指導要領が、2014年11月諮問、2016年12月中教審答申によって、2017年・18年に告示されたものですので、おそらく2026年に答申を目指して審議を進めていくものと思われます(「迅速に」とも言っているので、スケジュール前倒しの可能性も否定できませんが)。
 今回、諮問の第四の事項に挙げられた「教育課程の実施に伴う負担への指摘に真摯に向き合うこと」はとても重要です。教育内容を純増させることは厳禁であり、プラスマイナスゼロにとどまることも許されないものと考えます。教育時数はそのままで教育内容を積極的に減らし、目的・目標達成を効率的・効果的に果たせるように方法・条件を工夫しながら、現代的課題に応えることのできる新たな教育課程を編成すべきです。間違いなく大仕事になるべきです。
 私としては、教員が勤務時間内における自主的研究に取り組むことを踏まえた教育課程の編成を望みます。近年の採用試験の結果やベテランの退職によって教員の質は大きく変化しています。時間いっぱい児童生徒の教育や事務仕事にあたることを前提として、新しい教育課程の研究・勉強は勤務時間外にするのが当然というような発想は抜きで議論してほしいものです。
 以前「学校教育改革・働き方改革とカリキュラム研究」というお題で学校のカリキュラム改革を述べたことがありました。おおまかにいえば、平日午前中を教師が主導する各科授業とし、午後を協同調べ学習中心の授業にして協力者を含めたチームで指導するという案を提唱したのですが、今も私はこれが良いと思っています。もともと20世紀前半に始まった新教育実践(ドルトンプランやイエナプラン)を念頭に置いての案でしたが、現在でも、緒川小等、各地の学校で類似の実践が行われています。不可能なカリキュラムではありません。こういったカリキュラムを実態に応じて編成できるような新学習指導要領を期待します。

 問題は、こういったカリキュラムは知識技能詰込み型の受験・進学準備には向かないということや、そういう授業・指導のできる教員を育てる必要があるということ、管理職や行政のリーダシップが重要であることです。新しいカリキュラムに関する地域住民や保護者の理解が必要ですが、理解を得るには単なる情報周知ではなく、むしろまずは直接的に協力してもらいながら体験的に知ってもらうことを前提にした方がよいでしょう。また、地域住民・保護者の社会教育・生涯学習的意義も前提に考え、子どもたちと共に学び合う地域・家庭を目指していけるとよいと思います。知識技能詰込みの学習は希望者対象のみで良いと思います。(地域との連携についての過去記事はこちら
 また、新しいカリキュラムを開発・運用できる教員を育てる教員養成・教師教育の再構築はもちろんですが、現職教員の質的改良や協力者の養成が重要なので、教員や協力者の研修の改善の方が重要でしょう。そのつど必要に応じて教員自身が学び続ける必要があるので、法的研修だけでなく、自主的・主体的な研修を認める仕組みづくりが必要です。教育学はそういう学びの場を提供する事業に貢献すべきです(大学だけでなく学会も)。(研修についての過去記事はこちら
 新しいカリキュラムの開発・運用には、管理職や行政官がどの程度理解し、リーダシップをもって推進できるかが重要です。校長会や教頭会、教育会等の管理職団体や各種教育団体は積極的にこのような問題を議論し、衆議を尽くしてアイディアを出し合い、合意を形成していく必要があります。自分たちの地域ではここまでやろう、こうやってやろう、という話し合いが大事です。(管理職団体や教育団体に期待していることについてはこちらの拙稿をどうぞ)
 内容削減となると、20世紀末の「内容3割削減」の時の轍を踏まないようにしなければなりません。あの時、「新しい学力観」・「生きる力」に基づく教育課程改革がなぜうまくいかなかったかについてもよく検討すべきでしょう。

 とはいえ、大事なことは、学校教育は人間を育てる制度だということを大事にすることです。いくら知識や技能が現代的課題の一部に応じて更新できたとしても、人間性を育てなければ意味がありませんし、むしろ害になります。学校の教育課程を考える人々は、学校教育が応答すべき現代的課題とは何かを考えると同時に、学校教育の不易の核となるべき課題は何かを考えなければなりません。
 「藹然」という言葉があります。雲がたなびくように穏やかなさまを指します。古く漢学において、人との接し方の理想として挙げられる言葉なのだそうです(六然訓の一つ)。現代的課題に応じようとしてキリキリと働く人を育てようとするばかりでなく、人間として落ち着いて穏やかに他者と関わることのできる人間を育てていくことは、忙しい現代社会だからこそ大事なことかなと思います。
 この記事の最初に挙げた写真は、私が資料整理に関わった広島県御調郡三原小学校初代校長であった沼田良蔵が開いていた私塾の名前の書です。1884(明治17=甲申)年に良蔵の師である宇都宮龍山が書いたものだと推定しています。三原の教育を牽引し、皆で協力して三原の地域を盛んにしようとした良蔵でしたが、業務の傍らに地域の子弟を育てる場に「藹然」の言葉を用いました。この記事を書いているときにたまたま思い出した写真でしたが、今こそ大事なことだなと思いましたので掲示しました。
 (「藹然舎」の額は三原小学校に寄贈されております)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

11月23日の中国四国教育学会で発表します

2024年11月19日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 この土日11月23・24日に、中国四国教育学会第76回大会が岡山大学で開催されます。このうち23日の午前の部の最後(11:20~)から、「明治日本の辞典における「研究」概念」と題しまして研究成果を発表します。
 基本的には、教育学研究と教員の教育研究の関係史について、手がかりをつかむための研究ですが、「研究」という日本語の概念史研究としても大事なのではないかと思っています。言語学や日本語学の方は多少調べた程度ですが、大変意外なのですが、私が知る限り「研究」の語源・概念史研究は見当たりませんでした(だれかご存じでしょうか…ご存じでしたら白石までご連絡いただけると喜びます)。

 具体的には、明治期の国語・漢和・和英・英和・哲学・教育学辞典を博捜して「研究」や関係する語の語義を整理し、そこから「研究」概念の中核となる意味や意味の変遷について考察します。「研究」はもともと漢語で、明治期に英訳に使われるようになりましたが、明治期を通じて、日本語としての語義を変化させるとともに、対応する英単語を変化させていました。語義や訳語の変化についての因果関係についてはまだわからないことばかりですが、少なくとも教育学のいう「研究」と、教員を含む人々が一般的に行っていた「研究」や哲学の「研究」との間に、語義の違いが現れ、異なる概念をもってきた時期がいつ頃なのかは特定できました。
 教育学研究と教員の教育研究の関係史についての研究を、この10年ほどの間、ぼちぼち続けてきましたが、そろそろ一つにまとめようと思っているので、そのための大事な成果になりそうです。
 
 
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ダイバーシティ・インクルージョンを目指す社会における日本教育史研究の課題

2024年10月30日 19時04分00秒 | 教育研究メモ
 ダイバーシティ(diversity、多様性)とは、集団内の個人が表層・深層的に異なる状態をさす。人間は、性別、年齢、人種等の表層的な違いや、深層面では性格、考え方、習慣、履歴等の深層的な違いをもつ。集団内でこれらの個人の違いが尊重され、各個人も集団への所属感や参加感をもっている状態をインクルージョン(inclusion、包摂・包括)という。教育分野だとインクルージョンは障害の問題と考えられることが多いが、それには限らない。
 ダイバーシティとインクルージョンは現在の社会目標の一つである。日本では、例えば、男女共同参画社会基本法や男女雇用機会均等法、障害者雇用促進法、高齢者雇用安定法などによって、不利益を被る者に対する特別措置が法制化されている。また、国際社会ではSDGsの5(ジェンダー)や8(成長・雇用)、10(不平等)等に関わって目標化されている。教育においては、まず、学校教育や生涯学習の教職員、指導者、補助者、協力者、児童、生徒、学生、学習者等によって構成される集団において直接的に目指されるべき目標である。また、教育は人間形成・人材育成にかかわる営みであるので、諸集団におけるダイバーシティ・インクルージョンの実現に必要な価値観や態度、知識・技能等の育成に関わる。SDGsの4(教育)が直接的にこのことを目標化している。つまり、ダイバーシティ・インクルージョンは、国内・国際的な課題であり、教育の組織づくりや教育目的・目標・内容・課程の改革において取り入れるべき観点となっている。したがって、現在の教育学は、ダイバーシティ・インクルージョンの視点から教育や生涯学習の組織づくりや目的・目標・内容・課程の見直しを進めるための課題を見出し、必要な研究を進めることが求められる。
 現在の日本のダイバーシティ・インクルージョン問題について研究するとき、ダイバーシティやインクルージョンを構成する諸要素の歴史的課題を踏まえなければ、有効な議論をすることはできないであろう。日本社会のダイバーシティ・インクルージョンには様々な課題があり、日本独特の文化的・習慣的な課題をかかえるものも多い。文化的・習慣的な課題は長い間かけて歴史の中で構築されてきたものであり、歴史的課題の側面をもつ。歴史的課題を確実に捉え、適切に分析するための歴史研究がどうしても必要である。教育学についていえば、ダイバーシティ・インクルージョンの視点からの教育史研究が必要である。

 教育学としての日本教育史研究は、ダイバーシティ・インクルージョンの観点からどのような課題を見出すべきだろうか。現代に直接生かせる教訓やアイディアを歴史に求めることもできるかもしれないが、それ以上に重要なことは、ダイバーシティ・インクルージョンの観点から見たとき、過去の日本の教育がどうだったか、現在の日本の教育に至る経緯を明らかにして、直接的・間接的な関係する歴史的課題を発見・分析することである。基本的には、様々な教育の組織づくり(学校経営・学級経営・集団づくりなど)や、目的・目標・内容・課程等において、児童生徒学生や学習者、教職員、補助・協力者等の性別、年齢、人種、障害、性格、考え方、習慣、履歴等がどのように考慮され、計画化・組織化されてきたかが問題になるだろう。「ダイバーシティ」・「インクルージョン」という概念は新しいものなので、これらの概念を直接的に用いて歴史に問うのは慎重にした方がよい。これらの概念で直接的に問えるのは、おそらく1980年代以降を対象とした現代教育史に限定されるだろう。今後、教育社会学や教育方法学、教育行財政学、教育経営学等の教育学諸領域において、そのような現代教育史的な研究が進むことが期待される。
 「ダイバーシティ」や「インクルージョン」の概念の提唱以前を対象とする場合、これらの概念を直接用いない方がより正確に歴史を捉えることが可能になる。例えば、ダイバーシティ・インクルージョンの問題の諸要素に注目すると、それぞれが長い歴史をもっていることに気づくことができる。日本の教育における性別・ジェンダー問題や、障害の扱い、国民教育と民族教育の関係、教室・学校における多様な子どもの存在等については、それぞれが独特の歴史をもっている。そこには歴史的につくられた課題があることがわかっているものもあるし、そのほかにまだ明らかになっていない歴史的課題が潜んでいる可能性も十分にある。関係するテーマとして思いつくものを列挙すると、例えば、学校種や教育課程、教科書、生活・生徒指導における性別や障害、外国人、民族の扱い方、障害児に対する就学義務の猶予・免除制度、障害児・健常児との分離教育または統合教育の展開、義務教育の対象児童生徒の範囲、琉球・アイヌ・植民地出身児童生徒の公教育への排除と包摂、戦後の(旧)植民地出身児童生徒の公立学校就学や外国人学校における民族教育の変遷、貧困家庭出身や被差別部落出身の児童生徒に対する教育や教育制度全体に対するその影響、低学力または高学力の児童生徒に関する能力別学級編制などがある。これらのテーマに関する先行研究は、必ずしもすべてがダイバーシティ・インクルージョンの視点から研究されてきたわけではないが、改めて見直すべき研究成果が多数存在するのではないか。
 日本留学の歴史の研究も、他国・他人種・他民族の留学生が日本で学んできた歴史であり、何のために留学し(または誰が何のために留学させ)、どのように学び(学ばせ)、日本や帰国後の社会において異なる知識文化や考え方をもっていかに生き、何をもたらしたかを明らかにする中で、いかなる歴史的課題をかかえてきたかを探究することが可能かもしれない。学校・学級経営の歴史の研究も、集団づくりにおいて性別をいかに活用し、または様々な性格、考え方、習慣をもつ児童生徒をいかに包摂/排除して、管理・訓育・統合しようとしてきたかを明らかにすることを通して、学校・学級の多様性に関わる歴史的課題を探究することを可能かもしれない。これらは、日本の近代教育の良し悪しを探究するような先行研究の多いテーマであるが、改めてダイバーシティ・インクルージョンの視点から課題設定し直すことで、新たな研究成果につながることもあり得る。
 ダイバーシティ・インクルージョンの観点からの研究は、授業や教育課程、思想・学説、学校だけでなく、学級集団づくりや多様な職種を含めた教職員集団の文化や組織経営、社会教育、子育て、家庭教育に至るまで、過去の教育現象を広く捉え、その課題を明瞭に分析する視点・研究方法が必要である。日本教育史研究の立場からいえば、どんな史料をどのように分析・解釈するかが喫緊の課題になる。適切な史料やその取扱い方はテーマや視点によって異なるだろう。

 ダイバーシティ・インクルージョンを目指す日本社会において、教育学・日本教育史の研究によって明らかにされるべき歴史的課題は少なくないと思われる。教育学はダイバーシティ・インクルージョンをどのように捉え、何を課題化すべきか。日本教育史は他領域との競合・協働の中でダイバーシティ・インクルージョンの視点による研究をいかに進めるか。今後、具体的なテーマや視点、史料に沿って考察していく必要がある。

<参考資料>
・広島大学ダイバーシティ研究センター「第14章 多様性とジェンダー」(大学教育入門テキスト)、2017年。
・坂田桐子・河口和也・高松里・北梶陽子「ダイバーシティを考える―研究と実践の可能性」(日本発達心理学会第28回大会一般公開シンポジウム記録)、2017年。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

卒論執筆に取り組んで最低限身に付けてほしいこと

2024年08月27日 18時32分30秒 | 教育研究メモ
 日本では、そろそろ就職・採用試験の結果が出始めるころだと思います。大学によって有無や時期は異なりますが、多くの大学4年生はこれから卒業論文の仕上げにかかります。就職する人は卒業するために、大学院進学を希望する人は進学後の研究準備のために、それぞれ仕上げていきます。これまでのレポートとは違った分量の論文を初めてまとめるために、投げ出しそうになると思いますが、頑張ってください。
 卒業論文の執筆は、「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させること」という大学の目的(学校教育法第83条)を達成するための重要な学修活動です。卒業論文は、深く専門の学芸を研究する活動の総仕上げであり、これを通して知的・道徳的・応用的能力を展開させることを目指します。なんとなく取り組むのではなく、この目的を達成することを目指して取り組んでくださいね。

 卒業論文に取り組む中で、最低限、身に付けてほしい知的・応用的能力が一つあります。それは、課題設定の能力です。例えば教育史研究の卒業論文であれば、教育史研究で解決できる課題を設定する能力になります。教育史研究では、教育史研究で解決できる課題とそうでない課題を区別し、教育史研究で解決できる課題を選択・設定します。学術研究は課題解決の力を育てますが、課題解決はまず課題設定から始まります。課題解決は、適切な課題を設定できるようになって、はじめて取り組むことが可能になります。解決できない課題を設定して研究の意味を主張しても、それは妄想にすぎません。その状態で無理やり研究を始めても、結論(解決案)を出すことはできません。課題に合った研究方法を設定する、または研究方法に合った課題を設定してください。
 課題設定の能力は、適切な課題を設定するために試行錯誤する中で身に付いていきます。ちゃんと指導を受けながら卒論を取り組めば、自然に身に付きます。ちゃんと卒論に取り組んだ人とそうでない人を分けるのは、このような適切な課題設定能力ではないかと私は思います。これはいかなる課題解決にも必要な力ですから、研究者になるだけでなく、よい社会人になるために必要な力です。適切な課題設定能力が身に付けば、大学卒業後に出会う、様々な課題に適切に取り組むことができるでしょう。

 適切に課題を設定するにはどうすればよいでしょうか。例えば、教育史研究の卒業論文であれば、歴史的に優れた思想・実践を研究して今に応用すれば今の子どもがよくなるとか、教育実践が変わるとかいうように、直接的な実践的課題を設定することは残念ながらできません。歴史的な思想・実践を応用することは、歴史研究だけでは不可能であり、その思想・実践を適用する応用的な実践研究が必要になります。歴史研究と応用研究を混同すると、適切な課題を設定することができず、歴史研究としても応用研究としても不適切なものになるでしょう。歴史研究で解決できる課題とそうでない課題を区別せずに、自分の課題意識だけで研究を始めると、歴史研究でなくてもよい駄文が出来上がったり、根拠や有効性のない解決案(結論)を主張してしまったりします。そんな論文を私は卒業論文と呼びたくありません。
 歴史研究の成果をそのまま応用することには慎重であるべきです。たとえ数十年前の思想・実践であっても、それはその時代・国・地域・学校・教室の出来事であって、今を生きる私たちの思想や実践と同一視することはできません。過去を生きた人々は、共通点をもつにしても、根本的に今の自分とは異なる存在であることを忘れてはいけません。安易に今の自分と過去とを同一視すると、研究は自分勝手な自己満足で終わったり、過去の冒涜になったりするおそれがあります。
 もちろん、歴史研究に研究者や現在の課題意識をもちこまないことはできません。しかし、自分の課題意識と歴史的課題をそれぞれ区別し、歴史的事実をその時代の課題の中で正確に分析・評価することが必要です。教育史研究には教育史研究なりの「役に立ち方」があります。歴史的課題には、現在まで形を変えながら続く課題と、その時代で終始した課題とがあり、どちらも「役に立つ」のです。現在まで続く現代的課題に取り組むときも、過去の課題と現在の課題の違い(目的・内容や条件などの違い)に注意する必要があります。その時代で終始する純粋な歴史的課題であっても、研究を積み重ねていけば、現在まで続く現代的課題につながったり、現在と異なる「他者」となって比較考察を可能にする貴重な資料になったりします。
 だから、あわてず、現在を生きる自分の課題意識だけで突っ走らず、自分の課題意識を見つめ直し、教育史研究でなければ解決できない歴史的課題を設定してください。

 なお、歴史研究は、自分の課題意識を歴史研究でなければ解決できない歴史的課題と関連づけなければ、続けることはできません。自分の課題意識を歴史的課題に関連付けていく努力が必要です。
 そのために、自分の課題意識を見つめ直し、先行研究や資料を読みながら鍛え直して、歴史研究でなければ解決できない歴史的課題との関連性を探っていきます。教育史研究でなければ解決できない歴史的課題が何なのかについては、自分で考えているだけでは、わかるはずもありません。歴史的課題は先行研究や資料の中に書かれてあります。課題設定と先行研究の調査整理、資料の調査分析を相互に関連しながら進め、循環させていくことは、研究では普通のことです。
 自分の課題意識がどこにあるのかある程度考えてみたら、先行研究や資料を読んでください。先行研究や資料を読みながら、また自分の課題意識を見つめ直し、鍛え直しましょう。この循環を繰り返したどることで、課題設定の質は高まり、その能力も身に付いていきます。卒論に取り組む4年生の場合、今からだと時間に限りがありますが、課題設定に不備がないか、先行研究や資料を読むことが不足していないかよく見直して、今できること・やるべきことをやりましょう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

他者に出会う公共の場としての学校

2024年08月17日 11時56分10秒 | 教育研究メモ
 学校とは、他者に出会う公共の場である。
 同質性にまみれた親密な家族・家庭から出た子どもや、同質性を求められる社会や職場から離れた学習者が、新たな出会いを求めて集う場である。
 学校では、異なる個性やアイデンティティをもつ他者(同級生・教職員)と出会い、未知の知識や活動(「他者」)に出会い、人々は様々な刺激を受ける。その結果、人々は視野や世界観を広げ、知識や教養、考察を深め、道徳性を身に付けることができる。
 「他者」と出会い、視野を広げ、教養を深め、道徳性を身に付けることは、学校でなくても可能であるが、その場合は無意図的で無計画な中で偶然起こるに過ぎない。教育とはそれを意図的・計画的に行うことであり、学校はそのような教育を行うために特別に設けられた仕組みである。

 したがって、学校教育は同質性以上に異質性を重視する必要がある。
 しかし、それでは学校が無秩序になり、荒れるではないかという意見がある。しかり。荒れるに任せることが学校の方法ではない。学校は異質な他者同士が出会うことで生じる衝突や葛藤を脱して調和・安定に導く必要がある。目指すべき調和・安定の状態は、衝突・葛藤を隠蔽したり、回避したりすることで得られる欺瞞的・固定的な状態ではなく、衝突・葛藤を経て自ら調和・安定を常に探ろうとすることで得られる倫理的・流動的な状態である。教職員の役割は倫理的・流動的で調和・安定を目指す他者との出会いをつくり、導いていくことである。
 異質な他者を出会わせてうまく教育するには、安全・安心を保障する養護・福祉の仕組みを前提とする必要がある。他者との出会いは常に危険・不安と隣り合わせである。安全・安心を保障する仕組みがなければ、他者と出会おうとする意欲を損なうことになりかねない。学校は、安全を保障し安心して他者と出会える場である必要がある。教職員の役割は、安全・安心を前提とした教育を行うことである。

 さらに、異質性を重視する学校教育では、国民・市民を育成できないではないのかという懸念もある。これは、国民・市民とはどのような存在か、という議論が必要である。国民・市民とは、特定の国家や社会を構成するメンバーとして最低限必要な知識や道徳性等を身に付けた、一定の同質性を有する存在である。問題は、この国民・市民としての同質性はどのように身に付けられるかにある。異質性を重視する学校教育は、学習者に最初から同質であることを求めるのではなく、異質でありながらつながっていくことを求める。国民・市民としての同質性はその結果として生じる。国民・市民育成という目的は、段階的に達成されるものである。
 人間の本質は互いに異質なところにあり、学校教育を通しても依然異質な個性的存在(個人)であり続ける。個人が出会う公共の場(社会)では異質な他者として出会うが、他者の出会いは様々な結果を生み出す。学校は、他者の出会いを価値あるものにするための仕組みである。学校で価値あるものとは成長・発達である。成長・発達につながる出会いを意図的に作り出すには、まず、他者がそれぞれ異質な他者として有能になっていくことが必要である。学校教育において個性を伸ばす意義はここにある。
 しかし、孤立した状態で異質な他者として有能になるだけでは、成長の刺激もない。人間は異質でありながらも、一定の知識や態度を共有し、倫理的に調和・安定を目指して協調・努力し続け、刺激し合うことができる。そこには、出会い、刺激を受けて成長し合おうとする意志・意図が必要であり、安全に安心して効果的な出会い・成長を作り出す計画が必要である。学校や教職員は、学習者を孤立させるのではなく、他者として有意義に出会わせるための仕組みである。

 学校は他者と出会う公共の場として整備される必要がある。他者として有能になり、互いに成長し合える仕組みをつくる必要がある。学校は、本質的に異質な個人たちが有意義に出会い、倫理的に調和し協働し合う国民・市民として成長する場となる。同質であることを強制して異質を否定することではその事業は実現しない。異質を前提に、個性を伸ばして、うまく折り合いをつけていくことで、国民・市民は育成できる。
 学校教育が異質を前提とするならば、心身の障害の度合いや出自・国籍の違いは根本的な問題ではなくなる。いじめは異質を排除して同質の集団をつくろうとするところに発生するから、いじめへの向き合い方も明瞭になる。教職員は学校・学級生活の中で一人の他者として学習者と出会い、安全で安心な出会いを整えながら、教育活動全体を通して異質な知識・技能・考え方等と出会わせる必要があり、教科指導・生徒指導を両立すべき理由がはっきりしてくる。学校のスタッフは他者として出会うことが重要だから、学校を教員だけで組織する必要もない。個性を伸ばすための個別最適な学びが協同・協働的な学びと接続されるべき理由や、学力形成と生活・生徒指導、道徳教育を総合すべき理由、個性教育とインクルーシブ教育、国民教育と市民(シティズンシップ)教育を接合すべき理由もはっきりする。

 今を生きる我々は、議論すべき多種多様な学校教育問題に取り囲まれている。我々は議論の整理と問題解決のために、学校観を更新する必要がある。
 1947年以来、教育基本法に基づく日本の公教育制度は、戦前から引き続き、「国民」に囲われ、「能力」に制限されて続けている。1960・70年代には、公教育の福祉的意義に注目が集まり、家族間の格差や進路、もっている障害、出自、国籍の違いに向き合って、これらの違いを取り込んで制度化することが課題となった。今では、格差が拡大し、グローバル化が進み、障害への関心が高まり、他者の異質性はどんどん明瞭になってきている。今我々が直面している教育問題は、個々では法的・政策的・実践的な問題であるが、学校観・教育観の問題を通底して抱えている。
 学校観・教育観の問題は教育哲学と教育史の問題である。十分な哲学的考察は的確な歴史認識・解釈の下で行われる。現在の問題は近代的問題だが、日本では20世紀を通して大きく変動してきた。今こそ20世紀以来の日本教育史を歴史的に総括することが必要であろう。

 キーワード:他者との出会い、異質性/同質性、公共の場(公教育)として意図的・計画的に制度化された学校

※小玉重夫「戦後教育における教師の権力性批判の系譜」(森田尚人・森田伸子・今井康雄編『教育と政治―戦後教育史を読みなおす』勁草書房、2003年、94~112頁)を読んでいて、1980・90年代のプロ教師の会の教師の権力性批判とその居直り的言説を思い出しながら考察したことをまとめていたら、こんな文章になりました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

学校文書における教育会関係資料の重要性、ひるがえって学校文書保存のこと

2024年08月09日 19時39分00秒 | 教育研究メモ
 

 8月5日から7日にかけて、所属する科研費グループ(教育会史)の一部メンバーで長野県飯山市内の小学校の調査と信濃教育会の信濃教育博物館に行ってきました。小学校調査の方は、今年度または来年度に統合・廃校予定の3つの小学校の文書保存を目的とした調査です。写真はそのうちの1校の校舎からとった写真です。見事な田園風景でした。
 小学校では目録作成をするために文書名の表記された面をひたすら撮影していくという作業を行いました。文書は倉庫の奥にあって埃っぽく、学校によってはエアコンもない、または電気もないという環境でしたので、埃対策と熱中症対策を万全にしていきました。なかなかの肉体労働でしたが、貴重な資料がたくさんありましたし、資料を残そうと思ってくださった管理職や関係者の期待に応えるべく、メンバーみんなで頑張りました。

 なぜ教育会史研究なのに学校文書を調査しているかというと、学校文書には教育会に関する資料が入っていることが多いからです。特に長野県の学校には、戦後も教育会が存続したことが原因となって、よく残っています。学校文書にある教育会関係資料は当該学校文書全体の一部なので、教育会関係資料だけをピックアップしても十分な研究をすることができません。そのため、教育会史研究としても学校文書全体を保存する必要があります。教育会関係資料だけ見ても、その資料の背景が理解できませんから。
 今回の調査で改めて学校文書の重要性を考えました。学校文書は、当該学校史・地域史の基礎資料になるから重要なのは当然ですが、教育会史研究においても重要です。教育会員の多くは学校教員であり、教育会の活動は学校運営や授業方法などの学校教員の職務に深くかかわるので、学校文書の中に教育会資料が含まれることになります。教育会資料が学校文書に含まれるということは、逆に言えば、教育会が学校運営上重要な位置を占めていた証拠にもなります。
 学校文書に残る教育会関係資料のほとんどは、郡市教育会レベルの資料です。郡市教育会は教育現場に近い活動をしていたので、教育会史研究でも極めて重要な対象です。これまでの教育会史研究の主要史料は中央・都道府県教育会の機関誌でしたが、学校文書に含まれる教育会資料は、機関誌に掲載されない様々な情報や動向を把握することを可能にします。
 
 以上のように、学校文書に残る教育会関係資料は、郡市教育会の実態に迫る資料として、これまでの教育会史研究を乗り越える可能性があります。近年、少子化・人口減少のために統合・廃校が増えています。学校文書が処分・紛失・散逸する場合、統合・廃校時が最も注意すべきタイミングになります。長野県を除いて、全国の教育会は1940年代後半にほとんど解散してしまいました。すなわち教育会が現存しない地域が大半です。これは資料保存にきわめて不利です。保存するかしないかを判断する主体が、その教育会の関係者ではないからです。教育会関係資料はその学校の直接的な資料ではないので、資料保存の判断時に処分の判断が下される可能性が高くなります。
 都道府県教育会の資料は都道府県教育会館や都道府県立図書館などに保存されていることがあるのですが、郡市教育会の資料は保存されにくい傾向にあります。学校文書ともども保存の方法を考えていかなければなりません。学校文書については、京都市学校歴史博物館のように専門の博物館が設けられる事例もありますが、そういう事例は少数です。学校の統合・廃校が今後も増えていくであろう今だからこそ、学校文書の保存方法はもっと真剣に考えなければなりません。
 日本の学校は地域が設立・維持に深くかかわっているだけに、学校文書は地域の歴史を語る貴重な資料でもあります。自治体消滅もありうる今、地域の資料自体も貴重です。資料がなくなればその地域の歴史を語ることができなくなります。歴史を語ることができなくなるということは、その地域に生きた人々が忘れ去られてしまうということです。地域資料の散逸を防ぐためにも、学校文書の保存方法を考える必要があります。

 今回は、研究仲間からの情報提供で長野県にはるばる足を延ばしましたが、私自身、広島県周辺のことをもっとよく考えないといけないと痛感しました。今の私は、教育会関係資料はもちろん、そもそも地域の教育史資料が紛失・散逸しないようにすべき立場にいます。これからの仕事の仕方を考える機会になりました。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「広島の漢学者の書」資料展示会の全日程終了!

2024年07月10日 19時02分32秒 | 教育研究メモ
 

 昨日、三原沼田家文書所収予定資料から広島ゆかりの漢学者の書をピックアップして展示した、資料展示会の全日程を終了しました。6月26日・7月9日の2日間午後の日程で実施しました。
 私は学芸員の訓練を受けていないので、素人的な展示会を脱することはできませんでしたが、貴重な資料をたくさんの来場者に見ていただきました。開設(復興)1年目の研究室のため準備・片付け等は主に自分ひとりでしましたのでちょっと大変でしたが、準備・待機では少し日本東洋教育史研究室のゼミ3年生3人に手伝ってもらいました。
 来場者からは好評の声を聴かせていただきました。「三原にこんな人たちがいたのか、と見直しました」とか、「博物館とかだとウィンドウの向こう側遠くに見るような貴重な資料を間近に見られてよかった」、「資料を近くや横から自由に見れて、凹凸や質感等を堪能した」といった感想をいただきました。書の文字を読み取って、内容を類推しながら「ああだ、こうだ」解釈し合う場面もあり、来場者にとってとても楽しい時間になったようです。最近、歴史学習における学習者同士の歴史解釈の交換・議論が大事だと言われていますが、そんな時間を提供できた気がします。
 私が待機していたときは解説役も果たしました。私自身の研究成果を踏まえて、沼田竹渓・香雪(良蔵)の親子関係や、宇都宮龍山と沼田親子の関係、龍山門下の三原・尾道担当学区取締としての近代学校制度立ち上げに関する功労等を中心に解説しましたが、意外に面白がっていただき、光栄でした。研究活動の一般還元の取り組みにもなりました。

 専門外の学生から、「チラシを見て、なんで漢学者なんだろうと思っていましたが、漢学者の歴史は教育史でもあるんですね」という感想ももらいました。「広島の教育者の書」資料展示会にした方が伝わりやすかったかな…?と思いつつ、日本教育史の専門ではない学生の歴史認識を更新する機会にもなったようです。
 当日の活動報告記事を、来場した院生が作ってくれました。ぜひ見てくださいね。→こちら

 教育学プログラムが昔から管理してきた各教育学資料室の可能性も示せたような気がします。

 ちなみに一番人気はこちら。上部にある書は良蔵の手によるものですが、それ以上に、沼田竹渓を囲む家族団欒の様子(軸には「一家団栗之図」と書かれています)を描いたであろう絵に皆さん興味津々でした。いい絵ですよね。私も気に入っていますし、沼田家一族の方々も気に入っていらっしゃいました。

 




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【7/9午後】三原沼田家文書 幕末明治期 広島の漢学者の書 資料展示会のご案内【日程追加】

2024年06月28日 19時14分00秒 | 教育研究メモ


 先日、広島大学教育学部HP等やここでお知らせしました通り、「三原沼田家文書 幕末明治期 広島の漢学者の書 資料展示会」を開催しました。ご来場いただきました方々には心より御礼申し上げます。
 本展示会は本来1回限りの予定でしたが、来場者からのご好評につき、日程を追加して再度開催することにいたしました。

 下記の通り、広島大学教育学部A515教室(教育学第二資料室)で、幕末明治期に多くの弟子を育てて活躍した、広島ゆかりの漢学者の書を展示します。日本教育史の資料を直接間近で目にできる貴重な機会なので、興味のある方はぜひご来場ください。

日時: 2024年7月9日(火) 14:10~18:30
会場: 広島大学東広島キャンパス 教育学部A515 教育学第二資料室

主催: 日本東洋教育史研究室
担当: 広島大学大学院人間社会科学研究科教育学プログラム准教授 白石崇人 ( tshira2@hiroshima-u.ac.jp )

 三原沼田家文書とは、2022年まで三原市にあった沼田實(1889-1976、元愛媛県中等学校長・私立広島女子商高等学校長・三原市教育委員長)の私邸にあった大規模な資料群です。實や三原小学校初代校長の沼田良蔵(1849-1913、實の実父、香雪と号す)の収集したものが中心で、明治・大正・昭和期の教育史にかかわる資料がたくさん含まれています。
 三原沼田家文書は2022年に広島県立文書館に大部分が寄贈されましたが、このたび、遺族が別に保管していた表装済みの掛け軸が、本年7月頃までに同館に追加寄贈されることになりました。同館に寄贈されると気軽に閲覧することはできなくなるため、この際、研究のためいったん公開させてもらえないかと遺族にお願いしたところ、公開を快諾してくださったため、資料展示会を広くことにしました。

 今回展示する予定のものは、沼田竹渓、宇都宮龍山、吉村斐山、菅茶山、頼山陽、坂谷朗蘆の書などです。いずれも、知る人ぞ知る高名な学者たちであり、たくさんの弟子を育てて幕末明治期の教育史に足跡を刻んだ人々です。
 どのような立場の方でも来場可能です。時間内であれば入退室自由ですので、お誘いあわせの上、お気軽にお運びください。

参考文献
・白石崇人「沼田良蔵・實文書について―幕末三原の漢学者から明治大正昭和公立学校長への転身」広島文教大学編『広島文教大学紀要』第56巻、2021年12月、1~14頁。
・白石崇人・井上快「沼田家文書にみる漢学知と近代教育の展開―日本東洋教育史の一断章」中国四国教育学会編『教育学研究紀要』第68巻、2023年3月、306~317頁。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【6/26午後】三原沼田家文書 幕末明治期 広島の漢学者の書 資料展示会のご案内

2024年06月24日 23時55分00秒 | 教育研究メモ


 すでに広島大学教育学部HPでお知らせしていただいておりますが、下記の日程で、広島大学教育学部A515教室(教育学第二資料室)で、三原沼田家文書所収予定の資料展示会を行います。幕末明治期に活躍した広島ゆかりの漢学者の書を展示します。
 日本教育史の資料を直接目にできる貴重な機会なので、興味のある方はぜひご来場ください。

日時: 2024年6月26日(水) 13:10~18:30
会場: 教育学部A515 教育学第二資料室
主催: 日本東洋教育史研究室
担当: 広島大学大学院人間社会科学研究科教育学プログラム准教授 白石崇人

 三原沼田家文書とは、2022年まで三原市にあった沼田實(1889-1976、元愛媛県中等学校長・私立広島女子商高等学校長・三原市教育委員長)の私邸にあった大規模な資料群です。實や三原小学校初代校長の沼田良蔵(1849-1913、實の実父、香雪と号す)の収集したものが中心で、明治・大正・昭和期の教育史にかかわる資料がたくさん含まれています。
 三原沼田家文書は2022年に広島県立文書館に大部分が寄贈されましたが、このたび、遺族が別に保管していた表装済みの掛け軸が、本年7月頃までに同館に追加寄贈されることになりました(白石が仲介しています)。同館に寄贈されると気軽に閲覧することはできなくなるため、この際、研究のためいったん公開させてもらえないかと遺族にお願いしたところ、公開を快諾してくださったため、資料展示会を開くことにしました。

 今回展示する予定のものは、沼田竹渓、宇都宮龍山、吉村斐山、西山復軒、菅茶山、頼山陽、坂谷朗蘆の書などです。いずれも、知る人ぞ知る高名な学者たちであり、たくさんの弟子を育てて幕末明治期の教育史に足跡を刻んだ人々です。この機会にぜひご覧ください。
 展示終了後は、7月半ばを目途に広島県立文書館に寄贈手続きを行います。ほかの沼田家文書も同様ですが、閲覧利用は可能だということですので、よろしくお願いします。

参考文献
・白石崇人「沼田良蔵・實文書について―幕末三原の漢学者から明治大正昭和公立学校長への転身」広島文教大学編『広島文教大学紀要』第56巻、2021年12月、1~14頁。
・白石崇人・井上快「沼田家文書にみる漢学知と近代教育の展開―日本東洋教育史の一断章」中国四国教育学会編『教育学研究紀要』第68巻、2023年3月、306~317頁。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育学参照基準における教育学と教育史

2024年05月18日 11時06分14秒 | 教育研究メモ
 日本学術会議心理学・教育学委員会教育学分野の参照基準検討分科会「報告 大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準 教育学分野」(2020年8月18日、以下「教育学参照基準」)のいう教育学は、過去に様々な立場から批判されてきた教育学とは異なるものととらえるべきである。そこでの教育学は、「ある社会・文化における人間の生成・発達と学習の過程、およびその環境に働きかける」営みとしての教育を対象として、あらゆる教育の目的・内容・方法・機能・制度・歴史などについて規範的・実証的・実践的にアプローチする様々な学問領域の総称である。教育の規範や過去の教育の事実、教育の実践方法をそれぞれ個別に明らかにしたり、社会や家庭の教育、生涯にわたる学習や人間形成などを軽視して近代学校教育ばかりを対象としたりすることで良しとするような学問構想は、そこにはすでに存在しない。教育学は、近代学校教育制度に支えられながら、同時にそれを相対化し、改善策やオルターナティブを提示する学問を目指している。また、市民性の育成にかかわるとともに、「教職に関する専門教養」を担って学校教育・教員養成に貢献する。教員養成は教育学の本質的要素として位置づけられ、教員養成に携わることで教育学自身の理論的発達と諸学の質保証を進める構想がとらえられている。
 教育学参照基準は、教育史の役割を直接的に明示しており、教育学としての教育史の仕事を求めているといってよい。とくに、実証的アプローチにおいては、教育がどのように行われてきたかを記述・説明し、教育の歴史性を認識してその限界を見極める教育史が求められている。このような実証的アプローチによる教育史は、人間・社会の可変性の限界を見極めて教育を組織化する実践知とともに、人間・社会に関する科学的知見や理想・理念についての反省的に認識する反省知のための、より確実な知的基盤を形成する役割を果たす。教育の歴史的理解は、教育の事実や問題がどのように生成されたのかを理解・説明したり、教育の原理や概念、目的を理論的に理解・説明したりする上での基礎知識を提供する。教育史は実証的アプローチによって、教育学のリソースとして基礎的アプローチを支えるものでもある。
 教育学参照基準には、明示的ではないが、教育史によって身に付けられるものとして暗示される素養も多く見いだせる。教育の社会的・文化的多様性の理解や、教育事象と社会的事象の相互関係を理解、学習過程とそれへの教育的介入の理解については、教育の組織化や教育実践を支える教育学の実践的アプローチに欠かせない素養であるが、長年の教育史研究の積み重ねにおいて見出されてきた多様な教育史を前提としたとき、これらを教育史の学修を通して身に付けることは可能である。しかし、そのためには教育学を前提としない教育史の成果を教育学の教材として取り込む必要がある。教育史テキストの編集においては、教育や教育諸概念の多様性や社会との関連、歴史性に着目し、多様な教育史の成果がいかなる教育学固有の諸理解・素養・能力の育成につながるか明確にしながら教材選定・研究を進めなければならない。その作業は、教育学としての教育史を具体的に構築するだけにとどまらず、教育学の境界横断性を具体化する重要な作業でもある。
 教育史家が自分の問題意識に基づいて自由で多様な教育史を研究するからこそ教育学・教員養成の発展可能性は高まっていくが、そのままでは十分な成果を見込むことはできない。教育学参照基準によれば、教育学としての教育史の教育は、講義だけでなく多様な学修方法を組み合わせて学生の学修経験の多様性を確保することや、「再帰性」を生かすために学生自身の学修過程を分析する機会となること等を検討していかなければならない。教育史の演習単独で1~2単位を構成できる科目を用意できる学部・学科等はどこにでもあるわけではないので、教育史の講義と教職科目における講義・演習、ゼミなどの講読演習の機会を効果的に組み合わせる課程を工夫が必要である。卒業論文についても、過去の教育の歴史的事実を単に体系化するだけでなく、教育学の知識・理解・能力を踏まえた問題設定によって体系化することによって、教育史の卒業論文は教育学の学修方法となりうる。また、評価方法についても、事実の正確さを評価するにとどまらず、教育学の学修の目的・目標・方法に沿って様々な観点から評価する必要がある。
 教育学としての教育史という立場は、教育史教育に様々な課題を突き付ける。教育学の中で教育史がその役割を果たそうとするとき、教育史は教育学の規範的・実践的アプローチを支える実証的アプローチとして自らの役割を自覚し、多様な教育史の成果を教育学固有の諸理解・素養・能力の育成につながるように教材化して、多様な学修機会と教育学の目的・目標・方法に沿った評価につながる教育方法を開発していく必要がある。教育学としての教育史の立場は、教育学教育において確立する必要がある。その準備として、テキストとシラバスの抜本的見直しを行い、教育課程の研究開発に取り組む必要がある。

〈主要参考文献〉
・ 白石崇人「教員養成における教育史教育」広島文教女子大学高等教育研究センター編『広島文教女子大学高等教育研究』第2号、2016年、29~48頁。
・ 白石崇人「教職教養としての教育史」広島文教女子大学高等教育研究センター編『広島文教女子大学高等教育研究』第5号、2019年、1~13頁。
・ 白石崇人「日本教育史研究における「教育学としての教育史」」広島文教大学高等教育研究センター編『広島文教大学高等教育研究』第9号、2023年a、1~14頁。
・ 白石崇人「現代日本における教育史教育の課題―歴史教育・高大接続・教員養成を意識した「教育学としての教育史」の教育の模索」『広島文教大学紀要』第58号、2023年b、11~25頁。
・ 日本学術会議心理学・教育学委員会教育学分野の参照基準検討分科会「報告 大学教育の分野別質保証のための教育課程編成上の参照基準 教育学分野」、2020年8月18日。
  https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-24-h200818.pdf
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育学としての教育史

2024年05月10日 23時55分00秒 | 教育研究メモ
 教育学としての教育史は、「教育」概念の歴史と「教育学」の歴史を中心とする教育史である。それゆえに、「教育」・「教育学」を構成する諸概念とその体系の歴史、すなわち教育学史や教育学諸領域の歴史が必要である。これを基礎にして、学校・社会・家庭の教育や教育制度・政策、教育問題、教育運動、教師・子ども・青年などの歴史の研究を深め、教育史の内容を厚くできる。
 教育は、人間生活・形成の一側面として多様な概念・領域と接触し、相互に影響し合って成立している。教育学としての教育史を描くとき、福祉・政治・経済・文化などとの接点や関係において展開される歴史を視野に入れなければならない。教育の概念・領域の歴史だけを明らかにしても、教育と関係するとはいえ福祉・政治・経済・文化の歴史だけを明らかにしても、それは教育史として十分ではない。その両方への視点が必要である。
 特定の国や地域の教育も、他の国や地域と接触し、相互に影響し合って成立している。例えば日本教育史を描くとき、世界・外国や西洋・東洋文化などとの接点や関係において展開される歴史を視野に入れなければならない。その視点から、制度や思想、概念、モノ、人などの交流史や受容史は重要である。
 教育は、様々なアクターによって運営・機能している。教員や親・保護者、子ども、学習者、政治家、学者、様々な教育関係者、地域住民などの具体的な人々や、国家や社会、団体、組織、企業、市場などの団体組織が、様々な感情と利害をもってかかわり、教育の歴史をつくっている。教育をめぐる政治過程や合意形成、価値判断などが、どのような歴史的背景の中で、どこで、誰をメンバーとして、どんな立場から進められたか、その経緯・変遷を明らかにすることが重要である。
 教育学もまた、その下位領域において、または下位領域の相互作用の中で成立し、または他の学問分野との相互作用の中で成立している。大学や研究所、学会、研究会、派閥などの一定の場において、様々なアクターがそれぞれの感情や利害をともなって相互に関係しながら、教育学史を形成している。教育学の諸領域内部の歴史とともに、諸領域の相互関係、教育学と他分野との相互関係の歴史は重要である。また、教育学は、その活用をめぐって、教師や教育行政、国家、運動体などと相互に影響し合いながら歴史をつくっている。教育学と教師の教育研究の関係史や、教育学の政策過程・教育運動への参画の歴史などは重要である。
 教育史は多様である。教育学の立場をとらない教育史は、教育学としての教育史とは違った視点・考え方をもち、得意なテーマや問題意識も異なる。他の立場による教育史の成果は教育学としての教育史を刺激し、新たな研究を生み出す。それと同時に、教育学としての教育史が、他の立場による教育史に刺激を与えることも積極的に考える必要がある。特定の立場による教育史が独自に研究を積み重ねていくとともに、多様な教育史が相互に関連・影響し合いながら高め合っていく場も積極的に設けていかなければならない。その意味で、教育学としての教育史は研究を着実に積み重ねていく必要がある。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

前近代日本の学びの可能性と課題

2024年04月25日 23時55分00秒 | 教育研究メモ
(現在書き続けている日本教育史のテキスト拙稿、第2章の結論から抜粋)

 以上の通り、古代から近世に至る時代の教育史について、読み書きや学びの目的・方法に焦点を合わせて明らかにしてきた。これらをまとめて、前近代の学びとしたとき、そこにはどのような特徴・可能性と課題があったか。
 まず、古来より、読み書きは政治・経済あるいは文化の活動に必要なものであった。人々は、生活に必要な範囲で、主に定型文に習熟し、テキストを身体化することで読み書きや文字で表現された知識を学んできた。そして、17世紀には読み書きは「人」の条件と化した。文書による政治が徹底され、様々な階層の人々を巻き込んで経済・文化活動が活発化したとき、政治・経済・文化にかかわる「人」として生きるうえで必要な条件として、読み書き(識字)が挙げられるようになったといえよう。学ぶべき読み書きの内容は、生活に必要な限りにおいて定められ、生活に不要になれば別のものに差し替えられた。楷書の漢文は古代律令制において必要であったが、律令制の崩壊により重要性が低くなった結果、行草書の漢字仮名交じり候文の陰に隠れることになった。学ぶべき読み書きの内容は、普遍的なものというよりも、生活や時代に応じた特殊なものが据えられ続けてきたといえる。
 次に、江戸期において、漢学(儒学)を介して道徳や政治の方法としての学びが展開した。漢学は、「聖人」または「君子」を目標化し、その学びをすべての人に開いた。それゆえに、読み書きや学問による民衆・風俗教化という手段をとることができたといえる。学びの目標・成果がすべての人に開かれていなければ、権力によって学びを押し付けても無理が生じるからである。また、身分制によって守られて学ぶ需要の少ない上層の人々に対しても、学ぶ意義を提示しようとしたことも注目すべきだろう。ともにうまくいったとは言い切れないが、漢学のもっていた学びの開放性は前近代の教育の可能性をうかがわせるに十分であった。ただし、前近代の社会が身分制を前提としていた限り、いくら学びを開放しても人々は同じように聖人君子の目標に向かうことはできなかった。知識や道徳的修養をいくら積んでも、身分の壁は依然として存在したままであり、「人」として一つになることはできなかった。このような開放性をめぐる前近代の学びの可能性と限界は、江戸期に流行した会読において典型的にみることができる。会読は身分にこだわらず開放的な学びを展開させたが、そこに参加するには素読・講義を修了する必要があり、そこに達するまで学び続けることができる人々は限られていたのである。
 また、18・19世紀に至って、学校が人材育成機関として位置づけられたことや、人生に対する子ども期における教育的配慮の重要性が広く認識されたこと、子育てと貧困に対する国家の責任に注目する人物が現れていたことが確認できた。これらの課題意識は近代教育において花開くことになるが、明治以降に急に出現したわけではなく、江戸後期を通じて模索され続けていたものであった。


【参考文献】
 市川寛明・石山秀和『図説 江戸の学び』河出書房新社、2006年。
 岩下誠・三時眞貴子・倉石一郎・姉川雄大『問いからはじめる教育史』有斐閣、2020年。
 江森一郎『「勉強」時代の幕あけ―子どもと教師の近世史』平凡社、1990年。
 大石学『江戸の教育力―近代日本の知的基盤』東京学芸大学出版会、2007年。
 大戸安弘「中世社会における教育の多面性」辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年、65~119頁。
 貝塚茂樹・広岡義之編『教育の歴史と思想』ミネルヴァ教職専門シリーズ2、ミネルヴァ書房、2020年。
 鈴木俊幸『江戸の読書熱―自学する読者と書籍流通』平凡社、2007年。
 鈴木理恵「大陸文化の受容から日本文化の形成へ」辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年、3~64頁。
 鈴木理恵『近世近代移行期の地域文化人』塙書房、2012年。
 鈴木理恵「日本編・子ども観の歴史的変遷」鈴木理恵・三時眞貴子編『教師教育講座第2巻教育の歴史・理念・思想』共同出版、2014年、167~187頁。
 辻本雅史『「学び」の復権―模倣と習熟』角川書店、1999年。
 辻本雅史「幕府の教育政策と民衆」辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年、245~269頁。
 辻本雅史・沖田行司編『新体系日本史16教育社会史』山川出版社、2002年。
 高橋敏『江戸の教育力』ちくま新書、筑摩書房、2007年。
 平田諭治「「日本」「学校」「教育」の概念系」宮寺晃夫・平田諭治・岡本智周『学校教育と国民の形成』講座現代学校教育の高度化25、学文社、2012年、47~69頁。
 平田諭治編『日本教育史』MINERVAはじめて学ぶ教職4、ミネルヴァ書房、2019年。
 前田勉『兵学と朱子学・蘭学・国学』平凡社、2006年。
 前田勉『江戸の読書会―会読の思想史』平凡社、2012年。
 八鍬友広『読み書きの日本史』岩波新書、岩波書店、2023年。
 湯川嘉津美「「無垢なる子ども」という思想」『ソフィア』第44巻第2号、上智大学、1995年。
 湯川嘉津美『日本幼稚園成立史の研究』風間書房、2001年。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育学的思考③―「日本」「東洋」批判

2024年04月21日 23時55分00秒 | 教育研究メモ
 広島大学の教育学は、戦後、新制大学として再編後に、「日本東洋教育史」という概念を使って、教育学として教育史の研究を推進してきた。この概念をいかに現在の教育史研究に生かすかについては私もまだ研究を始めたばかりだが、現段階でいかなる方向性をもつべきだと考えているかまとめておく。

 「日本東洋教育史」概念によって思考を進めようとするとき、まず先頭にある「日本」概念が目に入る。「日本東洋教育史」は、まず「日本の教育」を歴史的に研究する日本教育史を重要な要素として含んでいる。「日本の教育」とは何か、どうあるべきか(と考えられてきたか)について、歴史を通して研究する。近代の「日本の教育」を研究する場合、日本という国民国家のナショナルな教育について考えることが重要である。また、日本国内の特定地域における教育に関する歴史や文化を探究することも重要である。日本教育史は、「日本」という国民国家やその一部としての特定の地域に生きる「我々」の教育問題を発見・解決するための参照資料を我々に提供する。さらに、教育の定義として先述したように、教育は人々に様々な感情・記憶を喚起する行為・領域であるから、日本教育史もまた、「日本の教育」を通して喚起されてきた過去の感情・記憶に向き合う必要がある。当たり前の物事は問い直すことすら思い至らない。教育の喚起してきた感情・記憶の歴史性・近代性を明らかにすることで、この感情・記憶は相対化されて当たり前のものではなくなり、我々は改めてこれらを自由に考えることが可能になる。
 現在は、グローバル化の進行により、国民国家が相対化された時代である。このような現在を生きる我々にとって、「日本=国民国家」という考え方にどう向き合うかはとても重要な問いになる。それは結局「日本とは何か」という問いである。日本教育史は、「日本の教育とは何か」という問いに取り組むことで、重要な役割を果たすことができる。例えば、近代批判として近代日本とは何かという問いを立てる場合、かつての「日本=帝国」という問題が重要になってくる。近代日本は大日本帝国となり、第二次大戦後に解体されて日本国になったが、大日本帝国が残したものの中には現在に至るまで未解決の問題もある。日本国になった時点で終結した単純な問題ではなく、戦後引き続き新たな変遷をたどったポスト・コロニアリズムの問題として生き続けている。これは日本だけの問題ではなく、かつて帝国主義をとった各国とその支配下にあった国々の世界的問題である。この問題に取り組むには、日本国内(本土内)の研究だけでは済まない。現在は、「日本」の外側への視点がなければ、日本教育史は十分研究できない時代になっている。
 そう考えると、「日本」を超える範囲をもつ「東洋」概念には可能性を感じる。しかし、「東洋」概念は古くから使われており、その歴史性ゆえに現在そのまま使用するには問題があり、その意味内容を刷新しなければならない。特に「日本」と「東洋」をセットで使用する場合、より深刻な問題が生じる。「日本=特殊な東洋」という考え方がある。これは、「東洋」諸国に対する日本の優越感を表す考え方であり、現在においても大きな問題をかかえている。現在においては、各国・各地域の文化の多様性を尊重し、共生していくことが求められる。「日本=特殊な東洋」という考え方は批判されなければならない。「東洋」批判は、「日本」批判である必要がある。
 また、「東洋」概念が指す諸国・地域とはどこか、という問題もある。伝統的には、中国、朝鮮半島、台湾、日本、そしてインドを中心的に指しており、それ以外のアジア諸国の存在を度外視してしまいがちであった。では、「アジア」概念に差し替えれば問題が解決するかというと、そう簡単にはいかないと思う。私が注目したい「東洋」概念の可能性は、ある程度の一体性をもつ文化(東洋文化)の存在を前提とする概念である。では、アジア諸国に「アジア」としてひとくくりにできるほど一体性があるのかというと、文化人類学が発展した現在では、とてもそのような一体性が見いだせるとは思えない。思考・研究にはある程度の枠組が必要だが、「アジア」では広すぎる。「東洋」の可能性を探りたい。
 「東洋」概念は「西洋」概念と対で用いられる。「世界=西洋+東洋」という単純な世界観は現在において通用しない。また、「西洋」批判は欧米で100年前ほどからすでに行われているが、往々にして相対的な「東洋」の優越性を強調する論調がある。「東洋」上げとも言うべき現象は、グローバル化や冷戦後の国際関係の変化の中で捉えると、各国・各地域の文化の多様性を尊重し共生していくうえで支障をきたすおそれがある。「東洋」批判は「西洋」批判とも関連して進めなければなるまい。
 近代日本は「東洋」・「西洋」の両方から影響を受けてきた。「日本」「東洋」「西洋」批判を並行して進めていくには、「日本ー東洋」関係の再構築とともに、「日本ー西洋」関係の再構築が必要である。「日本ー東洋」関係の再構築は、先述の通り、「優越/劣位」の関係を見直すことである。優劣ではなく、多様性を尊重する方向に見直していく必要がある。近代日本史についていえば、大日本帝国の問題は、まさにこの「日本ー東洋」関係の問題と関わっている。また、「日本ー西洋」関係の再構築について、日本から西洋に対する「憧憬または対抗」・「受容または借用」の問題があると思われる。この問題は、教育制度・思想においても重要であって、日本の近代教育の特徴を形作った重要な要因である。

 「西洋」概念もそうだが、「日本」・「東洋」概念は近代の問題ときわめて深くかかわっている。教育学的思考が近代教育批判を重視するならば、教育学としての教育史として、「日本」・「東洋」批判を進める必要がある。この作業は「日本教育史」や「東洋教育史」で専門的に進めてもよいだろうが、「日本東洋教育史」として「日本の教育」を新しい「東洋」概念をもって研究することには、現在においてますます価値があるように思われる。今後の研究を進めていきたい。

主要参考文献
白石崇人・井上快「沼田家文書にみる漢学知と近代教育の展開―日本東洋教育史の一断章」中国四国教育学会編『教育学研究紀要』第68巻、2023年3月、306~317頁。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育学的思考②―近代教育批判

2024年04月19日 20時06分00秒 | 教育研究メモ
 現在において「教育学としての教育史」の研究において、重要な思考法・研究法の一つに近代教育(近代学校)批判がある。ここでいう「批判」とは、単なる「非難」や「否定」ではなく、物事の価値や誤り、不十分な点等を検討してよりよい知見を目指す議論のことを指す。

 近代批判は、近代を制度や思想等において徹底しようとする近代主義を批判してその問題を乗り越えようとする思考法である。それは20世紀前半には始まっているが、現代の学問・思想においても重要な思考法になっている。教育学においても、近代教育批判は、特にポストモダンの影響を受けた20世紀末以降、ますます重要な方法になった。近代教育は、現在の学校教育や教師の在り方などのよって立つ原理の一つであり、明治以降150年にわたって試行錯誤のうえ思想化・制度化されてきた。しかし、現在、「学校教育は行き詰まっている」などの言説や、「学校でなくても学べる」、「日本でなくても学べる」、「AIによって代替可能なので教師は不要なのではないか」などの言説によって、近代教育の問題が多方面から指摘され、新しい教育が模索されるようになって久しい。現代の教育学が取り組むべき重要な使命の一つとして、近代教育批判が上がってくる所以である。極論を言えば、教育史は過去の教育を研究すれば成立してしまう。しかし、教育学としての教育史は、近代教育批判に取り組むことが求められる。
 近代教育批判に限らず、近代批判は現在の学問研究一般に重要である。歴史研究を通した近代批判の特徴は、過去そのものを問うことを通して批判を進めるところにある。過去(歴史)の問い方には大きく2つある。第1に、過去と別の過去が本当に連続・進歩しているのか、その連続性を問う。第2に、過去同士が本当に断絶しているのかその断絶性を問う。いずれの問い方についても、その真偽を史料を通して確かめるのが歴史研究である。
 そのとき、近代をどのように捉えるかによって、とるべき研究法は変わってくる。近代は現在に対して過去であり伝統である。ここで、近代を「継承すべきもの」と捉えるか、「克服すべきもの」と捉えるかによって、歴史研究の姿勢が全く違ってくるだけでなく、現在または未来の捉え方までも変わってくる。近代を「継承すべきもの」と捉えるならば、現在・未来は「過去からの進歩・徹底、または過去の延長」と捉えることになる。近代を「克服すべきもの」と捉えるならば、現在は「克服すべき過去の課題を背負うもの」または「過去の課題は現在に至るまでに解決済の、過去から断絶されたもの」と捉えられ、特に未来は「過去から断絶されたもの」と捉えられやすい。どちらが正しい視点・姿勢かという問いに唯一の答えはないが、近代をどうとらえ、どう考えるかで現在・未来の見方・考え方は根本的に変わってくることは確かである。

 近代と現在の関係を考えるとき、「近代=現代」または「近代≒現代」と捉える視点がある。「近代」という日本語は、その後に「現代」という新たな時代がやってくるように私たちに認識させがちであるが、英語ではどちらも「modern」である(しかも「近世」は「early modern」だからさらにややこしい)。この視点をとると、先述の歴史的見方・考え方の一つであった、現在の目で歴史を見て、過去と現在のかかわりを考える見方・考え方をとりやすい。過去と現在の共通点や連続性を探究するには便利である。しかし、現在の見方・考え方だけで歴史を解釈しようとすると、解釈を間違うことがある。この問題は、しばしば「現在主義」と呼ばれる、近代批判・歴史研究一般に共通する大問題である。自分の親や年の離れたきょうだいですら、自分とは考え方が違うなと感じた経験は誰にでもあるだろう。それと同じように、過去の見方・考え方や習慣、文化は、現在のものと似ている印象を受ける場合もあるが、まったく同じものではない。過去に存在したそれらは、少なからず時間を経て変遷している。基本的には、過去と現在とは、少なからず異質なものだと心がけなければならない。近代批判や歴史研究を行うのは現在を生きる我々だから、現在の見方・考え方を考察にまったく持ち込まないことは不可能である。同時代に生きている我々が、異なる他者と対話するですら容易なことではない。過去に生きる他者と対話することも同様である。歴史研究には、自分や自分の所属するコミュニティのもつ現在主義を相対化しながら、異質な過去を捉え、他者として尊重しながら対話しようとする研究法が必要である。この研究法を身に付けるには、特殊な訓練が必要である。
 近代を問うことは、近代史はもちろん、近世史・中世史・古代史でも可能である。近世以前の歴史研究は、その時代を明確に研究することで近代との比較材料を確かにすることができる(もちろん近代批判のためではない近世以前の歴史研究もある)。とはいえ、近代史研究はそのまま近代批判につながる点で、ほかの時代の研究と異なる立場にある。近代史研究は、近代内部(同時代)で、ある過去と別の過去の間に生じた変遷を分析し、歴史の画期等を発見して、近代そのものを考察していく。その作業を通して、近代とは何か、どのような課題が見いだせるかについて考察することができる。近世史はそのまま近代とは異なる他者として研究する場合も、early modernの研究として捉える場合も、近代批判につながげることができる。
 歴史研究は近代を問うために、国家や地域、制度、思想、文化、習慣等を時系列や因果関係などとして関連付けながら、その近代性を考察・解釈していく。比較・関連づけるべき事実は、同時代の別の国や地域・人物等の事実であることもあれば、同じ国や地域・人物等のさらなる過去の事実であることもある。例えば、1900年代と1910年代の思想を関連付けることで、その連続性や近代性を問うことができる。また、単体の事実同士だけでなく、複数の過去や出来事・集団・人物の間に起こった移動や交流、影響、受容、借用、移転等のかかわりを対象にすることもできる。単に20世紀前半の日本とアメリカの教育制度を比較するだけでなく、アメリカのA氏の教育学説が日本の学者B氏の学説に受容され、B氏が政府の審議会でその学説に基づいて発言し、政策に取り入れられたことを明らかにすることで、A氏の影響を特定したり、B氏の学説の独自性を研究したりして、日本における教育の近代化の在り方を明らかにすることができるかもしれない。

 現在の教育学にとって重要な教育学的思考の一つに近代教育批判がある。教育学としての教育史も、近代教育批判に取り組むことが期待される。そのためには、研究者自身が近代をどのように捉えようとしているか自覚し、その視点に適した思考ができる研究法をとらなければならない。また、現在と過去の連続性を捉えるにしても、断絶性を捉えるにしても、現在主義に陥ることなく、過去という異質な他者を尊重しながら、対話していく必要がある。また、過去の同時代の出来事を単に比較したり、関連付けたりするだけでなく、それぞれの関わり方に着目にすることで過去をより精緻に分析することが可能になる。近代教育の特質を正確に考察するには、過去を精緻に分析する教育史研究が必要である。

主要参考文献
E.H.カー(清水幾太郎訳)『歴史とは何か』岩波新書、1962年。
リンダ・S・レヴィスティック、キース・C・バートン(松澤剛・武内流加・吉田新一郎訳)『歴史をする―生徒をいかす教え方・学び方とその評価』新評論、2021年。
Johannes Westberg & Franziska Primus, "Rethinking the history of education: considerations for a new social history of education", Paedagogica Historica, Vol. 59, (2023), 1-18. https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/00309230.2022.2161321



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする