高等学校「無償化」が久しぶりに政治問題になっています。この1週間で事態が大きく動き、与野党とも実行する気になっているようです。先週は、その財源をどうするか、所得制限をかけるかかけないかといったあたりが最大の争点になっていました。政策実現のための具体的な論争が展開されており、この問題を少しでも解決しようという政治家の姿勢とみてよいと思います(その背景に様々な打算があるのは当然のことです)。
維新、高校授業料の無償化で与党に再検討求める方針…私立助成で隔たり大きく(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース
ただ、何のため・誰のための高等学校「無償化」か、という目的と対象をもう少し問い直した方がよいでしょう。ネットのコメントは「私立を無償化する必要ない」とか「高額所得者が得をする」とかいった意見だらけです。こういう議論ばかりになるのは、「支援金をいくら出すか出さないか」という論点だけで議論しているからです。ここで目立つべきは、誰の何のための「無償化」かという目的と対象を問う論点であるべきです。そもそも、与野党および議員間で、無償化の目的と対象に合意ができているのでしょうか。
高等学校とは何か。特に国費から高等学校の授業料を出すのですから、この日本という国家にとって現在の高等学校とは何か、という問いを避けることはできません。その合意なしに議論するから、高額所得者に支援するのはおかしい、などという反論が出てきて、議論が混乱するのです。
義務教育化されている小・中学校の授業料は無償化されていますが、小中学について高額所得者に~という議論をする余地は、今の日本にはないはずです。それは小・中学校が今も日本にとって重要なものだと考えられているからです。
高校についてはどうでしょうか。学校教育法第50条では、高等学校は「中学校における教育の基礎の上に、心身の発達及び進路に応じて、高度な普通教育及び専門教育を施すこと」を目的としています。このうちの「高度な普通教育及び専門教育」とは何か、なんのための教育でしょうか。その教育を受ける生徒とは誰のことでしょうか。我々日本国民は高等学校をどうしたいのか。
今回、「義務化」ではなく、「無償化」の議論なのが特徴です。過去の民主党政権時には、高等学校無償化と義務化との関係が問われました。高等学校をすべての人のための学校にするか、それとも就学する意志や用意(所得含む)のある人のための学校にするか、という議論がなされました。今回はそのところの議論が希薄ではないかと思います。
「義務化」と「無償化」を切り離して議論するということは、「高校にいきたい人が誰でも行けるようにする」ということを問題にしていると思われます。今議論されているのは「所得制限なしの就学支援金の支給(実質無償化?)」です。それを「無償化」と言うべきかは疑問ですが。
「高校に行きたい人」とは誰のことか。どうしてその人たちが高校に行けるようにしなければならないのか。
論点は、公立と私立、高額所得者とそうでない者ではないと思います。国民全員か住民全員か。公立私立に限らず高校にどんな教育を求めるのか。
この議論をする人は、これらの問いに答えてから議論した方が良いと思います。とくに国会議員の皆さんには、これらの問いから逃げずに問題に取り組んでほしいです。