教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

土日の日記、環境構成に関するおすすめ本

2015年03月30日 22時27分18秒 | Weblog

 3月最後の2日間1日目が終了。新年度が目の前に迫ってきました。

 土日はとても天気がよくて、気持ちいい休日でした。しっかり休み、気持ちの整理ができました。このところ意味深な記事ばかりで済みません。たぶん、一年間たまった心身の疲れが行き場を失っていたのだと思います(笑)。もやもやしたものをあらかた吐き出し、これから自分のすべきことだけ残してはっきりさせましたので、今はむしろ元気です。

 土曜は、私服とかの買い物にマリーナホップに行きました。休日があまりないので私服少ないのですが、TAKA-QとWEST-WAVEが好きなんです。あと、キリン堂の焼きカレーが大好きなんです(買い物はついででもいいくらい)。裏にあるヨットハーバーでしばらく黄昏れた後、市内を寄り道して帰ってきました。
 日曜は、昼から大学へ行って、論文の仕上げとこれからの教材研究計画を立てていました。論文はなかなかおもしろく仕上がりましたよ! 教材研究では、たくさん読まなければならない本があるのですが、何をいつまでに優先的に読まなければならないか、授業日の配置具合を整理して、読む順番をはっきりさせました。こういう計画をしっかり立てておくと、後でぼんやりしてしまって困らなくて済みます。授業構成や資料作成の時間も考えなければなりませんが、まあ教材研究だけでも進んでいればそのへんは何とかなります。
 あとは区民センターで運動して帰りました。

 あ、このところ教材研究をしていて、保育者の人におすすめの本がありましたのでついでに紹介。
 高山静子『環境構成の理論と実践―保育の専門性に基づいて』エイデル研究所、2014年、2,160円。著者は元保育士の東洋大学の先生です。環境構成は大事なのはわかっているけど何を基準に進めたらいいのか困る、という保育者は多いと思います。私の少ない研究経験からですが、保育における環境構成の理論をここまできちんと論じ、ここまでわかりやすく書いた本は、今のところ出会ったことがありません。全130ページくらいですし、ふんだんに写真を使って保育現場の環境の実例を見せてくれてとてもわかりやすいです。文字数も少ないし、写真集みたいに眺めるだけでも勉強になります(笑)。

 さあ、やる気が満ちてきました。来年度も目の前。新しい仕事が待っている! がんばるぜ!(○`・Д・´)9

 
 土曜昼間のヨットハーバー(広島観音マリーナ)

 
 日曜昼間に咲き始めた大学寮中庭の桜

 

 

 今朝の大学3号館側の桜

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忙しがらないで、素直になろう

2015年03月29日 11時28分31秒 | Weblog

 忙しがるのをやめよう。
 ホントに忙しくても、毎日誰かに少しも時間を分けられないわけではない。忙しくても、何でもねーよ!平気平気!と強がれる体力と気力を維持するよう心がけたい。

 素直になろう。
 気を遣って、本当はそうしてほしくないことまで言ってしまうクセをやめよう。「気を遣ったふり」にしかならないし、相手に困惑しか与えないし、その通りにされてしまうと結局自分も後悔する。誰も幸せにはならない。

 去年の4月くらいからそうしようと誓ったのに、12月くらいから初心を忘れて逆ばかりしてしまっていた。なんと未熟な。

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幸せは幸せ者に寄ってくる

2015年03月28日 20時42分18秒 | Weblog

 もっと楽しく生きるため、心理の勉強成果のメモ。

 依存とはどういう心理だろうか。
 依存とは、つらいことから少しでも気をそらすために、安心できる特定の人やモノに心身を委ねようとすること。特定の人やモノとかかわって安心した時、もっと強い安心がほしい、となって苦しくなっていく。また、受け容れてもらっていないのでは、と思って不安に襲われる。

 共依存とはどういう心理だろうか。
 共依存とは、自分の自己否定感や空虚感を、他者に対する関心とコントロールによって埋めようとすること。コントロールできないと、埋めようとしたものが表面化し、苦しくなる。

 依存・共依存から抜け出るには?
 まずは、依存によって得られる安堵感を、自分の行動・習慣の結果や、特定の相手やモノとのかかわりに限らない結果としてとらえ直すこと。この人とコミュニケーションをとると安心する、ではなく、他人とコミュニケーションをとると安心する、とか、これを持っていると安心する、ではなく、持っていると安心するモノがある、ほかにはないかなぁ、とかのように。

 また、自分のコントロールできるものは自分の心だけ、と言い聞かせること。他人の心はその人のものなので、引き込まれたり、何とかしようと考えたりしない。そして、相手を変えようと費やしてきた時間と努力を自分につぎこむこと。
 愛情としがみつきは異なる。さびしさや不安を感じたら、あわてないでじっとする努力をすること。出さない手紙を書いて、自分で自分の世話をすること。まず関わろうとしないで、何もしないで距離をとって観察すること。相手の気分を敏感に察し始めて先回りしてきたなと感じたら、ストップをかける。

 注目して欲しいなら、誰かに要求するのではなく、自分で自分の気持ちに注目し、そのつど話を聞いてあげる。認めて欲しいなら、自分の努力をその都度積極的に認めてあげる。愛して欲しいなら、自分で自分をいたわってやる。

 愛情の渇望は、根本的には自分に対する愛が欠けているから感じるもの。自分を愛していない(理解していない)時には、自分は愛されていない(理解されていない)と感じる。

 自分の幸せは自分でつくっていくものである。誰かにしてもらうことではない。他人との幸せの共有は、まず自分が自分を幸せにしてやれるようになった時、自然に感じることができるだろう。

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アクティブラーニング的な授業を自分なりに実践してみた結果

2015年03月26日 19時41分21秒 | 教育研究メモ

 いま、もっぱら教材研究と論文執筆を同時並行に進めています。
 さて、2015年度を迎える前に、2014年度後期の授業の総括をしました。もとは内部文書として書いたのですが、もったいないのでちょっと改訂してさらしておきます。

 2014年度後期の「人間関係」「保育者論」「保育内容総論」では、アクティブラーニングの機会を取り入れるため、学生発表を中心とした授業形態に変えました。そこでは、学生を4~6名程度(保育者論は7~10名程度)のグループに分け、テキストの当該箇所についてレジュメ(分量は自由)を作成させ、担当回を決めて毎回1グループにそれぞれ発表させました。講義用HPを作ってそこにレジュメを前日までにアップし、授業中はiPad(本学では33期生から全員貸与)を使って参照します。発表担当ではない学生は、テキストの当該箇所や発表レジュメを読んできて、発表後に質疑を行ったり、自分なりのノートを作成したりします。初めての試みだったので、時間配分は試行錯誤して後期の間にかなり変動しましたが、最終的には以下のような配分に落ち着きました。

 00~15分 テキスト・レジュメ・ノート確認、発表最終打合せ
 15~55分 レジュメ発表
 55~90分 質疑応答、グループ話し合い、補充説明

 最初の15分は、発表を聴くポイントを各自に作らせるために設けた時間で、何回か発表形式の授業を進めてから新たに設けました。当初の学生の様子を見るに、発表中何を聴いていいのかわからない雰囲気でした。学生によっては事前学習を行っていなさそうな者も見受けられたため、必要に迫られて設けたものです。この時間を設定してから後は、発表中に放心状態になっている学生が著しく減りました。

 レジュメ発表は、最大40分与えましたが、20分程度で終わってしまうグループも複数ありました。グループによって取り組み姿勢や内容の理解度に差があり、グループメンバーの理解度が低いままで発表すると、フロア側の学生に不満や誤解が出やすかったです。その場合、発表内容だけでなく、質疑応答も不十分になります。発表者の理解度が変動する要因は様々あるようですが、テキストの読み込みや、テキストだけでない追加の調査研究、レジュメ作成などの事前学習にどれだけ時間と労力をかけているか、で明らかに変動していたことははっきりわかります。私の研究室に何度も足を運んでくるグループ(またはメンバーの一部)は、比較的、発表内容の質が高かったです。となれば、どれだけ熱心に事前学習に取り組めるように仕向けられるかが、私の工夫のしどころでしょう。シラバスや後期前半の授業でやり方を伝えたのですが、授業評価アンケートで、事前事後学習のやり方がよくわからなかったと答えた人が数名いたので、今のままではいけないかなと思います。
 この授業形態では、発表グループ以外のフロア側の学生の学習についても、考えておかなければなりません。そこで、発表中の思考を促すために、ノート作成を課しました。しかし、最後に集めてチェックしたところ、レジュメを表面的になぞったり抜き書きしたりしただけの学生や、もっと書けそうなのにいい加減に済ましてしまっている学生がいるような印象を受けました。思考やノートづくりを支えるために、ノートのパフォーマンス課題について最初に示し、何を書いていったらいいかわかるようにしてやることも必要かな、と今は思っています。

 質疑応答では、最初は学生たちも自主的に質問していましたが、後半にいくにしたがって授業者が当てないと質問しなくなりました。考えなくなったのではありません。学生の近くに寄って聞き耳を立てると、いいつぶやきをしていることがありました。つぶやきを拾ったり、目線を見ながら発言を促したりしていきましたが、埋もれた質問も多かったと思います(最後に提出させたノートにはいくつかよい質問メモもありました。もったいない…)。適宜、授業者が改めて発問し、意見や疑問を引き出したり、揺さぶったりしましたが、いくら時間をかけても発言が出てこず、私自身が答えを言わざるを得ない場合も多くありました。私が発言しすぎたことも、学生たちの質問が積極的に出てこなくなった原因だと考えています。ICTの活用も含めて、学生の疑問を引き出すための改善余地はたくさん残っています。

 以上のような授業形態には、課題は残っていますが、成果もあったと確信しています。私の実感としても、学生のノートを見ても、一方的な講義よりも学生の思考が明らかに活性化していました。もっと効率的・効果的に学生の思考を活性化させるため、さらなる改善を積み重ねたいと思っています。たとえば、学生が追究したくなる新しい教材の開発や、十分な事前学習時間や個別指導時間の確保、事前事後学習のポイントや参考文献の事前紹介、ICTの活用による質疑応答の活性化、ノート作成やレジュメ・発表方法のパフォーマンス課題の明示などです。また、ほかの科目でもアクティブラーニングを取り入れている科目はあるため、それらの科目との関係を意識できると、より効果は上がると思います。ほかの科目における経験をそのまま活用するだけでなく、さらに学生の思考を深めるように発展させるためにも、ほかの科目(とくに私の科目の前に開講されている科目)でどのような取り組みをしているか、さらに勉強させてもらいたいです。

 ただ、ちょっと気になったのは、学生授業アンケートの結果を見る限り、前期と後期の科目(同じ学生対象)で、学生たちの「到達目標を達成した!」という達成感がよくも悪くもなっていないことです(前期はスタンダードな講義でした)。上記の形態で授業をして、「アクティブラーニングをした!」と実感した学生は大幅に増えて良かったのですが、到達目標に対する達成感を感じた学生は変わっていなかったのです。「到達目標を達成できたか?」という問いに対して9割以上の学生が「とてもそう思う」「そう思う」を選んでくれ、「まったくそう思わない」はゼロだったので少しホッとしましたが、「とてもそう思う」「そう思う」「そう思わない」の割合は変わらず、がんばったわりにううん…という結果でした。単に、後期の授業形態がうまくいかなかっただけ、かな? まあ、来年度また頑張ります。

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卒業生に贈る言葉

2015年03月22日 19時07分45秒 | Weblog

 3月20日、広島文教女子大学で学位授与式・卒業パーティーが挙行されました。女子大らしくとても華やかで、本学らしくとても落ち着きのある式でした。いろいろな思いを胸に、本学・本学科を卒業し、新しい人生に旅だってくれました。私は1年間しか一緒にいなかったのですが、パーティーでは、ゼミ生だけでなく様々な形でつながりをもった多くの学生たちが、たくさんのあたたかい言葉と笑顔をくれました。
 私は、今回、初めて4年大で卒業論文を書かせたゼミ生11名(前任者から引き継いだ学生たち)を送り出しました。彼女たちの学年は、卒業研究ルーブリック(全学共通、ただし芸術系は少し違う)が初めて適用された学年でした。「なんで今までなかったのに、よりによって私たちの時に…」という不満がずっとぬぐえなかったようですが(1月まで向き合えなかった人も…)、質の向上という意味では間違いなく機能しましたので、ここは飲み込んでもらいたいと思っています。あのルーブリックがなければ、私も安易な指導・出来に流されていたと思います。今年度の実績を踏まえた改良はこれから具体化するはずですが、新4年生にはしっかり向き合ってもらいたいなと思っています。

 また、それより先の3月17日、前任校の鳥取短期大学の卒業式が挙行されたようです。私は転任時に幼児教育保育学科の1年担任をしていましたが、この日その旧担任の教え子たちが卒業しました。体調不良もあって反応が遅くなりましたが、風の噂で情報提供をいただき、なんとか旧担任の学生全員進路は決まったと聞いています。保育者になる人、専攻科福祉専攻に進学する人。1年前に聞いていた進路とは違う人も多いですが、この1年間のさまざまな学びを通して自分なりに考えた結果でしょう。心から祝福したいと思います。おめでとう!


 皆さんは、これから新しい人生を歩み始めます。
 希望した進路・配属とは少し異なる人もいるでしょう。望み通りの進路に進む人も、実際に働いていれば、意に沿わないことも多いかもしれません。これから様々な問題に向き合わなければなりません。身につけた知識・能力を活用して、目の前の問題に立ち向かってください。また、学び続けて、常に自分を更新してください。
 学び続け、目の前の問題に立ち向かう人は、「輝き」を放ちます。子どもたちも、その保護者も、同僚も、あなたの学び続ける姿を見て、あなたを信頼します。そして、自分もがんばろうと思います。よい教師・保育者になるためには、学び続け、問題に立ち向かい続けることは必須です。苦しいこともあると思いますが、ぜひ「輝き」続けてください。
 人生にはムダな経験はありません。どんなにいやなことも、苦しいことも、楽しいことも、うれしいことも、そして悲しいことも、必ず自分を豊かにします。自分の出来る限り、真剣に生きてください。問題解決に明け暮れ、ふと気がついたとき、また一回り大きくなった自分に気づくことでしょう。苦しくて、前に進めなくなることもあります。そのときは、周りを見てください。あなたは独りではありません。子ども・利用者、家族、友人、同僚、上司、後輩、そして旧師。たまには周りによりかかりましょう。みんな、喜んで支えてくれるはずです。ちなみに、前に進めなくなるまでがんばるよりも、普段から適度に気分転換をした方が「長持ち」します(私はこいつが一番苦手ですが)。
 皆さんはこれから私と一緒の社会人です。ともに、よりよい教育を、よりよい社会を、よりよい日本をつくっていきましょう。今後ともよろしくお願いします。


いただいた花束を皆さんにも (背景って大事ですね…)

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暗い気分をぶっ飛ばして

2015年03月19日 20時55分08秒 | Weblog

 今日は雨の中、島根県浜田市に日帰り出張。実習の巡回指導のためです。学生を指導した後の帰り道、ごちゃごちゃモヤモヤ、いつまでもぼんやりしていたのではダメだ、と思いました。
 急に、頑張れそうな感じがキタ!
 大学に戻って仕事を終えた後
、区民センターへ。軽く運動して、心身の疲れと暗い気持ちをぶっ飛ばしておきました。(`・ω・´)

 写真は、昼休憩に立ち寄ったゆうひパーク浜田から浜田港付近です。

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欠如感、焦燥感、孤独感

2015年03月18日 23時55分55秒 | Weblog

 いいことも楽しいこともあって順調なのですが、心のコントロールがうまくいってない感じです。楽しかったり、気分が落ち込んだりしてます。そして、根本的な欠如感・不足感・孤独感。めんどくさい奴がきました。疲れがたまってるのかなあ。時間かけてでも、しっかり気分転換した方がいいのかも。
 論文はあともう少しでできそうです。いつも同じなんですが、制限字数オーバー。削る作業したくないなあ。
授業づくり・改善は、まだ本読みの段階。できそうな感触はあるので、大丈夫だと思いますが、気持ちは焦ります。来年度の未知の仕事も不安。
 働けば働くほど、焦燥感と孤独感は深まっているような気がします。で、変なもがき方をして、周りを困惑させてしまう(この独白なんかまさにそう…)。20年くらい続いている、いつものループ。働くことでしかこの埋め方を知らないけれど、たぶんこのやり方は間違ってるんだろうな。

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野外活動について行きました

2015年03月14日 11時38分01秒 | Weblog

 3月9日から12日まで、3泊4日で国立江田島青少年交流の家を拠点とした野外活動のため、引率でついて行ってました。野外活動は、初等教育学科2年生の必修科目です。登山や野外炊飯、星座観察、レクリエーション、キャンプファイアーなどを行いました。
 例年は8月に別の場所で行われるのですが、例の災害のため3月に延期になり、場所も変更になりました。三寒四温の3月、運悪くちょうど寒い時期に当たってしまい、なかなか過酷な野外活動になりました。しかし、体調を極端に崩す学生がほとんどいなかったのは、正直言って驚きでした。学生たちの自己管理がしっかりしていたということでしょう。感心しきりです。
 私はというと、この十年くらいまともに運動してこなかったツケがまわって、体調ギリギリの生活を過ごしておりました(^^;)。自分の体力のなさや高所恐怖症の症状に絶望しながら、久しぶりに自分の限界を超える体験をしました(笑)。次はしっかり体力づくりしてから行こう…!と固く誓いました。
 限界を超える経験をしたのは学生も同じのようです。イヤなことは最初からやらない現代っ子の学生にとって、貴重な経験だと思います(私も含め笑)。限界を超えた経験は、今後の生活を変えます。困難な状況に直面したときに、「あのときに比べれば…!」「あのときは乗り越えられたんだ!」と踏ん張ることができるようになるのです。問題解決能力の育成に、間違いなく役に立つと思います。
 たった4日でしたが、短い間にも学生たちは目覚ましく成長しました。仲間意識の高まりはもちろんですが、なにより指導者としての自覚や責任感が、実感のこもった形で芽生え始めていたように思います。到着当初、学生たちは子どもっぽい発言や行動をしていましたが、少しきっかけを与えただけで変化を始めました。毎晩の反省会や最後の閉村式での発言を聞く限り、言葉だけではなく、実感をこめて指導者としての自覚を口にしていたように感じました。彼女たちの振るまいをみていても、明らかに初日に出会ったそれとは違っていました。学生たちの成長を間近で目にすることができたのは、収穫でした。本当に大変でしたが、大きな意義のある活動だと思います。

 みんな、よくがんばったね。

 以下の写真は休憩時に撮ったものです。


 一日目、到着時に宿舎から見える瀬戸内海


 四日目、早朝登山(水晶山)にて山頂直前の急斜面


 四日目、水晶山頂上より

 二日目・三日目は、シャッターチャンスはいくらでもありましたが、疲労困憊状態で写真どころではありませんでした…(笑)

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高大接続答申後の教職課程担当教員がおかれている状況

2015年03月05日 20時05分01秒 | 教育研究メモ

 学内研修会の予習のため、中央教育審議会答申「新しい時代にふさわしい高大接続の実現に向けた高等学校教育、大学教育、大学入学者選抜の一体的改革について」(2014年12月22日答申)を熟読していたのですが(授業でも使おうと思って)、その中に以下のような一節がありました。

 これからの高等学校教員には、課題の発見と解決に向けた主体的・協働的な学びを重視した教育を展開するとともに、生徒の多様な学習成果や活動を適切に評価することなどにより、これからの時代に必要な資質・能力を身に付けさせ、生徒一人ひとりの可能性を伸ばしていく観点から指導を行う力量が求められる。そのために、きめ細かな指導体制の充実を図るとともに、開放制の原則の中でもこうした力が付くよう、教員の資質・能力の向上に向け、教職課程を改善し、研修・採用等の方法を整備する。

 とまあ、こんな風に書いてあります。この答申は、センター試験廃止の提言ばかりがクローズアップされていますが、そもそもは大学・高校教育の質的転換(改良・改善どころではない)を目指すものです。入試を変えるだけではなく、教育課程全体を変えることが本来のねらいです。そのことを考えると、引用部分を読んで、まず「あ、そりゃそうか」と納得し、次に「こりゃいよいよ大変なことになってきたぞ」と焦ってきます。

 答申のいうような高校教育を実現しようとすれば、高校教員が大きく変わらなければなりません。そのためには、高校教員養成の教職課程も大きく変わらなければなりません。この動きは、小中学校教育の改革と連動しているので、すべての教員が変わらなければなりません。そうなれば、当然、養成に携わる教職課程担当教員も、それに合わせて大きく変わらなければなりません。われわれ教職課程教員は、課題発見・解決型の授業をできるでしょうか。これからの時代に必要な資質能力を身に付けさせるような、主体的・協働的学びを提供していけるでしょうか。多様な学習成果を適切に評価することができるでしょうか。まあ、今までもそういう教育はやってきたし、これからもやるしかないし、そもそもやりたいし、頑張ります。
 ここのところ中教審の動きは、明らかに新学制の構想と連動しています。新学制がどのような形になるかわかりませんが、6・3・3制に替わる学制に応じた資質能力を有する学校教員を養成する必要性が、急激に高まっているように感じます。ここ一連の動きは、教職課程教員に大きな課題を突き付けています。新学制が実施されて再教育的な研修が必要になった時、引き続き大学が教員研修の一端を担うならば、まずもって研修に奔走しないといけないのは教職課程教員です。また、教員採用試験が替わるならば、それも無関係ではありません。
 考えなければいけないことが多すぎるなあ! 今のうちに少しずつでも学び、考えていかなければいけませんね。

 日本には、学制改革にともなう教員再教育が何度も行われてきました。大きいものでは、明治5(1872)年の学制公布、明治40(1907)年の第四次小学校令公布(これを入れるならほかにもあるかも)、昭和23(1948)年の教育基本法・学校教育法公布の時のもの。学習指導要領改定のたびの研修もそうでしょうね。われわれはこれらの歴史から、何か学ぶべきことはないかな。

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ただいま論文執筆中(日本教育協会研究)

2015年03月04日 22時52分15秒 | Weblog

 ただいま、論文執筆中。
 日本教育協会(昭和24(1949)年結成)について研究しています。この団体は、明治以来の中央教育会の伝統を継承する団体で、今でも日本連合教育会と名前を変えて活動中です(昭和27(1952)年改称)。この研究については、以前にまとめたことがあったのですが(口頭発表業績一覧の20番)、新しく資料調査を進めたのでまとめなおしています。今のところ、以前きちんと調べきれなかった先行研究の整理が終わり、「はじめに」を書き上げました。何とかまとまりそうです。

 早く論文を終わらせて、授業を作らなきゃと思っています。

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