教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

まとまらない

2006年05月30日 21時20分42秒 | Weblog
 今日は用事があって午前10時に登校。中途半端な時間なので、運動は後回し。昼食後、東広島市体育館へいって運動。仙台の暴飲暴食で体重が増えたかと恐々としながら体重計に乗ってみると、意外に意外、仙台に行く前にの数日前から始めた運動前の体重でした。現状維持、ということにしておく(笑)。運動後、しばらく博論の構想を練る。
 16時半から後輩と『日本近代教育史事典』の読書会。今日は「教育課程」。分量が多かったので、半分だけ読んで終了。後輩が社会史の勉強をしないといけないと言うので、私も便乗して一緒に勉強することにしました。博論に集中すべきだという声もあるけど、構想が定まらないうちは、勉強あるのみだと思うので。
 読書会後、博論構想を再び練るが、まとまらない。自分で落ち着けたい路線はまとまっているのですが、なかなか周囲の理解が得られない。周囲の理解を得なくては博士論文を書くことはできないので、そのためにどうするかあれこれ考えて、結局まとまらないのです。小手先の工夫では解決にならないし、自分の路線を引き下げた結果、どこにでもあるような研究になっては意味がない。まとまらないので、別の原稿(7月〆切)に手をつけておく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

往復時間も無駄ではない。

2006年05月28日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は雨。仙台から広島に帰る日。でも、せっかくなので宮城県図書館へ行って来ました。
 なかなか時間が合わなくて在仙台一日目・二日目とも会うことができなかった、学部時代の親友Gが図書館まで連れて行ってくれるとのことで、ありがたく甘えさせてもらいました。Gは、地元が福島で、今T大学で大学院生をやっています。宮城県図書館は仙台市内から非常に遠く、Gが車で連れて行ってくれなかったら、かなり大変だったと思います。図書館は非常に綺麗で、おしゃれ。市内からの交通が不便なのを除けば、とてもいい施設でした。写真は、宮城県図書館の入口付近。写真を撮っていたら、警備員さんに「証明書をつけて」と言われたのですが、「ここだけですので」とお願いして許してもらいました。本の撮影対策かね?
 帰りの時間を考えると、図書館ではほとんど時間がとれず、『宮城県教育雑誌』を少し、ざっと目を通して一部コピーさせてもらうに止まりました。まあ、宮城県の教育雑誌は教育ジャーナリズム研究会編の目次集成があるので、あきらめもつくかな。送迎をしてくれたGも、在仙台5年目にして県図書館は初めてで、かつ施設を気に入り、興味ある本も見つけたようで、よろこんでくれました。よかった。
 Gと昼飯を食べたあと、仙台駅へ送ってもらって別れました。そして再び8時間かけて、西条までの陸路をえっちらおっちら帰る。帰りの新幹線の中でも、教育会に関する論文・概説(校長会や教員会に関するものも含む)を読む。今まで大日本教育会・帝国教育会だけで見てきた研究の視野が、地方教育会および海外の教育団体との比較によって、拡がりました。今後やるべきことがはっきりしてきました。西条-仙台間のぼうだいな時間を、有意義に使えたと思います。得られたものはそれだけではなく、今後、飛行機で行き来すべきだ、という確信も得ました(笑)。
 結局、往復16時間、次の論文・概説を読みました。

1.清水禎文「群馬県における教育会の歴史的研究-私立上野教育会成立まで」東北大学大学院教育学研究科編『研究年報』第53集第1号、2004年。
2.清水禎文「明治期の群馬県における教育会の歴史的展開」東北大学大学院教育学研究科編『研究年報』第54集第1号、2005年。
3.島根県近代教育史編さん事務局編『島根県近代教育史』第一巻通史(島根県教育委員会、1978年)の教育会議・教育会に関する部分。
4.山口県教育会編『山口県教育史』(山口県教育会、1986年)の教育会に関する部分。
5.高知県教育史編集委員会編『近代高知県教育史』(高知県教育研究所、1964年)の教育会に関する部分。
6.三重県総合教育センター編『三重県教育史』第一巻(三重県教育委員会、1980年)の教育会に関する部分。
7.大阪府教育委員会編『大阪府教育百年史』第一巻概説編(大阪府教育委員会、1973年)の教育会に関する部分。
8.梅根悟監修・世界教育史研究会編『世界教育史大系30 教員史』第二章・第三章、講談社、1976年。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

教育会研究会

2006年05月27日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は、東北大学へ。まず附属図書館へ。教育会雑誌を見せてもらおうと思っていたのですが、それらはすべて「2号館」(同じキャンパス内)というところにあるそうで、そこは土日は利用できないとのこと。あちゃ~。まあ、今日はそれが目的じゃないし、いいか。
 写真は、東北大学教育学部の棟から撮ったもの。7階か8階の窓越しに撮りました。仙台市内が展望できるってスゴイ。
 東北大学において、K先生主催の教育会の総合的研究会へ参加してきました。発表者のSさんとIさんの「村教育会」の研究、Tさんの全国連合教育会における地方教育会の役割研究の発表がありました。いずれも興味深く、新しい視点を得ることができ、非常に刺激を受けました。また、I大のT先生、MK大のK先生も参加しており、深い議論を拝聴することができました。
 研究会は13:30ごろから開始、18時すぎまで続きました。その後19時くらいから懇親会。かなり盛り上がり、楽しい時間をすごすことができました。
 今回の仙台入りは、今日の研究会が最大の目的でした。発表に懇親会に、非常に刺激を受け、教育会に関するレジュメや資料や論文の抜き刷りなど、たくさんいただきました。高い金とたくさんの時間をつかって、来た甲斐がありました!
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

暴飲暴食

2006年05月26日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は仙台へ移動の日。14時まで東広島にいました。写真は、仙台市の「青葉通」(27日に撮ったので昼間)
 今朝、登校中カーラジオを聴いていると、「旧広島高等学校は現在の広島大学附属高等学校ですが…」と言っていました。おいおい…、名前が同じだからって…。戦前の広島高等学校は、戦後新制広島大学に包括されて教養部になりました。戦前の高等学校は高等教育機関で、今の高等学校は後期中等教育機関です。両者は、教育のレベルが違います。ちなみに、昭和49年に教養部は廃止され、以後の一般教養教育は現在の広島大学総合科学部が行っていますが…ん?教養部と総合科学部って連続した関係にあるのかな? 「旧広島高等学校は現在の広島大学総合科学部です」って言えるんですかね? 詳しい人、ご教授願いますm(_ _)m
 14時に特研を失礼して、西条駅行きのバスに飛び乗る。電車のチケットを買って、福山まで在来線で移動。福山から東京、東京から仙台まで新幹線で移動。14:50ごろ西条出発のところ、22:20ごろ仙台に到着。広島空港の霧・雲・雨のため飛行機が離着陸に困難をきたしているのを今まで体験してきたので、今回は飛行機を使いませんでしたが、やっぱり陸路での仙台行きは遠かったですね(汗)。道中、いろいろ思い悩みながらも、教育会に関する研究論文・概説を3本も読めました(笑)。
 仙台到着後、むしょうに酒が呑みたくなりました。晩飯も食べてなかったので、居酒屋「萬彩」というところに入って、暴飲暴食。といっても、酒はビール中ジョッキ2杯でダウンでしたが…(弱!)。今日一日、研究の方向性について思い悩みました。でも、思い悩んだところで何も解決しません。私は、やるべきことをやるだけ。2時間ぐらい一人で暴飲暴食しておりました(昨日おとついの運動が無駄になったな…(苦笑))。

 ひたすらにめあての岸に進みなば、波あらくともついには渡れん

 己の道を信じて、ひたすらに進め

 自分の道を再確認した一日でした。まあ、暴飲暴食は無駄でもなかったかな…(笑)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全国地方教育史学会大会2日目

2006年05月21日 19時48分04秒 | 教育研究メモ
 今日は全国地方教育史学会第二日目。研究発表・シンポジウム・総会がありました。
  
 研究発表の感想は、「発表してよかった」というひと言につきます。このブログを読んでいて私の裏話をご存知の方は、おわかりいただけると思いますが、今日の発表のための研究には、ほとんど時間をとれなかったので、調べたことを発表する以上のことはできませんでした。そのため、せっかくの質問にも、ほとんど「今後の課題にさせていただきます」というお茶を濁すような答えしかできませんでした。質問してくださった、O会員、SY会員、SN会員、K会員、U会員には、感謝するとともに、申し訳なく思います。後々、お答えできるように地道にがんばっていきます。
 今日の研究発表の時間は、自分にとって非常によかった点がありました。それは、質疑応答の場面でのことですが、本発表が仮説していた「教育会共同体(仮称)」の具体的内容について、SN会員から質問をいただきました。これを最初に聞かれたときは、実証ができてない部分がほとんどなので(というよりまだ研究開始のスタートにも立っていない)、言うのを止(よ)していました。ちなみに、これは5月19日の記事で全カットした部分でした。しかし、この内容は自分ではおもしろいと思っていたし、この機会を逃したら、もう意見を聞く機会はしばらくないなと思ったので、仮説めいた具体像を思い切って提示してみました。そして、その具体像に対して、うれしいことにK会員が反応してくださり、話が拡がり、問題点や課題も見えてきたのです。「教育会共同体(仮)」の研究は、今の私の研究の本筋(教育会における研究活動)とは少しズレたテーマなので、すぐに対応することはできないのですが、ものすごくうれしかったです。地道に史料調査を行いながら、今後、研究していこうと思います。ともかく、「今回研究して見えてきた仮説を、ためしに先学にぶつけて意見を聞いてみよう!」と、思いきって口に出し、ホントによかったと思います。
 ただ、今日の研究発表は、私の本筋の研究テーマとは少しズレた発表だったので、私のことを何かと気に掛けてくださっている皆様には、ちょっと混乱を与えたかもしれません。そこは申し訳なく思っています。私は、教育会の歴史的意義の研究をしているという意味では、自分の中でまったくブレはないのですがね。
  
 シンポジウムは「附属学校の史的意義」というテーマでした。報告者3人の報告は、明快的確な提言を含み、よかったです。とくに附属学校の教育研究に関する話は、私の主要研究テーマと直接関わっているので、興味深く聞きました。教育会と師範学校附属学校の関係は密接なので、研究を深めるためにも附属学校の教育研究はまとめないといけないなと思っていたので、今回の報告はそのとっかかりになりそうです。ちなみに、最後の方で少し盛り上がった、附属学校の教育研究における役割については、もう少し深められたらいいのになあと思って聞いていました。K会員が展開しようとしていた、附属学校における教育研究の歴史的研究方法に関する話は、私がやろうとしている教育会における研究活動を研究する視点・方法と重なっていて、「そうそう!その視点が必要なんだ!」と共感して聞いていました。私のやろうとしている研究の目的・方法を、いつか学界に諮ることができるといいんですがね。
  
 総会・学会片づけも無事終わり、開催校のスタッフ三人と手伝ってくださったTさんとで、しばらく放心状態で他愛もない話をしました。なお、今日の私は、自分の発表とシンポジウム参加に夢中になっていて、片づけはともかく、学会中はほとんど手伝えませんでした(^_^;)。気が利かなくてすみませんm(_ _)m。
 我々スタッフは、18時半ごろ解散になりました。
 私が言うのは何ですが(笑)、昨日今日と全国地方教育史学会に来られた方々、来てくださってありがとうございました! 何か得るものがあったなら、開催校のスタッフにとって、これに勝る幸いはございません。このブログを見てくださっている方も何人かおられるようなので、こんなところですが、感謝の意を呈したいと思います。
  
 はぁ~…詰まりに詰まっていた予定が、ようやく消化できました~
 4月末ごろから今日まで、PD申請と学会発表の準備に追い回され、そして周りを振り回し、プライベートではろくなことはなく、忙しい毎日でした。なんだか達成感があります。
 めずらしく、今日はお酒が飲みたいなぁ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

全国地方教育史学会史料見学会

2006年05月20日 23時33分51秒 | Weblog
 今日は全国地方教育史学会第29回大会第一日目。会場は広島大学なので、今日の私は学会スタッフです。学会準備は午前10時ごろからKさんを中心にして始まり、私は会場までの張り紙をしたりしました。学会準備の一番の感想は、実は、昨年大学院を退学されて以来ほとんど話ができなかったS先輩と、一緒に作業をしながらたくさん話せたのが、何よりうれしかったです。
 
 同学会大会の二日間の日程は、いつも第一日目は史料見学会、第二日目は個人研究発表・シンポジウム・総会です。今日は第一日目なので、史料見学会です。今回の史料見学会の会場は、広島大学中央図書館と広島大学文書館でした。広島大学は広島市内から遠く離れ、各施設が点在しているため、あれこれ見学しようとすると一苦労です。そのため、主催校代表のKさんは広島大学内ですべてを済ますことができるように、計画を立て、見学の便宜をはかったそうです。私ももちろん主催校のスタッフですが、Kさんの基本的に言われるがまま動いていただけ…といっても、準備段階(つまりここ最近)では自分のことで手一杯だったので、ずいぶんKさんにはご迷惑をおかけしました。ホント申し訳ないm(_ _)m。
 史料見学会は、中央図書館の貴重資料室・和装資料室・特別資料室、および文書館の各文庫・書庫を見て回りました。私は普段、両方とも利用者の立場にあり、基本的なことしかわからないものですから、見学に来られた先生方から質問されると困ってしまいました。不勉強で申しわけありませんでした。
 18時から懇親会。久しぶりにお会いする先生、顔は知っていてもお話しをしたことはなかった先生など、たくさんの先生方とお話しする機会を得ました。そして、たくさんの先生方に励まされ、うれしくなってしまいました。最近はあまり気にしてはいなかったのですが、私は今レフェリー論文がとれないという実質的な問題にぶつかっています。正直言えば、この研究テーマでいいのだろうか、と悩んだ時期もありました。ですが、今日先生方から励まされていくなかで、私の研究テーマである教育会研究は、私の研究の独自性であり、アイデンティティであり、かつ学会で需要のある研究テーマなんだと確信しました。今日の懇親会は、今後研究をやっていく元気をもらう機会になりました!
 みなさんの応援に応えられるよう、今後とも精進していきたいと思います。
 明日は研究発表。そしてシンポジウムが楽しみ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

kohun

2006年05月14日 19時42分11秒 | 教育研究メモ
 今日は、午後に三味線の練習がありました。
 午前中、最近ではめずらしく9時前に目が覚めたので、佐藤秀夫『教育の歴史』(放送大学教育振興会、2000年)を読んでいました。以前読んだ石川松太郎氏のものと比べると、幕末以降の欧米諸国の外圧とそれに対する対策に焦点を当てて近代日本教育史の通史を描いている点が独自な点だと思います。それと、佐藤氏の真骨頂である教育勅語・鉛筆・制服などの教育文化史の記述も、従来の通史とは違う点でしょう。まだ最初の3章しか読んでませんが、ちょっと感想を。最初の3章は、政治的な動向が描かれているのですが、全体的に「保守勢力 対 革新勢力」(政府対民衆ではないと思います)という構図が目につきました。したがって、戦後55年体制の構図を思い浮かべるのですが、強力な「保守勢力」が政治の主導権を握る現在、「保守勢力」の中での派閥が政治の鍵になっている現在、この歴史観はちょっと違うのかなあと思ってしまいました。とはいえ、だからこそ戦後50年の集大成とも言えるのかも、なんて思います。広大な歴史観に、いろいろ目を開かせてもらえる通史書です。おすすめ。まだ読み終わってないけど(苦笑)。
 昼が近づくにつれて天気がますます好くなってきたので、突然外で昼飯を食べようと思い立ちました。で、近所の「三ッ城(みつしろ)古墳」に行ってきました。写真はその三ッ城古墳(前方後円墳)です。今日は黄砂が多いみたいで日照はよくありませんが、上着がいらないくらいあたたかくて和みました。左側に見えるうす赤い屋根の建物群は、三ッ城小学校です。ちなみに写真の右側には、すぐ隣に東広島市立図書館があります。教育的(?)に非常に立地条件のよいところですね。
 30分くらいボーっと食事をしたあと、三味線の練習へ。少し時間変更はありましたが、相方Tさんと3時間くらい練習しました。しかし、もっと痩せないと正座がきつい(笑)。
 17時すぎ、登校。PD申請用研究計画書の修正。現在の路線だと、出来はよろしいのではないかと。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

趣味的な学会発表レジュメ

2006年05月10日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は雨。家の周りではカエルが鳴いています。
 今日は早く起きられたのに、つい二度寝をしてしまいました。二度寝の仕方が悪かったらしく、その後はなかなか起きられませんでした。そこに、前指導教員のS先生からPD申請のことで電話がかかってきたため、ようやく起きることに成功。S先生とはそのほか博士論文の進行状況についても話をしました。
 昼過ぎに登校。今日は全国地方教育史学会大会の発表レジュメの作成に没頭しました。題目は「明治期における教育会の情報交換」。2年前にやったように、白地図を使って図式的にレジュメを作っていきました。私は、学会発表レジュメ作成の際、よくワープロソフトや画像ソフトを駆使して写真や図表をつかいます。これは、自分でも作っていて楽しいし、うまく利用すれば発表内容の理解も容易になるし、何より発表を聞いている聴衆に少しでも興味を持ってもらおうと思ってやっていること。昨日、I先生が私の論文の書き方について「論文は文学作品じゃないんだから云々」と指摘されたのが利いたのか、この私独特の発表レジュメの作り方について「なんだか私の学会発表って、趣味的だよな~…」と思ってしまいました。うぅ…
 ちなみに、私が学会発表等で使っている写真は、著作権保護が完了(団体による出版物の刊行50年経過)しているものを使っています。図表は基本的に自分で作っています。白地図は、青木繁伸さんが作ったMap of Japan Ver. 1.3(著作権フリーのようです)を使って作った色分け地図を、自分の画像ソフトで加工して作ってます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

興味深い研究目的へ

2006年05月03日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 今日はサーバが見つからなかったので、記事を書けませんでした。
 写真は近所の他人ちのハナミズキです。
  
 今日はいい天気だったので布団カバーを干して、午前中は読書。斎藤孝『質問力』を読んでおりました。本質的かつ具体的な内容で自分が聞きたくて相手の文脈に合った質問ができれば、質問した人や答える人にとっても、聞いている人にとっても意義ある対話ができる、というのが本書の言いたいことだと思います。当たり前といえば当たり前なのですが、具体的に事例を示しながら説明してくれているため、よくわかりました。研究会における質問についてはもちろんですが、自分も伝えたくて読む人にとっても読みたくなるという意味では論文の書き方も同じかなと、思いました。ということで、いろいろ反省し、これからどうしたらいいかということを脳内でシミュレーションしていました。
 午後から登校。昨日の続きで、研究目的を書き直しました。博士論文の題名は「大日本教育会および帝国教育会における教育研究活動の展開」ですが、これは第一次審査を通っているので今さら変更は利きません。昨日は大日本教育会・帝国教育会の研究です、といって研究目的を書いていたのですが、これでは興味を持つ人は少数でしょう。では、もっと興味を持ってもらうためにはどうすればいいか。やっぱり、「研究活動」をクローズアップする方が、たくさんの人に興味を持ってもらえると思います。教育学者にとっても教員にとっても、「教育の研究とは何か」と考えることは大事だからです。ですので、「日本において、教育の研究とは何か」ということから書き始めました。この書き始めは以前書いたことはあったのですが、どうも研究内容とリンクしなかったので、問題ありでした。ただ、先日から先行研究の整理をし、大日本教育会・帝国教育会研究の問題点を把握して、やっぱり研究活動に注目しなくてはならないことを確信していたものですから、以前よりもはるかに論理もすーっと流れました。と、思います(笑)。
 斎藤孝『質問力』を読んだおかげで、研究目的が書けました。ありがとう
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする