教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

卒論執筆に取り組んで最低限身に付けてほしいこと

2024年08月27日 18時32分30秒 | 教育研究メモ
 日本では、そろそろ就職・採用試験の結果が出始めるころだと思います。大学によって有無や時期は異なりますが、多くの大学4年生はこれから卒業論文の仕上げにかかります。就職する人は卒業するために、大学院進学を希望する人は進学後の研究準備のために、それぞれ仕上げていきます。これまでのレポートとは違った分量の論文を初めてまとめるために、投げ出しそうになると思いますが、頑張ってください。
 卒業論文の執筆は、「学術の中心として、広く知識を授けるとともに、深く専門の学芸を教授研究し、知的、道徳的及び応用的能力を展開させること」という大学の目的(学校教育法第83条)を達成するための重要な学修活動です。卒業論文は、深く専門の学芸を研究する活動の総仕上げであり、これを通して知的・道徳的・応用的能力を展開させることを目指します。なんとなく取り組むのではなく、この目的を達成することを目指して取り組んでくださいね。

 卒業論文に取り組む中で、最低限、身に付けてほしい知的・応用的能力が一つあります。それは、課題設定の能力です。例えば教育史研究の卒業論文であれば、教育史研究で解決できる課題を設定する能力になります。教育史研究では、教育史研究で解決できる課題とそうでない課題を区別し、教育史研究で解決できる課題を選択・設定します。学術研究は課題解決の力を育てますが、課題解決はまず課題設定から始まります。課題解決は、適切な課題を設定できるようになって、はじめて取り組むことが可能になります。解決できない課題を設定して研究の意味を主張しても、それは妄想にすぎません。その状態で無理やり研究を始めても、結論(解決案)を出すことはできません。課題に合った研究方法を設定する、または研究方法に合った課題を設定してください。
 課題設定の能力は、適切な課題を設定するために試行錯誤する中で身に付いていきます。ちゃんと指導を受けながら卒論を取り組めば、自然に身に付きます。ちゃんと卒論に取り組んだ人とそうでない人を分けるのは、このような適切な課題設定能力ではないかと私は思います。これはいかなる課題解決にも必要な力ですから、研究者になるだけでなく、よい社会人になるために必要な力です。適切な課題設定能力が身に付けば、大学卒業後に出会う、様々な課題に適切に取り組むことができるでしょう。

 適切に課題を設定するにはどうすればよいでしょうか。例えば、教育史研究の卒業論文であれば、歴史的に優れた思想・実践を研究して今に応用すれば今の子どもがよくなるとか、教育実践が変わるとかいうように、直接的な実践的課題を設定することは残念ながらできません。歴史的な思想・実践を応用することは、歴史研究だけでは不可能であり、その思想・実践を適用する応用的な実践研究が必要になります。歴史研究と応用研究を混同すると、適切な課題を設定することができず、歴史研究としても応用研究としても不適切なものになるでしょう。歴史研究で解決できる課題とそうでない課題を区別せずに、自分の課題意識だけで研究を始めると、歴史研究でなくてもよい駄文が出来上がったり、根拠や有効性のない解決案(結論)を主張してしまったりします。そんな論文を私は卒業論文と呼びたくありません。
 歴史研究の成果をそのまま応用することには慎重であるべきです。たとえ数十年前の思想・実践であっても、それはその時代・国・地域・学校・教室の出来事であって、今を生きる私たちの思想や実践と同一視することはできません。過去を生きた人々は、共通点をもつにしても、根本的に今の自分とは異なる存在であることを忘れてはいけません。安易に今の自分と過去とを同一視すると、研究は自分勝手な自己満足で終わったり、過去の冒涜になったりするおそれがあります。
 もちろん、歴史研究に研究者や現在の課題意識をもちこまないことはできません。しかし、自分の課題意識と歴史的課題をそれぞれ区別し、歴史的事実をその時代の課題の中で正確に分析・評価することが必要です。教育史研究には教育史研究なりの「役に立ち方」があります。歴史的課題には、現在まで形を変えながら続く課題と、その時代で終始した課題とがあり、どちらも「役に立つ」のです。現在まで続く現代的課題に取り組むときも、過去の課題と現在の課題の違い(目的・内容や条件などの違い)に注意する必要があります。その時代で終始する純粋な歴史的課題であっても、研究を積み重ねていけば、現在まで続く現代的課題につながったり、現在と異なる「他者」となって比較考察を可能にする貴重な資料になったりします。
 だから、あわてず、現在を生きる自分の課題意識だけで突っ走らず、自分の課題意識を見つめ直し、教育史研究でなければ解決できない歴史的課題を設定してください。

 なお、歴史研究は、自分の課題意識を歴史研究でなければ解決できない歴史的課題と関連づけなければ、続けることはできません。自分の課題意識を歴史的課題に関連付けていく努力が必要です。
 そのために、自分の課題意識を見つめ直し、先行研究や資料を読みながら鍛え直して、歴史研究でなければ解決できない歴史的課題との関連性を探っていきます。教育史研究でなければ解決できない歴史的課題が何なのかについては、自分で考えているだけでは、わかるはずもありません。歴史的課題は先行研究や資料の中に書かれてあります。課題設定と先行研究の調査整理、資料の調査分析を相互に関連しながら進め、循環させていくことは、研究では普通のことです。
 自分の課題意識がどこにあるのかある程度考えてみたら、先行研究や資料を読んでください。先行研究や資料を読みながら、また自分の課題意識を見つめ直し、鍛え直しましょう。この循環を繰り返したどることで、課題設定の質は高まり、その能力も身に付いていきます。卒論に取り組む4年生の場合、今からだと時間に限りがありますが、課題設定に不備がないか、先行研究や資料を読むことが不足していないかよく見直して、今できること・やるべきことをやりましょう。
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他者に出会う公共の場としての学校

2024年08月17日 11時56分10秒 | 教育研究メモ
 学校とは、他者に出会う公共の場である。
 同質性にまみれた親密な家族・家庭から出た子どもや、同質性を求められる社会や職場から離れた学習者が、新たな出会いを求めて集う場である。
 学校では、異なる個性やアイデンティティをもつ他者(同級生・教職員)と出会い、未知の知識や活動(「他者」)に出会い、人々は様々な刺激を受ける。その結果、人々は視野や世界観を広げ、知識や教養、考察を深め、道徳性を身に付けることができる。
 「他者」と出会い、視野を広げ、教養を深め、道徳性を身に付けることは、学校でなくても可能であるが、その場合は無意図的で無計画な中で偶然起こるに過ぎない。教育とはそれを意図的・計画的に行うことであり、学校はそのような教育を行うために特別に設けられた仕組みである。

 したがって、学校教育は同質性以上に異質性を重視する必要がある。
 しかし、それでは学校が無秩序になり、荒れるではないかという意見がある。しかり。荒れるに任せることが学校の方法ではない。学校は異質な他者同士が出会うことで生じる衝突や葛藤を脱して調和・安定に導く必要がある。目指すべき調和・安定の状態は、衝突・葛藤を隠蔽したり、回避したりすることで得られる欺瞞的・固定的な状態ではなく、衝突・葛藤を経て自ら調和・安定を常に探ろうとすることで得られる倫理的・流動的な状態である。教職員の役割は倫理的・流動的で調和・安定を目指す他者との出会いをつくり、導いていくことである。
 異質な他者を出会わせてうまく教育するには、安全・安心を保障する養護・福祉の仕組みを前提とする必要がある。他者との出会いは常に危険・不安と隣り合わせである。安全・安心を保障する仕組みがなければ、他者と出会おうとする意欲を損なうことになりかねない。学校は、安全を保障し安心して他者と出会える場である必要がある。教職員の役割は、安全・安心を前提とした教育を行うことである。

 さらに、異質性を重視する学校教育では、国民・市民を育成できないではないのかという懸念もある。これは、国民・市民とはどのような存在か、という議論が必要である。国民・市民とは、特定の国家や社会を構成するメンバーとして最低限必要な知識や道徳性等を身に付けた、一定の同質性を有する存在である。問題は、この国民・市民としての同質性はどのように身に付けられるかにある。異質性を重視する学校教育は、学習者に最初から同質であることを求めるのではなく、異質でありながらつながっていくことを求める。国民・市民としての同質性はその結果として生じる。国民・市民育成という目的は、段階的に達成されるものである。
 人間の本質は互いに異質なところにあり、学校教育を通しても依然異質な個性的存在(個人)であり続ける。個人が出会う公共の場(社会)では異質な他者として出会うが、他者の出会いは様々な結果を生み出す。学校は、他者の出会いを価値あるものにするための仕組みである。学校で価値あるものとは成長・発達である。成長・発達につながる出会いを意図的に作り出すには、まず、他者がそれぞれ異質な他者として有能になっていくことが必要である。学校教育において個性を伸ばす意義はここにある。
 しかし、孤立した状態で異質な他者として有能になるだけでは、成長の刺激もない。人間は異質でありながらも、一定の知識や態度を共有し、倫理的に調和・安定を目指して協調・努力し続け、刺激し合うことができる。そこには、出会い、刺激を受けて成長し合おうとする意志・意図が必要であり、安全に安心して効果的な出会い・成長を作り出す計画が必要である。学校や教職員は、学習者を孤立させるのではなく、他者として有意義に出会わせるための仕組みである。

 学校は他者と出会う公共の場として整備される必要がある。他者として有能になり、互いに成長し合える仕組みをつくる必要がある。学校は、本質的に異質な個人たちが有意義に出会い、倫理的に調和し協働し合う国民・市民として成長する場となる。同質であることを強制して異質を否定することではその事業は実現しない。異質を前提に、個性を伸ばして、うまく折り合いをつけていくことで、国民・市民は育成できる。
 学校教育が異質を前提とするならば、心身の障害の度合いや出自・国籍の違いは根本的な問題ではなくなる。いじめは異質を排除して同質の集団をつくろうとするところに発生するから、いじめへの向き合い方も明瞭になる。教職員は学校・学級生活の中で一人の他者として学習者と出会い、安全で安心な出会いを整えながら、教育活動全体を通して異質な知識・技能・考え方等と出会わせる必要があり、教科指導・生徒指導を両立すべき理由がはっきりしてくる。学校のスタッフは他者として出会うことが重要だから、学校を教員だけで組織する必要もない。個性を伸ばすための個別最適な学びが協同・協働的な学びと接続されるべき理由や、学力形成と生活・生徒指導、道徳教育を総合すべき理由、個性教育とインクルーシブ教育、国民教育と市民(シティズンシップ)教育を接合すべき理由もはっきりする。

 今を生きる我々は、議論すべき多種多様な学校教育問題に取り囲まれている。我々は議論の整理と問題解決のために、学校観を更新する必要がある。
 1947年以来、教育基本法に基づく日本の公教育制度は、戦前から引き続き、「国民」に囲われ、「能力」に制限されて続けている。1960・70年代には、公教育の福祉的意義に注目が集まり、家族間の格差や進路、もっている障害、出自、国籍の違いに向き合って、これらの違いを取り込んで制度化することが課題となった。今では、格差が拡大し、グローバル化が進み、障害への関心が高まり、他者の異質性はどんどん明瞭になってきている。今我々が直面している教育問題は、個々では法的・政策的・実践的な問題であるが、学校観・教育観の問題を通底して抱えている。
 学校観・教育観の問題は教育哲学と教育史の問題である。十分な哲学的考察は的確な歴史認識・解釈の下で行われる。現在の問題は近代的問題だが、日本では20世紀を通して大きく変動してきた。今こそ20世紀以来の日本教育史を歴史的に総括することが必要であろう。

 キーワード:他者との出会い、異質性/同質性、公共の場(公教育)として意図的・計画的に制度化された学校

※小玉重夫「戦後教育における教師の権力性批判の系譜」(森田尚人・森田伸子・今井康雄編『教育と政治―戦後教育史を読みなおす』勁草書房、2003年、94~112頁)を読んでいて、1980・90年代のプロ教師の会の教師の権力性批判とその居直り的言説を思い出しながら考察したことをまとめていたら、こんな文章になりました。



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学校文書における教育会関係資料の重要性、ひるがえって学校文書保存のこと

2024年08月09日 19時39分00秒 | 教育研究メモ
 

 8月5日から7日にかけて、所属する科研費グループ(教育会史)の一部メンバーで長野県飯山市内の小学校の調査と信濃教育会の信濃教育博物館に行ってきました。小学校調査の方は、今年度または来年度に統合・廃校予定の3つの小学校の文書保存を目的とした調査です。写真はそのうちの1校の校舎からとった写真です。見事な田園風景でした。
 小学校では目録作成をするために文書名の表記された面をひたすら撮影していくという作業を行いました。文書は倉庫の奥にあって埃っぽく、学校によってはエアコンもない、または電気もないという環境でしたので、埃対策と熱中症対策を万全にしていきました。なかなかの肉体労働でしたが、貴重な資料がたくさんありましたし、資料を残そうと思ってくださった管理職や関係者の期待に応えるべく、メンバーみんなで頑張りました。

 なぜ教育会史研究なのに学校文書を調査しているかというと、学校文書には教育会に関する資料が入っていることが多いからです。特に長野県の学校には、戦後も教育会が存続したことが原因となって、よく残っています。学校文書にある教育会関係資料は当該学校文書全体の一部なので、教育会関係資料だけをピックアップしても十分な研究をすることができません。そのため、教育会史研究としても学校文書全体を保存する必要があります。教育会関係資料だけ見ても、その資料の背景が理解できませんから。
 今回の調査で改めて学校文書の重要性を考えました。学校文書は、当該学校史・地域史の基礎資料になるから重要なのは当然ですが、教育会史研究においても重要です。教育会員の多くは学校教員であり、教育会の活動は学校運営や授業方法などの学校教員の職務に深くかかわるので、学校文書の中に教育会資料が含まれることになります。教育会資料が学校文書に含まれるということは、逆に言えば、教育会が学校運営上重要な位置を占めていた証拠にもなります。
 学校文書に残る教育会関係資料のほとんどは、郡市教育会レベルの資料です。郡市教育会は教育現場に近い活動をしていたので、教育会史研究でも極めて重要な対象です。これまでの教育会史研究の主要史料は中央・都道府県教育会の機関誌でしたが、学校文書に含まれる教育会資料は、機関誌に掲載されない様々な情報や動向を把握することを可能にします。
 
 以上のように、学校文書に残る教育会関係資料は、郡市教育会の実態に迫る資料として、これまでの教育会史研究を乗り越える可能性があります。近年、少子化・人口減少のために統合・廃校が増えています。学校文書が処分・紛失・散逸する場合、統合・廃校時が最も注意すべきタイミングになります。長野県を除いて、全国の教育会は1940年代後半にほとんど解散してしまいました。すなわち教育会が現存しない地域が大半です。これは資料保存にきわめて不利です。保存するかしないかを判断する主体が、その教育会の関係者ではないからです。教育会関係資料はその学校の直接的な資料ではないので、資料保存の判断時に処分の判断が下される可能性が高くなります。
 都道府県教育会の資料は都道府県教育会館や都道府県立図書館などに保存されていることがあるのですが、郡市教育会の資料は保存されにくい傾向にあります。学校文書ともども保存の方法を考えていかなければなりません。学校文書については、京都市学校歴史博物館のように専門の博物館が設けられる事例もありますが、そういう事例は少数です。学校の統合・廃校が今後も増えていくであろう今だからこそ、学校文書の保存方法はもっと真剣に考えなければなりません。
 日本の学校は地域が設立・維持に深くかかわっているだけに、学校文書は地域の歴史を語る貴重な資料でもあります。自治体消滅もありうる今、地域の資料自体も貴重です。資料がなくなればその地域の歴史を語ることができなくなります。歴史を語ることができなくなるということは、その地域に生きた人々が忘れ去られてしまうということです。地域資料の散逸を防ぐためにも、学校文書の保存方法を考える必要があります。

 今回は、研究仲間からの情報提供で長野県にはるばる足を延ばしましたが、私自身、広島県周辺のことをもっとよく考えないといけないと痛感しました。今の私は、教育会関係資料はもちろん、そもそも地域の教育史資料が紛失・散逸しないようにすべき立場にいます。これからの仕事の仕方を考える機会になりました。



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