教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

PC上の和楽器音源による作曲環境について覚え書き

2013年12月08日 12時12分54秒 | 純邦楽

 博論修正は、何とか見通しが立ってきました。(弥縫策的ですが…)

 気分転換に、PC上の和楽器音源による作曲環境について覚え書き。
 以前の記事に対する反応が時々あります。自分もとても苦労したため、いい加減な情報のままだと苦労する人が出そうなので…

(現状)
 ・Finale2012、Garritan World Instruments、Quantum Leap RA PLAY Edition を入手。
 ・OSはWindows7(32bit版)。
 ・QL RA のインストールにめちゃくちゃ苦労した。
 ・iLOK必須。
 ・手間はかかるが、Finaleで、Garritanはもちろん、QL RAも音源として使うことができる。
 ・読み込みまでがとても重いが、工夫次第で何とかなりそう。
 ・Sibelius7でも、GarritanもQL RAも音源として使うことができる。(無料お試し版で確認)
 ・MusicScoreで作ったデータは、MIDIデータにすると移行可能になった。
 ・GarritanもQL RAも、かなり高い高音やかなり低い低音のデータが存在しないので、出ない。 (困る)

(今後の課題)
 ・QL RA のplayer上の使い方。
 ・Human Playbackの使い方。
 ・かなり高い高音やかなり低い低音を何とか出せないだろうか…
  ほか、使っていけばたくさん出てきそう。 

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和楽器のデジタル音源

2013年09月23日 12時39分20秒 | 純邦楽

 久しぶりに邦楽作曲関連。いつか何とかしたいので、忘れないようメモ。

 今は忙しくてまったく手を付けていませんが、2006~7年くらいまで純邦楽の作曲をしていました。主にPCでMIDI音源鳴らしながらやっていました。ふと思い出して昔の音源を聴いていたところ、和楽器の音源を調べたくなり。

 で、調べ始めて知らないことだらけ。頭をひねりながら、たどり着いたのがこの2つ。

 ① GARRITAN WORLD INSTRUMENTS http://www.crypton.co.jp/mp/do/prod?id=31031

 ② Quantum Leap RA PLAY Edition http://www.h-resolution.com/EastWest/RA.html

 ①は、様々な和楽器を安価に鳴らせるところがいいなあ。箏はまあまあ良いのですが、尺八・三絃の音がいまいち。作曲しながら鳴らすには、ノーテーションソフト(楽譜作成ソフト)を関連会社のFinaleにすればいいのか…? http://www.finalemusic.jp/products/finale/

 ②は、和楽器の様々な奏法をカバーしているのがいい。尺八・三絃の音が①より生に近くてよい。奏法も様々に使える。楽器は①ほど多くないみたいだが、現代邦楽に不可欠な箏・尺八・三絃をカバーしているので十分かもしれない。値段が①より高いが、この音色なら納得かも。Finaleでなら鳴らせるかなぁ? 鳴らせるなら大枚をはたいてでも買いたい。
 なお、デモ(無料)を聴いて驚愕しました。今は、PC・シンセサイザーでも、ここまで和楽器の音を再現できるのか…すごすぎる。②のリンク先の真ん中のほうにあるデモの4曲目、「Dreaming In Chinese」を聴いてみてほしい。題名はChineseですが、尺八・三絃・箏・打楽器の純邦楽的楽曲になっています。1曲目の「Expedition」の開始40秒後くらいから70秒くらいまでも和楽器がしっかり使われています。使いこなすのは大変でしょうが、やりがいはありそうですね…

 昔作った曲を鳴らしてみたい、新たに作曲したい、という気持ちがむくむくと大きくなって来ました。良い道具に出会うと、やる気は出るものですねぇ。上の音源2つには、昔作曲に使っていたソフト(MusicScore、理由は安かったので)は対応していない様子? となると、昔の楽譜データを鳴らすのも一苦労なのが無念。
 あと、音源・ノーテーションソフトともに高すぎぃ。もともと高いもんなので、知ってたけど…

 と、ここまで思って、現実に戻ってがっくり。今はどう考えても作曲を再開するのは無理だよなぁ。(T_T)

 今はどうにもならないが、ともかく和楽器のデジタル音源に感動してしまったので記録メモ。
 さ、博論直しに研究室へいこう。 

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今後の純邦楽について―作曲法と曲の聴き継ぎ

2011年05月15日 13時22分34秒 | 純邦楽

 邦楽器(和楽器)を中心に用いた音楽=(純)邦楽。箏・三絃・尺八・笛・琵琶・和太鼓… さまざまな邦楽器がありますが、これらをつかった邦楽は、日本人の心と生活(自然に対する感情を含む)を表現するために不可欠な音楽だと思います。ただ、現在、邦楽はギリギリのところで生き残ってはいるものの、邦楽界の閉塞感は否めないところでしょう。この閉塞感を払拭するには、どのような方法が必要なのでしょうか。

 私自身は、多くのよい新曲が発表されるとともに、既に発表されてきた名曲(古曲だけでなく、近代以降発表されてきた曲も含む)が聴き・演奏され継がれることが必要だと思っています。今でも、おそらく100を超える新曲が毎年どこかで発表され、多くの名曲が聴き継がれ・演奏されています。しかし、新曲の発表数はまだまだ少ない。本当の名曲は、多くの曲が発表され、淘汰されていく中で生まれます。もっと多くの曲が発表される必要があると思います。

 多くの曲を発表する方法は、より使いやすい楽器に適した作曲法を抜きにして考えることはできません。明治以来、とくに戦後日本において、邦楽界が突き詰めてきた作曲法は、基本的に西洋において生まれ育てられてきた五線譜等による作曲法でした。演奏時に縦譜・文化譜(横譜)といわれる独自の楽譜形式も使われていますが、邦楽の作曲法の基礎理論はやはり五線譜による作曲法です。しかし、邦楽器独特の個性や演奏法を表現しようとすると、五線譜では非常に困難です。無意識・意識的にそういう独特の個性を表現することを避けてしまう結果、邦楽器でなくてもかまわないような薄っぺらい音楽を作曲してしまうことになりかねません。邦楽器独特の個性を五線譜に表す表現法は、これまでも様々に開発されてきました。今後、邦楽器による作曲は、五線譜による邦楽器独自の個性を表現する作曲法を追い求めていくべきか、独自の作曲法を追い求めていくべきか。その答えを出すのは難しいところです。

 私は、五線譜の作曲法をさらに邦楽器に合った形で洗練していくことが大事だと思っています。明治以来100年以上も追い求めてきた五線譜による作曲法ですから、今更すべてを否定してもよいものはできないと思われます。また、音楽は人々の心や生活を表現するものです。今の日本人の心や生活は、邦楽器だけで表現できなくなっていることも確かでしょう。今後は、現在多くの人々が行っているように、さまざまな楽器とコラボレーションしてよい音楽を生み出していくことが必要なのではないでしょうか。そのためには、様々な楽器と共有できる五線譜による作曲法が不可欠です。

 ただ、先述の通り、邦楽器でなくてもかまわないような音楽を作っても意味がありません(私自身の自戒も含めてですが、実際にそういう曲が多いこと…)。そのあたりを乗り越えるには、作曲家がどの程度まで邦楽・邦楽器のことを理解できるかにかかってきます。いかにすれば邦楽・邦楽器について理解できるのでしょうか。理解するには、多くの名曲を演奏または聴き続けることしかありません。教育制度、教員養成、マスメディア等々、変わるべき分野は多いですが、今邦楽に関わっている人々ができることはなんでしょうか。それは、新曲や既存の名曲を、聴き継ぎ、演奏していくことだと思います。

 以上のように、邦楽界の閉塞感を払拭するには、作曲法のさらなる洗練と、新曲や既存の名曲の発表機会を確保することが必要だと思っています。そのためには、作曲家・演奏家の日々の努力と成長、演奏会の普及、そしてCD製作企業やマスメディアの協力が必要です。たとえば、既存の名曲の資料集として、邦楽CDは重要です。とくに、かつて出版された名演奏家が作ってきたレコードの復刻を是非実現してほしいと思います。私が知る限り、ビクターエンタテインメントはよくがんばっている様子ですが(『箏―沢井忠夫作品集』全5巻、『山本邦山作品集成』全8巻、『響―和楽器による現代日本の音楽』、『復刻・現代の箏曲ベスト30』などの復刻を近年実行している)、かつて邦楽レコードの出版をしていた企業には、日本の現代芸術をさらに洗練させるためにも、もっともっとがんばってもらいたいところです。

 なお、特定の企業名を挙げて批判するのは申し訳ないのですが、NHKには一言もの申したいことがあります。NHKは、数十年前から「現代の日本音楽」や「邦楽のひととき」などの番組で大量の邦楽曲を放送しているにもかかわらず、その成果のほとんどを死蔵しております(たまにほんの数曲をアーカイブス放送しているようですが…)。京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センターは、長廣比登志氏の調査をもとに「現代邦楽放送年表」なるものを作り、1964年~1972年のNHK番組「現代の日本音楽」で放送された作品をデータベース化しているのですが、これを見るとNHKの「死蔵ぶり」がよくわかります。NHKは、これだけの曲を委嘱・発表させてきたのですから(これは「偉業」といっても良いと思うのですが…)、国民に対して再発表していく方法を模索して欲しいものです。埼玉のNHKアーカイブス(施設)で公開しているのも、ほんの一部にすぎないようです。著作権の手続きや、邦楽CDは売れないなど、いろいろ難しいこともあるでしょうが、ぜひともがんばってほしいです。高額になってもいいから、せめて、学術資料として発行してもらえないでしょうか。


 ちょっとだけメモがてら書こうと思っていたら、こんなになってしまいました。最近はまったく作曲してない(できない)ので、いいっぱなしで居心地悪いですが、今思っていることはこんなところです。

 先週から激務が続きます。さらに、来週からはしばらく休みがとれない… 落ち着いたらマジで有休もらおう。それまでがんばる!

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広島大学邦楽部(後輩たち)の演奏を見つけた

2011年04月30日 03時03分37秒 | 純邦楽

 なんだか眠れず、思い立ってぼんやりと邦楽動画を見ていたところ、どこかで見たことのあるステージが。
 (最初の10秒くらい映像が乱れていますが、演奏部分の映像はしっかりしてます。顔がバッチリ映っていますが、各自脳内で目線を入れてやってください笑)

湖北物語 邦楽部定期演奏会  筝、三弦、尺八による合奏

 ん…?これは東広島のアザレアホールでは… どっかで見たことのある三絃だなぁ。見たことのあるバチだなぁ…演奏している箏もなんだか見覚えがあるような… 動画のタグを見てみると、「広島」「大学」… やっぱり。あれまぁ、これは広島大学邦楽部の後輩たちの動画だったようです。楽器に見覚えがあるのは当たり前か。たぶんこれ、私らの頃から使っている部所有の共有楽器だもんね。
 演奏、大学生の演奏と思うと、めちゃうまい。よく見ると、諳譜してるし。この曲(池上眞吾作曲「湖北物語」1997年)、弾きにくい音ばっかりのめっちゃ難しい曲なのに。すげえなぁ。どんだけ練習したんだろう。。
 そういえば、学生時代だったか院生時代だったか、この曲の音源が見つからないので、うちのPCの五線譜に全部打ち込んでMIDI音源で鳴らしたなぁ。たしか、録音したMDを和室(≒部室)に贈呈したっけ。まさかこの曲を後輩たちが弾いているとは。おどろき。
 つか、演奏レベルたけえ。広大邦楽部、今こんなにレベルあがってるんだ!すごい!

 ついでに「広島大学邦楽部」で検索してみると、こんな曲も弾いていました。(3:00前後に強烈な高周波がありますので、ご注意!2分50秒くらいから3:00以降へ飛ばす推奨!)

白南風の頃に 次郎丸太鼓 with 広島大学邦楽部

 江戸信吾作曲「白南風(しらはえ)の頃に」(2007年)。次郎丸太鼓さんの演奏もすごい良い。地元の音楽集団とコラボするようにもなったのか。すごい迫力。こんなん演奏できれば、ワクワクするだろうなぁ。大学HPにも写真つきで紹介されてた。
 この部が一時期つぶれかけていたなんて、この動画を見ていると信じられなくなってくる。私は実際その中を生きていたのに。…といっても、つぶれかけていたのも、もう12・3年くらい前のことになってしまったのね。うわぁ…、軽く「遠い昔」といってもいいくらいだね。
 なお、広島大学邦楽部のHPはこちら。今年度どうなっているのかわからないけど、昨年度4月の時点で部員27名(2年~4年)だそうな。5年くらい前からご無沙汰していたので、完全に顔見知りはいなくなっているわけだ。なんだか、うれしいような、さみしいような、不思議な感じ。

 大学時代では、邦楽部の生活が全生活の半分くらいを占めていました。ですので、邦楽部をきっかけに、当時、うれしかったこと、楽しかったこと、悲しかったこと、つらかったことなど、今でもたくさん思い出せます。まともに思い出すと鬱々としてくるので、適度に思い出すようにしないといけませんが。くだらねぇ失敗たくさんしたなぁ。たくさんの人を傷つけたなぁ。あの頃にたくさん失敗した経験があるから、今の自分があるわけですが、あの頃やってしまったことは今ではありえないことばかり。今ではそう思えるくらい、あのころは、本当の「過去」になったのだなぁ。

 なつかしすぎて、文体が崩れてしまった。え、いつも通り?(笑)

 さあ、いいかげん寝よう。

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純邦楽の1960~70年代

2011年02月11日 23時55分55秒 | 純邦楽

 久しぶりに邦楽の話題。ただの自分の趣味に関するメモです(笑)。

 邦楽とは「我が邦(国)の音楽」のこと。J-popも邦楽と言いますが、ここでは和楽器(箏、三味線、尺八、笛、琵琶、和太鼓など)を使った音楽を取り扱おうと思います。和楽器を使った音楽は、「純邦楽」と呼ばれることが多いです。私は、大学時代から純邦楽にのめり込み、時間があれば曲を聴き、いいなと思ったものを集める日々を送ってきました(最近の新しい作品はほとんど聴いてませんが)。純邦楽マニアとか純邦楽オタクといってもいいと思います(笑)。最近、自分が学生時代から集めてきた純邦楽のコレクション(500曲くらい)を整理していて、ふと思ったことがありましたので、メモを書き綴ってみます。なお、私は、現代音楽的なものよりもメロディのはっきりしたものを好むので、ただの作品というよりは「通俗的」作品の特徴と言った方がいいかもしれません。以下、存命の方を含め、名前は敬称略です。

 私の集めた作品は、作曲年が1960年代から70年代にかけて集中していました。長澤勝俊、三木稔、杵屋正邦、牧野由多可、唯是震一、船川利夫、山本邦山、野村正峰、沢井忠夫、宮田耕八朗、伊福部昭…。今でも邦楽愛好家の間では人気のある作曲家たちですが、彼らの代表作の作曲年がこの時期に集中しています。1950年代に作曲または演奏活動を始めた人々が多いようです。彼らがこの時期に活発に作曲していたのは、多くの演奏家がいたこともあるようです。とくに、邦楽4人の会(1957結成、委嘱活動は59年から、北原篁山・後藤すみ子・矢崎明子・菊地悌子)、日本音楽集団(1964結成)や、尺八三本会(1964結成、青木鈴慕・山本邦山・横山勝也)など。そして、「通俗的」作品の最たる担い手としては、邦楽サークルや大学邦楽部が活発化したことも大きいのではないでしょうか。なお、この時期に活躍した作曲家は、80~90年代にかけても名曲を作り続けていきました。
 この時期は、高度経済成長期の末期であり、高等教育の拡大期です。この時期には、経済成長の担い手として大学生が急増しました。「通俗的」な邦楽の隆盛には、邦楽に親しむ人々が増えることが不可欠ですが、この時期に増えた大学生がその重要な部分を担ったことは間違いありません。いわゆる「学生邦楽」の役割は大きかったと思われます。また、邦楽が盛んになり、かつ作曲が集中するということは、この時期に、国内伝統文化に対して興味が拡大するとともに、伝統の継承にとどまらずに、さらに創作へと向かわせる積極的な雰囲気があったということでしょうか。それは何だったのでしょう。また、邦楽についてはナショナリズムと無関係ではいられないと思いますが、その意味ではどうなのでしょうか。わからないことだらけです。
 ちなみに、この時期に集中している名曲は次の通り。長澤勝俊なら、「子供のための組曲」(1964)、「三味線協奏曲」(1967)、「萌春」(1971)など。三木稔なら、箏譚詩集(1966~)、「ダンス・コンセルタントⅠ」(1973)、「巨火(ほて)」(1976)など。杵屋正邦なら、「呼応」(1964)、「風動」(1965)、「去来」(1967)、「波」(1967)、「明鏡」(1975)など。牧野由多可なら、「茉莉花」(1964)、「太棹協奏曲」(1966・1970)、「篝火」(1966)など。唯是震一は1950年代に代表作があるが(神仙調舞曲など)、「合奏組曲"石狩川"」や「火の島」(1966)など。船川利夫なら、「組曲"出雲路"」(1960)、「複協奏曲」(1963)など。挙げていけばきりがないのでこのくらいで。

 なお、1990年代にも集中しています。少しずつ新しい作曲家が目立ってきた時代ではないかな、と思います。とくに吉崎克彦と水野利彦は、新曲を出せば楽譜やカセット・CDが売れるといった風でした。集中しているのは、この2人の作曲家の活躍が大きいのかもしれません。他にも多くの作曲家が次々に作品を発表しています。私が純邦楽の洗礼を受けたのは、この時期の末期でした。また、逆に60年代以前を振り返ってみると、戦前・戦中にも集中しています。宮城道雄や中能島欣一などの世代です。これらの時期のことを考えるのも面白そうです。

 邦楽の作曲年にも、考えることのできる問題がこんなにあるのだなぁ。

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自作純邦楽曲その5「唐牡丹」

2010年05月04日 01時53分23秒 | 純邦楽

 せっかくのゴールデンウィークですが、1日は県立公文書館と県立図書館で史料調査。2日・3日は、科研の研究会のため、東北大学に行ってきました。連休明けは授業づくめなので、5日はその準備をしなくちゃ。4日は休んどかなきゃ。…こんな感じで、なんだか落ち着かない連休をすごしております。GWだと思うとやってられないので、普通の休日だと思っています(笑)。
 今回は、自作純邦楽曲の「唐牡丹」を公開。適当に牡丹らしきものを描いて動画を作りました。5作目の「唐牡丹」は、それまでの作曲の経験を生かすことができており、今のところ自作曲のなかでは、一番完成度の高い曲だと思っています。

唐牡丹

美しき富貴の花よ
大いなる地より来たる富貴の花よ
いにしえより大きくかつ大きく
幾重にも重なる花弁
色鮮やかな紅
純粋なる白

赤裸々なる美
明白なる品
豪華なる美を幾重にもまとい
人々のさまざまな想いを受け止めて
万様の姿を咲き誇る

美の奥は如何に
美は飾るのみでは身につかぬ
品の内は何が
品は不動の心の静けさ

古き大輪の華より生まれし牡丹よ
永い時を超えて今ここに
君は在る


           (白石崇閃 2005年作曲 9分34秒)
           (笛・尺八2・三絃2・箏2・十七絃1・打楽器)
           (初演 2006年7月9日ぐるーぷ樹第32回日本音楽コンサート・於広島市)

ひとことコメント
 この曲は、同じようだけれども少しずつ違うメロディーを重ねて仕上げました。タラランタラランと重ねていくメロディーが少し気に入ってます(^^;)。牡丹のつぼみがふわーっと咲く様子をイメージしていただければと思います。最後の二つの箏のハーモニクスが決まればばっちりでしょう。
 相変わらず三絃を入れた大合奏曲を書いてみました。

 (以下は初演コンサートのパンフレットに書いたものを少し訂正したものです)

 牡丹の花の歴史は古く、唐代中国以来たくさんの人に愛でられてきました。日本には、薬用として中国から輸入されて入ってきたようです。その後様々な改良を加えられ、今では多種多様な色・形をした牡丹があるようです。牡丹の花の豪奢な美しさと気品は、もともと備わっているものでもあるでしょうが、それは、やはり数百年もの長い年月を経て、様々な人々が改良を加えてきた「たまもの」であろうと思います。
 美や品は、持って生まれたものだけでは、ただそれだけのものに過ぎません。様々な物事を経験し、考え、様々に努力し、工夫した時、本当の美や品が生まれ、生まれ持った美しいものがさらに輝くのだと思います。牡丹の花の美や気品は、人、とくに女性の美や気品に通じると思います。本作品は、人間の成長、とくに精神的な成長の美しさや貴さを表現しようとした作品です。
  (動画から下、2006年ごろ執筆か)

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自作純邦楽曲その4「穂波」

2010年04月10日 16時01分08秒 | 純邦楽
 さて、ひさしぶりに旧HPの補完。今日は2004年作曲の「穂波」です。動画は1時間で作りました(笑)。
 この曲は、ずっと自分の中で音にしたかった題材を形にしたものでした。旋律(とくに笛の)が気に入っていました。今改めて聴いても、今でも好きだなぁと思います。最初から終盤近くまで非常に演奏しやすい曲ですが、終盤に少し難しい部分があります。



風は集いて龍となる

あくまで優しく吹きすぎる龍

後に残るは陽に輝く青の葉と

そよぐ穂の音

(白石崇閃 2004年作曲 9分57秒)
(篠笛、三絃、打楽器(巫女鈴・オルゴール・締太鼓))
(初演 2004年6月ぐるーぷ樹第30回和楽器コンサート、於広島市)

 この曲は、ずっと音にしたかった私の原風景を表現したものです。
 愛媛松山の実家付近は、今でこそ住宅地になってしまいましたが、もともと田舎でした。実家も米を作っていましたし、家の周りも田んぼばかりでした。初夏になるとまだ青い稲が成長し、それなりの高さになって、風に揺られて、規則的な模様が浮き出ては消えていきました。私は、この風景を見るのが大好きで、受験勉強の合間にボーっと眺めていたものです。(現実逃避ともいう?)
 初演後、いろいろアドバイスをもらい、一部(三絃パートの数小節)に手を加えたのが今流れているものです。ゆったりした静かな風景、そして風と稲によるわずかで美しい声、陽の光に輝く稲の青さを、冒頭の楽器それぞれの音の伸び、合間合間の独奏、メロディアスな合奏部に表現できた・・・と思いこんで(笑)います。
 それぞれのパートは独奏を想定していますが、演奏レベルはそれほど高く設定しませんでした。各パートともに微妙なニュアンス(例えば笛の装飾音など)を加えて、独自の演奏をしてみてください。
 初演で笛を演奏してくれたT.M.さんからは、笛の部分は独奏でもいける、と気に入っていただけました。
 できれば生の音で聴かせたい曲でありますm(_ _)m
 (執筆年不明。2004年ごろ? 人名だけイニシャルにしました)
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自作純邦楽曲その3 「祭りの喧騒」

2010年04月01日 01時35分37秒 | 純邦楽
 混迷の仕事は3月31日で何とか終了。やっと終わった~…と思ったら、もう4月かよ!という気分です。新学年が始まります。授業が始まります。実習が始まります。

 さて、気分転換に自作曲の再公開。動画は1時間足らずで作りました(笑)。早く寝ろって感じですね。
 今回の曲は、「祭りの喧騒」(2003年)です。三絃2本の合奏による曲。こんな曲弾けたらいいな、と思いながら作った曲。当時影響を強烈に受けていた故杵屋正邦氏。表と裏とに畳み掛ける三絃は、正邦氏の名作「呼応」を思わせます。「呼応」は純器楽曲の感をもっていますが、この曲はそれを私なりに情熱的にメロディに乗せてみたというような感じでしょうか。一気に書き上げたと記憶しています。そのためか、最初から最後までスパッとキレよい曲。ただ難点は、演奏は至難なこと。私自身も弾けません(苦笑)。



太鼓が打ち鳴る
みなの興奮は高まり 心は躍る
体は自然と動き 思い思いの熱を込めて

雑多な感はあるけれど
同じ空気をすうもの同士
自然とひとつをかたちづくる

祭りの興奮は 今宵のうちは冷めやまぬ

ちがいをそのまま
まとめてそのまま
ひとつになるとはなんと心地よきことか


(白石崇閃 2003年作曲 1分34秒)
(三絃2)
(未初演)

 自分の中では特A級の難しさです。三絃で、この早さで、この細かな音を弾くのは至難かな、と。こういう負い目があったので、曲の長さをあまり長くはしませんでした。でも、祭りの風景をもう少し広げたいし、詩の世界にも十分に近づけてないので、機会があれば続編書きたいと思います。
 なぜ三絃か。
 三絃に用いられている「皮」は、本質的に熱を込めるが故に、人の熱情を表すのに適していると思います。もちろん太鼓でもいいのですが、太鼓的要素を持ちながら音階をはっきり出す三絃は、人の熱情を表現する楽器として非常に魅力的です。祭りは土地を守る神とその土地に住む人のための行事で、その空気は人の気持ちを高めます。祭りの時は、人の熱のこもった感情を露骨に表す時なのです。これらが、三絃で祭りの熱情を表してみたいという所以です。
 なお、私のいう「祭り」の風景は、あまり動的なものではありません。外側に動きは見えないけれども、心にたまらず動く動きがある、という、まさに「熱情」が主体です。
 (執筆時期不明、2004年ごろ?)
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自作純邦楽曲その2 「糸竹協奏曲第一番 “焔”」

2010年03月27日 23時55分55秒 | 純邦楽
 混迷した仕事は、金曜日にようやくひと段落しました。結論までいってないので、まだ続きますが~…。
 さて、今日は自作2曲目の「焔」。初の大合奏曲でした。動画は前回と同じく、やっつけ仕事。この曲の詩は、曲が出来上がってから何度も聴き、演奏しながらつくったものです。手前味噌ながら、それなりに曲に合っていると思っています。曲と言葉との微妙なタイミングがあるのですが、今回の動画では完璧に表現する時間と余裕と技術がなく…(←言い訳)。詩の最後の一節、入れ忘れてるし(苦笑)。
 なお、例の舞台では、この曲を光源氏と藤壺との重要なシーンで使ってくださっていました。「…おぉ、そう解釈できるのか!」と、自分で書いた曲ながら正直驚きました。作曲した時期のことやそのときの感情など、改めて自分を見返す機会を得られました。自分の曲がさまざまに解釈されることにより、表現する世界が広がっていく、そういう貴重な一瞬を感じました。
 中途半端な出来の動画ですが、ご都合がよろしいときにでも聴いてみてください。今回の動画は、楽譜の出番少なめです。なお、動画が出てこないときは、しばらくしてリロードすれば出てくることがあります。動画が出てきたあなたはラッキーなのかもしれません(笑)。動画枠以下の文章は、例のごとく、旧HPに掲載していたテキストです。



炎が点火した。

ちらちらと赤い炎は 赤い光をあげて この世に在ろうと 必死に
強くなったり 弱くなったり

炎の中に 何かが映った 見ようと思えば 見えなくなって
炎はついに天を焦がした

ふと周りを 見渡せば あるのは闇 静寂
盛んに燃える炎 赤い光が周りを照らす
静寂は沈静を呼び 炎のたぎる力を抑え いましめる

再び炎を見やると くすぶりつつあった炎は 再び力を取り戻す
細かな火の粉をはぜて 右へ左へと揺れながら
興奮とともに燃えて 燃えて

火の粉が舞い上がった 炎に押し上げられて 空高く舞い
やがて そのひかりを弱めながら ふたたび 炎へと戻ってゆく

炎が見えるか

その赤はなにゆえか
その力はなにゆえか
その熱はなにゆえか
その光はなにゆえか

炎はゆらゆらと 生きている

(白石崇閃 2002年作曲 9分50秒)
(三絃Solo、箏Solo、琵琶1、箏2、十七絃1、笛1、尺八2、太鼓)
(初演 2003年6月、ぐるーぷ樹第29回和楽器コンサート、於広島市)

 この曲は、とにかくスピード感とメロディーを重視しました。
 冒頭で「焔」を揺らした後、三絃・箏・十七絃の3パートでスペインのワルツ調に、そしてくすぶり燃え上がります。さらに、笛・尺八・三絃の音をたっぷりと聴かせた後、再びワルツ調、そして最後の急展開。我ながら盛りだくさんすぎる曲を作ったものだと思います(笑)。演奏する時には、三絃ソロ・箏ソロ・十七絃・笛のパートは覚悟してください(笑)。
 楽しく個別・合奏の練習ができること、そして初心者でも合奏に参加できること、に特に作曲のねらいをしぼりました。笛・琵琶はめったに演奏者・楽器がいないでしょうから、笛はピッコロ等で、琵琶は太棹等で代用してもよいと思います。初演では、琵琶は太棹で代用しました。琵琶パートは琵琶といってもほとんどの音が三絃のオクターブで弾けますので、三絃でも大丈夫です。
 初演の経験上、箏1・2(solo以外)・十七絃は、二人以上いたほうが迫力が出てよいと思います。
 (動画枠以下の文章の執筆時期:詩は2003年6月の初演時のパンフレットで発表、以下はおそらく2004年ごろ)
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自作純邦楽曲その1 「ひのもとのくに」

2010年03月25日 23時55分55秒 | 純邦楽
 仕事は…やばいくらい混迷状態。今日は調整のためあちこちを走り回っていました。気づいたら暗くなってたし。
 さて、今日も旧HPの保守。自作純邦楽曲第一号、「ひのもとのくに」です。youtube経由で、曲もようやく再公開できました。ひっそりと公開したかったのですが、成り行きとは言え、世界につないだ感じがしてドキドキします(笑)。まぁ、気が向いたら聴いてみてください。
 動画は適当に作ったものですので、画像悪くてすみません。初めて作ったものですし、時間も余裕もないので… 動画は、「PictBear」というフリーソフトで適当な絵と文字を描いて、「Windows Live ムービーメーカー」でまとめました。浮かんでる文字は、曲に合わせた詩です。まぁ、この曲の詩はあんまり出来よくないですが(笑)。たまに出てくる楽譜は、「ひのもとのくに」の五線譜です。縦譜は手元にスキャナがなかったのでお預け。
 「ひのもとのくに」は、私が最初に作った曲です。正月か何かで、あったかい国の実家にいる間に仕上げた思い出があります。作曲したのが2001年…もう9年も経っているのかぁ、とんでもない時間が経ってしまったようです。まぁ、あのころと比べれば、今は別の意味でキツイですが、生きるのははるかに楽しいです。
 なお、動画枠以下のテキストは、旧HPに書いていた内容。旧HPではページを開くと音楽が鳴るようにしていました。



「ひ」・・・日、陽、火、灯
   ・・・様々な「ひ」を生み出す「くに」
我々が生きる大地・・・「くに」
      ・・・我々が生きる、そして生きていく「くに」は
         「ひのもとのくに」
(白石崇閃 2001年作曲 7分35秒)
(三絃2)
(初演 三絃1パートのみ、2000年中国地方国立大学邦楽部交歓会、於島根県)

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 この曲では、三絃曲にはあまりなかった(最近は多いですが)和音の響きをとにかく出そうとしました。また、音を弾いた後に残る、残響を重視しました。さらに新曲と古典の折衷を狙いました。今考えると「この程度」ですが・・・(笑)。
 この曲が私の処女作で、あまり三絃の技法も知らなかった頃の作です。気に入っていると同時に、課題もたくさん残した曲ですね。聴いてくれたみなさんの意見を参考にして幾度か手を加え、2004年12月に最終稿を書き上げました。今BGMで流れているのが完成品です。
 最初と最後あたりは、「和」をイメージして。中間部あたり(5分ごろ※)は、鳥となって空を飛び、大空から「くに」をめぐる、というようなイメージになっています。
 (執筆時期不明、たぶん2004年ごろ)
 (※「3分ごろ」の間違い)
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自作の純邦楽曲について

2010年03月24日 23時55分55秒 | 純邦楽
 仕事はますます混迷してきました。まいったぬ。
 さて、今日も旧HPの補完作業に。
 白石崇閃名義の自作純邦楽曲は、いままで発表してきただけで8曲あります。

  「ひのもとのくに」 (2001年:三絃2)
  「糸竹協奏曲第一番“焔”」 (2002年:三絃Solo、琵琶1、箏Solo、箏2、十七絃1、篠笛1、尺八2、太鼓)
  「祭りの喧噪」 (2003年:三絃2)
  「穂波」 (2004年:篠笛1、三絃1、打楽器(巫女鈴、オルゴール、締太鼓))
  「唐牡丹」 (2005年:篠笛1、尺八2、三絃2、箏2、十七絃1、打楽器(締太鼓、鈴、オルゴール))
  「萌青」 (2005年:三絃2)
  「竹々(たけだけ)」 (2006年:三絃2・尺八2)
  「三絃練習曲「さくら七変化」」 (2007年:三絃1)

 難しすぎて初演していない曲もあります(笑)。これらは、それぞれ、邦楽集団「ぐるーぷ“樹”」(2003年、2004年、2006年)、専修大学三曲研究会(2004年)、茨城大学邦楽研究会(2004年)、花園大学邦楽部(2006年)のメンバーに演奏していただく機会がありました。静岡大学邦楽部(2007年)、専修大学三曲研究会(2008年)、東京外国語大学筝曲部(2009年)のメンバーには、楽譜送付のみさせていただく機会がありました。
 そういえばホームページが消滅したとき、少しずつホームページのテキスト(残しておきたいもの)をこちらに移行させるつもりだったのですが、ついこの間まで完全に忘れていました。忙しすぎたんですよ、ホントに(笑)。曲も、動画にすればこのブログにもどうも載せられるようなので、時間があればアップロードしてみますね。

※ 楽譜がほしい方は、私白石まで直接メールをください( siraisi☆ns.cygnus.ac.jp ←☆を@に変換)。基本的に五線譜です。三絃パートのみは縦譜があります。料金については、今のところ、実費のみいただいています。だいたい、コピー代+郵便EXPACK代で大体計600円~700円くらいです。今のところ、演奏などにあたって著作権料等はとる予定はありません。ただし、本務に忙殺されている場合があり、発送が遅れる場合がありますのでご了承ください。
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かつて私が作曲し始めた理由

2010年03月23日 23時55分55秒 | 純邦楽

 今日から新年度に向けて、研究も仕事も始めました。心機一転、昨年の経験を生かしていい仕事ができればと思っています。なお、仕事では、第1日目からいきなり面倒な壁にぶちあたりまして、なかなか大変です(笑)。
 さて、今日は邦楽の話題。かつてのHPテキストの補完作業です。
 私は、研究者・教育者としての顔と、純邦楽作曲家「白石崇閃」という顔をもっています。なんでそんな顔をもっているかというと、話は大学時代にさかのぼります。かつて自分のホームページにて、私はこんなことをのたまっておりました。

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 私が作曲するようになった理由
 私が作曲を始めたのは、大学3年のころでした。私は邦楽部に所属し、三絃を弾いていました。学生邦楽をやっていた人ならみんなわかると思いますが、既存の邦楽曲には、三絃パートがある曲がほとんどない!…ないなら俺が作ってやる!ということで、独学で作曲を始めました。初めてさわった楽器が大学1年の時の尺八だというのに、無謀なことを始めたのです。らちがあかなかったのでついに大学の作曲法の授業にもぐりこみ、基本的な楽典すらわからず先生にあきれられたりしながら、今に至ります(この頃以来いろいろアドバイスをくださっているH大学教育学研究科のH先生※には感謝の言葉も尽きません…)。
 そのようないきさつがあるため、私の基本的な志向は学生邦楽向けです。ただ、曲を完成させるのは根気がいるので、〆切がないとなかなか完成させられないという(^_^;)、情けない現状です。そのような事情で、完成している曲は、私が現在所属しているアマ邦楽団体「ぐるーぷ“樹”」の演奏会向けに作っている曲が多いです。
 近年、日本音楽にスポットがあてられ、邦楽界も飛躍のチャンスが到来しました。しかし、今ひとつ振るっていないように感じます。その原因のひとつは、童謡やポップスなどの他ジャンルと比べて、曲および作曲者の絶対数が少ない、ということがあるのではないかと私は考えます。せっかくやる気になった人が現れても、同じ曲・同じような曲ばかりでは飽きがきてしまい、邦楽人口が伸び悩む原因となるのではないかと思うためです。これからの邦楽界は、従来からのように優れた演奏家の養成とともに、多くの優れた作曲者を生む必要があります。こんな私でも、情熱だけでこれだけ作曲することができました。したがって、もともと素養のある方が作曲されれば、もっといいものができるに違いありません。私の曲を聴いて、この程度なら私でもできる!と思って作曲を始める方が増えてくだされば、これに勝る幸いはありません。
 (執筆年月不明、おそらく2004年ごろ)
 ※イニシャルに変更しました。H先生は、2010年現在、AG大学でご活躍中です。
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 私が作曲を始めたのは、こんな理由です。
 最近では私自身が邦楽界から遠ざかって久しいのでどうなっているのかよくわかりませんが、私よりも年若い演奏家が邦楽器をかかえて活躍しているのをたまに見かけます。おそらく様々な曲が生まれ、発表されていることでしょう。学校教育における邦楽器の体験は、広く行われている様子です(私の印象だと太鼓が多いようですが)。さて、これからどうっていくんでしょうね。

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「焔」と「唐牡丹」を劇中で使用していただきました。

2010年03月19日 23時55分55秒 | 純邦楽
 写真と題名は関係ありません(笑)。今朝のいわゆる「伯耆富士」大山がきれいだったのでパチリ。家の玄関を出るとすぐ見えるんです。
 さて、東京外国語大学の柴田勝二先生が代表で制作された「語りと劇による『源氏物語』」に、私が白石崇閃名義で作曲した「糸竹協奏曲第一番“焔”」(2002年)と「唐牡丹」(2005年)とを使っていただきました。昨年春ごろにご依頼を受け、どうぞ使ってくださいと許可を出した後、本年1月31日に同大学のマルチメディアホールで行われたそうです。当日のDVDを送ってくださったので、2時間にわたる大作でしたが全部見させていただきました。物語の導入場面や重要な場面で、とくに「唐牡丹」のほうを使っていただき、とても恐縮しております。出演者も非常に白熱した演技を見せ、ストーリーは古語と現代語とを織り交ぜて、千年の歴史を感じさせつつわかりやすいものになっておりました。非常に楽しませていただきました。関係者の皆様に御礼申し上げます。
 自作曲を公開していたホームページが昨年消滅(笑)しましたので、なんのこっちゃと思われる方もおいででしょうね。かつて私は、筝・三絃・十七絃・尺八・笛・打楽器などによる邦楽曲を作曲していました。だから、このブログ名も「教育史研究と邦楽作曲の生活」なのです。この数年、半分くらい有名無実化してますが…(笑)。今でもたまに作曲したくなりますが、作曲に使っていたPCが古くなって動かなくなってしまった上に、時間と余裕がないので現在長期休業です。PCは買えばよいので、いずれまた発表できる日が来ればよいのですが…
 ちなみに、論文は無事ほぼできあがりました。
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さくら七変化

2007年04月11日 21時11分49秒 | 純邦楽
 運動行って登校。
 日本教育学会編『教育学研究』を40頁ほど読書。大事な書類を投函。
 それから、三絃の練習曲を作りました。「さくらさくら」をモチーフにした曲で、「さくら七変化」という題名。ホームページの「白石崇閃作品集」に専用ページをつくっておきました。BGMとMIDIは準備中なので、文字しかありませんが、折角なので楽譜を少しだけ公開。写真はその楽譜。この形式の楽譜は、俗に「縦譜(たてふ)」といって、箏曲・三曲物・地唄などのジャンルで普及している楽譜形式です。五線譜が苦手な人も、意外とすんなり読むことができる優れものです。ちなみにExeclで書いてます。
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京都にて、私の中の教育と作曲の間を見る

2006年11月18日 23時55分55秒 | 純邦楽
 今日は、花園大学邦楽部平成18年度定期演奏会へ行ってきました。昨日説明した通り、私の自作曲「竹々」が初演されるためです。なんと1曲目だったので、リハーサルも1曲目で10時スタートとのこと。どうしても本番前に聴いておきたかったので、東広島駅から始発の新幹線に乗って京都へ向かいました。京都駅からJR花園駅へ、それから徒歩数分で会場の「右京ふれあい文化会館」に到着。自分の曲のリハが終わったら、私がずっと会場にいる必要はなかったのですが、何だか居心地がよくて、結局本番が終わって片付けが終わるまで、一歩も会場を出ませんでした。なぜかというと、同邦楽部員の方々がよく世話をしてくれたのと、熱心に演奏会準備にいそしむ彼らを見ていると、何だかうれしくなってきたので(笑)。
 演奏会そのものは、とてもすばらしいものでした。花園大学邦楽部は、毎年定期演奏会で様々な演出をすることで有名なようですが、今年の全曲初演・曲順構成・舞台演出(背景・照明等)いずれも質が高く、さらに一曲一曲演奏者によってなんらかの仕掛けやネタがあり、見る者をあきさせない演奏会でした。とくに私事では、「竹々」の演出が非常に凝っていたことに、まず驚きました。「竹々」の基本的なテーマは「人間とくに若者の成長」でして、人間を竹に見立て、仲間とともに(仲間がいてこそ)成長することを竹が群生する様子に比喩して描写した曲です。また、冒頭部で、竹林に降り注ぐ日光を描写しようとしました。本番前、演奏準備ができた舞台を見ると、私が考えていた細かい状況設定を反映するかのように、演奏者の位置の後ろに竹林を見立てた舞台装置(細い節のある植物(何という植物だったんだろ?)がたくさん植えられていた)が設置され、その舞台装置に照明が当てられて天上に光と影が写り、あたかも竹林に降る光の輝きと竹の青葉のように見えました。開場前にセットされたそれらを撮ったものが、その写真です(バタバタしていてこのような形で掲載したい旨を伝えそびれました。まずかったらご一報ください)。とにかく、私のようなポッと出のにわか作曲者の作品が、こんなにすばらしい演出をしていただけるとは…一瞬涙が出そうになるくらい感動しましたよ、マジで。
 写真の真ん中に掲示されている書は、大きく「無」と書かれています(演奏会途中から「空」という書も登場しました)。花園大学は禅宗の学林を前身とする禅学研究所まで持っている学校ですので、その学生もまたその素養を持っているのだと考えると、仏教的な意味が含まれているものだと思いますが、詳しくはわかりません(苦笑)。これを書いたのは、なんと部員の一人の山本蒼翠さんとのこと。私も書は少したしなんできたつもりですが、こんな大作(大きさも質も)とても書けません。これにも驚かされました。
 私の曲の本番では、ちょっとしたハプニング(三絃ではよくあること)がありましたが、ハプニングに負けて崩れそうな中で、彼・彼女らが必死に力を振り絞り、最後まで弾ききってくれました。最後に披露された彼ら独自のパフォーマンスも、私の曲をしっかり受け止め、すばらしい「チーム」になっていたことを示す、非常に意味あるものだったと思います。曲のテーマが、一言で言うと「仲間とともに成長する若者たち」でしたから、私の曲が彼らを「チーム」にするほんの少しのきっかけを与えたのだとしたら、演奏の出来云々よりも遙かに意味あるものだったと思います。私以外の初演曲は、とくに鷲見大眞氏の曲「色即是空」は、2本の尺八がまったく違う音色を表現しながら、互いに違う音色を一体のものとして展開しており、作曲者の構成力・精神性ともに感服しました。また、演奏者の2人がしっかりした技術と精神を有していたので、この曲の観客に訴える力がさらに増したように思います。その他も、いずれも個性的で興味をひく曲でした。今日パンフレットを見るまで詳細を知らなかったので勘違いしていたのですが、履歴を見る限り、大学等で専門的な作曲教育を受けた方は一部の方々だけだったようです。それでも、いずれの曲も、曲への想い、音楽が一曲としてまとまる構成力、メロディの魅力など、私の曲など及ばないくらい、とてもすばらしいものでした。非常に楽しませてもらいました。
 学生邦楽の担い手は、大半が邦楽器を始めて数年の学生たちですから、プロやベテランと比べて技術や表現力は劣ります(私も人ごとではない(笑))。ですから、彼らに技術や巧みな表現力を求めるのは筋違いです。私は学生邦楽を聴くとき、彼らのウリはやはり、何事にも熱中し主張する「若さ」だと思っているので、今回もそれを見ていました。その点で、花園大学邦楽部の部員たちは、演奏の中で、時々のパフォーマンスの中で、すばらしいものを見せてくれました。睡眠不足の中、早朝からわざわざ京都まで出て行った甲斐があったというものです。私は今回の演奏会に対し、単なる観客としてではなく、作曲者として関わりました。その立場からしても、私が曲によって求めようとしたものを、演奏者たちが見事に体現してくれたので、満足していないわけがありません。なお、この満足感の源泉が何かを気づかせてくれたのは、私の曲に対して司会の西耕一さんがおっしゃられた一言でした。
 「この曲は、作曲者の教育論を体現したものではないでしょうか」 (※記憶が頼りなので、正確な発言内容は不明)
 そう、私は、「竹々」の演奏によって、演奏者が仲間とともに高く大きく力強く成長することを求めていました。もちろん反省的に見れば、今回曲の基礎になった私の教育論はまだ「論」というほどのものではないし、今回の「竹々」もまた私の教育論を十分体現できたとはいえないと思います。そう思うからこそ今、また曲を作りたい、と思っているのかもしれません。

 打ち上げの一次会にお邪魔した後、21時12分京都発の新幹線に乗り込む。O君、わざわざの見送りありがとうね! 23時半ごろ、東広島駅に着。
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