教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

睡眠時無呼吸治療の定期検診

2007年05月31日 19時41分39秒 | Weblog
 今日は、全体的にボケーッとしており、論文を集めたのみで終わってしまいました。集めるつもりだった論文が、広大にないもの以外全部集まったので、それで満足したようです。何だか体が全体的に疲れてきちゃっています。全体的に、としか言えないくらい漠然としてます。
 あ、あと無呼吸の定期検診で病院行きました。先月、機械を使っても無呼吸がちらほら残っているので、空気圧の最低圧を上げてもらいました。しかし、今日医者が言うには、先月とまったく変わらなかったとのこと。ついでに今月は「朝が起きられない+日中眠い」日が多かったことを告げると、最低圧を上げたせいでうまく眠れていないのかもしれないとか。まー、変わっていないのなら元に戻してもらったほうがいいや、と思ったので、元に戻してもらいました。明日の朝どうなるか楽しみです。
 そういえば無呼吸治療を受け始めてこの夏で2年目になります。無呼吸治療には機械をつけて寝るのでうざったいですが、治療は受けないよりかは受けたほうが断然マシ。無呼吸が酷い状態で機械つけずに寝ると、だいたい目が覚めた時に起き上がる気がしないし、日中眠気がひどいし、ひどいときには鬱のような状態になる(大学・マスター時代の酷い状態はそのせいだったのでは、と疑っている…)。毎月一回の定期検診と、保険を使って毎月約5千円程度の料金がかかりますが、その傾向がある人には医者に相談することをおすすめします。
 太っている人(小太りも)とアゴの小さい人は要注意ですぞ。
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日本の歴史上で「教育とは何か」を問うこと

2007年05月30日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 今日は、広田照幸『教育言説の歴史社会学』(名古屋大学出版会、2001年)の第I部の大事なところを抜き書きし、夕方からバイトへ行き、夜研究室に戻って広田著のまとめと上記の問題設定を作りました。この後はしばらく、その他の参考文献を用いながら、「日本における教育とは何か」をテーマに、まとめていこうと思っています。
 「教育とは何か」を考察するには、当然、「教育」という言葉の意味がわかっていなければいけません。ただ、この「教育」という言葉が日本で一般的に使われるようになるのは、明治初期以降のことです。また、「教育的」という慣用句の発明によって、様々な意味で使われるようになりました。さらに、現在使われる「教育」の一般的意味は、戦後の教育学の中で練り上げられたものです。我々が普通に使っている「教育」という言葉は、実は歴史的に固有な形で形成されたものでした。日本において「教育」がどのように、どのような形で形成されたものかわかっていなければ、「教育とは何か」の考察は、自分の考えを押しつるだけの不毛なものか、誰かの言ってきたことの繰り返しにしかならないと思います。
 とまあ、こんな大それたことを考えているのは、就職後のことを考えているからです。私のような日本教育史専攻者は、どうしても教職科目の原理的分野を担当します。となれば、「教育とは何か」というテーマは避けては通れないテーマなのです。誰かが編集した教科書を使ってもいいのですが、できたら私なりに授業したい。私は、本格的に訓練を受けたのは、哲学研究ではなく歴史研究です。そのため、「教育とは何か」というテーマを、事前に歴史的に考察しておこうというわけです。主な内容は、研究論文を書くほどの準備と時間はないので、主に先行研究の整理によって構成していくことになると思います。
 なお、就職だけの意味しかないかというとそうでもなく、専門の研究(教育会史研究)にもかなり刺激になってます。勉強するうちに、重要なテーマが浮かんできました。
 まー、ぜんぜんまだ就職決まってないですけどね(笑)。今後、2・3年あるいはそれ以上かかるかもしれませんし(笑)。備えあれば憂いなし、専門の研究の刺激にもなるし、程度のものです。
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徹夜はよくない!

2007年05月29日 18時30分28秒 | Weblog
 昨日は休みました。とんでもなく眠くて、ずっと寝てました。
 必要以上の睡眠のおかげで、午後10時ごろに目が覚める。悩んだ末、日付が代わるころ登校。
 まず、博論構想を、先日の特研での意見を受けた内容へ修正しました。主に章節項の構成を修正。それから、広田照幸『教育言説の歴史社会学』(名古屋大学出版会、2001年)の第I部「<教育的なるもの>の系譜」を読みました。戦前期を通して教育雑誌における「教育的」の言葉の使われ方がどう変化したか、について分析されています。昔読んだことがあるのですが、そのときとは全く問題意識が違うので、読後感は新鮮でした。その後、バイトの準備をして帰る。
 今日は広田著の内容をまとめようかと思いましたが、気力と集中力が保ちません。前日たくさん寝たので…と思いましたが、集中して仕事にかかれるのはせいぜい12時間が限度ですね。朝から起きている時よりも、むしろ徹夜の時の方が集中力減退は著しいように思います。徹夜開始の頃は「ふふ、やってやるぜ!」てな感じで得した気分いっぱいですが、結局いつも以上にシンドイので損した気分になります。そうか… 徹夜に耐えられる若さは、もう…(笑)
 やっぱり徹夜はよくない!
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日本において「教育」はどう使われてきたか

2007年05月27日 17時34分32秒 | Weblog
 また何を始めたのか…と思われそうですが。
 昨日今日と中途半端に休んでしまいました。中途半端というのは、何もしていないようで、なにげに勉強のような研究のようなこと(これも中途半端だ)をしていたので。何をしていたかというと、「教育とは何か」というテーマで、日本における「教育」という言葉の使われ方を調べておりました。「そもそもの意味」や日本に入ってくる前のeducationの意味には、(もちろん調べる過程でチェックしていますが)あまり興味がありません。今我々が使っている「教育」という言葉は何を意味してきたのか、さらには今何を意味するのか、そして将来何を意味するようになるのか。こういったことを知りたいのです。「日本において『教育』という言葉はどう使われてきたか」という問題に、歴史研究の手法で答えた論文がいまいち見つからないので、ちょっと不満気味。この問題は、素朴で単純、かつ大きくてつかみ所のない問題だとは私も思います。ただ、これに答えられなくてどうして日本で日本人相手に教育学(の一部)を教えられようか、…と気負ってみたり。
 今日の勉強でピンときたのは、孟子の一説と、幕末・明治初期にeducationの訳語として定着したということと、箕作麟祥訳『教導説』(明治6年)が明治11年に『教育説』と改題改訳されたというところ。しばらくは参考文献・脚註をたどってもう少し調べてみようと思います。教育原理系の教科書をチェックするのもいいかな。いくつか紀要・雑誌論文もチェックしたので、手に入れて読んでみようと思います。とくに広田照幸『教育言説の歴史社会学』の該当部分(「教育的」の論文)は、明日にでも読み返してまとめてみたい。
 日本における「教育」の語源や定着に関する論文について、おすすめの論文があれば是非教えてください。

<今日のところの参考文献>
・寺弘昭「歴史のなかの教育」天野郁夫編『教育への問い―現代教育学入門』東京大学出版会、1997年、247~278頁。
・中内敏夫『教育思想史』岩波テキストブック、岩波書店、1998年。
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心まで失うわけにはいかない。

2007年05月25日 18時04分38秒 | Weblog
 だめだこれでは。
 汚いものを辺りに吐き散らしているのでは。
 これではだめだ。
 生きる力まで逆境に奪われては。
 大事なものを失いかけている気がする。
 向かう方向を変えなくては。

 誰かのせいではない。
 誰かがしてくれることではない。
 自らよりよい方向へ。より必要な方向へ。

 ようやく、くすぶっている状態から抜け出す準備ができたようです。この状態が一時的なものか、それともしばらく続いてくれるか。それはわからないですが、ひとまずホッとしました。苦しい夢を見て、午前4時少し前に目が覚めました。起きられそうだったので、起床して今後の計画を立てる。そのまま6時ごろ朝食を摂ってから登校。
 まず「大日本教育会・帝国教育会の群像」を更新。その後、特研まで少し時間があまったので明日のバイトの準備。そして特研へ。特研後はバイト。
 特研発表は、比較的なごやかに済みました。何より、「私が言いたいこと」が先生に伝わったのです(笑)。日に日に複雑化する私の文章表現(正確に伝えようとして、書かなくてもいいことをたくさん書いているらしい)のせいで、まだ理解してもらえない点は多々ありましたが、他の参加者に聞くと、前よりはわかるようになったと言ってもらえました。論証部分にはまだ改善の余地が多々ありますが、それでも進歩は進歩です。また、根底から覆すような発問をされても、多少は返すことができました。要再考の部分も気づかせてもらいました。
 それから、早く本論を出してほしい、という雰囲気になった気がします。私が次からは本論を出しますと宣言したからというのもあるでしょう。考え方によっては、ほんの少しでも中身を読もうという気持ちが、読者に芽生えたということだと思えます。
 博論はレフェリー論文が揃わない限り書けませんが、博論を書く環境は格段によくなったようです。
 今朝、心も持ち直したわけだし。
 よし、またがんばれる!
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広島県師範学校における安達常正

2007年05月24日 18時31分31秒 | Weblog
 今日は完全に睡眠失敗。寝る前から鼻がだいぶ詰まってたからなぁ。
 フラフラしながら登校。論文には手をつけられないので、「大日本教育会・帝国教育会の群像」を更新。先日学会へ行ったとき、更新を待っているよとのお言葉をいただいたので、広島県会員の更新をする。今日は、広島県師範学校長だった安達常正の記事です。明治20年代地域社会における高師卒の師範学校教員の役割(大田義弼校長と関連させて)、安達校長の広島県師範学校史での位置づけなど、思った以上に興味深いテーマが浮かび上がってきました。
 …学校・教育法令・教育思想・教員を対象とすれば、誰からも文句がでない教育史の論文になるのに。どうして教育会史はこんなに苦労しなければいけないのか…
 いや、ひがみです(笑)。
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進んでるのかな?

2007年05月23日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は博論構想の仕上げ。
 意外に時間がかかりましたが、無事先生に提出。少し指導を受ける。
 次からは構想ではなく本論の部分を発表することになりそうです。全体の構想の中で、それらの部分がどのように位置づくか、をはっきりさせながら発表用書類を作ることになるでしょう。「細かいのを見せろ」と言われるようになったのを進歩と考えると、前より一歩先に進んでいるのかも。
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あ…空が…

2007年05月22日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は就活用書類を仕上げる。とりあえずこの時期に応募する分は終わりです。
 続いて博論構想にとりかかる。昨日だいたいできあがったので、見直し修正にとりかかりました。…微妙なのはわかっているけど、うまく直らない…
 夕方まで博論構想の直し。あんまりうまく直りませんでした。その後、バイトの準備をする。しかし、この辺で集中力が切れてなかなか進みません。でも投げ出すわけにはいかないので、がんばる。しかし、作業は遅々として進まず、時間がかかってしかたないのなんの。
 結局、徹夜になりました。あ…空が明るくなって…(笑)
 (2007-05-23 04:29:44 記す)
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今、博士論文構想を書く。

2007年05月21日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は、目覚ましにも気づかず、昼過ぎまで熟睡していました。昨日から体が疲れ切っているのがわかっていたので、予想していたことではありましたが…
 今日はひたすら博士論文の構想を書く。25日の特研発表内容にあたります。全国レフェリー論文の数が足りないので、博論構想ができあがっても博論は書けないのですが、今やっている研究の全体構想を確認するのは必要です。また、この構想がOKならば、その後書く論文の方針は自ずと決まります。今博論構想を書くのは大事なのです。そのため、今年度中に書けない可能性が高くても、構想を書くのをやめずにいます。
 とにかく、私は今やっているこの研究を一つの形にしないことには、前には進めません。その実現の形は、博論という形でなくともいいのかもしれないけれど、チャンスが残っている限り、挑戦し続けたいと思います。宙に浮き続けている論文が多いので、今年度中に新たに学会発表することはなさそうですけど。
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愛知にて学会参加と資料収集

2007年05月20日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は名古屋大学で全国地方教育史学会に参加してきました。
 寝台列車で名古屋駅についたのが、午前5時。学会開始は午前9時半だったのですが、名古屋は大都市だからどこか24時間営業の店があるだろうと勝手に思って、心配していませんでした。ただ、名古屋大学の周辺には思った以上にお店がなく、完全に誤算でした。コンビニはあったので朝食を買い、名大内の公園のようなところで食べる。犬の散歩や体操をしている人が大勢いて、一般的な公園をイメージする、大学キャンパス内とは思えない場所でした。写真は朝食を摂りながら撮った写真。学会の午前中は、個人の研究発表でした。発表内容は、S氏の函館商業学校研究、Y氏の千葉県学務当局の自由教育運動への姿勢に関する研究、K氏の広島中学校研究など、興味深いものでした。午後には実業教育に関するシンポジウムがあり、参加したかったのですが(開始直前まで迷って会場をウロウロしていた(苦笑))、別の用事を優先して参加を断念。
 別の用事とは、愛知県図書館での資料収集(コピー)でした。事前に連絡をとったところ、「分量が多いので一日では終わらないと思います」と言われてしまったので、多めに時間をとりたかったのです。愛知県図書館では、図書館の司書さんの協力やコピー機の利用者が少なかったおかげで、無事、目的の資料をすべて複写し終わりました。ありがとうございましたm(_ _)m。シンポジウムに参加していたとしたら、完全に間に合いませんでした。この資料は、今すぐには使わないと思いますが、私の知る限り、他の図書館にはないので、いいものをとってきたと思います。旅費の工面が難しい今、愛知に来ることはなかなかないですし。
 その後、名古屋駅で、同じ研究室出身のS先輩と合流し、一緒に東広島へ帰る。先輩はシンポジウムに参加していたのですが、なかなか「熱い」内容だったことを聞き、少し残念に思いました。
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寝台列車に乗って

2007年05月19日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は13時からバイト。それから20時に少し早くあがらせてもらって、帰宅し、名古屋へ行く準備をする。西条駅をJRで出発し、24:05福山駅から寝台列車に乗換えて名古屋へ向かいました。名古屋大学で開かれる、全国地方教育史学会に参加するため。
 寝台列車に乗るのは、生まれて初めて。一度試してみたくて乗りました。感想を一言で言うと、「できれば使いたくないものだ…」といったとこですかね。
 いいところは、目的地に朝早く到着するところと、横になって眠れるところ。私より背の高い人は足がつっかえて大変でしょうが、私なら足をのばして眠れるくらい十分な長さの寝台でした。幅は若干私には狭かったかな(笑)。寝台は、ふかふかなので眠りやすいと思います。ただ、ふかふかすぎて、座ってると気分が悪くなるのが難点。乗り物酔いをしない人なら問題ないでしょう。
 何が一番問題だったかというと、目的地が終点ではないので、ゆっくり眠れなかったとこ。乗り過ごしたら大変なので、気をつけなくちゃとおもっていたら、30分おきに目が覚めてしまいました。乗り物酔いも重なって、寝起き顔が真っ白(^_^;)。いちおう車掌さんが起こしてくれるみたいですけどね~。
 たとえるなら、「動くカプセルホテル」。夜行の移動手段としては、「夜行バスよりは横になれるのでマシ」。まー、使わなくてもいいなら、使いたくないものですね(笑)。
 (2007-05-20 04:59:24 記す)
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肝付兼行について

2007年05月18日 17時34分55秒 | Weblog
 何度もコメントをいただいている大阪工業大学の柴崎力栄先生が、教育会と肝付兼行の関係に興味をおもちなようなので、肝付の記事を「大日本教育会・帝国教育会の群像」にアップしました。手元にある資料と貯めてきた研究結果(使うところがなかった)を使って書いてみました。改めてまとめてみたところ、肝付は、教育政策諮問機関への軍人参加にも、重要な役割をした人物であったように思います。
 その他、今日は就活用の書類作成。夕方から雷雨になってきたので、日曜の学会参加の準備をして帰ります。
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ご心配おかけしました。

2007年05月17日 22時54分46秒 | Weblog
 昨日弱音を吐いて「毒」を吐き出し、かつ2件もの心温まるコメントをいただいたため、かなり元気になりました。ご心配おかけしました。最近、周りに親しい人がいなくなってしまったので(就職等のため)、ひとりぼっちになってしまった気になっていましたが、改めて沢山の人に支えられていることを確認した次第です。私は幸せ者なのですね。
 今日は夕方まで就活用書類を書く。就職については2・3年くらいできないだろうと覚悟していますが、やれることはやっておこうと思います。親も高齢なのでいつまで頼れるかわからないし、生活や将来の不安を抱えたままでは、落ち着いて研究することができないでしょうから。
 夕方からは、25日の特研発表用の博士論文構想を書きました。ぼちぼちできあがってきました。ただいま6割くらい完成。
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弱音吐きます

2007年05月16日 21時49分39秒 | Weblog
 本日、教育史学会から投稿論文の結果が知らされてきました。
 結果はダメでした。
 査読結果を見て結構期待していたのですが、そもそも投稿前にはいくつかの理由で心配があった論文でした。第一に、学会の傾向にあまり見られない大ざっぱなテーマだったこと。第二に、学会発表時に、教育会研究者を除く教育史研究者からあまり反応がよくなかったこと。第三に、当初は投稿する気はなかったため、準備が十分でなかったこと。これらの理由からすると、まあ仕方ないかとも思います。
 あれから半年経って、問題意識が明確になってきてることもあるし、テーマを絞って再投稿してみようかと思います。ただ、結果が出るのは一年後か… 長すぎる! タイムリミットは今年度までなので、再挑戦するにしても計算のうちに入れることはできないのです。
 つまりこれで、今年度中に博論を書く夢が、3分の1見るメがなくなりました。残る投稿論文は、あと2本。ただ両方とも教育史分野の学会ではないので、採用されたとしても博論の要件としては弱い。今日の1本は、投稿論文3本のうちの1本であっても、意味合いとしてはもっと大きかったかも。
 学問の道は厳しい。ひとかどの人物になるまで、容易ではないし、近道もない。私が目指すところは、あと何年かければ到達できるのでしょう。博論を書く前に、タイムリミットが来そうです。今は何とかやってるけど、生活できなくなれば、到達する前に脱落しそうです。
 道をあきらめる気はないので、私はただ、やることをやるだけです。でも、弱音を吐かなくてはやってられない。怨み言を言わなくてはやってられない。だって、前へ進む力になる要素が、今はとにかく見あたらないんだもの。
 期待してただけに、ヘコんでしまいました。ぬか喜びはケガのもと。
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就活用書類仕上げ

2007年05月15日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は就活用の書類を仕上げていました。夜までかかって1通完成。どうなるかわからないですが、とりあえず出してみよう。自分としては精一杯やりましたし、なかなかの出来だと思っています(笑)。就活に必要な書類は、募集先によって微妙に違うので、今回の書類をそのまま使い回すことはできません。しかし、まったく違うわけでもないので、大いに参考になるはずです。
 話は変わりますが、論理トレを終えて、以前より論理的な文章がかけるようになった気がしますよ。ブログの文章は、論文のまとめやその他の例外を除いて、論理的に書こうと思っていないので、相変わらずグダグダですが(^^;)。この文章は論理的でない、と気をつけるだけでも全く違います。就活用の書類はもちろん、25日発表用のレジュメも、間違いなく先月よりはわかりやすくなっているはず。事前に先生に渡さないといけないので、来週水曜までには仕上げないとな。
 さきほど明日のバイト準備が完了し、今日の作業はこれでおしまい。といっても、もうこんな時間なのか…
 (2007-05-16 00:58:13)
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