教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

戦後の運動部活動史から学ぶ部活動問題の解決策

2023年07月03日 23時55分55秒 | 教育研究メモ
 学生たちに自分の歴史を教育との関係で叙述してもらうと、多くの学生は中高での部活動を自分史において注目すべき現象として挙げて来る。部活動が現代の日本人の自己形成において欠かせないものになっていることは間違いあるまい。一方で、学校の働き方改革の論点の一つには、中高の部活動問題が必ず挙がって来る。中高教員の長時間労働を解決するために、部活動の問題は避けては通れない。部活動の問題は、その教育的意義の高さ(しかも人々の経験・実感に支えられている強固な価値観)ゆえに極めて難しい問題である。単に廃止することは中高生の教育的環境を貧しくすることにつながってしまうから、逆に新たな問題を生んでしまって問題解決にならない。
 現在、部活動問題の解決策の一つとして地域移行が挙げられる。2022年12月のスポーツ庁・文化庁「学校部活動及び新たな地域クラブ活動の在り方等に関する総合的なガイドラインについて」では、2023~25年度の間に部活動の地域移行を「地域の実情に応じて可能な限り早期の実現を目指す」とある。まずは休日、できるところから平日も地域移行をはかり、できれば地域クラブ活動への移行、できなくても合同部活動や部活動指導員等を実施することが提案されている。
 部活動の地域移行は、具体的な取り組みを実施に移した地域も徐々に出てきているようであるが、実は戦後を通して似たような取り組みや考え方は何度も登場していた(中澤2014)。例えば、1970年代には、運動部活動による教員の労働時間の増加に対して教員手当を出すかどうか、部活動での事故に対する教員の責任をどうするかが問題になり、運動部活動の「社会体育化」が推進された。1960年代の東京オリンピックを背景とした学校における運動部活動の推進のあと、運動部活動の統制的な側面を批判して、自由・自治に基づくスポーツを推進しようとする立場からの後押しもあって、運動部活動の「社会体育化」、すなわち今の言葉で言えば部活動の外部委託・地域移行が一時注目され、実施する地域もあった。しかし、1970年代末に学校での事故に対する保険制度が充実されたことや、地域移行後に生じた指導の過熱や指導者の教育的配慮が問題視されたために、80年代には社会体育化の勢いは急速に失われた。
 このように、1970年代には、オリンピックを背景に運動部活動が活性化し、その反面で、教員の時間外労働が問題になり、かつスポーツ本来の自由な活動や自治的取り組みを大事にするために地域移行が試みられるようになった。この歴史を見ていくと、現代のわれわれにとってもなんだか他人事でないような気がする。また、今と1970年代の状況は異なるが、この実例からわかることは、学校で部活動を続けられる体制(ここでは教員の手当と事故保障)が整えられれば、地域移行の取り組みは吹き飛んでしまう可能性があるということである。

 なぜそこまでして学校に部活動を囲い込もうとする人々が現れるのか。運動部活動は、1940年代末から50年代にかけて、日本社会の民主主義化のために、自由と自治に基づくスポーツを中心とした「新体育」の理念のもとに奨励されるようになった。(なお、民主化は別として、自由・自治に基づくスポーツに注目する議論や実践が戦前においてなかったわけではない) ところが、1960年代にはスポーツ選手の養成、1980年代には校内暴力・非行問題の解決策として、学校・教師の強い影響力のもとに行われる管理主義的な側面が注目されるようになった。1989年には学習指導要領において部活動によるクラブ活動の代替措置が認められたことを背景に、部活動は一層促進された。部活動は、学校教育の民主化や、青少年健全育成・非行防止のための生徒指導として、欠かせない教育活動としてその教育的価値が認められている。しかも、国策(スポーツ選手養成)に具体的に協力することにもなる。特にオリンピックを視野に入れた選手養成ともなれば、国際社会の中で存在感をもつための活動、選手を応援することで国民国家形成を具体的に推進する活動の一環であるともいえる。文化系部活動であっても、国民文化の維持向上の意義はすぐに見出されるし、国際大会などにつながることもあるので、同様の意義を認め得る。そういう視点で見ると、部活動はやはり学校教育の役割にかかわる重要な活動といえる。
 1980年代以降、運動部活動は、その管理主義的側面をたびたび批判され、生徒のケガや学業との両立、顧問の負担、生涯スポーツの実現などの観点からも批判されてきた。1990年代には、学校をスリム化しようとする新自由主義的な論調や、部活動を地域に開いて民主的に再編する参加民主主義的な論調、競技力向上のための一貫した指導体制の構築を求める論調によって、運動部活動批判が強まった。加えて、1998・99年の学習指導要領ではクラブ活動が廃止され、部活動で代替する体制も崩れて、部活動を公務と見なす根拠がなくなった。1970年代以降、民間スポーツ施設数は増加し、2000年代には合同部活動や外部指導員の取り組みもみられ始めた。現在でも繰り返されている部活動の地域移行論や取り組みは、歴史に似たようなものを見つけることはできるようだ。このような歴史の上に、今の我々が議論・解決すべき問題があることを忘れるべきではない。
 歴史の中の議論と現在の部活動問題の異なるところは、やはり学校の働き方改革が問題の中核にあるところである。部活動の教育的意義があるのも、地域移行に利点があるのも、歴史を見ていくとすでに多数の先人が多様に議論してきたことであった。現代においても問題意識や趣旨を共有することも多い。我々が歴史から学ぶべきは、議論の出発点を見極め、失敗の原因をさぐって対策を練ることである。何度も繰り返してきた議論をさらに繰り返す余裕はない。現代の議論は歴史を土台にしてその先を議論すべきであろう。

 では、歴史から学んで、何をすべきか。つたない私見だが一応述べておこう。
 まず、必要なことは、部活動を地域移行すべきか、学校教育に残すべきか、地域で結論を出すべきだ。議論でとどまらず、結論を出す。地方議員や地域住民だけで議論せず、学校も、生徒もともに議論すべきだ。そのために、コミュニティスクール機能の実質化は必須である。また、地域に移行可能な条件を整える必要がある。社会教育の振興を忘れてはならない。社会教育が弱いままでは、地域移行する受け皿が不足し、苦労して見つけた受け皿もトラブル続出となるだろう。その輪にはNPOや企業も入れていくことになる。教育的立場から推進できるように、地域学校協働本部の設置・活性化や地域コーディネーターの育成は欠かせない。
 もし地域移行しないと決まれば、部活動を学校教育に残していくことになる。合同部活動や外部指導員が具体的な手立てになっていくだろうが、何のために部活動を学校教育として行うか見失わないように、その目的の議論を欠かすわけにはいかない。部活動を学校教育に取り入れるならば、成功例(選手育成・非行防止など)以上に、失敗例(人権無視、しごき、学業の破綻、勝利至上主義など)の目立つ、管理主義的な位置づけは避けるべきである。生徒の自由と自治による活動自体に込められた民主教育(現代風にシティズンシップ教育といってもよい)として取り入れるべきだろう。そうなれば、顧問教員の役割は競技力向上にはなく、生徒の自由・自治活動を支え、民主主義的な生活を整えるところにある。競技力向上の指導は、教員ではなく、別途指導員が行うべきである。どうしても教員がやりたいならば、副業として指導員を務めるべきだ。そのためには教員の副業制度を整える必要があり、副業可能な労働環境が必要である。なお、残業手当・時間外手当を与えることで教員が教員のままで指導させるのは止めた方がよい。部活動の特別手当はすでに1970年代に創設されたが、その後の教員たちを本質的に救うことにはつながらなかった。大事なのは、学校教育として部活動を何のためにやるのかを明確にすることと、教員だけが抱えこまないような体制を整えることである。
 以上の私見が「釈迦に説法」となることを祈る。


参考文献
・中澤篤史『運動部活動の戦後と現在―なぜスポーツは学校教育に結び付けられるのか」青弓社、2014年。

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