教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

目 次「教育論」 (2012年3月時点)

2012年04月04日 22時01分51秒 | 目 次

 本ブログ「教育史研究と邦楽作曲の生活」では、「教育とは何か」をテーマに様々に論じてきました。まだまだ論述不十分の教育論ばかりですが、今までの関連記事をひとまず整理すると、以下のようになります。ここに挙げた記事以外でも、端々で細々・漠然と教育論を書いていますが、それらは除きました。
 私の教育論は、とくに教育を「生きること」と重ね、教育の目的を「夢の実現」に向けて設定したところが特徴だと思います(「新しい」わけではなく、「私らしい」という意味です)。また、試論として、主に教育を考えるための枠組みや立ち位置について、さまざまに論じてきました。ここらで全部ひっくり返して、論じ直すと面白そうです。そのためにも、この辺で一度整理し直してみました。
 なお、ひっくり返して論じ直した最初の試みが、先日3月18日の記事(下の1-(1))ということになります。

○ 教育とは何か(教育論)

1.「夢」の形成と実現へ向けて
(1) 教育とは何か―「夢」の形成・実現者の育成 (2012.3.18)
(2) 「夢」と成長・発達
  1) 「夢」とは何か―生きるための原動力 (2009.3.7)
  2) よりよく生きること―夢の役割 (2010.7.8)
  3) 「夢を持つこと」とは何か?―人間として成長・発達すること (2012.2.12)
(3) 「夢」の実現過程を描く
  1) 目標設定用紙を書いてみて (2008.6.1)
  2) 『おおきく振りかぶって』から学んだ目標設定の具体化方法 (2008.5.31)
  3) 『おおきく振りかぶって』の長期目標設定用紙について (2010.6.27)
(4) 生きることとは何か―「夢」に対する私の関心の原型
  1) 広島井口高等学校の地理科を履修した生徒たちへ (2007.7.26)
  2) 「生かされる」強制力と「生きていく」推進力 (2008.2.20)
  3) 「生きる」ための出発点―生活綴方によせて、現状を知ること (2008.5.4)

2.教育試論
(1) 語源から考える―『漢字源』を使って
  1) 語源から考える「教育とは何か」 (2009.5.12)
  2) 語源から考える「学習」とは何か―教育と学習との不即不離 (2009.5.27)
(2) 発達状況に応じた教育・保育とは?
  1) 発達状況に応じた保育について【1歳児】 附・各時期ならではの経験を積むこととは? (2011.6.10)
  2) 発達状況に応じた保育について【2歳児】 (2011.6.13)
  3) 発達状況に応じた保育について【3歳児】 (2011.6.15)
  4) 発達状況に応じた保育について【4歳児】 (2011.6.16)
  5) 発達状況に応じた保育について【5歳児】 (2011.6.20)
(3) 道徳教育から考える
  1) 道徳教育はなぜ必要か (2009.4.15)
  2) 「道徳」の語源― (2009.8.31)
  3) 「公徳」について (2008.9.12)
  4) 道徳教育の「教科」化について (2008.9.3)
(4) その他の観点から考える
  1) 新しい小学校社会科はこう変わる?―2008年学習指導要領公示前に (2008.1.18)
  2) 教育カウンセリングと教育相談 (2008.4.29)

3.教育学試論
(1) 教育学と教育史
  1) 教育学としての教育史―「教育とは何か」を考える資料 (2010.1.27)
  2) 教育史研究とは―教育問題を歴史から理解する (2007.1.22)
(2) 教育学の役割
  1) 教育学者は何をすべきか?―教育学研究と教育学教育 (2010.2.1)
  2) 教育学とは?―教職の基礎教養 (2007.8.8)
  3) 「教育研究活動」とは何か―教育学研究と教育研究とをつなぐ (2008.7.15)
(3) 教育とは何か―教育を考える基本的枠組み (2012.2.12)
(4) 明治中期における教育学の制度化―教育学史で教育学を考えるための序論 (2011.3.30)

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目 次「明治中期教育学史」 (2012年3月時点)

2012年03月30日 21時52分41秒 | 目 次

 長々と整理して参りました本ブログの目次ですが、ひとまず整理したものはこれで最後です。以後、通常運転に戻ります(笑)。

 本ブログ「教育史研究と邦楽作曲の生活」では、2007年1月19日作成(未発表)の拙稿「明治中期における教育学の制度化」を公開しております。論文とするにはもっと手を入れなければなりませんが、基礎研究として自分自身には重要だと考えております。「歴史から教育学とは何か考える」という関心から綴られたレポートと思ってもらえればよいかもしれません。
 他の研究者に少しでも刺激・参考になればと思って、公開しています。

○ 明治中期教育学史について

 明治中期における教育学の制度化 (2011.3.30)

1.明治中期における科学の制度化
(1) 明治中期における学問の制度化 (2011.3.31)
(2) 明治中期における科学教育・研究の制度化 (2011.4.1)

2.人文・社会系諸学の制度化
(1) 明治中期における人文・社会系諸学の制度化 (2011.4.2)
(2) 明治中期における歴史学の制度化と「日本」 (2011.4.4)
(3) 明治中期における社会学の制度化(組織化) (2011.4.5)

3.明治中期における教育学の制度化
(1) 明治中期における教育学説の発展 (2011.4.6)
(2) 明治中期の師範学校における教育学教育 (2011.4.7)
(3) 明治中期の帝国大学・「文検」における教育学 (2011.4.8)

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目 次「教育会」 (2012年3月時点)

2012年03月29日 23時55分55秒 | 目 次

 本ブログ「教育史研究と邦楽作曲の生活」では、私の研究の主要対象である「教育会」についても、いくらか見解を書いてきました。論文に生きているものもあれば、いまだ構想にとどまっているものもあります。
 なお、以下に整理したほかにも、本ブログには構想の構想というべきものも多数あります。とりあえず、記事を読んだだけでもなんとか理解できそうなものや、今でも基本線としては大きく間違っていないと思うもののみ、ピックアップしました。

○ 教育会について

1.教育会研究の枠組み試論
(1) 教育会は現在の教育委員会の前身か? (2010.3.21)
(2) 教授定型の普及ルート=教育会 (2006.1.26)
(3) 「教育会=利益団体」論 (2007.4.25)
(4) 教育会研究の基本文献(独断偏見) (2006.7.18)
(5) 明治人の距離感覚と大日本教育会 (2008.10.16)

2.中央教育会への注目―大日本教育会と帝国教育会
(1) 大日本教育会・帝国教育会の系図 (2011.1.24)
(2) 大日本教育会の前史と結成―東京教育会・東京教育協会・東京教育学会 (2011.1.27)
(3) 大日本教育会結成時の幹部組織の特質 (2008.6.17)
(4) 大日本教育会の結成と模索 (2011.1.29)
(5) 全国教育者大集会の開催背景―1880年代末における教育輿論形成体制をめぐる摩擦 (2010.11.30)
(6) 大日本教育会の教育研究団体化 (2011.1.31)

3.大日本教育会・帝国教育会の群像
   (teacupブログ 2009年3月までに、両教育会の東京府・広島県会員82名について簡易な列伝を作成)

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目 次「幼稚園制度」 (2012年3月時点)

2012年03月28日 23時55分55秒 | 目 次

 本ブログ「教育史研究と邦楽作曲の生活」では、私自身が幼稚園教諭養成に携わるようになったため、「幼稚園制度」についても少し論じています。政論になりすぎないよう気を遣いながら、それでも現場を少しでも知っているものとして黙っていられなかった結果、書いたものです。

○ 幼稚園制度について

1.なぜ保育所と幼稚園があるのか?―戦後日本保育制度史 (2011.4.19)

2.幼保一体化制度論の問題点
(1) 「子ども園(仮)」の制度化について (2010.10.4)
(2) 子ども・子育て新システムについての一考察―「幼稚園と0~2歳児保育」という問題 (2012.3.2)

3.幼稚園教員養成制度論の問題点
(1) 幼稚園教員養成について―教員養成課程延長(6年制)論の流れのなかで (2010.9.2)
(2) 教育実習先としての幼稚園の減少―実践力ある保育者の養成の困難 (2011.7.9)

4.幼稚園制度成立時の言葉―フレーベル「われわれの子どもたちに生きようではないか」 (2012.3.23)

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目 次「研究法」 (2012年3月時点)

2012年03月27日 22時46分17秒 | 目 次

 23:55:55投稿の目次記事については、予約投稿機能を利用しています。

 本ブログ「教育史研究と邦楽作曲の生活」では、研究(教育史研究)の仕方・あり方について、しばしば私なりに論じてきました。大学院生時代にもよく書いたため、いつどこに何を書いたか、本当にわからなくなってきています(笑)。
 もちろん、研究者ごとに自分のやり方があると思います。ただ、自分のやり方を再確認する上で、少しでも参考になれば幸いです。
 切れっ端みたいなものは除いて、まとまって書いた記事をなるべく整理してみました。

○ 研究のあり方・方法について

1.研究とは?
(1) 読書論(生硬)―自己修養の方法 (2005.9.18)
(2) 夢と研究―教育問題の解決に関わるために (2006.11.30)
(3) 評論と研究の違い (2005.5.31)
(4) 研究の楽しさ―「無間地獄」だけど… (2010.5.13)
(5) 教師に研究の時間を与えよ (2011.8.2) ※再掲

2.研究の方法
(1) 研究をよりよく進めるには?
  1) 教育史研究論文を書くまでVer 1.2 (2010.6.3)
  2) 研究会の組織と利用 (2010.6.4)
  3) 文献史料の読み方 (2010.6.6)
  4) 差異による論文の価値 (2010.6.9)
(2) 「理論がない」ってどういう意味? (2006.2.3)
(3) 学会・研究会への参加
  1) 研究会の効果、専門外の勉強 (2005.6.9)
  2) 学会・研究会での質問は、異論と批判のどちらがよいか (2007.5.12)
(4) レフェリー論文掲載までへの長い道のり
  1) 日本科学史学会編『科学史研究』に掲載されるまで (2008.7.8)
  2) 日本教育学会編『教育学研究』へ掲載されるまで (2008.10.21)

3.教育史研究法試論
(1) 時代区分・時期区分 (2006.3.15)
(2) 過去のリアルに近づく
  1) 古写真による過去の感覚の再現 (2008.8.7)
  2) 明治人の距離感覚と大日本教育会 (2008.10.16)
(3) 地方教育史研究の醍醐味?―具体的な教育の姿を垣間見る (2010.5.20)

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目 次「生き方」 (2012年3月時点)

2012年03月26日 23時55分55秒 | 目 次

 本ブログ「教育史研究と邦楽作曲の生活」では、生活の仕方すなわち「生き方」についてもしばしば綴ってきました。主に私自身の状況と、就職以降は学生指導の中から、そのとき感じたことを綴ったものです。
 なお、「夢の実現」というテーマともつながっているため、教育論にも関係の深い記事が多いです。

○ 生き方について

1.自分を律する
(1) 逃げたくなるのはなぜか―もういやだ (2010.6.23)
(2) 逃げたい気持ちを乗り越える―「わがまま」をコントロールする (2010.6.30)
(3) 座右の銘―成るときは成る! (2005.12.2)
(4) やるべきことをやるだけだ (2008.2.11)

2.自分と向き合う
(1) 無知の知―無知を認めること (2005.6.18)
(2) 他を見て己の未熟を知る (2008.11.25)
(3) 悩みの解消法(なまかた) (2005.10.21)
(4) 過去を再び経験したいか、なんて (2006.12.27)
(5) 鬱との闘争―鬱とつきあう私の方法 (2005.7.4)

3.自分を乗り越える
(1) 群青―つらい過去 (2009.7.25)
(2) 積み重ねる生活 (2011.2.12)
(3) 悪く良い方、狭く広い範囲 (2007.11.12)
(4) 今を生きる不安と充実 (2010.12.12)
(5) 目標達成のための準備 (2005.6.20)

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目 次「健康・その他」 (2012年3月時点)

2012年03月25日 23時55分55秒 | 目 次

 本ブログには、睡眠時無呼吸症候群と鼻づまりに関する検索キーワードでやってくる人も多いです。これらについて書いた記事を簡単にまとめておきます。
 睡眠時無呼吸については、下のものだと少ないようですが、古い記事は省略しています。下の1-(2)に古い記事へのリンクが張ってありますので、参照してみてください。なお、医学の進歩は非常に速いので、すでに時代遅れの内容を伝えているかもしれませんのでご注意を。
 ついでにその他の記事も集めておきました。
 ちなみに「目次」はあといくつか用意しています。順次公開していくつもりです。

○ 健康について

1.睡眠について
(1) 不眠を防ぐには (2007.3.19)
(2) 睡眠時無呼吸症候群に関する私の体験談 (2007.6.1)
(3) 私の睡眠時無呼吸症候群への対処法 (2010.7.18)

2.鼻づまり解消法
(1) 鼻づまり解消法(我流) (2010.7.25)
(2) 鼻づまり解消法(我流)補筆 (2011.7.25)


○ その他

(1) 私がブログを書く理由 (2007.1.8)
(2) 23時55分55秒 (2007.9.18)
(3) 他人の言葉 (2007.10.23)
(4) 生まれ変わるための長い道程 (2010.4.20)
(5) 現時点での研究業績の系統的整理 (2011.3.29)
(6) 教育問題把握における自由論の応用 (2006.4.7)

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目 次「日本教員史」 (2012年3月時点)

2012年03月24日 23時55分55秒 | 目 次

 本ブログ「教育史研究と邦楽作曲の生活」では、私の研究領域の一つ「日本教員史」について、しばしば書いてきました。それらは、主に自分の論文についての若干の解説と、先行研究のまとめです。自分でもいつごろ書いたかだんだんわかりにくくなってきましたので、ここに整理しておきます。
 なお、戦前の教師論や教員免許制度については、よく検索されているようです。

○ 日本教員史

1.日本教員史の歴史像の整理
(1) 唐澤富太郎の日本教員史像―師範タイプの克服を目指して (2008.2.26)
(2) 石戸谷哲夫の日本教員史像―教員の社会的位置 (2008.2.29)
(3) 『小学校教師の歩み』の日本教員史像
  1) 『小学校教師の歩み』その1 (2008.3.3)
  2) 『小学校教師の歩み』その2―国家統制からの自由 (2008.3.4)
(4) 『中・高教師のあゆみ』の日本教員史像
  1) 『中・高教師のあゆみ』その1―中等教員の多様性の源流 (2008.3.31)
  2) 『中・高教師のあゆみ』その2―大正・昭和期における中等教員の意識変遷 (2008.4.7)
(5) 海原徹の明治教員史研究―日本教員史研究の実証性の向上を目指して (2008.4.10)
(6) 寺崎昌男編『教師像の展開』―近代日本における教師像の歴史的形成過程 (2010.6.7)

2.明治前期の教員史
(1) 『日本教員社会史研究』その1―明治前期教員史研究の深化 (2008.4.15)
(2) 明治10年代後半、不況期において小学校教員に求められた意識と態度 (2009.12.10)
(3) 明治20年代初頭の大日本教育会における教師論 (2011.3.28)

3.明治後期の教員史
(1) 『日本教員社会史研究』その2―リアルな明治後期教員史像 (2008.4.21)
(2) 明治後期の教育者論とErzieher概念―教員改良のための (2010.4.2)
(3) 単級教授法という教育方法―明治20年代の教職の一断面 (2008.7.31)
(4) 明治30年代初頭の鳥取県倉吉の教員たち
  1) 明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員の問題意識 (2010.12.20)
  2) 明治30年代初頭の鳥取県倉吉における教員集団 (2011.12.23)

4.戦前日本における教員養成と教員資格
(1) 師範学校卒教員と検定教員 (2010.8.19)
(2) 戦前日本の小学校教員養成のしくみ―笠間賢二論文を読む (2007.4.24)
(3) 戦前日本の教員免許―牧昌見『日本教員資格制度史研究』 附・免許終身制への視点 (2010.7.2)

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目 次「日本音楽(純邦楽・現代邦楽)」 (2012年3月時点)

2012年03月19日 23時55分55秒 | 目 次

 本ブログ「教育史研究と邦楽作曲の生活」では、「日本音楽(純邦楽・現代邦楽)」についてあれこれ書き綴ってきました。来訪者はもちろんですが、すでに私自身もいつごろどこで何を書いたのかわからなくなっています(笑)。古い記事には読みにくいものもありますが、主に自分の気分転換のために、整理して目次をつくってみましたので、もし興味がありましたらご利用ください。

○ 日本音楽(純邦楽・現代邦楽)について

1.現代日本音楽論
(1) 日本音楽の展開―小泉文夫の現代邦楽問題 (2006.1.13)
(2) 1970年代の音楽教育の問題点―小泉文夫を手がかりに (2005.12.11)
(3) 伝統音楽と西洋音楽―伝統音楽(2006.1.8 ※後半のみ該当) 伝統音楽2(2006.1.9 ※末尾のみ該当)
(4) 戦後日本音楽史における杵屋正邦 (2006.6.24)
(5) 三味線のイメージ (2008.3.8)

2.現代日本音楽作曲論
(1) 今後の純邦楽について―作曲法と曲の聴き継ぎ (2011.5.15)
(2) 現代邦楽の作曲スタンス (2006.1.15)
(3) 純邦楽の1960~70年代―作曲年から考えること (2011.2.11)
(4) かつて私が作曲し始めた理由 (2010.3.23)
(5) 京都にて、私の中の教育と作曲の間を見る (2006.11.18)

3.自作曲について
(1) 自作の純邦楽曲について (2010.3.24)
(2) 自作純邦楽曲その1 「ひのもとのくに」 (2010.3.25)
(3) 自作純邦楽曲その2 「糸竹協奏曲第一番 “焔”」 (2010.3.27)
(4) 自作純邦楽曲その3 「祭りの喧騒」 (2010.4.1)
(5) 自作純邦楽曲その4 「穂波」 (2010.4.10)
(6) 自作純邦楽曲その5 「唐牡丹」 (2010.5.4)

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