今日は結局午前1時半ごろに起きあがりました。登校中に少し眠くなってきたので、一度帰りました。で、カフェインを摂って寝ると短い時間の睡眠で眠気が吹っ飛ぶと聞いたことがあり、何度もうまくいっているので、コーラを飲んで一寝入り。15分ぐらいで再び起きました。眠気はだいぶ飛びました。
それから、7月9日のコンサートの準備(リハや当日のタイム・スケジュール作成や、プログラム原稿の作成など)をしました。予定では3時間ぐらいでできあがる予定だったのですが、思った以上に時間がかかり、結局朝までかかってしまいました。まあ、とりあえず一段落したので良かったなぁ。
9時すぎ、7月のコンサートで使う道具を借りに広島大学邦楽部(文化系サークル棟和室)へ。そのついでに総合科学部周辺の掲示板にコンサートのチラシ・ポスターを貼る。それから、運動へ。運動後、昼食を買って帰り、洗濯をしながら食す。13時半から三味線の練習のため、近所に住む相方のTさんのところへ。
練習後、疲れたので少し自宅待機。自宅待機中、吉崎清富『杵屋正邦における邦楽の解体と再構築』(出版芸術社、2001年)を読む。この本は、大阪大学大学院文学研究科の学位論文で、杵屋正邦(きねやせいほう、1914~1996)という戦後の邦楽(日本音楽)作曲の巨匠の人物研究です。戦後日本音楽史における杵屋正邦の位置づけに成功しており、日本における音楽学の立派な研究であろうと思います。私はそちらの専門ではないので専門的な位置づけはできませんが、個人的には次の二つのことが興味をひきました。
第一に、杵屋正邦は、伝統音楽の解体と再構築による「現代邦楽」を形成した人物であったことを、正邦の履歴や言説等によって実証したこと。なお、正邦が属する現代邦楽の流れとは別に、西洋音楽理論・技法を土台として現代邦楽を形成する流れがある。正邦も西洋音楽の理論・技法を応用したが、それは伝統音楽の解体と再構築によっては得られない部分を補うためであった。正邦の作曲活動には、あくまで伝統音楽が土台にあったのである。
第二に、杵屋正邦の膨大な作品を整理し、作品一覧表を作成したこと。吉崎氏は正邦宅にて作品の整理を行い、全部で1,354点の作品の存在を明らかにした。その中には、初演されていない曲も多く、一般に知られていない多くの曲の存在を明らかにした功績は大きい。
以上2件が個人的に興味をひいた点です。ただ、不満な点が一点。この本は、西洋音楽学者である吉崎氏(東京学芸大学)の手による学位論文がもとになっているので、作品の理論的分析が中心かと思いきや、杵屋正邦の履歴と20世紀の日本音楽をとりまいた直接・関節の社会状況とを重ね合わせて分析した歴史的研究が中心の本です。作品の理論的分析も本書の6分の1程度ありますが、杵屋正邦が一千曲以上もの作品を残したことを考えると、これだけの分析では物足りません。すべての曲を分析することはできないのは当たり前なので、吉崎氏がやったようにエポックメーキング的作品10点を選び出して事例研究を行ったのも仕方ないのですが、その分析の仕方が不満なのです。というのも、吉崎氏は、形式的な種類別(舞踊曲とか三絃曲とか)に機械的に分け、音楽技法の分析をするにとどまっています。せっかく正邦の履歴・思想・社会的役割等の分析をたくさんやったのだから、もっとそれらの結果と作品の傾向をリンクさせて分析してほしかったなぁ。そうでなければ、作曲家・杵屋正邦の本当の歴史的意義(本書に合わせれば音楽学的意義)はわからないんじゃないかと思うのですが。
まあ、膨大な作品数があるわけですから、吉崎氏一人の仕事ではないでしょうし、その辺は今後の課題でしょう。その課題に取り組むとき、吉崎氏の仕事は貴重な先行研究となると思います。ただ、杵屋正邦の作品に触れる機会がもっと増えないと、課題は課題のままで終わってしまいそうで心配ですが。楽譜は出版されていないものがほとんどなので実際普及していないし、入手・閲覧手段も限られていますしね。どうにかならんのでしょうか。
この本を買ったのは数年前で、杵屋正邦の作品にハマっていた時に買いました(ちなみに、私の作品は杵屋正邦に影響されている、と知り合いに批評されたこともあります。自分でも正邦の影響は大きいと思います)。この本を買ったときは、単なるオタク的な興味関心しかなくて、上記の第二点の作品一覧表にしか興味がありませんでした。ですが、今はむしろ、歴史的な興味や学問的興味が先行して、第一点に非常に強く興味がひかれました。どうやら長々と述べた不満点は、従来の作品そのものに対する興味と、歴史的興味が合わさって現れたもののようです。自分のことながら、時と経験と現状によって視点がはっきり変化し、そのために新しい興味が湧いたというところにおもしろさを感じます(笑)。
とまあ、このブログの大半の読者が興味のないであろうことを、つらつらと書いてしまいました(笑)。吉崎著を読んだ後、再登校。辻哲夫『日本の科学思想』の続きを読む。
それから、7月9日のコンサートの準備(リハや当日のタイム・スケジュール作成や、プログラム原稿の作成など)をしました。予定では3時間ぐらいでできあがる予定だったのですが、思った以上に時間がかかり、結局朝までかかってしまいました。まあ、とりあえず一段落したので良かったなぁ。
9時すぎ、7月のコンサートで使う道具を借りに広島大学邦楽部(文化系サークル棟和室)へ。そのついでに総合科学部周辺の掲示板にコンサートのチラシ・ポスターを貼る。それから、運動へ。運動後、昼食を買って帰り、洗濯をしながら食す。13時半から三味線の練習のため、近所に住む相方のTさんのところへ。
練習後、疲れたので少し自宅待機。自宅待機中、吉崎清富『杵屋正邦における邦楽の解体と再構築』(出版芸術社、2001年)を読む。この本は、大阪大学大学院文学研究科の学位論文で、杵屋正邦(きねやせいほう、1914~1996)という戦後の邦楽(日本音楽)作曲の巨匠の人物研究です。戦後日本音楽史における杵屋正邦の位置づけに成功しており、日本における音楽学の立派な研究であろうと思います。私はそちらの専門ではないので専門的な位置づけはできませんが、個人的には次の二つのことが興味をひきました。
第一に、杵屋正邦は、伝統音楽の解体と再構築による「現代邦楽」を形成した人物であったことを、正邦の履歴や言説等によって実証したこと。なお、正邦が属する現代邦楽の流れとは別に、西洋音楽理論・技法を土台として現代邦楽を形成する流れがある。正邦も西洋音楽の理論・技法を応用したが、それは伝統音楽の解体と再構築によっては得られない部分を補うためであった。正邦の作曲活動には、あくまで伝統音楽が土台にあったのである。
第二に、杵屋正邦の膨大な作品を整理し、作品一覧表を作成したこと。吉崎氏は正邦宅にて作品の整理を行い、全部で1,354点の作品の存在を明らかにした。その中には、初演されていない曲も多く、一般に知られていない多くの曲の存在を明らかにした功績は大きい。
以上2件が個人的に興味をひいた点です。ただ、不満な点が一点。この本は、西洋音楽学者である吉崎氏(東京学芸大学)の手による学位論文がもとになっているので、作品の理論的分析が中心かと思いきや、杵屋正邦の履歴と20世紀の日本音楽をとりまいた直接・関節の社会状況とを重ね合わせて分析した歴史的研究が中心の本です。作品の理論的分析も本書の6分の1程度ありますが、杵屋正邦が一千曲以上もの作品を残したことを考えると、これだけの分析では物足りません。すべての曲を分析することはできないのは当たり前なので、吉崎氏がやったようにエポックメーキング的作品10点を選び出して事例研究を行ったのも仕方ないのですが、その分析の仕方が不満なのです。というのも、吉崎氏は、形式的な種類別(舞踊曲とか三絃曲とか)に機械的に分け、音楽技法の分析をするにとどまっています。せっかく正邦の履歴・思想・社会的役割等の分析をたくさんやったのだから、もっとそれらの結果と作品の傾向をリンクさせて分析してほしかったなぁ。そうでなければ、作曲家・杵屋正邦の本当の歴史的意義(本書に合わせれば音楽学的意義)はわからないんじゃないかと思うのですが。
まあ、膨大な作品数があるわけですから、吉崎氏一人の仕事ではないでしょうし、その辺は今後の課題でしょう。その課題に取り組むとき、吉崎氏の仕事は貴重な先行研究となると思います。ただ、杵屋正邦の作品に触れる機会がもっと増えないと、課題は課題のままで終わってしまいそうで心配ですが。楽譜は出版されていないものがほとんどなので実際普及していないし、入手・閲覧手段も限られていますしね。どうにかならんのでしょうか。
この本を買ったのは数年前で、杵屋正邦の作品にハマっていた時に買いました(ちなみに、私の作品は杵屋正邦に影響されている、と知り合いに批評されたこともあります。自分でも正邦の影響は大きいと思います)。この本を買ったときは、単なるオタク的な興味関心しかなくて、上記の第二点の作品一覧表にしか興味がありませんでした。ですが、今はむしろ、歴史的な興味や学問的興味が先行して、第一点に非常に強く興味がひかれました。どうやら長々と述べた不満点は、従来の作品そのものに対する興味と、歴史的興味が合わさって現れたもののようです。自分のことながら、時と経験と現状によって視点がはっきり変化し、そのために新しい興味が湧いたというところにおもしろさを感じます(笑)。
とまあ、このブログの大半の読者が興味のないであろうことを、つらつらと書いてしまいました(笑)。吉崎著を読んだ後、再登校。辻哲夫『日本の科学思想』の続きを読む。