教育史研究と邦楽作曲の生活

一人の教育学者(日本教育史専門)が日々の動向と思索をつづる、個人的 な表現の場

何をしたのかわからない

2007年03月16日 20時02分13秒 | Weblog
 昨晩から徹夜して、朝まで論文を書く。もう「できた」ような気になるくらい、かなりでき上がりました。さすがにおなかがすいたので、朝食を食べに一旦帰宅。しかし、朝食後、ジワジワ眠くなってくる。このまま登校すると「研究室で寝てしまう=逆に疲れる」ので、少し眠気をとろうと仮眠。ちょっと寝過ぎる。
 昼、再登校。
 しかし、ずーーーーっとボーーーーっとしていたのでした…
 結局、再登校後、何にもしてねぇ…
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そして日付がかわる

2007年03月15日 23時55分55秒 | Weblog
 今日もまた寝過ごす。くっ…俺ってヤツは…
 昨日がんばろうと誓った手前、今日は徹夜する覚悟。
 まず、16時半まで図書館で先行研究を集める。次に少し三味線を弾き、気分転換をする。そして、ひたすら論文を書く、書く、書く。
 そして日付がかわっていった…
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やすみ

2007年03月14日 23時43分26秒 | Weblog
 このところ中途半端にしか休んでなかったので、今日は全休。ただ、再審査論文の構想を仕上げました。後は少し先行研究を読んで、書くだけ!
 よ~し、がんばろう!
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元に戻ったが、前へ進んだ

2007年03月13日 18時16分46秒 | Weblog
 昨日から徹夜明けのため、眠りが深く、寝過ごしました。
 昼から登校後、松本著を読む。後少しで読み終わるところで、集中力が切れてしまいました。疲れてると、集中力も続かない。
 ちなみに、まだ粗いですが、徹夜のかいあって、なんとか博士論文構想が一段落しました。結局、教育会史研究の方向で行くことになりそうです。紆余曲折を経て、テーマだけ見れば元に戻ったように思いますが、問題意識・内容・構成いずれも「元に戻った」わけではないとも感じています。むしろ、「前へ進んだ」「さらに深まった」というべきでしょうか。教育研究論、教育学論、学問論、自然・社会科学史などなど、広範な勉強をしてきたため、ものすごく遠回りになりました。博論に直接使える知識はほとんど残っていません。もう少し、効率的にできなかったものかとも思いますが、得られたものは大きいように感じます。1年前にY先生の指導を本格的に受ける前に立てた博論構想に比べて、ひと味もふた味も違った構想になりました。
 まぁ、また根底からひっくり返されるんでしょうが…(笑)。
 さて、そろそろ再審査論文を書き始めなきゃなぁ。
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乱れたサイクル

2007年03月12日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は寝過ごしてしまいました。
 昼遅くから登校。松本著を少し読む。
 帰ろうかと思いながらあまり気が進まないので、博論構想にとりかかる。なかなかキリのいいところまで進まないため、帰るタイミングを失ってしまいました。結局、徹夜してこんな時間に(2007-03-13 05:47:20)。ん~、乱れた生活サイクルがさらに乱れなきゃいいんだけど…
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コンサートの裏方

2007年03月11日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は、知り合いのコンサートの裏方を頼まれていました。
 一日中、そのお手伝い。演奏しないのは気楽なのですが、あれよあれよという間に責任ある仕事を任されて大変でした。舞台転換が激しくて、今までやった裏方の仕事の中で一番忙しかったなぁ。ただ、いろんな分野の知り合いが増えてうれしいです。
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蒼き狼

2007年03月10日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は中途半端に休んでしまいました。
 大学後期入試のため、11日まで関係者以外校舎への入場禁止になっていたので、学校へは行かず家にいました。このところ根を詰めて読書をしていたためか、急に燃え尽きたように勉強する気にならず、ダラダラと過ごす。松本著を若干読みましたが、読み切りには至らず。博論構想を進めましたが、以前ダメ出しされた構想と近からず遠からずの構想になってしまっていることに気づき、結局全て破棄。ただ、その代わり、このところこだわっていた理想的な方向ではなく、現実的な方向の構想について、まとまりそうな予感を得たことは収穫でした。このところやっていた博論構想は破棄されましたが、これではいろいろな意味でダメだと自分なりに本当に納得したのは、今後構想をまとめるにあたって大事なことだと思います。
 夜、友人Yと映画「蒼き狼」を見に行く。モンゴルの自然は雄大で、遊牧民たちの文化的な描写はがんばっていたと思います。が、如何せんいろいろ問題あり。細かいところは言いませんが、とくに日本人が日本人スタッフ・キャストでモンゴルの英雄を描く真意がよくわかりません。モンゴルのナショナリズムの象徴としてイメージ化しようと考えたのかなぁ。もしそうなら余計なお世話ではないかとも思うのですが。
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またもや

2007年03月09日 19時11分50秒 | Weblog
 今日は二日酔いのためか、体がむくんでシンドイ。
 午前中に登校。昨日読み残した松本著を読もうとしましたが、またもや博論構想へと興味が移っていってしまいました。夕方ごろにようやく一段落。それから少し読書を再開。ただ、用事があるため、ここでタイムアウト。
 またもや読み切れず。ていうかー、ほとんど読めなかった。
 まぁ、博論構想が一段落したからいいか。
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『近代日本の知的状況』

2007年03月08日 23時55分55秒 | Weblog
 今日は、松本三之介『近代日本の知的状況』(中公叢書、中央公論社、再版1977年・初版1974年)を読みました。戦後「解放された」という個人(私)とは何だったのか、戦後「復興を目指した」という民主主義などあったのだろうか、といった問題意識の下、江戸時代後期くらいから戦後1960年代くらいまでの政治思想史を描いた本です。また、戦前戦後の「公」を考えるうえで、「アジア・ナショナリズム」にも注目しています。
 上記松本著は、寝過ごして登校が遅くなったのと、読書中にメモをしている間に博論構想を練るのに熱中してしまった上に、夕方から用事があったため、半分も読めませんでした(笑)。用事というのは、5年来の親友を追い出す宴会のため。数年ぶりの宴会幹事をしました。
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理科教育、知政学、“チャート式”

2007年03月07日 20時31分52秒 | 教育研究メモ
 今日は、庄司和晃『科学的思考とは何か』(明治図書、1978年)をざっと読み切り。本書の内容は、「小学校の科学教育における科学的思考とは何か」という問題の下、非科学・前科学的思考を明らかにして科学的思考を浮き彫りにし、さらに小学校の理科教育の実践例から科学的思考の形成に関する原理を見いだそうとしたものです。読者として想定されているのは、現役の小学校理科教員または小学校理科教員を目指す学部生の様子。一番言いたいことは、小学校理科教育の目的は自然に対する態度の形成ではなく、科学的思考の形成なんだ、ということかな。題名からして「科学的思考」について専門的に理解できるかとも思ったのですが、実際のところ「小学校段階で形成すべき科学的思考」(+小学校理科教育法)について書かれた本だったので、少し肩すかしをくらったような気分です(笑)。
 もういっちょ。米本昌平『知政学のすすめ-科学技術文明の読みとき』(中公叢書、中央公論社、1998年)も読む。「知政学」というのは、米本氏の造語なのかそうでないのかわかりませんが、意味は、科学(知)と政治の関係を考える学問という意味のようです。知政学は、地球環境問題や医療問題など、科学技術と政治の問題の中間にある問題を扱う分野で、ちょっと前に紹介した科学技術社会論と似ています。キーワードは、「構造化されたパターナリズム」だと思います。パターナリズム(父権主義的決定)とは、専門家がその専門知識と経験とを動員して、素人(利害関係者)を慮って方針を決め、素人もこれを受け入れる、という意味です。米本氏は、日本の政治が「霞ヶ関以外に具体的な政策立案を行う能力をもつところはなく、民衆もそれを受け入れる」社会解釈に基づいているのを問題視し、それを「構造化されたパターナリズム」と呼んでいます。この社会解釈は、官僚の優秀性を強調すると同時に、すべての監督責任を行政府へ帰結させる社会的態度を生み、専門家集団(とくに正規の専門教育を受けた科学者の集団)の社会的責任とそれを果たす態勢を問題視できなくしているというのです。科学技術社会論は、専門家・行政・市民の合意形成により社会的決定を下すべきという論ですが、知政学は、専門家と行政の関係を重視し(市民も少し考慮に入れられていますが)、とくに専門家の政治的覚醒を促す論だと読み取りました。教育の分野の場合、そもそも「専門家」とは何かハッキリしないので、この論を取り入れる時は要注意のように思います。
 さらに、中村滋・杉山滋郎「星野華水による“チャート式”の起源とその特徴」(日本科学史学会編『科学史研究』第45巻No.240、岩波書店、2006年冬、209~219頁)も読む。私も使った受験用数学参考書“チャート式”。なつかしいなぁ。もう二度と使いたくないものです(笑)。この論文は、“チャート式”の起源を探り、今にも続く特徴を見出す論文です。“チャート式”には、人々の数学・科学に対するイメージの形成に寄与した可能性と、考え方のマニュアル化に寄与した可能性がある、という問題意識から論文は書かれています。“チャート式”は、昭和4(1929)年、星野華水が予備校・参考書・受験雑誌を駆使して生み出した、「ひらめき」を廃し、明確に解法の誘導を行う形式であったようです。“チャート式”は、受験数学の問題解法のマニュアル化の第一歩となったとのこと。日本教育史の分野では受験文化の研究は近年徐々に研究者が出てきているようですが、科学史の論文にもこういう論文が出てきたとなると、うかうかしていられませんね。これから研究しようとしている人は要チェック。
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近代日本の科学技術史の視点

2007年03月06日 23時55分30秒 | 教育研究メモ
 最近、教育史家というより科学史家になりかけている私(笑)。
 昨日の反動で昼起き。少し風邪気味。
 寒い。1月・2月があったかくて3月が寒いとはどういうことか(笑)。
 今日は登校が遅かった上、なんやかんや来客が多くて読書が進みませんでした。今日の本は読むところが少なかったので、何とか読み切りましたが。今日は、飯田賢一校注『科学と技術』(日本近代思想大系14、岩波書店、1989年)を読みました。基本的には資料集で、5分の4程度が資料。一部の資料と解説を読みました。非常に興味深かったのは次の文章。

「いうまでもなく近代日本の科学と技術の歴史は、西欧科学の受容と技術移転とを機軸に成り立ったものである。したがってヨーロッパ流に科学的発見と発明のあゆみを中心に歴史をとらえることは、不可能ではないにしても、さして意味をもたない。」(432頁)

若干言い過ぎのようにも感じますが、極端な分、非常に面白い文章です。土着の科学技術的な自然認識・技術技芸のとらえ方にも、興味が持てました。近代日本教育学史として言い換えた場合、どうなるだろうか。
 あと、博論構想に四苦八苦しました。
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ん~

2007年03月05日 18時33分26秒 | 教育研究メモ
 今日は早起き。午前中に無呼吸の定期診察のため病院へ。
 登校後はひたすら読書。今日は、伊東俊太郎・村上陽一郎編『日本科学史の射程』(講座科学史4、培風館、1989年)を読む。同書には、古代から明治までの日本の自然認識や技術の歴史を、日本科学史として描く論文集。内容は、古代日本における宇宙観・世界観、真言密教(空海)における探鉱・採鉱・鍛錬技術、朱子学と自然科学(洋学)との接合場面における朱子学的「理」の後天的・経験的側面に関する強化強調、本居宣長の学問の両義性(国学と医学)、蘭学における直訳的義訳の医学的擁護形成に果たした役割・評価、オーストラリアとの比較からみた明治日本における物理学の受容と定着の特質・問題点、和算の内容上の通史、中国科学と西洋科学の評価における日本人の役割、日本に物理学がうまれそこなった歴史、日本への近代物質観の伝達における重要な蘭書と学者の努力、本草家同士のつながりへの視点を含む本草学の通史、農業研究における普遍性の追求と地域性への対応、江戸時代の医学(漢方・蘭方)の通史、が明らかにされています。これも科学史だといっていいのか?と気になるところもぽつぽつと。
 あと、博士論文の問題設定について気になる点があったので、悩む。
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仮説を否定する論文の価値

2007年03月04日 19時22分07秒 | 教育研究メモ
 本日、研究室にこもっているとき、久しぶりにウグイスの鳴き声を聴きました。絶妙の美しい声で、様々なバリエーションの「ホーホケキョ」を聴くと、うれしいやらかなしいやら。なぜかなしいかというと、春になってしまった実感がわいてくるので(まだひきずってんのかよ(笑))。
 昨晩は結局徹夜し、午前6時くらいまで博論構成を練っていました。なかなか適度な規模の問題意識を設定できたように思います。ま、いつものように、いいものができたつもりでも根底から否定される可能性は高いのですが…
 一時帰宅し、3時間ほど仮眠。それから再び登校しました。今日は、板倉聖宣・中村邦光・板倉玲子『日本における科学研究の萌芽と挫折-近世日本科学史の謎解き』(仮説社、1990年)を読む。本書は、「日本に物理学が生まれそこなった歴史」を解明するため、近世の和算や秘伝書から物理学的な問題を探し、その特質を明らかにするものです。本書の研究方法は、仮説-実証を丁寧に繰り返し、事実または論理上間違った仮説の破棄と、資料や通説によって証明され、かつ論理的にもより正しい仮説を導き出す方法をとっています。我々が「事実」と思っていることも実は未来の「仮説」にすぎないかもしれないと考えると、本書に見られる仮説-実証の繰り返しこそが研究の過程そのものを示しているようにも思えてきます。
 本書には、最初に提示した仮説の否定を結論とする論文が多く掲載されています。このような論文を読むと、何ともやりきれない思いがします。しかし、結果的に次に続く論文が研究目的を達成するための踏み台になっているならば、「この仮説設定では研究問題を解くことはできない」ということを示す論文も決してムダなものではありません。その分、本書の論文は、本書全体の目的(「日本の自然に対する考え方が物理学になりそこねた歴史を描く」)に対して、誠実に対応しているため、結論が仮説の否定でも興味深く読めます。学問は論争や新たな研究を引き起こす問題提起によって発展を始めるのであり、同学の者に問題提起する論文ならば、仮説の否定が結論である論文は意味があります。ただし、逆を言えば、学問の環境が自由かつ継続的に同学の者が論争することができない環境である場合、仮説の否定が結論である論文は論争につながるものにはなりえず、無意味なものになるでしょう。
 本書の内容について少し。17世紀の砲術秘伝書・和算書は、同時期のヨーロッパでガリレイが最初に叙述したとされる「弾道が放物線を描くこと」を明らかにしていました。しかし、日本の弾道研究はあくまで現象論的な説明に終始し、「力」や「速度」といった物理学に重要な力学的概念が見出せませんでした。本書では、その意味で、日本の弾道研究は「物理学になりそこねた」ことを主張するのです。本書では、弾道研究の他に、「密度」「円周率」「てこの原理」についての「物理学になりそこねた歴史」が叙述されています。
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邦楽ノート・雅楽特集

2007年03月03日 23時55分55秒 | Weblog
 昨日と同じく、今日もやる気出ず。
 昼過ぎにようやく登校し、じわじわと読書をはじめる。今日は、W.ブレツィンカ(小笠原道雄監訳)『教育学から教育科学へ-教育のメタ理論』(玉川大学出版部、1990年・原著1978年)を読む。以前読んだときはチンプンカンプンだったのですが、今日はすげぇ面白く読めました。まだ読み込めない部分の方が多いのですが、教育科学とは何か、少し理解できたような気がします。
 どうもフラフラしているので、息抜きが必要。そのため、夕方から、ノートジャパンの「邦楽ノート」を聴きに行きました。このコンサートは、H大邦楽部のOGでお世話になっているtaki先輩が、広島市東区民センターの後援を得てプロデュースしているもの。毎年何回か開催されていて、本格的な邦楽の演奏をいろんなジャンルから聴かせてくれる、とても稀有な企画。今回は、雅楽がクローズアップされました。私は雅楽について素人なので専門的なことはわかりませんが、本格的な演奏を聴くことができ、非常に良い時間をすごすことができました。内容は、現代邦楽や太鼓によくあるド派手な演奏とはまったく違っていて、全体的に雅楽らしいゆったりした演奏でした。全演目とも、「神」を迎え、遊ばせ、送るという一連の儀式のための曲ですが、この儀式は演奏者の説明によると「人間的」な儀式だそうで、「神事=神聖不可侵・非人間的・荘厳」というような一般的なイメージとはちょっと違うのかなと思いながら聴かせてもらいました。雅楽の「神」観が感じられて、面白いなぁと思いました。昔からそうなのかな?
 本格的な雅楽を生でたっぷり聴いたおかげで、若干元気が戻ってきました。広島市内から東広島市内へ帰った後、即、大学へ再登校。昼間、読み切ろうと思って読み切れなかった本(上述)を読む。ただ、読書中に博士論文の構想が次々に湧いてくる。この本も「いい本」だったわけです。湧いてくるアイデアをメモをしていると、いつのまにか読書そっちのけになってしまった。
 「邦楽ノート」は、明日(4日)もあります。広島市東区民センター・スタジオ1、13時半開場・14時開演。有名な「越天楽」も曲目に上がってます。私は勉強しなくちゃいけないので4日の部にはいけませんが、時間のある人はいってみてください。おすすめです。
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悪循環

2007年03月02日 23時55分55秒 | Weblog
 どーもやる気が出ません。
 確実なのは、いくら寝ても眠った気がしないこと。
 そのため、いくらでも寝てしまうこと。
 そして、夜眠れなくなること。
 さらに、昼間やるべきことができないこと。
 悪循環だー

 今日は後輩と語らっておりました。
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