伊藤銀次 The 30th Anniversary Tour「Baby Blue 2007」

2007年07月30日 | Live

開演前に同じテーブルにいた見知らぬ誰かが、伊藤銀次といえば水玉のシャツなのだと連れ合いに話していたのを聞いた。今まで気がつかなかったが、そういえば水玉のシャツを着た姿を覚えている。昔、佐野元春とFM雑誌で対談した時だ。水玉のシャツは銀次のトレード・マークだったのだ。

10分押しで開演し、ステージに現れた銀次は水玉のシャツを着ていた。大きな目は意欲に溢れていた。しばらくの間、歌手活動を行っていなかったが、復帰するのだという熱意が感じられた。

僕は銀次のソロ・アルバムというと『Deadly Drive』、『Baby Blue』、『Sugar Boy Blues』、『Love Parade』の4枚しか持ってない。しかし、今回のライヴは『Baby Blue』時代の曲を演奏すると聞いていたので、それだけしか聞いてなくてもいいんじゃないかと思っていた。

トリオでの演奏、青木ともことのユニット「Cloudy Bay」の演奏、ソロがあり、ゲストとの共演と続いた。聴きたかった曲はほとんど聴けた。「風になれるなら」、「こぬか雨」、「幸せにさよなら」、「そして誰のせいでもない - Because Of You」、「雨のステラ」、「夜を駆けぬけて - Running Through The Nights」。

ライヴにはとても満足していた。今日、来てよかったと思った。アンコールでは「笑っていいとも」のテーマ・ソング「ウキウキ・ウォッチング」もやってくれた。でも、何か1曲足りなかった。その曲の存在を僕は長い間忘れていた。曲名すら出てこなかった。まだ聴きたい曲が残ってるのだと思いながらライヴは終了した。

終演後、サイン会があり、僕も参加した。何か声をかけたかったが、失念した曲名が思い出せないため、何も言えなかった。銀次は丁寧にサインをしてくれた。最後に握手した時、僕は銀次の顔をじっと見た。大きな目がこちらを見つめていた。

曲名は翌日になって思い出した。「Flowers In The Rain」だ。銀次は10月にデジタル・リマスタリングでリイシューされるポリスター時代のアルバムのために、この夏は没頭するらしい。その後、秋から冬にかけてライヴ活動を再開するという。ライヴ・ツアーのタイトルは「Stardust Symphony 07-08」。その時には、たぶん「Flowers In The Rain」は演奏されるだろう。

■伊藤銀次 The 30th Anniversary Tour「Baby Blue 2007」
2007年7月8日(日) バナナホール
整理番号ぴあ17番

伊藤銀次(Vocal/Guitars)
小野田清文(Bass)
市田ユウキ(Drums)
青木ともこ(Vocal/Guitar/Keyboards)
GUEST MUSICIANS
古村敏比呂(Saxophone)
黒沢秀樹(Vocal/Guitars)

Set List
01.Baby Blue 2007(short)~ロックスターの悲劇
02.Suger Boy Blues
03.Dream Time
04.Theme of Cloudy Bay~Runaway(Cloudy Bay)
05.夏の夕暮れ(Cloudy Bay)
06.六月(Cloudy Bay)
07.幸せにさよなら(Solo)
08.風になれるなら(Solo)
09.こぬか雨(Solo)
10.散歩(伊藤銀次 with 黒沢秀樹)
11.Because(伊藤銀次 with 黒沢秀樹)
12.雨のステラ(伊藤銀次 with 黒沢秀樹)
13.Just A Little Love
14.恋のリーズン
15.そして誰のせいでもない
16.Night Pretender(with 古村敏比呂)
17.Tappin' & Clappin'(with 古村敏比呂)
18.Congratulations(with 古村敏比呂)
19.Baby Blue 2007

Encore
20.Hello Again
21.夜を駆けぬけて(with 古村敏比呂, 黒沢秀樹)

22.ウキウキ・ウォッチング(Solo)
23.Shade Of Summer(Solo)
24.涙の理由(Solo)

コメント (2)
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Sunday Songbook Playlist

2007年07月29日 | Sunday Song Book

<07月29日プレイリスト>
[少し早めの納涼リクエスト大会]
チャンスの前髪/竹内まりや 8月8日発売ニュー・シングル
HIDEAWAY/JOHN MAYALL & THE BLUESBREAKERS '66
SHAME GIRL/THE NEPTUNES '64
STOP TAKING MY LOVE FOR GTANTED/MELLO MOODS '76
SLOW DANCING/FUNKY KINGS '76
MIGHTY HIGH/THE MIGHTY CLOUDS OF JOY "KICKIN'" '76
こぬか雨(LIVE)/山下達郎 "1994/05/02 中野サンプラザ SINGS SUGAR BABE LIVE"
バラ色の人生(LA VIE EN ROSE)/山下達郎 '07
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■内容の一部を抜粋
・少し早めの納涼リクエスト大会
8月は毎年「納涼リクエスト大会」をやっているが、今週は明々後日がもう8月なので前倒しして今週から。

・チャンスの前髪
竹内まりや8月8日発売ニュー・シングル「チャンスの前髪」は毎週木曜日午後10時からTBS系でオンエアされてるドラマ『肩ごしの恋人』の主題歌。サザンオールスターズの原由子がゲスト・ヴォーカルで参加している。ハンドクラップは原坊、まりやさん、タツローさんの3人でやっている。
カップリングは「人生の扉」で両A面扱いとなる。
来週8月5日放送は発売日前なので、まりやさんをゲストに迎えての納涼夫婦放談を前倒しして放送する。

・HIDEAWAY
ジョン・メイオールとブルース・ブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトンの「HIDEAWAY」は1966年のアルバム『BLUESBREAKERS WITH ERIC CLAPTON』に入ってる。1961年のフレディー・キングのヒット・ナンバーのカヴァー・ヴァージョンだが、今ではジョン・メイオールとブルース・ブレイカーズ・ウィズ・エリック・クラプトンのヴァージョンのほうが知られている。エリック・クラプトンが20か21の頃の早熟したプレイが聴ける。

・SHAME GIRL
'60年代のウエスト・コーストを代表するプロデューサーのゲイリー・アッシャーが、1964年にワーナー・ブラザーズ・レーベルからネプチューンズ名義で出したシングル。プロデュースド&アレンジド・バイ・ゲイリー・アッシャー。リード・ヴォーカルもゲイリー・アッシャー、もしくはデニス・マッカーシー。デニス・マッカーシーはテレビ・シリーズの『スター・トレック』でエミー賞を獲得しているソングライター。デニス・マッカーシーが歌っているという噂があるが、真意のほどはわからない。

・STOP TAKING MY LOVE FOR GTANTED
スウィート・ソウル系のリクエスト。メロウムーズはフィリーのヴォーカル・グループだがシングル数枚しか出てない。「STOP TAKING MY LOVE FOR GTANTED」は曲を書いてるのがブルース・ハウズとフィル・テリー。プロデュースもこの二人。

・SLOW DANCING
ファンキー・キングスはアリスタから1976年に1枚だけアルバムを出したが鳴かず飛ばずだった。メンバーには後にシンガー・ソングライターとなるジュールス・シアーとか、グレン・フライやイーグルスに曲を書いてるソングライターのジャック・テンプチンが在籍していた。メンバーは6人組でソングライターが3人いた。ジャック・テンプチンをメインにして売り出そうとしたが軋轢があり解散。「SLOW DANCING」はシングル・カットされて1977年、全米60位を記録。ジュールス・シアーが曲を書いて歌った曲。歌はジュールス・シアーがもっとも説得力があった。

・MIGHTY HIGH
マイティー・クラウズ・オブ・ジョイは'60年代の頭から活動しているゴスペルのグループ。'60年代終わりから'70初めにかけてスタイルをモダンに変えている。ゴスペルのフィールドからR&B、ソウルに移ってきてヒット曲を出した。「MIGHTY HIGH」は1976年にABCレーベルから出たアルバム『KICKIN』に収録されている。シングル・カットされ全米ソウル・チャート22位、全米69位を記録した。

・こぬか雨(LIVE)
ここ数ヶ月、タツローさん自身の曲がかかってない。今年は「雨の歌」特集はできなかったので、この曲に。1994年にシュガーベイブのアルバム『SONGS』をデジタル・リマスターで再発する時に中野サンプラザで行ったイベント「山下達郎 SINGS SUGAR BABE」(1994年5月2日)からライヴ・レコーディング。シングル「STAND IN THE LIGHT」のカップリングだったが既に廃盤となっている。

・バラ色の人生(LA VIE EN ROSE)
TBS系午後10時からの「ブロードキャスター」のテーマ・ソング。もともとはエディット・ピアフの有名なシャンソン。そのスタンダードを一人アカペラのドゥーワップ仕立てにアレンジした。テレビでは20秒サイズだが今日はフル・サイズでオンエア。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係

■今後の予定
08月05日は、「少し早めの納涼夫婦放談(ゲスト:竹内まりや)」
08月12日は、「ベタリク(ベタな曲のリクエスト大会)」
08月19日は、「納涼リクエスト大会」
08月26日・09月02日は、「納涼夫婦放談(ゲスト:竹内まりや)」
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iTunes Store Version COYOTE

2007年07月29日 | 佐野元春

SITEDOIにiTunes Store Version『COYOTE』のレビューをアップしました。

アルバムはオリコンに4週間チャートインしてました。『THE SUN』の発売当時より長かかったと思います。

最近聴いてるのは新しい世代のニール・ヤングといわれるライアン・アダムスのニュー・アルバム『Easy Tiger』です。元春お気に入りのレーベル「ロスト・ハイウェイ・レーベル」から出ています。



アルバムの帯には作家スティーヴン・キングによるライナー・ノーツの一部が抜粋されていて、そこにはこんなふうに書いてありました。

「最近のポップ・ミュージックのCDには2種類しかないと思う。コンピューターやiPodに取り込むけれど、アルバムとして1、2回しか聴かないもの。もう一つは聴けば聴くほど好きになって、心地よくなって、もっともっと聴きたくなるもの」

CDショップの店頭で試聴したところ、アナログな音の響き、温かみのあるサウンドは正にオーガニックで、ナイフでスパッと切れば血が出そうだと思いました。CDの裏面が犬の写真で、『COYOTE』と通じるものがあると喜んで購入しました。その時、僕はまだ知らなかったんです。それだけですまなかったことを。家に帰ってCDを開けた時、僕は「あっ」と声を上げました。コヨーテ男ならぬライオン男がそこにいたから。

リビー・タイタスの紙ジャケ・リイシュー盤『LIBBY TITUS』も聴いてます。



元春がラジオでよくかけていたので懐かしいですね。長く廃盤状態にあり、聴くことができなかったので再発はうれしかったです。リビー・タイタスはもう音楽の一線から退き、スティーリー・ダンのドナルド・フェイゲンと幸せな結婚をし、一緒に暮らしているそうです。

記憶の中でいちばん古いのは、ぴあムックの『佐野元春 The Circle of Innocence』。元春が選んだラヴ・ソングの1曲がリビー・タイタスの「Love Has No Pride」でした。ラジオ番組では前述したように何度も彼女の曲はかかっていて、「radiofish」の2003年11月22日の放送が最も新しい。

水曜日には『トラヴェリング・ウィルベリーズ・コレクション』が届きました。なんと全英チャート初登場1位である。米国では初登場9位。カナダは4位。ロイ・オービソン、ボブ・ディラン、ジョージ・ハリスン、ジェフ・リン、トム・ペティ。それぞれの個性が発揮されてて、聴いてて楽しいです。



いちばん最初のアルバムが出たのは1988年で、ディランは47、8歳。僕は22歳。あの頃はディランをリアル・タイムで聴く気にはならなかったんですね。僕の記憶ではトラヴェリング・ウィルベリーズがきっかけとなり、僕の世代で再評価された印象があります。そう考えると、元春が若い世代にあまり認知されてない(オリコンの調査)というのも頷けます。
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監督・ばんざい!

2007年07月24日 | 映画

2007年6月10日(日) 曇りときどき雨。
テアトル梅田2で北野武監督作品『監督・ばんざい!』を観た。60席のミニシアター。上映30分前に行ったが指定席が取れた。結局その回は満員となった。入れ替えの時に客層を見たが意外に20代が多かった。北野映画のファン層ってこんなに若かったかな。お笑い映画としては大笑いするシーンが少なかった。毒気もそれほど感じられず。後半のスピード感、矢継ぎ早の展開が芸人としてのセンスですかね。

映画監督キタノ・タケシの代表作はギャング映画だったが、「もう暴力映画は二度と撮らない」と宣言してしまい、次の作品について思い悩むことになった。それでもヒット作を世に送り出そうと、これまで手を付けてこなかったタイプの映画に挑み、片っ端から撮影することにした。

小津安二郎風人情劇の『定年』、恋愛映画の『追憶の扉』、昭和30年代を舞台にした『コールタールの力道山』、最大のヒット作となった時代劇の続編ともいえる『青い鴉 忍 Part.2』、ホラー映画の『能楽堂』。しかし、どれもありえない理由で中断。最終的にはSFスペクタクル作品を撮りはじめるが、ストーリーは次から次へと脱線していくことになる...

劇中映画が中断する度にタケシ人形が出てきて死んでいく。キタノ・タケシはタケシ人形に責任を取らせて自殺させるわけだが、それはビートたけし自身が起こしたバイク事故の時に、事故現場でズタズタになった人形を見たという臨死体験の話を思い出させた。

前作の『TAKESHI S'』でもそうであったが、この作品でもタケシを殺す北野武がいる。しかし、ここでは前向きな変化があり、死んだタケシは何度も蘇えって、その度に強くなっていくのだ。最終的なオチはどうであれ、その点がこの映画の真価だと思った。
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Sunday Songbook Playlist

2007年07月23日 | Sunday Song Book

<07月22日プレイリスト>
[JERRY RAGOVOY特集 Part3]
チャンスの前髪/竹内まりや 8月8日発売ニュー・シングル
AS LONG AS I HAVE YOU/GARNET MIMMS '66
STRUGGLIN'/HOWARD TATE "HOWARD TATE" '72
TAKE IT FROM ME/DIONNE WARWICKE "THEN CAME YOU" '75
YOU GOT IT/DIANA ROSS "BABY IT'S ME" '77
LOVE MAKIN' MUSIC/BARRY WHITE "SHEET MUSIC" '80
SWEET LOVER MAN/POINTER SISTERS "BLACK & WHITE/POINTER SISTERS" '81
ONE WOMAN MAN/GARNET MIMMS '64
夏バテ/布谷文夫 "悲しき夏バテ" '73
SORRY WRONG NUMBER/HOWARD TATE "REDISCOVERED" '03
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■内容の一部を抜粋
・近況
タツローさんはまりやさんの新しい曲のレコーディングでスタジオに入ってるそうだ。番組も前倒しで収録している。そんな中で地震が起こった。番組の超常連の方が被災したという知らせにお見舞いのコメントがあった。

・JERRY RAGOVOY特集
先々週、先週に続いて今週もソングライター「ジェリー・ラゴヴォイ」の特集。そのPart.3。'70年代、'80年代の作品から。

・チャンスの前髪
竹内まりや8月8日発売ニュー・シングル「チャンスの前髪」は毎週木曜日午後10時からTBS系でオンエアされてるドラマ『肩ごしの恋人』の主題歌。サザンオールスターズの原由子がゲスト・ヴォーカルで参加している。レコーディング・メンバーはドラムはマシーン、ベースは伊藤広規、キーボード難波弘之。ギター関係、その他がタツローさん。アレンジもタツローさん。
カップリングは「人生の扉」で両A面扱いとなる。8月は毎年まりやさんをゲストに迎えて納涼夫婦放談がある。8月5日放送は発売日前なのでその前夜祭としてゲストに呼ぶそうだ。



・AS LONG AS I HAVE YOU
先週のラスト・ナンバーは尾藤イサオさんの「悲しき叫びのブルース」だった。そのオリジナル・ヴァージョン、ガーネット・ミムズの「AS LONG AS I HAVE YOU」。プロデュースド&アレンジド・バイ・ジェリー・ラゴヴォイ。

・STRUGGLIN'
ハワード・テイトが1972年にアトランティック・レーベルから出したアルバム『HOWARD TATE』は全12曲、すべてジェリー・ラゴヴォイが作曲/プロデュース。その中からB面3曲目。ニューヨーク、ヒット・ファクトリーでのレコーディング。

・TAKE IT FROM ME
ディオンヌ・ワーウィックが1975年にワーナーから出したアルバム『THEN CAME YOU』。このアルバムにはスピナーズとのコラボレーションで全米No.1になった「THEN CAME YOU」というヒット曲が入っている。この曲はトム・ベルがプロデュースだが、それ以外の全曲、ジェリー・ラゴヴォイがプロデュース。「TAKE IT FROM ME」はA面1曲目でシングル・カットされた。全米ソウル・チャート30位。ニューヨーク、ヒット・ファクトリーでのレコーディング。

・YOU GOT IT
ダイアナ・ロスが1977年にモータウン・レーベルから出したアルバム『BABY IT'S ME』はプロデュースがリチャード・ペリー。LAでのレコーディング。「YOU GOT IT」はアルバム収録曲。

・LOVE MAKIN' MUSIC
バリー・ホワイト、1980年のアルバム『SHEET MUSIC』は未CD化。B面ラストが「LOVE MAKIN' MUSIC」。作曲はジェリー・ラゴヴォイとアーロン・シュロイダー。シングル・カットされて全米ソウル・チャート25位。
"早いの 遅いの ソフトなの スローなの ポップ R&B クラシック たくさんいろんな曲があるけども でもベイビー 僕が選ぶのは LOVE MAKIN' MUSIC"

・SWEET LOVER MAN
ポインター・シスターズが1981年に出したアルバム『BLACK & WHITE/POINTER SISTERS』はプロデュースがリチャード・ペリー。A面1曲目がジェリー・ラゴヴォイの作品で「SWEET LOVER MAN」。

・ONE WOMAN MAN
布谷文夫さんの1973年のアルバム『悲しき夏バテ』は大滝詠一プロデュースの名盤。その中に入ってる「夏バテ」は「ONE WOMAN MAN」はアンダース&ポンシアの作品でプロデュースがジェリー・ラゴヴォイ。オリジナル・ヴァージョンはガーネット・ミムズの1964年のシングル「LOOK AWAY」のB面だった。

・SORRY WRONG NUMBER
2003年に、それまで引退して牧師をしていたというハワード・テイトがカムバックし、アルバム『REDISCOVERED』をリリースした。このアルバムは全曲、ジェリー・ラゴヴォイがプロデュースとアレンジをしていてアトランティックでレコーディングした。「SORRY WRONG NUMBER」はアルバム収録曲だが、元々は1988年にアーマ・トーマスのために書かれた1曲。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係

■今後の予定
07月29日は、「納涼リクエスト大会」。
08月05日は、前倒し「納涼夫婦放談」。
08月12、19日は、「納涼リクエスト大会」。12日は「ベタ・リク」。
08月26日、09月02日は、恒例「納涼夫婦放談」。

画像はJERRY RAGOVOY(左)とHOWARD TATE(右)。
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Music Storage

2007年07月22日 | 佐野元春 Radio Days

■Music Storage
2007年7月22日(日) TOKYO FM(fm osaka) 0:00-0:30
DJ:行達也, KOTOKO
GUEST:佐野元春

Playlist
Wild Hearts
君が気高い孤独なら
荒地の何処かで
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■内容の一部を抜粋
・ソングライター
アルバム『Cafe Bohemia』を出した頃からあまり成長してないと話す元春。
元春「ロックンロール音楽に向かう気持ちとか、それから演奏している時の感じとか、ソングライティングの感じとかね、今でも26、27歳頃の自分にすぐ帰れるというか、ワープできるというかね、ソングライターというのは面白いなと思います。曲を書く中で自分が何歳にでもなれちゃう。舞台でも自分が18際の頃に書いたロックンロール曲を歌うと、なんか18歳になっちゃったような気になる(笑)」
KOTOKO「それはでも、今、佐野さんは簡単に仰ってますけど、誰でもできることではないかなって思いますけどね~」
元春「逆にね、僕は曲の中で自分より年上の人を主人公にして書くこともあるんです。その場合には、その人に成り代わるということではないんだけれども、その人の気持ちにたって歌いますから、やっぱり時間を越えますよね。ソングライターというのは面白いなってつくづく思います(笑)」
行「表現者として、以前に、まずそうやって作るところから...」
元春「ソングライティングだけは自分のいちばん得意としているところなので、過去と同じものを作り続けるのではなく、いつも僕のファンの人たちに新しい何かを感じてもらえるような曲を作りたい、ここだけはきちんと言ってます」

・できるだけよいオーディオでラウドに
行「(6月13日発売ニュー・アルバム『COYOTE』には)[できるだけよいオーディオでラウドに聴いてほしい]というメッセージがありますけれどね」
元春「僕なんかもiPodは使うんだけれどね、どうしても耳に装着して聴くというリスニング・スタイルが流行ってて、それはそれでいいんだけれども、でかいスピーカーで空気に震えた音も最近聴きたいなと。でかい音ってそれだけでメッセージがあると思うんですよ。そこで何が歌われてるとかを超えてね、音自体にすごいメッセージがあるんで、バカでかい音で聴きたいな(笑)」
行「ははは。なかなか住宅事情でね、難しかったりするんですけどね」
元春「僕たち、レコーディングの現場ではね、僕たちの演奏を出来るだけいい音で録音して、工夫に工夫を重ねて、サウンドを作ってるんですね。上手に音をミックスして。今回もマスタリング・エンジニアはニューヨークのテッド・ジャンセンという本当に確かな腕を持ったマスタリング・エンジニアに依頼して、僕のファンにはホントに第一級のよいサウンドを聴いてもらいたいと工夫しているので、できるだけ、iPodもいいんだけれども、別のよいオーディオ機器があったら爆音で聴いて欲しいなっていうのは、僕の気持ち(笑)」
KOTOKO「なるほど~。その録音した時の空気感も感じるような...」
元春「そうそうそうそう。音自体にメッセージがあるので、言葉の意味も、メロディーも大事なんだけれども」

・バンド
元春「深沼くんがひとつのキーになっているんじゃないかな。今回こうした仕事ができる前に、深沼くんがメロウヘッドというプロジェクトで1曲僕に持ってきたんです。『エンプティー・ハンズ』という曲をね。で[佐野さんにも歌ってほしいんだ]ということでデモ・テープ聞かせてもらって。その楽曲がすごくよかった。リリックもよかったし。深沼くんの佐野元春音楽への真摯なリスペクトみたいなものを感じさせてもらって、素晴らしいなと思ったんだよね。僕も個人的にプレイグス大好きだし、深沼くんのゴキゲンなロックンロール、ハイトーン・ヴォイスだよね、それと彼の書く乾いたリリックも個人的に好きということで、自然な形でそのコラボレーションはレコードになったんです。『エンプティー・ハンズ』ですね。それがやっぱりきっかけかなって最近思ってますね」
行「前にね、深沼さんがゲストでこの番組に出ていただい時も、佐野さんへの思いを熱く語っていただいて」
元春「そうですか」
行「バンド名って別にこれないですよね?」
元春「今のところね。ないんですよ。そういえばそうなんですよね」

・君が気高い孤独なら
元春「"Sweet Soul, Blue Beat"ってレコーディングの時、すごく楽しかったんだけれど。片寄くん、それから小松くんと深沼くんとか、最近ステージで一緒にやってるフィーメイル・バッキング・ヴォーカルのTTシスターズとか、みんな集まってゴキゲンに歌ってくれた」
KOTOKO「ちょっと雑誌のコメントを読ませていただいたんですけれど、深沼さんが[佐野さんと音楽をやってるとかわいくなれるんだよね]というコメントを目にしたんですけれど...」
元春「ふふふ。よくわかんないね。それは」
KOTOKO「この曲を聴いてるとすごくその意味がわかってくる感じがしましたね。本当に音楽が好きで続けられてるんだなって思いましたね」
元春「音楽というか、ロックンロールだよね。十何歳かの時に触れてパッと発情しちゃってね。それからずっと発情しっぱなし、ロックンロールに。それがたぶん片寄くんとか深沼くんとか、今回このレコーディングに参加してくれたね、ミュージシャンたちもみんなどっかでそうだと思うんですよ。今の曲でも"Sweet Soul, Blue Beat"って、これは僕の中ではロックンロールの本質ですね。"Sweet Soul"というのはポップな状態。"Blue Beat"っていうのは反逆だよね。"ポップ&反逆"、これはロックンロールの本質なんだよね」
KOTOKO「あぁ、なるほど~。ポップな要素も含まれて、やっとロックなんだ」
元春「反逆だけでも駄目だし、ポップだけでも駄目だしみたいな(笑)」
KOTOKO「それは目から鱗という感じがしますね」
行「大衆性あっての音楽だから、そこは確かにそうですよね」

・DaisyMusic
元春「4年目だね。一作目が『THE SUN』。これはレーベルを発足してドタバタの中で出したアルバムだったので、それはそれでいいんですけども。今回のこの『COYOTE』というアルバムがレーベルからの真の第一作目のような気がしてます」
行「そもそも独立レーベルという形でやろうと思ったのはなんでなんですか?」
元春「そうですね。僕は1980年にレコーディング・アーティストとしてメジャー・カンパニーと契約して、それから随分長い間、メジャー・カンパニーでやってきた。'80年代、'90年代と。レコード・ビジネスも面白かったよね、'80年代とかね。だからメジャー・カンパニーとやっていても楽しいことがいっぱいありました。しかし、最近になって2000年ぐらいに入ってから、メジャー・カンパニーは少し手詰まりになってきている。レコード・カンパニーが誰かアーティストを見つけてきて、デベロップして世に売り出すというのは、これはもう古い業態のレコード・カンパニーだと思うんだよね。僕は新しいレコード・メーカーのイメージというのは、割とみんなスモールなんだけれども、それぞれすごく充実しているレーベルがたくさんあって、基本的には独立独歩で行くんだけれども、必要な時にはユナイテッドするっていう。そこでベテランも新人も等しくデベロップされてゆくという、そういうイメージを描いているんです」
行「なるほど。レーベル自体を大きくしていこうとか...」
元春「資本的に大きくしていこうというつもりは全然ないです。それはもう旧来のレコード会社の在りようなんだよね。それでうまくいってきているかというと、冷静にみて結局うまくいってない。そしてリスナーのほうも随分聴き方が変わってきているよね。お店行ってレコードを買うだけじゃなくて、今ではダウンロードして音楽を聴くといったように。リスナーのほうで聴く環境が変化してるんだとしたら、レコードを作る側、音楽をデリバリーする側もどんどんフットワーク軽く変わっていく時代だと。残念ながらメジャー・カンパニーはあまりにも大き過ぎて、フットワーク軽くできない。自由に楽しくというのが原則ですね。そして音楽を欲している人のところに、彼ら彼女らが欲している音楽をきちんと届けるというのが、最終的な役割だと思っています」
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中村雅俊マイホームページ

2007年07月19日 | 佐野元春 Radio Days

■ENEOS クルージングタイム「中村雅俊マイホームページ
2007年7月19日(木) TBSラジオ (ABC) 16:55-17:05
DJ:中村雅俊
GUEST:佐野元春

Playlist
I Saw The Light / Todd Rundgren
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■内容の一部を抜粋
・自分は人々に生かされてる
雅俊「佐野さん、おもしろいのは、千代田区神田生まれって(笑)、銭形平次みたいな感じが...」
元春「いや、正に銭形平次です。はい、あの町です」
雅俊「すごいですね。小説に出てきそうな感じじゃないですか。神田の明神下で鰻屋に生まれてみたいな、なんか浅田次郎の小説に出てきそうな感じじゃないですか」
元春「あはは。ですから学校から帰って来ると、畳屋さんがお仕事してたりとか、それからおうちの二階からお三味の音が聞こえてきたりだとか、そういう地域ですよね」
雅俊「絵に描いたような感じですよね。それでセントポール大学へ行って、広告代理店に勤務しつつ、ラジオ番組のディレクターをして、アーティストになるっていう...」
元春「ラジオ番組、広告の仕事というのは、それほど真剣ではなかったですね。学校に行きながら、何か、[将来何をやろうかな]と迷ってた時に、[こちらのほうかな]と迷いながら、一時就いていた仕事という印象です。その後、米国に行って、あるきっかけがあって、帰国してから、ソングライターとしてね、ちゃんとやっていこうと決心した。それが1980年でしたね」
雅俊「ふ~ん。佐野さんはもう半世紀も生きてて(笑)」
元春「ははは」
雅俊「いろんな出来事があったと思いますけど、話聞いただけでもドラマチックな感じで、仕事的にとか、もう一回、別なこともやってみたいとかいう希望とかあるんですか?」
元春「僕はね、新聞記者になりたかったですね。自分で写真を撮り、自分で取材をし、自分で文章を書き、新聞に載せる。そういうなにか、ジャーナリストになりたいと思ったこともあったんですね。それから音楽に突然目覚めて、ソングライティングというのは素晴らしいなと思って。そのソングライティングする時でも、"I Love You, You Love Me"の世界だけではなくてね、世の中を自分なりに見て、ジャーナルな視点をそのソングライティングに持ち込む。そういうことを考えると、結局、小さい頃から思っていたものが、いろいろソングライティング、音楽というところに全部まとまってきてるんだなと思いますね」
雅俊「考えてみると、こうやって話を聞いてると、ホントに小ちゃい時からはっきりと自分のやりたいこと、ちゃんと持ってて立ち向かって、自分なりの結果を出して、でまた次に行くっていうのをやってきたんですね」
元春「ありがとうございます。しかし、どうでしょうかね。夢を持ちながらも、その夢を実現できないまま、報われないまま来ているという人も多いし、僕なんかも全部の夢を叶えられてるかっていうと、決してそうは思っていない。しかし、そこで思うことは、自分がどういう時代に生きて、どういう人々と関わって、どういう人々の中で自分は生かされて来てるのかっていうことは、時々しっかり考えるようにしています」
雅俊「なるほどね。実は生かされてるというのがね、それは考え方としては素敵な考え方ですよね」
元春「そうですかね。はい」

・マイ・フェイバリット・ソング
雅俊「この番組ではマイ・フェイバリット・ソングという、思い出の歌、好きな歌をゲストの方に聞いてるんですけど。まぁ、佐野さん、いろいろな曲と出会ってると思いますけど、1曲だけなんですけど」
元春「そうですね。今日、用意してきたのはトッド・ラングレンというソングライターの曲で、曲のタイトルは『I Saw The Light』という曲です」
雅俊「『I Saw The Light』を聴きながらお別れしたいと思います。どうもありがとうございました」
元春「どうもありがとうございました」

・中村雅俊の感想
雅俊「初めてお会いしてですね、お話させていただいたんですけど、すべてかっこいいですよね。ひじょうに、あの、信者が多いというのが頷けますね」
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中村雅俊マイホームページ

2007年07月18日 | 佐野元春 Radio Days

■ENEOS クルージングタイム「中村雅俊マイホームページ
2007年7月18日(水) TBSラジオ (ABC) 16:55-17:05
DJ:中村雅俊
GUEST:佐野元春
---------------------------------------------------
■内容の一部を抜粋
・アーティストとしての夢
雅俊「佐野さんって、ひじょうに興味があったのは、大学卒業してから広告業界に進んだっていう...」
元春「そうですね、大学在学中ですね。広告の仕事に興味があって、しばらくやってました」
雅俊「ということは例えばコマーシャルの製作とか?」
元春「コマーシャルの製作やってましたね。はい」
雅俊「それからラジオ番組の制作もやってたという、つまりディレクターということですか?」
元春「そうですね。はい」
雅俊「そうですか。ラジオで、マイクの前で喋りながら、一方では[これ、編集どうすんだ?]とか、いろんなことも踏まえて...」
元春「そうですね。ラジオ自体が子どもの頃からとても好きで、いつも自分の傍らにはトランジスタ・ラジオがあったんですね。ラジオの製作のほうも興味があって、そちらのほうもやりましたし、レコーディング・アーティストとしてキャリアをスタートした後も、ラジオ番組を持って、民放、NHK、今まで5番組、6番組くらい担当してきてます」
雅俊「あっ、そうなんだ。ということは自分が生まれて興味を持ったものはモノにしてるというか...」
元春「ラジオについて言えばそうですね。でも、欲しいと思ったものはほとんど手に入れてないですね」
雅俊「例えば?」
元春「ええ、そうですね...友達が座るための大きな椅子とか」
雅俊「あはは。なんですか、それは(笑)。 あ、そう。自分の夢とか、そういう意味ではどうなんですか? 例えば今、アーティスト、長いですよね」
元春「いちばんの興味はソングライティングですね。よい曲を書いて、聴いてくれた人に、[よかったね]って言ってもらうという、それが僕のいちばんの興味であるのと同時に、それを仕事と思ってないですね、どっか。ただ、そこでファンの方達からの感想がそこにあり、毎回喜んでいただき、そして何曲かがある人にとっての大事な曲になったということを、例えばライヴなどで実感すれば、それはそれでとても素晴らしいことだなと思います」

・立教大学客員講師
雅俊「あの、佐野さん、母校立教大学の客員講師ということで、これはまた、どういう経緯で?」
元春「そうですね。母校、立教大学ですね。そう、真面目な学生ではなかったんですけれどもね(苦笑)。その大学から連絡をいただいて、[『言葉と音楽』ということをテーマに講義をやってみないか]と申し出があって、僕も長年のソングライティングがありますので、何か考えをまとめてみたいなと思っていた時期なのでね、[是非、やらしてください]ということで、この秋から始めようと思ってます」
雅俊「ということはまだ教壇には立ってないんですね?」
元春「はい。これからです」
雅俊「えへへへ、どうなんですかね?(笑)」
元春「たぶん、学生といえば十代後半から二十代前半なんですよね。その世代と直接触れることも日常ではないので、僕自身はすごく楽しみにしてます」
雅俊「なるほどね~。へぇ~。一応、文学部の学生ということですよね? そうですか。ということは名刺も作らなきゃならないことになりますよね」
元春「あっ、僕は名刺を作ったことはないですね。これを機会に。なんかうれしい気がします」
雅俊「これはいいんじゃないですか? どういう肩書きになるのかわかりませんけど、立教大学文学部、何ですかね?」
元春「客員講師? 教授? よくわかりませんが」
雅俊「佐野元春というのは本名ですか?」
元春「そうです」
雅俊「そうですか。俺の同級生もね、会計士だったんですけど青山学院大学の教授になったんですよ。そしたら今まで会計士の名刺を持ってたんだけど、青山学院大学の教授の名刺になったとたんに、みなさんのリアクションが変わっちゃって、[あらっ、教授ですか!]みたいな感じでね。やっぱ、世の中っていうのは大学の先生だっていう...」
元春「ははは。イメージがあるんですかね?」
雅俊「ありますよ。ええ。佐野さんは改めて[ワァー]って言われるかどうかわかりませんけど(笑)。楽しみのひとつではありますよね?」
元春「ええ。すごく楽しみにしています」
雅俊「それよりも教壇に立つというのが、ひじょうにエキサイティングな話ですよね」

・プライヴェート
雅俊「佐野さんは、今回アルバム作りとか、曲を作ることも含めて、ひじょうにエネルギーと時間を費やしていますけど、コンサート・ツアー以外の自分の時間というのは、プライヴェートとかは何をやってることが多いんですか?」
元春「ホントによく多くの方に聞かれるんですけれど、[普段、何やられてるんですか?]って。普段も曲のことを考えたり(苦笑)、詩のことを考えたり、音楽のことを考えたり。食事をしていても、人と話をしていても、プールで泳いでいても、なんか考えてる」
雅俊「今、[泳いでても]と言いましたけど、よく泳ぐんですか?」
元春「泳ぐのは好きですね。ジムに行って1回千メートルくらい泳ぐとスキッとします」
雅俊「千メートルって何分くらいですか? 20何分、30分弱くらい?」
元春「いや、20分弱くらい」
雅俊「早いですね、それは」
元春「十往復ですよね。はい」
雅俊「ということは、けっこう泳ぎ慣れてるということですよね」
元春「泳ぎは小さい頃から好きで、よく[泳いでると疲れませんか?]って言われるんですけれど、何メートルかまでは疲れるんですけれど、そっから先はずっーと泳げるような身体になるんです、水に馴染んできて。そっから先はすごく気分がいいですよね」
雅俊「じゃあ、ジムに行って、身体を鍛えて...」
元春「鍛えるとか、その、楽しんでるという感じですね(笑)。はい」
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中村雅俊マイホームページ

2007年07月17日 | 佐野元春 Radio Days

■ENEOS クルージングタイム「中村雅俊マイホームページ
2007年7月17日(火) TBSラジオ (ABC) 16:55-17:05
DJ:中村雅俊
GUEST:佐野元春
---------------------------------------------------
■内容の一部を抜粋
・『コヨーテ、荒地を往く』
雅俊「実は来月、幻冬舎から『コヨーテ、荒地を往く』、この単行本なんですけれど、これは小説なんですか?」
元春「いや、これはね、ルポルタージュ、それからインタビューですね」
雅俊「インタビューって誰をインタビューしたんですか?」
元春「はい。僕は'90年代に雑誌を作っていたことがあるんですよ。その雑誌を通じて自分が影響を受けた主に英米の作家たちにインタビューをして、その記事を、その雑誌に掲載していたんですね。今回、その当時のテキストを全部まとめて、単行本として出そうということです」
雅俊「ということは『コヨーテ、荒地を往く』というタイトルを付けてますけど、実はコヨーテというのは佐野さん自身ですかね。そういう意味では(笑)」
元春「ははは。どうなんでしょうね(笑)」
雅俊「でも、これはまたおもしろいですね」
元春「おもしろいんです。やはり別の文化に生きている表現者たちというのはすごくおもしろいんですね。興味深い。ゲストでもインタビューして、いろいろと聞き出そうという感じですね」
雅俊「そういう意味ではいろいろな方々と出会えて...」
元春「そうですね。特に詩人アレン・ギンズバーグ氏とか、ゴレゴリー・コルソー氏とか、主に'50年代にビート文学なんてふうに、ジャーナリスト達は呼んでたんですけれどもね、そのジャンルにいる作家達へのインタビューも、残念ながら、その彼らも現在は亡くなってしまったんですけれども。その意味でも'90年代、自分が行った彼らへのインタビューというのは、資料として貴重かなと思います」
雅俊「若い頃に影響を受けたアーティスト達に接するということだけでも、インタビューであっても、自分の夢を一つ一つ消してゆくような、そういう出来事ですもんね。でも、それが一冊の本になるというのは、読者の人たちも喜ぶけれど、本人もかなり...」
元春「そうですね。ホント、うれしいですね。最初、自信なかったんですけれども、原稿まとめて、出版社の方が励ましてくれましたね。[これはひじょうに貴重で価値のあるテキストなので、是非、新しい世代の人たちにも読んでもらいましょう]っていうふうに言ってくれたんでね。すごくうれしかったです」
雅俊「これが来月発売ということになりますけど、是非、みなさんも。あの『COYOTE』というCDも出てますけれど」

・ポールorジョン
雅俊「あの、ぐっさんと一緒に深夜に(テレビで)いろいろとやってますけれど。ジョン・レノン型とポール・マッカートニー型。人の行動をそういうふうに分けてますね」
元春「そうなんです。テレビのとてもおもしろい企画でね。僕が考えたんじゃないですけれどね」
雅俊「あっ、そうですか?」
元春「TVプロデューサーが考えたんですけれども...」
雅俊「それ、あります? ジョン・レノン型とポール・マッカートニー型とどういうふうに分けてるんですか?」
元春「いや~、テレビの企画的には人の行動をジョンかポールか二つに分けてしまおうというね、多少無理のある企画なんですけれども...」
雅俊「あぁ、そうですか(笑)。俺なんかもビートルズ世代なんで、えっ、ジョン派かポール派かというと、どういう基準で分けてるんだろって。ちょっと、どうなんですか?」
元春「僕はね、すごくおもしろいと思うんですよ。僕なりのジョンの性格とポールの性格っていうのがあるのでね、それに強引に当てはめてやってるんですけれどもね」
雅俊「人の行動を見て、どうだとかなんとかっていう?」
元春「それはね、視聴者の方が投稿してくださるんです。例えば、干した布団をずっーと叩き続けるのはポールですか、ジョンですか?」
雅俊「ははは。はい。これは何ですか?(笑)」
元春「それはね、両方とも優秀なミュージシャンなので、布団を叩くというアクションはね、二人は好きだと思うんですけれども、ずっーと叩き続けて楽しく感じるのはジョンでしょうと」
雅俊「ああ、なるほど、なるほど。そうですか。フーン、じゃあ俺なんか分かります?」
元春「そうですね、中村さんは、そうですね、まぁ、そうですね...」
雅俊「なんかエピソード言わなきゃいけないんですか?」
元春「そうです。それをきっかけに僕が判断しなくちゃいけなんですね」
雅俊「俺はね、エピソード...急に出てきませんけど(苦笑)、工事現場をずっーと見てるのが好きなんですけどね」
元春「そうですか。ふん。あの、そうですね。工事現場に興味を示すのはジョンでしょうとかね。そんなふうに進んで...」
雅俊「ウーン...そうですね、若い時はポールのメロディーは好きだったんですけどねぇ。あの、どっちと言われると断言できないところありますけどねぇ」
元春「そうですね。二人共作してる部分もあったでしょうからね」
雅俊「ずいぶん影響受けましたよね。ジョンに会うとか、ポールに会うっていったら、夢のまた夢でしたね。そういう経験ないですか?」
元春「ポール・マッカートニーにも会いましたし、ジョン・レノンにも会いました」
雅俊「あら(笑)。そんな何気なく言わないで下さい。あっ、そうですか」
元春「それはロンドンに自分は長くレコーディングに行っていた、半年間ぐらい行ってた時なんですけれど。ちょうど自分が使っていたレコーディング・スタジオ、自分が一階でレコーディングしてたんですけれど、二階がポール・マッカートニー氏のレコーディングで、UKのレコーディング・スタジオだと、キッチンというかダイニングが一緒なんですよね。だからお昼とか夜とか、みんな一緒に食事したりとか、お話しました」
雅俊「あらららら。それはまた... またジョンとも?」
元春「それはニューヨークに住んでた頃ですね」
雅俊「ダコタハウスですか?」
元春「ダコタハウスにいらっしゃった頃ですね。あの、公園歩いていて」
雅俊「セントラルパーク?」
元春「そうです。その時お会いしました」
雅俊「そうですか。それはまたいいですね」
元春「うん。そう(笑)」
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中村雅俊マイホームページ

2007年07月16日 | 佐野元春 Radio Days

新潟、長野で地震の被害に遭われた方々のお見舞いを申し上げます。

■ENEOS クルージングタイム「中村雅俊マイホームページ
2007年7月16日(月) TBSラジオ (ABC) 16:55-17:05
DJ:中村雅俊
GUEST:佐野元春

Playlist
君が気高い孤独なら
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■内容の一部を抜粋
・6月13日発売ニュー・アルバム『COYOTE
雅俊「どういうことで『COYOTE』というネーミングにしたんですか?」
元春「昔から興味があったんですね。コヨーテという動物に。最初に触れたのは絵本の中で。狐とも犬とも違う、何か独特の性格を持った動物だなと子どもの頃から思っていたんですね。それと自分がアメリカにいた頃、ボストンの郊外だったんですけれども、実際コヨーテを見ました。友達と一緒にいたんですけれどもね。[あれコヨーテだよ]って。自分はコヨーテというのは山間部に生息している動物かと思っていたので、そんな街の外れで見れると思っていなかったので、びっくりしたんですけれどもね。第一印象は、とても何か、いい感じだなと思いましたね。基本的には一人で生きていけるんだけれども、必要な時には群れを成して事を成すっていった性格だとかね。そういう一つ一つのコヨーテの物語、コヨーテの性格を知るにつれ、興味深い動物だなと思ってました」
雅俊「聞いたところによると、もうすでにコヨーテという男を主人公にして映画のシナリオもできてるとか」
元春「今回ね、『COYOTE』というアルバムを作って、アルバムを作る時に、アルバム作るのも映画を作るのも似たようなものかなと思い、そしてシナリオを書きはじめたんですね。メイン・アイディアとしては、コヨーテと呼ばれる男が荒地をずっと歩いていく、その道行きの中で、いろいろな人と出会い、過去の関係のあった女性のことを思い出し、その一つ一つが曲となるという、そういうアルバムを作ってみようと思いました」
雅俊「ある意味、映画音楽みたいなアルバムですよね」
元春「はい。そうなんです。このアルバムのほかに、きちんと書かれたスクリーン・プレーがあるんですよ」
雅俊「これは、でも、実現がすぐに可能なことなんじゃないですか?」
元春「どうかな。面白いねと言ってくれる監督がいればの話なんですけれどもね」
雅俊「言ってるんですか? 誰かに」
元春「誰にも言ってません」
雅俊「あは。そうですか(笑)」
元春「あはは」
雅俊「こういうのは言わないとダメなんですよね」
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Sunday Songbook Playlist

2007年07月15日 | Sunday Song Book

<07月15日プレイリスト>
[JERRY RAGOVOY特集 Part2]
チャンスの前髪/竹内まりや 8月8日発売ニュー・シングル
PATA PATA/MIRIAM MAKEBA '67
I CAN'T WAIT UNTIL I SEE MY BABY'S FACE/JUSTINE WASHINGTON '64
GET IT WHILE YOU CAN/HOWARD TATE '67
I'LL TAKE GOOD CARE OF YOU/GARNETT MIMMS '66
TRY(JUST A LITTLE BIT HARDER)/LORRAINE ELLISON '68
TRY(JUST A LITTLE BIT HARDER)/JANIS JOPLIN
"I GOT DEM OL' KOZMIC BLUES AGAIN, MAMA" '69
TIME IS ON MY SIDE/THE TIGERS "ON STAGE" '67
悲しき叫びのブルース/尾藤イサオ '66
---------------------------------------------------
■内容の一部を抜粋
・JERRY RAGOVOY特集
先週に続いて今週もソングライター「ジェリー・ラゴヴォイ」の特集。そのPart.2。前半はタツローさんの好きなジェリー・ラゴヴォイ作品。1960年代を中心に。後半はジェリー・ラゴヴォイをこよなく愛して何曲も何曲もカヴァーをしてジェリー・ラゴヴォイの代弁者となって歌ってゆくジャニス・ジョップリンとジェリー・ラゴヴォイの奇妙な因縁、関係の話。

・チャンスの前髪
竹内まりや8月8日発売ニュー・シングル「チャンスの前髪」は毎週木曜日午後10時からTBS系でオンエアされてるドラマ『肩ごしの恋人』の主題歌。サザンオールスターズの原由子がゲスト・ヴォーカルで参加している。今週、フルサイズが初オンエアされた。
「サビでポッとハラ坊が入ってくる、そこんとこの雰囲気が私大好きでございます。そのへんをお楽しみいただければなと思います」とタツローさん。

・PATA PATA
南アフリカのシンガー、ミリアム・マケバがアメリカでレコーディングした作品。1967年、全米12位。日本ではたいへんヒットした。ミリアム・マケバとジェリー・ラゴヴォイの共作作品。プロデュース、アレンジはジェリー・ラゴヴォイ。

・I CAN'T WAIT UNTIL I SEE MY BABY'S FACE
女性ドゥーワップ・グループ、ハーツのメンバーだった黒人シンガーのジャスティーン・ワシントン。日本ではベイビー・ワシントンという芸名のほうがよく知れ渡っている。「I CAN'T WAIT UNTIL I SEE MY BABY'S FACE」はチップ・テイラーとジェリー・ラゴヴォイの共作。プロデュースはジェリー・ラゴヴォイ。1964年、R&Bチャート93位に1週だけ登場した。

・GET IT WHILE YOU CAN
ジェリー・ラゴヴォイの作品を語る上で欠かせない男性シンガーが、ガーネット・ミムズとハワード・テート。ハワード・テートは元々ガーネット・ミムズのグループにいたが、ソロでジェリー・ラゴヴォイに誘われてソロ・シンガーになった。「GET IT WHILE YOU CAN」はハワード・テートを代表する1曲。モート・シューマンとジェリー・ラゴヴォイの共作。アレンジはジェリー・ラゴヴォイ。

・I'LL TAKE GOOD CARE OF YOU
ジェリー・ラゴヴォイの作品を語る上で欠かせない男性シンガー、ガーネット・ミムズの「I'LL TAKE GOOD CARE OF YOU」。バート・バーンズとジェリー・ラゴヴォイの共作。1966年、R&Bチャート15位、全米30位。

・TRY(JUST A LITTLE BIT HARDER)
ロレイン・エリソンの「TRY(JUST A LITTLE BIT HARDER)」はチップ・テイラーとジェリー・ラゴヴォイの共作。1969年、ジャニス・ジョップリンがソロ・アルバム『コズミック・ブルース』のA面1曲目で取り上げて有名になった。以後、ジャニス・ジョップリンは積極的にジェリー・ラゴヴォイの作品を取り上げて白人シンガーでもっともジェリー・ラゴヴォイをカヴァーしたシンガーになった。

・ジェリー・ラゴヴォイのジャニス・ジョップリン評
ジェリー・ラゴヴォイはビッグ・ブラザー & ホールディング・カンパニーの「PIECE OF MY HEART」を全く評価していなかった。ジャニス・ジョップリンの例を通じて、白人の若者の当時のR&Bに対する誤解に辛口のコメントを残している。
「それは実に簡単な話だ。アーマ・フランクリンのレコードというのは腕利きのスタジオ・ミュージシャンが演奏している。その上に素晴らしいコーラス隊が加えられている。すべてがグレートだ。余分な音などこれっぽっちもない。すべての音に意味がある。それに反してビッグ・ブラザー & ホールディング・カンパニーや、どのパートも不完全な力量しか有さない同様の多くのバンド、そういうレコードがなぜ作られるかといえば、それは彼らにとってパーティーだからだ。ビッグ・ブラザー & ホールディング・カンパニーの『PIECE OF MY HEART』を聴いてみればいい。未熟でどうしようもない。ヒットしたかもしれないが、実に恥ずかしい。ジャニスがそこから突き抜けた歌を披露していたとしてもだ。さらにジャニスはR&Bに多大な影響を受けているけれども、音楽史の上での特殊な時代(当時の1960年代)についての私の個人的な見解を言わせてもらえれば、R&Bを愛し、それを真似しようと試みる多くの白人シンガーたちの致命的な勘違いというのは、大声で歌い、絶叫することがソウルだと思っていることだ。マーヴィン・ゲイを聴いてみたまえ。あるいはジョン・リー・フッカー。ジャニス・ジョップリンだけではなくて男女問わず無数のシンガーが首筋の血管を浮き上がらせることがR&Bだと思ってきた」とジェリー・ラゴヴォイ。
タツローさんの友人は、このジェリー・ラゴヴォイのインタビュー記事を見て「でも、ジャニスは絶叫したかったんだから、しょうがないじゃないか」と名言を言ったんだとか。

・ジョン・サイモンのコメント
ビッグ・ブラザー & ホールディング・カンパニーのプロデューサーだったジョン・サイモンは「私は彼らは優れたライヴ・バンドだといつも思っていたけれども、レコーディング・グループとして成立するかは疑問だった。観客の熱狂の中で彼らを見るのは好きだったけれども、個人的には彼らの考える音楽と大衆の考える音楽との間に大きな隔たりができる時があったように見えた。ジャニスが最初のステップを踏み出せたのはドラッグのおかげだった。聴衆がみんなぶっ飛んでいたが、彼らは多くの人々をハッピーにできた。それはすごく重要なことで、彼らが音楽を作れないからドラッグに走ったと考えるべきではないと思う。彼らはサンフランシスコの社会現象としてカルトであり、時流に乗っていて、そういうおそらく社会的要因が常にあったんだ」と発言している。

・TIME IS ON MY SIDE
日本でも同じようなR&Bに対する誤解がたくさんある。一つの例として1960年代のグループ・サウンズを代表するタイガースのライヴ・アルバムから「TIME IS ON MY SIDE」。

・悲しき叫びのブルース
珍しいジェリー・ラゴヴォイ作品のカヴァー。ガーネット・メムズの「AS LONG AS I HAVE YOU」を日本語詞でカヴァーしている。

・JERRY RAGOVOY特集 Part.3
来週は1970年代の作品を中心に。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係

■今後の予定
07月22日は、さらにもう一週「JERRY RAGOVOY(ジェリー・ラゴヴォイ)特集」。
07月29日は「納涼リクエスト大会」の予定。

画像はJERRY RAGOVOY(左)とHOWARD TATE(右)。
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TOYOTA SOUND IN MY LIFE

2007年07月14日 | 佐野元春 Radio Days

■TOYOTA SOUND IN MY LIFE(JFN COUNTDOWN)
2007年7月14日(土) JFN系列全国ネット 15:00-15:55
DJ:SHINJI/川瀬良子
GUEST:佐野元春

Playlist
Very Special!! / サンボマスター
Steppin' Out / Joe Jackson
Let's Dance / David Bowie
Sweet Dreams / Eurythmics
Every Breath You Take / Police
(Keep Feeling)Fascination / The Human League
君が気高い孤独なら / 佐野元春
荒地の何処かで / 佐野元春
---------------------------------------------------
■内容の一部を抜粋
・1983 The Origin Top 3
音楽の時空間をタイム・トリップするということで1983年を音楽でフラッシュバック。選曲テーマは1983年に響いた唯一無比の存在感あるアーティストのトップ3。
1983年というと佐野元春はニューヨーク、マンハッタンに移住して暮らしていた。
「今日かかってるジョー・ジャクソンとか、そしてデイヴッド・ボウイのヒット曲ですよね、もう、袖で聴きながら、懐かしくて、死にそうです」と元春。
「僕の小さなアパートメントにテレビがあったんですけれども、MTVがちょうどはじまった頃でね。契約してこうしたヒット曲がテレビからどんどんながれてきて、しょっちゅう、ジョー・ジャクソンの曲とか、今日これから'80年代のヒット曲がどんどんかかってくると思いますけれども、懐かしいですね」と元春。
「レッツ・ダンス」にしても「スィート・ドリームス」にしても内容はシリアスで暗いリリックだと元春は話す。
SHINJI「佐野元春さんが1983年、24年前の佐野さんに会えるとしたら、どんな会話をするんでしょうか?」
元春「そうだね。うーん... なんて言うんだろ。...生きててよかったね(笑)」
一同爆笑。

・今日の気分で選んだ曲「(Keep Feeling)Fascination」
佐野元春が選んだ曲はヒューマン・リーグの「ファシナシオン」。1983年当時、ニューヨークでライヴを見たという。
「この曲はストリートでホントによくかかってましたね。エレクトリックなポップなんだけれども、そこに'60年代、'70年代のR&Bというかソウルのフィーリングを入れてる。しかも昔だったらブラス・セクションとかで吹くメロディーをシンセサイザーで処理しているというのが、すごく新しい感じがあって僕なんか夢中になりましたね」と元春。

・君が気高い孤独なら
SHINJI「タイトルがインパクトのあるタイトルですけれども。このタイトルに込められた佐野さんなりのメッセージというのはどういったところなんでしょうか?」
元春「そうだね~。変な連帯だったら一人でいるほうがマシだぜ、それでも寂しくないぜという感じ?」
SHINJI「変な連帯というのは?」
元春「お金の事情でつるんだりとか、そういうのあまり好きじゃない」
SHINJI「今の世の中テレビのニュースを見ると、そういったような、悲しいかな、現実が耳に飛び込んできますもんね」
元春「一人ぼっちとか孤独っていうと、昔だったらネガティブなイメージがあったけれども、今の時代というのは、孤独っていうのはなんかかっこよく響く。僕はそう思う」
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COYOTE

2007年07月13日 | 佐野元春

SITEDOIにアルバム『COYOTE』のレビューをアップしました。
アルバム発売から1ヶ月になりますね。この間に何回聴いたことでしょう。近年で最も多く聴いたアルバムになりました。僕の元春熱がピークだったのは『Visitors』の頃ですから、それ以降で多く聴いたアルバムというと『sweet16』になるかもしれません。発売時の聴いた回数でいうとそれに匹敵しますかね。いちばんはたぶん『SOMEDAY』。

さて、明日はJFN系の「TOYOTA SOUND IN MY LIFE」(15:00-15:55)に生出演ですね。

■『COYOTE』関連リンク
HMV
元春のインタビューが掲載されています。
ファンからの質問に元春が答える「Hear My Voice」もあります。

APPLE
アップルストア銀座で開催されたトーク・イベント『Moto Sano talks about the music of 「COYOTE」』の模様が掲載されています。

@ぴあ
アマゾン熱帯雨林のサント・ダイミ教団で癒しを施すスピリチュアル・マザーのクララ・シノブ・イウラと元春の対談が掲載されています。

MY SPACE
SNS「マイスペース」とMWSが共同開催するミュージッククリップ・コンテストの応募が行われています。

Show Time
会員登録すると「君が気高い孤独なら」のPVが無料で見られるようです。

MUSICO
音楽配信サービス「MUSICO」で『COYOTE』の全曲がダウンロード販売されてるようです。元春のインタビュー記事があります。

MUSICSHELF
「プレイリストから新たな音楽を発見する」コミュニティー・サイトです。
元春のインタビュー記事と元春のプレイリストが掲載されてます。
Dr.kyOnのインタビュー記事とプレイリストも掲載されてます。
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Sunday Songbook Playlist

2007年07月09日 | Sunday Song Book

<07月08日プレイリスト>
[JERRY RAGOVOY特集]
チャンスの前髪(TV Size)/竹内まりや 8月8日発売ニュー・シングル
THIS SILVER RING/THE CASTELLS '54
A WONDERFUL DREAM/THE MAJORS '62
CRY BABY/GARNET MIMMS '63
TIME IS ON MY SIDE/KAI WINDING '63
TIME IS ON MY SIDE/IRMA THOMAS '64
TIME IS ON MY SIDE/THE ROLLING STONES '64
STAY WITH ME/LORRAINE ELLISON '66
PIECE OF MY HEART/ERMA FRANKLIN '67
PIECE OF MY HEART/BIG BROTHER & THE HOLDING COMPANY '67
---------------------------------------------------
■内容の一部を抜粋
・近況
竹内まりやにまた新たなタイアップが決まった。現在、まりやさんが曲を書いていて、上がり次第スタジオ入り。

・チャンスの前髪(TV Size)
竹内まりやニュー・シングル「チャンスの前髪」は先週7月5日(木)午後10時からTBS系ではじまったドラマ『肩ごしの恋人』の主題歌。サザンオールスターズの原由子とのコラボレーション。8月8日発売予定。カップリング曲は「人生の扉」。
今週はテレビ・サイズをオンエア。来週、フル・サイズをかける予定。

・JERRY RAGOVOY特集
今週、来週はソングライター「ジェリー・ラゴヴォイ」の特集。
ジェリー・ラゴヴォイはハンガリー系のユダヤ人で、1930年フィラデルフィア生まれ。現在77歳になるソングライター、プロデューサー。白人なんだけれど'60年代のソウル・ミュージックにものすごく深い功績を残している。フィラデルフィア出身でニューヨーク、フィラデルフィアで活動しているが、作る音楽は滅茶苦茶ディープなソウル・ミュージック。
クラシックを聴いて育ち、両親が音楽をやっていたのでピアノが弾けた。ハイスクールを卒業後の1948年、東フィラデルフィアの黒人街にあった電器屋に勤める。その当時、1940年代から1950年代は電器屋でレコード(78回転のSP盤)を売っていた。ここに数年間勤めて、店で売られている黒人のためのR&Bのヒット、ゴスペル、ブルースを聴いて十代の後半を過ごし、すっかり黒人音楽のファンとなった。ソウル・ステンアライズ、スワン・シルヴァー・トーンズ、チャールズ・ブラウン、エイモス・ミルヴァーン、ジョン・リー・フッカーといったブルースを自分でも作ってみようと考え、1953年に友人とフィラデルフィアに「グランド」というレーベルを立ち上げた。

・THIS SILVER RING
生まれてはじめて手掛けたのがキャステルズというドゥーワップのグループ。キャステルズのデビュー曲「MY GIRL AWAY IT'S ME」。これが10万枚くらい売れて、それが最初のヒットとなった。
キャステルズの曲はタツローさんも『ON THE STREET CORNER 3』で「HEAVENLY FATHER」という曲を取り上げている。
1954年の「THIS SILVER RING」が作曲者ジェリー・ラゴヴォイの名前が最初に出た曲。この曲を踏み台にしてフェビアンとかフランキー・アヴァロンといったロックンロール関係の白人アイドル・シンガーで売っていたレーベル「キャンセラ」の雑用に潜り込んだ。

・A WONDERFUL DREAM
その次に発見したグループが黒人の男4人、女1人のヴォーカル・グループのメイジャーズ。キャステルズは典型的なドゥーワップ、フィリーのR&B、スウィート・ソウルの草分けともいわれるサウンドだったが、ジェリー・ラゴヴォイはあまりドゥーワップが好きではなかった。メイジャーズはドゥーワップ末期の1962年頃のグループなので、ジェリー・ラゴヴォイは「ノーマン・ミード」というペンネームを考えた。そのペンネームで書いたのが「A WONDERFUL DREAM」で、1962年全米22位まで上がるスマッシュ・ヒットになった。75万枚のヒットだといわれているジェリー・ラゴヴォイの出世作。
ジェリー・ラゴヴォイという本名はいつかブロードウェイに進出する時まで取っておこうとしたという。

・CRY BABY
「A WONDERFUL DREAM」のヒットを足がかりにしてキャンセラ・レコードを辞めてニューヨークに出てくる。キャンセラ・レコードで知り合ったのが、1960年代を代表する、R&Bには欠くことのできない作曲家、プロデューサーのバート・バーンズ。代表作はビートルズでお馴染みの「TWIST & SHOUT」。ジェリー・ラゴヴォイはバート・バーンズとパートナーを組み、ニューヨークとフィラデルフィアを行ったり来たりしながら、いろいろな作品を作り続ける。その中で生まれた大ヒットが1963年、ガーネット・ミムズの「CRY BABY」で全米4位、R&Bチャートでは3週間続けて1位というミリオンセラーとなった。この曲は'50年代R&Bではなくて、もっと黒人文化に奥深く入っていった形で、ゴスペル・ミュージックの影響を深く受けた音楽作りのいちばん最初の作品。いわゆる「ソウル・ミュージック」といわれた最初の作品で、サム・クックと並んでこの時代のソウル・ミュージックの萌芽だといわれる有名な作品。

・TIME IS ON MY SIDE
「CRY BABY」がヒットしていた1963年の10月頃、ジェリー・ラゴヴォイの家に友人のジャズ・トロンボーン奏者のカイ・ワインディングから作曲を依頼する電話がかかってきた。それで書き上げたのが「TIME IS ON MY SIDE」。1963年にバーブからトロンボーンのインストで発売されたが、全くヒットしなかった。曲の一部"TIME IS ON MY SIDE"のところを歌っているのはシシー・ヒューストン(ホィットニー・ヒューストンの母)、ディオンヌ・ワーウィック、ディー・ディー・ワーウィックという親戚同士のコーラス・グループ「スウィート・インスピレーションズ」(ガーネット・ミムズの「CRY BABY」にも参加)。その1年後にニューオーリンズ出身のアーマ・トーマスという女性シンガーがシングルのB面に取り上げた。B面だったのでチャートには関係なかった。補作詞が黒人シンガーのジミー・ノーマン。アレンジはHBバーナム。それを引き継ぐ形でイギリスのローリング・ストーンズからこの曲をシングル・カットしたいというオファーがジェリー・ラゴヴォイのところに来た。このシングルが全米6位となり、ストーンズにとって初の全米ベストテン・ヒットとなった。ジェリー・ラゴヴォイ自身はストーンズのヴァージョンを聴いて「何なんだ、このクズは」と思ったらしいが、「それがアーマ・トーマス以上のヒットとなり本当に驚いた」とコメントしている。日本にもストーンズのヒットで知れ渡るところとなり、グループ・サウンズのタイガースの十八番となった。

・STAY WITH ME
「私はジョン・リー・フッカーと同じくらいプッチーニをよく知っている。アメリカのソウルというのはイタリア・オペラから蒸留されたものだ。私は、だから、そういう意味ではラヴェルとかラスマニノフといったドラマチックな音楽に惹かれるんだ」とジェリー・ラゴヴォイ。
そういうジェリー・ラゴヴォイのダイナミズムが発揮された作品が1966年のロレイン・エリソンという黒人シンガーによって歌われた「STAY WITH ME」。ロレイン・エリソンはフィラデルフィア出身で、ゴスペルの畑でエリソン・シンガーズというファミリー・グループでやっていたのを、ジェリー・ラゴヴォイがスカウトした。
「STAY WITH ME」はフランク・シナトラのレコーディング用に抑えられた70人編成のオーケストラが、フランク・シナトラが急にレコーディングがキャンセルとなり、その70人編成のオーケストラを、そのままいただいてレコーディングされた、という逸話が残っている。作曲はジェリー・ラゴヴォイとジョージ・ワイスの共作。ジョージ・ワイスは一世代前の作曲家で、ルイ・アームストロングの「WHAT A WONDERFUL WORLD」や、エルヴィス・プレスリーの「I CAN'T HELP FALLIN' LOVE」で有名。1966年の全米R&Bチャート11位、全米64位のスマッシュ・ヒットだが、今日ではソウル・ミュージックのスタンダードとして知られている。

・PIECE OF MY HEART
アーマ・フランクリンはアレサ・フランクリンの妹。「PIECE OF MY HEART」は1967年全米R&Bチャート10位、全米62位。この曲がソウル・ミュージックのスターダードとして知られているようになったのは1年後にビッグ・ブラザー & ホールディング・カンパニーのジャニス・ジョップリンがカヴァーしたから。1968年にシンガル・カット(邦題「心のかけら」)され全米12位、アルバム『CHEAP THRIL』は全米1位。
アーマ・フランクリンのプロデュースを手掛けていたのがジョン・サイモン。そのジョン・サイモンがビッグ・ブラザー & ホールディング・カンパニー、ジャニス・ジョップリンのプロデュースもしていたので、その関係でこの曲がジャニスのもとにながれついた。バート・バーンズとジェリー・ラガヴォイの共作。

・来週は「JERRY RAGOVOY(ジェリー・ラゴヴォイ)特集」Part.2
来週はこの続き。ジェリー・ラゴヴォイをこよなく愛して何曲も何曲もカヴァーをしてジェリー・ラゴヴォイの代弁者となって歌ってゆくジャニス・ジョップリンの作品。それに対してジェリー・ラゴヴォイの興味深い反応を届ける予定。

■リクエスト・お便りの宛て先:
〒102-8080 東京FM「山下達郎サンデー・ソングブック」係

■今後の予定
07月08日・15日は、
ソング・ライター「JERRY RAGOVOY(ジェリー・ラゴヴォイ)特集」

画像はJERRY RAGOVOY(左)とHOWARD TATE(右)。
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LIVE EARTH

2007年07月08日 | Live

LIVE EARTH
2007年7月7日(土) 京都東寺[教王護国寺]
S席自由席 整理番号2105番

RIP SLYME
UA
BONNIE PINK
Michel Nyman
Yellow Magic Orchestra

曇り。

東寺金堂の前に特設ステージが作られていた。境内は樹木が少なからずあり、木がステージの死角となっていた。僕が会場に入場した時にはもう後方しか席はなかった。どこに座ってもステージを全て見渡すことは不可能だった。

一組大体30分くらいのステージで、大きな盛り上がりもなく、まったりとした雰囲気でライヴは進行した。それが一変したのはステージに3つのブースが運ばれた時だった。時間は午後8時50分くらいだっただろうか。どよめきが起こり、会場は総立ちとなった。YMOのライヴがはじまろうとしていたのだ。

「以心電信」のイントロが聴こえた時に鳥肌が立った。僕の席からは教授の姿しか見えなかったので、少し身体を横にずらしてみた。真ん中のブースは木が死角となり全く見えなかったが、向かって右側のブースに細野さんの姿が見えた。教授と同じ色が褪せたような黒のシャツを着ていてサングラスをかけていた。そしてベースを弾いていた。グッとくるものがあった。涙が出そうになった。

2曲目は観客の反応が薄く、僕も何の曲かわからなかったのだが、これは新曲の「Rescue」だった。3曲目は教授の『Chasm』(2004年)から「War & Peace」。新しい曲が演奏されてることがうれしかった。決してノスタルジーを共有することだけで繋がり合うわけではないのだ。

「Rydeen79/07」の時、真ん中のブースのユキヒロさんの頭がちらりと見えた。いつの間にかまた僕は横に動いていたのだ。ユキヒロさんはドラムを叩いていた。細野さんがベースでユキヒロさんがドラム。生のグルーヴを体験してるのだと思うと、また涙が出そうになった。今日はYMO3人しかいないのだろうか。でも、そんなことはもうどうでもよかった。

Yellow Magic Orchestra
細野晴臣(Bass)
高橋幸宏(Drums)
坂本龍一(Keyboards)

Set List
1.以心電信
2.Rescue
3.War & Peace
4.Rydeen79/07
コメント (2)
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