あまちゃん最終回と三条ダマシンと海文堂書店と大坊珈琲店

2013年09月28日 | 神戸、兵庫

今日はNHK連続テレビ小説「あまちゃん」の最終回でしたね。
三部構成のいちばん最後震災復興編は
現実感が乏しくもどかしいものがありました。
けれども、最後のアキの台詞

「明日も明後日も・・・来年もある。
 今はここまでだけど。来年はこっから先に行けるんだ」

そしてラストの
暗いトンネルを突き抜けるアキとユイの場面にはグッと来るものがありました。

このまえの連休は京都と神戸で過ごしました。
京都ではまだ台風18号の爪痕が残っており、
鴨川の河川敷は一部通行止めになっておりました。

先月、夏休みにも京都に行っていて、
河原町筋を歩いていましたら、
坂本龍馬・中岡慎太郎遭難の地で知られる近江屋の跡地ですが、
リニューアル工事のようなことが行われていました。



僕が知ってるだけでも旅行代理店、コンビニと変遷しましたが、
次に前を通りかかるときは何ができてるのでしょうか。

2010年の春。



三条通の三条ダマシンのことは以前にも書いたことがあります。
もともとは旧家辺徳時計店(やべとくとけいてん)といって
三条通のレトロ建築の中でも異彩を放つ赤煉瓦建築。
1890年(明治23年)に建てられた京都最古の民間建築。
ここもしばらく前からこのような状態。



向かいのポールスミスが入ってくれたらいいのになぁ。

神戸にはまたライヴを観に行ってたのですが、
連休中でしたのでのんびりと開演まで過ごしました。
元町商店街の海文堂書店が今月末で閉店するそうです。
何年かぶりに立ち寄りました。



広い店内をゆっくりと見て回り、
帰りにヘミングウェイの「日はまた昇る」の文庫本を購入しました。

最後になりましたが東京青山通りの大坊珈琲店が閉店するそうです。
http://cafe-mania.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/post-8944.html

最後に訪れたのは今年の春。一階はコインロッカーになっていました。
大坊さんにブレンドの2番を淹れてもらって飲みました。
次の予定が迫っていたので5分くらいしかいられなかった。
年内はもう東京に行く予定がないので、たぶん最後ですね。

大切な場所が消えてゆくのは寂しい。
僕らが何かできることがあるとすれば
できる限り足を運んでよい時間を過ごすことだけなんでしょうか...
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WANDERING SOULS

2012年01月31日 | 神戸、兵庫

1月8日(日)。
久しぶりにクルマに乗って神戸へ行った。
阪神・淡路大震災で倒壊した阪神高速を久しぶりに走った。
今回神戸に行くのに目的があった。
今年3月11日に閉店する神戸阪急に立ち寄ること。
最初にハーバーランドに行った。

ハーバーランドに到着したとき、渋滞の中で新春放談を聴いた記憶がよみがえった。
ちょうどパソコンを手に入れた頃だから1997年の正月だったかもしれない。
大瀧さんがホームページを開設したと話していた。
僕はまだインターネットをはじめてなかったので早く見たいと思った。

10年くらい前まで神戸にはよく行っていてハーバーランドの神戸阪急でも買い物をしたことがあった。
どういうかたちをした建物なのかよくわからないがドーム屋根になってるらしくて、
僕はそのドーム屋根の下で上を見上げたものだった。



なにかある。赤い何か。エスカレターに乗ってそれが何かを確かめに行った。



ハートのかたちをした風船だ。
あそこまで取りに行くのは無理だからしぼむまであのままなんだろう。
下を見下ろすと閉店セールのまっただ中だった。



ハーバーランドを後にして元町へ。
元町のギャラリーTANTO TENPOで鷲尾和彦写真展「WANDERING SOULS」が開催されてるので見に行った。
TANTO TENPOというギャラリーは元町というより中華街のはずれみたいなところにあった。
古い建物が残る栄町通の路地を歩いてたどり着いた。
鷲尾和彦というフォトグラファーを知ったのは5年ほど前のこと。
インターネットの自身のサイトで佐野元春のインタビューを掲載していて、
僕は知り合いからそのことを教えてもらった。
この人の写真は僕に何かを訴えかける。
そうした写真の存在は実はあまり多くない。
興味を持ってときどき活動を追って、近場で写真展が開催されると見に行くことにしている。
今回の写真展では世界中の彷徨う魂が写真のモデルになっている。
特に白黒で表現された世界観はジム・ジャームッシュの映画のようでもあり、
僕はしばらくのあいだ写真のストーリーを自分なりに組み立てようと試みていた。
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神戸女学院大学オープンキャンパス

2009年08月07日 | 神戸、兵庫
8月2日(日) 曇りのち晴れ。

神戸女学院大学のオープンキャンパスに参加してきました。
http://www.kobe-c.ac.jp/index.php

「OSAKA旅∞(おおさかたびめがね)」でお世話になったのりみさんが
ブログ「のりみ通信」でオープンキャンパスについて書かれていたので見に行くことにしました。
http://norimi.blog45.fc2.com/

神戸女学院大学はウィリアム・メレル・ヴォーリズが設計した建物として知られていて、
知人からは講堂が本当に素晴らしく一見の価値があると聞いてましたので、
機会があれば是非見に行きたいなとかねがね思っていたのです。
受験に何の関係もない僕なんかが行って怪しまれないかなと思ってたんですが、
受付で「見学させてください」と声をかけると快く受け入れてくれました。

オープンキャンパスの受付でもらったキャンパスマップによると、
神戸女学院大学は岡田山大地に、ヴォーリズ設計による南地中海様式の校舎を中心にして、
まるでひとつの街のように広がっているとのこと。

正門から最初の校舎まで遠いこと!
最初の校舎は音楽学部1号館。



キャンパスマップによるとヴォーリズ設計の建物だそうです。
1933年(昭和8年)に建設したとのこと。



音楽部2号館の屋根には風見のオブジェ「笛を吹く少年」があります。



神戸女学院大学はウィリアム・メレル・ヴォーリズの代表的な作品。
五月にNHKで放送された「新日曜美術館」の特集「建物の品格 建築家ヴォーリズの“愛される洋館”」では、
神戸女学院の図書館本館が日本で最も美しい図書館と紹介されていました。
今月また再放送があるようですね。
http://www.nhk.or.jp/nichibi/weekly/index.html

中庭から見た図書館本館。



汐留ミュージアムの「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ展」でもここの写真が使われてました。
読書に疲れた目を休ますために天井のしっくいにはアラベスク模様の花が描かれています。



エントランスにはスクエアピアノが展示されています。
1990年、音楽館にあったこの古いピアノをスタインウェイ社の代理店松尾楽器が調査。
1860年に製造されたスタインウェイ社のスクエアピアノだと判明したそうです。
その後、1年以上の歳月をかけて、1992年に復元されたとのこと。



1855年にスタインウェイ社のスクエアピアノはニューヨーク展覧会で金賞と特別賞を受賞し、
一躍スタインウェイ社の名前は世界に知られるようになりました。
その後、グランドピアノが主流となりスクエアピアノは1888年に製造中止となりました。
それ故スクエアピアノは世界でもほとんど残ってない「幻の19世紀のピアノ」と言われているそうです。
神戸女学院には音楽教師として赴任していたラザフォード宣教師によって1890年に寄付されたとのこと。

図書館本館から文学館へ行きました。
中庭側から見た文学館。



クローバーを象った手摺の柵。
神戸女学院の校章はクローバーをモチーフにしています。



文学館から講堂へ。
ヴォーリズ設計の建物でいつかは見に行きたいと思っていたのがこの神戸女学院の講堂でした。
今回のオープンキャンパスに参加した最大の理由がここでした。

太陽が後光のように差し込んできました。



神戸女学院が目指すキリスト教主義に基づいた人格教育のスローガン「愛神愛隣」の文字が見えます。



アーチ型の天井が特徴の舞台付き講堂。
800人以上が収容できて礼拝や式典が行われるそうです。



ソール・チャペル。
ソール・チャペルは総務館の中にありますが、総務館は講堂とソール・チャペルの複合施設のようです。



自然光が窓から入り込んでるんですが、特殊ガラスのせいなんでしょうか色が違います。
思わず溜息が漏れるような柔らかな光。



オープンキャンパスは午後4時まで。
時間がなかったのでヴォーリズ設計の建物を駆け足で見学しました。
理学館です。



2時間ぐらいの滞在だったでしょうか。それでもヴォーリズ設計の建物は大体見学できたと思います。

mixiでフォトブックを公開しております。
ブログに掲載できなかった写真がありますのでアカウントのある方は是非ご覧になってください。

・mixiフォトブック
http://mixi.jp/view_album.pl?id=35616841&owner_id=366818
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カフェラと桑田佳祐

2008年12月03日 | 神戸、兵庫
先日、三宮へ行ったとき、時間まで大丸神戸店のカフェラで休憩をしました。
http://www.ucc.co.jp/cgi-bin/shop/shop.cgi?id=160

カフェラのバリスタ、宮前みゆきさんはバリスタの大会で世界4位となったことで知られています。
http://www.ucc.co.jp/product_shop/shop/caffera.html
http://www.ucc.co.jp/company/news/2007/rel070802a.html

カフェ・カプチーノを注文すると泡でハートが描かれていました。



カフェラは今年の2月以来。
そのときは宮前みゆきさんがいらっしゃらなかった。
そうだ、三宮駅を降りて歩道を歩いていると若い地味なカップルに声をかけられたんです。
手にデジカメを持っていたので、ツーショットを撮ってくれと頼まれるのかなと思ったんですが...
「コウベコクサイカイカンハドコデスカ?」
東アジアのどこかの国から来た外国人でありました。
場所を教えてから、彼らは一体、誰のライヴを聴きに来たのだろうと、気になりました。
行きがけの駄賃に神戸国際会館へ行ってみました。その日の公演はスピッツでありました。なんとなく納得。
J-ポップを体現したグループはアジアでも人気があるの当然のことだと思いました。

スピッツといえば昨夜、桑田佳祐がAct Against AIDS(AAA)でカヴァーしているのを見ましたよ。

●ロビンソン



WOWOWでパシフィコ横浜国立大ホールから生中継していたのでしばらく見てました。
オグちゃんや井上富雄がサポートしていました。
僕が見ていた中でよかったのは「長崎は今日も雨だった」。

●長崎は今日も雨だった



昔、オールナイトニッポンかなんかで桑田佳祐が前川清の歌唱力を評価していたことを思い出しました。
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姫路城

2008年08月06日 | 神戸、兵庫
美術館で「アメデオ・モディリアーニ展」を見た後は姫路城に行った。



姫路城は現存する城で最大規模の木造建築。1346年、赤松貞範が築いたとされている。優雅さに防火をかねて塗られた白漆喰から別名「白鷺城」と呼ばれている。姫路城に行ったのは高校二年の課外授業以来だ。そのときは国宝ではあったものの、まだ世界文化遺産に指定はされていなかった。
http://www.city.himeji.lg.jp/guide/castle/
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A7%AB%E8%B7%AF%E5%9F%8E



ちょうどこの日は「お城まつり」が開催されていて入場無料だった。天守閣の北側に連なる「腰曲輪」を見たとき、高校生のときの記憶がよみがえった。

天守閣から見た美術館。



しゃちほこ。右側に大通りが見えます。突き当たりが姫路駅。最盛期にはあのあたりに外堀があったらしい。



ところで姫路城というと「お菊井戸」が名所として知られている。播州皿屋敷の舞台だということだ。しかし、僕が子どもの頃に聞いた東海道四谷怪談では「番町皿屋敷」なんですよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%BF%E5%B1%8B%E6%95%B7



ちょうど僕が写真を撮ってるとガイドのおじさんが観光客を案内してました。その話を盗み聞きしたところによると、「お菊井戸」と名づけられたのは大正時代のことだそうで、それは石碑の裏側に記してあるとのこと。



皿屋敷の物語は築城よりも前の話という説があり時代が全く違う。大正になって当時の役人が「後付け」したのではないかという話。今では観光客が井戸にお金を投げるそうで、井戸をのぞくときらきらと光るお金が見えるという。



こういうのはあまりよくないと、そのガイドのおじさんは話しておりました。いつの日か人々は「白鷺城」の「白」という字を除いて「サギ城」と言うかもしれないと。

お菊井戸から「ぬの門」をくぐりぬけたとろにあるのが扇の勾配。扇を開いたように反り立つ石垣。敵の侵入を防ぐのが目的だとされている。櫓門(やぐらもん)には監視窓や石を落とす穴がある。



姫路城の城内の道は防護のため迷路になっていて、延々と門や階段が続く。



この日は猛暑日であったため観光は相当辛かった。
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香櫨園

2007年08月10日 | 神戸、兵庫
「50メートルの海岸線」の続き。

村上春樹は戸籍上は京都の生まれだけど、すぐに兵庫県西宮市の夙川に移り、まもなくとなりの芦屋市に引っ越し、十代の大半をそこで送った。

病院の東側に橋があって、橋の山の手側に夙川オアシスロードがあった。海の手側は御前浜公園(香櫨園浜)に続いていて、僕たちはまず御前浜公園のほうに歩いて行った。ここは村上春樹が子どもだった頃は海水浴場だったらしい。



村上春樹が東京に出てから、しばらく後、高度経済成長時代、列島改造ブームの最中に埋め立てられて、今ではこじんまりとした入り江のようになっている。すぐ西側に見える芦屋の浜には高層住宅が建っている。



それを村上春樹は「高層アパートがモノリスの群れのようにのっぺりと建ち並んでいる」と『辺境・近境』に書いている。『羊をめぐる冒険(上)』では登場人物のジェイに「歌は終わった。しかしメロディーはまだ鳴り響いている」とせつない思いを代弁させいる。

しばらく海を眺めた後で、僕たちは夙川オアシスロードを散策した。山側から海側に風が吹きぬけ、清涼感を味わいながら阪神香櫨園駅のほうに歩いていった。村上春樹・文、安西水丸・絵の『ランゲルハンス島の午後』に収録された「ランゲルハンス島の午後」の舞台となった古い橋は見つけられなかった。橋は下の写真にあるような小さなものだったらしい。オアシスロードが整備された時に取り壊されたのかもしれない。



ところで僕はランゲルハンス島が実在しない島だということは、実は何年か前に知った。ランゲルハンス島とはすい臓の中の細胞の塊のことをいうらしい。
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50メートルの海岸線

2007年08月09日 | 神戸、兵庫
村上春樹の街・神戸篇の続き。

それから僕たちは阪神元町駅から特急に乗って芦屋まで行った。芦屋駅から阪神バスに乗りシーサイド西口で降りた。目的地は芦屋川だった。ジェイズ・バーが芦屋川のほとりにあるという設定だった。

村上春樹は戸籍上は京都の生まれだが、育ったのは芦屋だった。早稲田大学に入学するまでこのあたりに住んでいたらしい。子どもの頃、夏になると毎日、芦屋川で泳いでたそうだ。



高度経済成長時代、列島改造ブームの頃に、山が切り崩され海が埋め立てられた。村上春樹がちょうど上京していた頃の話だ。芦屋川は海に注ぎ込んでいるが、昔あった海岸線は埋め立てられて、今は50メートルしか残ってない。



かつて低い防波堤があった。その向こうは海だったそうだが、今は埋め立てられて住宅地となっていた。古い防波堤の名残りがあり、そこには絵が描かれていた。




「古い防波堤」と「50メートルの海岸線」は『五月の海岸線』(短編集『カンガルー日和』収録)に登場する。この短編はやがて『羊をめぐる冒険(上)』の中に組み込まれて小説の一部となった。

次に僕たちが向かったのは病院だった。『ノルウェイの森(上)』では直子が入院していた設定になっていたところだ。僕の好きな短編『めくらやなぎと眠る女』(短編集『レキシントンの幽霊』に収録)では、右の耳が悪いいとこの検査がこの病院で行われたという設定だった。そして野坂昭如の『火垂るの墓』の舞台にもなった場所だ。



バスの待ち時間に僕は短編『めくらやなぎと眠る女』を思い出していた。バスの行程が震災被災地に重なるので、震災直後の'95年夏に神戸と芦屋で行われた朗読会で村上春樹が読んだ短編だ。たしかその時、オリジナルが長かったので大幅に手が加えられたという。『レキシントンの幽霊』にはその手が加えられたヴァージョンが収録されてたはずだ。

僕たちの乗ったバスは目的地まで行かなかった。その時間、病院の近くまで行くバスはなかったのだ。そのせいで僕たちは暑い中を歩く羽目になった。『めくらやなぎと眠る女』の中に八月の砂浜に放り出されたチョコレートの箱のエピソードがあった。登場人物たちの不注意さと傲慢さによって損なわれ、かたちを崩し、失われていったチョコレート。あのチョコレートの箱のことを僕は歩きながら思い出していた。今も僕の心の中にあのチョコレートの箱があり、それは僕を揺らし続けていたのだ。
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村上春樹の街・神戸篇

2007年08月08日 | 神戸、兵庫
以前僕は友人と連れ立って神戸震災ウォーキングを行った。その時、僕らは村上春樹の作品『辺境・近境』をもとにして、村上春樹が歩いた場所を巡る計画を立てていたのだが、時間がなくてすべて回ることはできなかった。「この続きはまたいつか」、そう約束して僕らは別れた。

あの日、回れなかった芦屋と西宮、香櫨園にはいつか行くつもりだった。今年、僕は佐野元春のニュー・アルバム『COYOTE』を手にした。アルバムの表題曲とされる「コヨーテ、海へ」を聴いて海に行きたくなった。海に行って潮風を浴びて「コヨーテ、海へ」をiPodで聴いて...。香櫨園の御前浜公園まで行ってみようかと人知れず計画を立てていた。

そんな時、Sから「神戸にある村上春樹縁の場所に案内してくれないか」と頼まれた。神戸高校や芦屋川に行ってみたいということだった。全くの偶然ではなかったのかもしれない。僕はいつかSに三宮を案内する約束のようなものをしていた。断る理由もなく僕は引き受けることにした。

8月5日(日)、僕たちは新大阪で待ち合わせてJRで三宮に向かった。最初に向かったのは神戸高校だった。



神戸高校は村上春樹の母校で、昭和のはじめに創立されて、現在の名称になったのは昭和23年のことだという。神戸高校には2年半前の神戸震災ウォーキングで訪れていたので、目新しいものは何もないだろうと思っていたのだが、学校は改装されていた。バス停を降りてすぐのところに新しい体育館ができていたのだ。

バス停から正門まで急な坂道になっていて「地獄坂」と生徒に呼ばれている。下の写真は正門から地獄坂を見下ろしている。眼下には港が見えた。



神戸高校からバスに乗って三宮に戻り「ハーフタイム」というバーに行った。こちらは村上春樹原作、大森一樹監督作品の『風の歌を聴け』で、ジェイズ・バーのロケ地となった場所だった。現在は改装中で看板さえなかった。2年半に訪れた時の日記はこちら

その後は山の手の小さなレストラン「ピノッキオ」に行った。ここは『辺境・近境』で村上春樹が訪れた場所。僕たちは村上春樹と同じメニューを注文した。生ビールとシーフード・ピッツア。ブログに2年半前に訪れた時の日記がある。今回僕が食べたピッツァは「1132902」枚目だった。

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生田神社

2007年02月23日 | 神戸、兵庫

これは今年の正月、生田神社へ初詣に行った時、撮った写真だ。僕はきっとミーハーなんだろう(苦笑)。あちこちで「藤原紀香」の名前が出ていたが、相方さんの名前は一度も耳にすることはなかった。 帰りは南出口から出てチキンジョージの跡地を撮影した。

2005年12月に佐野元春が出演する堂島孝平のライヴを聴きに行った。その時に年末(2005年)で一旦休業すると発表があった。それから1年あまりが過ぎたけれど、まだ着工したばかりという感じだ。今年中にはリニューアルできるのだろうか? バナナホールも明け渡しで二転三転しているが決着はついてないみたいだ。
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神戸高校

2006年01月17日 | 神戸、兵庫

昨年の1月23日(日)、佐野元春のTHE SUN TOURが神戸国際会館こくさいホールで開催されました。僕と友人はライヴがはじまる前に神戸の街を歩きました。村上春樹の『辺境・近境』を片手に、それぞれ地震の記憶をよみがえらせながらいろいろと話しました。

『辺境・近境』の「神戸まで歩く」で村上春樹は西宮、夙川あたりから二日かけて三宮まで歩きます。それは地震で被災した故郷を巡る旅でした。村上春樹は以下のように思いを綴っています。

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地震のあと僕は神戸の街を何度か訪れ、言うまでもなく、その傷跡の深さにショックを受けた。でもそれから二年を経過して、ようやく落ち着きを取り戻したかのように見える町が、実際にどのような変貌を遂げたのか、そしてあの巨大な暴力が町から何を奪い、何を残していったのか、自分の目で見届けてみたかったのだ。それはおそらく僕自身の今の存在とも少なからず関係したことであるはずなのだから。
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僕たちは午後にJR三宮駅で待ち合わせ、大まかにその日歩くルートを決めました。時間に余裕があるわけではなかったので、神戸高校から新神戸まで歩くことにしました。そして阪急六甲からバスに乗り神戸高校に向かいました。

バス停から神戸高校の門まで急な坂道を上りました。300メートルくらいあったでしょうか、息が切れました。山の斜面を平たくして作られたグラウンドではラグビーの試合が行われていました。グラウンドの向こうには港が見えました。

写真は通称「地獄坂」を登りきったところにある神戸高校の門。『辺境・近境 写真篇』に掲載されている写真と同じアングルで撮りました。
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ピノッキオ

2006年01月17日 | 神戸、兵庫

神戸高校から新神戸まで歩きました。次の目的地は山の手にある小さなレストラン。そこでシーフード・ピザを食べました。僕は以前この小さなレストランに来たことがありました。

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2004年8月22日(日)の日記から。

昨年の東京遠征の折に新幹線の中で村上春樹の『辺境・近境 写真篇』を読んだ。『辺境・近境』はずいぶん前に読んでいたものの、写真篇を手にしたのはその時が初めてだった。中の文章は『辺境・近境』の抜粋だったが、松村映三(エイゾー)による写真が新たに加わり興味深かった。

「神戸まで歩く」がグッときた。モノクロームで撮られた写真を見ていると、その場所を一度歩いてみたいという欲求に駆られた。最後にハルキさんは三宮の山の手にある小さなレストランのことを書いた。ピザを注文すると「あなたの召し上がるピザは、当店の958,816枚目のピザです」という小さな紙片がついてきたという。それを読んだ時、このレストランには是非行ってみようという気になった。

ネットで検索してみると案外簡単にその小さなレストランは見つかった。どうせなら友人を誘って行ってみるのもいい、そう思って久し振りに連絡してみた。快い返事があり、計画はとんとん拍子で進んだけれど、いろいろな事情で中止さぜるを得なくなった。今年の初めのことだ。「またいつか」。そう思って今日まで時間は過ぎていった。

夏の午後、特に用事があったわけではなく、なんとなく三宮までドライブした。昔はよくこんな感じでエアチェックしたラジオ番組を聴きながら車を走らせた。家から三宮まで小一時間、ちょうどよい距離なのだ。今日は佐野元春の『THE SUN』を車の中で聴いた。

トア・ロードを歩いた。Paul Smithの路面店は「この6月の末で休業することになった...」と張り紙があった。10年くらい前に僕はここでカフスを購入した。ビートルズの立体写真のもので、ポールの若い頃の笑顔は角度を変えると"I'M PAUL"という文字になった。「いつかまた再会しましょう」と張り紙は続けていた。新装開店してまた再開するつもりということだった。

小さなレストランは更に坂を上った先にあった。僕はカウンター席に座り、村上春樹のようにシーフード・ピザを注文した。車を運転して来たのでアルコールは飲めなかった。代わりに冷たい烏龍茶を頼んだ。

ウェイターはピザが焼きあがるまで15分かかると言った。僕は店内を観察して過ごすことにした。古いオルガンがあった。しかしそれは誰かが弾くために置かれているわけではなかった。僕はなんとなく船乗りが集う風景を想像した。おかしなものだ。港からここまでずいぶんと距離があるので、実際に船乗りなどいるわけがない。真夏の幻だ。店内にはジャズがながれていた。やがて曲はコルトレーンの「My Favorite Things」になった。この小さなレストランがハルキさんのお気に入りだったわけがわかったような気がした。

焼きあがったピザには1087960枚目と記された紙片がついていた。
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僕たちが食べたピザは1093989枚目でした。5ヶ月の間に6029枚焼かれたわけですね。
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ハーフタイム

2006年01月17日 | 神戸、兵庫

友人と駅で待ち合わせる前に一人で三宮の街を歩きました。少し早く到着したのです。それで『「村上春樹」が好き !』で紹介されていたバー「ハーフタイム」に行ってみました。

映画『風の歌を聴け』でジェイズ・バーのロケ地となった神戸のお店が「ハーフタイム」でした。映画は僕が村上春樹を読むきっかけになった作品で、確か1984年ぐらいにテレビで観ました。時間が早くてまだお店は開いてませんでした。いつか入ってみたいです。
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東遊園地のルミナリエ(7)

2005年12月22日 | 神戸、兵庫

今年のルミナリエはクリスマスまでやらないそうですね。

本日が最後となるそうです。

というわけでこの連載も今夜で終わり。

ありがとうございました。
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光の回廊から(2)

2005年12月21日 | 神戸、兵庫

ルミナリエの光の回廊。
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光の回廊から

2005年12月20日 | 神戸、兵庫

光の回廊を抜けて東遊園地を望む。
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