3月21日(月・振替休日)、タワーレコード梅田NU茶屋町店で開催された佐橋佳幸さんのトークショー、サイン&握手会に参加してきました。前日にZEPP NUMBAで渡辺美里名盤ライブが行われたから居残り残業かと思いきや、松たか子さんがNODA・MAP第20回公演『逆鱗』の大阪公演で先週末から来てるので、子守りのため残ってるのだとか。一旦達郎さんのNHKホール公演で東京に戻るけれど、また娘さんのシッターで大阪って言ってました。裏スケジュールもすごいですね。
その達郎さんのツアー先でライヴの終演後、湯川トーベンさんから電話をもらって村田和人さんの訃報を聞いたそうです。広規さんのケータイが鳴って、次に佐橋さんのケータイと湯川さんは連絡してきたそうです。達つぁんに知らせといてくれと言われて達郎さんの楽屋に向かったら、向こうから達郎さんが「村田が死んだー」と言いながら走ってきたと話してました。「一本の音楽」を聴くとしんみりしてしまうとか。
今回のトークショーはFM COCOLOでオンエアされるんですが、番組は「THE MAJESTIC SUNDAY」。DJのちわきまゆみさんがインタビュアーになってショーは進行しました。東京城南地区出身の同世代ということですが、実際に会うのは久しぶりみたいでした。
『佐橋佳幸の仕事』はソニーからの発売なので業界の慣例で51%以上ソニーの音源を使用しないといけなかったそうです。大人の事情で協力してもらえなかったレコード会社があって、桑田佳祐さんとの仕事が入れられなかったのはそのためだと話してました。クレジットの件でUGUISSのドラマーの松本淳さんから連絡があり、宮原学さんの「WITHOUT YOU」のドラムは野口明彦さんではなく、松本さんだったことが判明したとか。アルバムのクレジットをそのままコピペしたので、オリジナル・アルバムのほうが間違えていたということです。コピペに触れて『逆鱗』のポスターは東京五輪エンブレムで有名な佐野さんだそうですね。野田さん、「オレのポスターはコピペすんなよ」って言ってたと佐橋さん(笑)。
都立松原高校の2年先輩清水信之さんから「EPOはたぶんデビューできるので、それまでデモ作りとか手伝え」と言われた佐橋さん。当時一緒にやってたのがベーシストだった山本拓夫さん。EPOのデビューがRCAだったことから、シュガーベイブみたいにニッポン放送でデモを録ったそうです。そのテープが見つかったとニッポン放送のスタッフが佐橋さんのもとに送ってきてくれて、聴いてみたら今と同じフレーズや癖で弾いていたとか。『佐橋佳幸の仕事』よりも前の仕事なのでDISC 0にあたる音源だと言ってました。聴いてみたい。
30年間仕事をしていて驚いたことという話題ではデーモン閣下と小学校中学校同じだった(小暮さんが後輩)と話してました。担任の先生から今度帰国子女の生徒が入学するので面倒見るようにと言われたそうです。だからよく一緒に遊んだとのこと。前によみうりテレビの「共鳴野郎」でもこの話ありましたよね。そうそう「共鳴野郎」のプロデューサーだった方がお見えになっておられました。
松たか子さんについては読譜能力をほめてましたね。ただコンサートでピアノの弾き語りするのにツアーの最後までピアノの上は楽譜だらけ。長セリフとか暗記できるのに暗譜できないことを不思議がってました。娘さんには胎教でジェームス・テイラーとキャロル・キングしか聴かせなかったそうですが、3月に入って、つかまり立ちしだしたので、オーディオとか手に触れられないよう模様替えをしたといいます。それでオーディオがうまく配線できてるかチェックしてたら、ちょうどターンテーブルにジェームス・テイラーが乗ってたのでかけると、それまでよちよちしてた娘さんがスピーカーの前でじっと聴いてたそうです。覚えてるみたいだったと佐橋さん。仕込みはバッチリなので、あと15年くらいしたらヤマザキ春のパンまつりを代わりにやってるかもしれないと話してました(笑)。
サインはケースにしてもらいました。昭和女子人見記念講堂に大阪から日帰りで行ったけれど、最後のダージリンが見られなかったと話したら、「おう! あんな時間までやったからでしょ?」って(笑)。サインのとき僕の前ふたりがTシャツとかタオルの布製品だったんです。マジックペンのペン先が毛羽立つのか紙でペン先を整えてましたね。ギタリスト、プロデューサーの仕事の一端を見るようでありました。
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