フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

「フランスとフランス人についての30の質問」

2008年04月01日 | Weblog
 上記の表題をサブタイトルに持つ Guillaume Duval << Sommes-nous des paresseux ? >>(Seuil, 2008) をしばらく本教室で扱います。テキストご希望の方は
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 smarcel

Paris en couleurs 試訳

2008年04月01日 | Weblog
[注釈]
 * en de merveilleux tirages noir et blanc : 「すばらしい白黒写真の形で」同一の単語の反復を避けるため、写真を tirage, cliche`, image といった言葉で表現していることに注意して下さい。
 * un Paris re’volu : 「かつてのパリ」
 * De`s lors : 「そこで、したがって」ex. Il e`tait a` Paris le jour du crime, de`s lors son innocence ne fait aucun doute.
 * De ce proce’de’ que l’on croyait re’serve’ a` la seconde moitie’ du vintie`me sie`cle :文脈から ce proce’de’ とは、「カラー技術」のことでしょう。re’serve’ a`... : とくに….のために用意された、とうことですから、20世紀後半になって用いられたと思われていたカラー技術が,実はすでに100年も前にルミエール兄弟によって実用化されていた、ということです。
 
[試訳]
 パリは、その美しさとその変化によって人々の視線を引きつけています。写真家や映画人の研ぎすまされた熱いまなざしは、私たちの都に創造の尽きせぬ泉を見ています。パリを写真によって語る人は数知れません。ドワノ、ロニス、ブラッサイをはじめ多くの写真家は、パリを気品のある白と黒に鮮やかに焼き付け、そのように見つめ、発見して来ました。そこからは、心地よい郷愁の漂うパリの香りが匂い立っています。ですから、カラーで彩られたこれらパリの写真との違いは驚くばかりです。カラー技術は20世紀後半になってからのものだと私たちは思っていましたが,それがすでに1世紀も前に、ルミエール兄弟によってオートクロームという名で実用化されていたことに驚きを隠せません。今日私たちの元に返って来たこれらの写真によって、陽気でいきいきとしたパリの姿が明らかになることでしょう。
 この展覧会「カラー写真で見るパリ」は、フランス、海外、現代、近代を問わず、この都市の命を捉えようとした、あるいは捉えることが出来た、すべての芸術家に対するオマージュです。一枚一枚の写真は、それぞれパリの新しい姿を明らかにしています。ジゼール・フロイントの写真から,占領下のパリの日常を捉えた今回初公開の作品まで。また戦後の写真界をリードしたビッグネームから、ジャン=ポール・グードに至るまで。ここで語られているのは,パリとそこに住む人々の姿のみならず、写真の一世紀に及ぶ歴史なのです。
 パリ市長 ベルトラン・ドラノエ
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 次回からしばらくの間、 Guillaume Duval << Sommes-nous des paresseux ? - ...et 30 questions sur la France et les Francais >> (2008. Seuil) を読みます。
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