フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

オクターヴ・マノーニ『フロイト』(2)

2008年10月01日 | Weblog
 [注釈]
 * La solution e’picurienne (…) : ここは、前文の Pourquoi...を受けての文章ですから、solution は、明子さんの訳にあるように「解釈」、あるいは「答え」と考えるのがいいでしょう。
 * il a cette e’vidence impe’pe’trable qui (…) : ここの impe’ne’trable は、関係節以下に説明があるように、命令を受ける方からはその意味が「伺い知れない」ということです。理由は判らないながらも、そんなことはダメに決まってるでしょうという e’vidence。ですから、ときに「不条理」に思えるのですね。
 * cela ne de’plairait pas a` Freud : 宗教の起源を解き明かそうとしてユングと絶縁することも、フロイトは辞さなかったであろう。
 
 [試訳]
 快楽主義者の答え(禁欲するのは、さらなる満足を得るひとつの方法だ)は、確かに十分なものではない。打算によらない、しかも宗教的な神話より他の何ものかに基づくに違いない禁止というものがある。宗教的な神話といっても、実際、「私たちの魂の内的な働きを反映したものでしかない」のだから。そうすると禁止とは、なによりも、心的現実のひとつであることは間違いないだろう。あらゆる禁止の原型は、近親相姦のそれである。そこには真の命令がもつ、有無を言わさない明証性があり、不条理に見えることすらある。
 フロイトにとっては、自然人 - 単なる生物学的な想像物 - は、「禁止のない野生人」であり、彼らにとっては、エディプスの二つの禁止(近親相姦と父親殺し)は何の意味も持たないように思われた。ディドロがすでにそうした考えをもっていたが、しかしながらそれ以降、民俗誌学が私たちに知らしめたのは、説明のつかないタブーと、文化による強制よりも厳しいさまざまなトーテミズムの禁止によって、私たち以上に行動をずっと制限された「原始人」の姿であった(フレイザー『トーテミスムと異族結婚』(1911年))。さらに宗教の起源の問題を明らかにしようとすると、ユングと袂を分かつことになりかねない。フロイトは直接そうした絶縁に手を染めようとはしなかったが、そうなってもフロイトはまんざらでもなかったであろう。
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 misayo さん、同書の村上仁訳があるとは知りませんでした。さすが、翻訳大国日本ですね。実は、今読んでいる『フロイト』ですが、少し古い本なので今回取り上げるのに少し躊躇したのですが、門外漢ながらなかなかいい本だな、と思ったものですから、思い切ってテキストとして使用しています。専門家の村上さんの訳業があるのなら、やはり、そう悪い本ではないのですね。貴重な情報ありがとうございました。
 それでは、次回はp.147 son apport. までとしましょう。