[注釈]
* On a conteste’… : contester / constater まぎらわしいですから、混同しないようにしましょう。
* un fantasme fait aussi bien l’affaire. : faire l’affaire 「適当である」ex. Cette petite valise fera l’affaire, je n’ai rien a` emporter. ここは、フロイト自身が、原父殺しの客観的真実性を「必然ではない」と認めた、という流れをしっかりつかんで下さい。
* Si Freud pre’fe`re (…) a` la ve’rite’ objective, la raison en est surprenante : まず si ですが、ここは「仮定」ではなく、「事実の提示」として働いています。ですから、フロイトが客観的な真実性よりも la croyance (ここではほとんど想像を意味しています)を大切にしていたということを認めた上で、その理由が、ちょっとびっくりですよ、と述べています。
* surprenante : 事実性よりも、信念が問われる理由として、「いや~、原始人には幻想など必要ないのだから、実際に行われた行動しかないでしょう」と答えられたら、はやり面食らいますよね。それは、まさに un cercle vicieux (p.148)だからです。
* l’homme aux loups については、
http://yamatake.chu.jp/01ana/2ana_b/3.html
をご参照下さい。
「狼男症例」のポイントのひとつは、強迫神経症発症の引き金となるトラウマとなる出来事が、必ずしも確定的な歴史的な事実ではなく、夢の解釈を待って初めて再構成されるもとだ、ということです。つまり、ここにも真実と信念の間の境界の揺らぎがあります。
[試訳]
フロイトはそのことについて歴史(先史)的な根拠を与えようとした。ひとつの神話を想像したのだ。ある日のこと、息子たちが部族の父長を殺し食べてしまう。その結果として、「罪悪感に基づいた」新たな社会組織が生まれた。この神話はフロイトに感情的に大きな力を及ぼした。というのも、この想像にとても満足していたものの、これを世に問う際にフロイトは本物のパニックに襲われたからである。
この神話の客観的な真実性に対して異議を唱えることは容易であった。この物語にそうした真実性が必要でないことは、フロイト自身が認めてたのだから、これを幻想だと言ってもかまわないだろう。ここには、同時期に展開されていた「狼男」の分析において課せられていた問いの反響を聞くことが出来るように思われる。フロイトは、客観的な真実よりも想いに肩入れすることを選んでいたのであるが、その理由がひとを驚かせるものだった。つまり、抑圧を知らない原始人は幻想を持つまでもなく、ただ行動すればよかった、というのだ。
....................................................................................................................
次回は,少し長くなりますが,p148 obe'issant au principe de re'alite'. までとしましょう。
先週の金曜に朝,喉の痛みで目を覚ましたのですが,その日は無理して仕事に出ました。ですが、月曜は大事を取って授業を休み、火曜は早朝から大学に出かけました。そして今日、普段から動きの鈍い頭がいっそう重く感じられるままに、この書き込みをしています。妙な間違いなどありましたら,お手数ですが,ご指摘下さい。どうもここ何年か、秋の戸入り口のところで身体が躓いてしまうことが多くなりました。みなさんもどうか気をつけて下さい。
smarcel
* On a conteste’… : contester / constater まぎらわしいですから、混同しないようにしましょう。
* un fantasme fait aussi bien l’affaire. : faire l’affaire 「適当である」ex. Cette petite valise fera l’affaire, je n’ai rien a` emporter. ここは、フロイト自身が、原父殺しの客観的真実性を「必然ではない」と認めた、という流れをしっかりつかんで下さい。
* Si Freud pre’fe`re (…) a` la ve’rite’ objective, la raison en est surprenante : まず si ですが、ここは「仮定」ではなく、「事実の提示」として働いています。ですから、フロイトが客観的な真実性よりも la croyance (ここではほとんど想像を意味しています)を大切にしていたということを認めた上で、その理由が、ちょっとびっくりですよ、と述べています。
* surprenante : 事実性よりも、信念が問われる理由として、「いや~、原始人には幻想など必要ないのだから、実際に行われた行動しかないでしょう」と答えられたら、はやり面食らいますよね。それは、まさに un cercle vicieux (p.148)だからです。
* l’homme aux loups については、
http://yamatake.chu.jp/01ana/2ana_b/3.html
をご参照下さい。
「狼男症例」のポイントのひとつは、強迫神経症発症の引き金となるトラウマとなる出来事が、必ずしも確定的な歴史的な事実ではなく、夢の解釈を待って初めて再構成されるもとだ、ということです。つまり、ここにも真実と信念の間の境界の揺らぎがあります。
[試訳]
フロイトはそのことについて歴史(先史)的な根拠を与えようとした。ひとつの神話を想像したのだ。ある日のこと、息子たちが部族の父長を殺し食べてしまう。その結果として、「罪悪感に基づいた」新たな社会組織が生まれた。この神話はフロイトに感情的に大きな力を及ぼした。というのも、この想像にとても満足していたものの、これを世に問う際にフロイトは本物のパニックに襲われたからである。
この神話の客観的な真実性に対して異議を唱えることは容易であった。この物語にそうした真実性が必要でないことは、フロイト自身が認めてたのだから、これを幻想だと言ってもかまわないだろう。ここには、同時期に展開されていた「狼男」の分析において課せられていた問いの反響を聞くことが出来るように思われる。フロイトは、客観的な真実よりも想いに肩入れすることを選んでいたのであるが、その理由がひとを驚かせるものだった。つまり、抑圧を知らない原始人は幻想を持つまでもなく、ただ行動すればよかった、というのだ。
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次回は,少し長くなりますが,p148 obe'issant au principe de re'alite'. までとしましょう。
先週の金曜に朝,喉の痛みで目を覚ましたのですが,その日は無理して仕事に出ました。ですが、月曜は大事を取って授業を休み、火曜は早朝から大学に出かけました。そして今日、普段から動きの鈍い頭がいっそう重く感じられるままに、この書き込みをしています。妙な間違いなどありましたら,お手数ですが,ご指摘下さい。どうもここ何年か、秋の戸入り口のところで身体が躓いてしまうことが多くなりました。みなさんもどうか気をつけて下さい。
smarcel