フランス語読解教室 II

 多様なフランス語の文章を通して、フランス語を読む楽しさを味わってみて下さい。

ルクレジオ(2)

2008年12月03日 | Weblog
 [注釈]

* un tour de magie re'ussi.. : un tour は「芸当、技」を意味します。ex. tour de cartes 「トランプ手品」
* une sorte de grand concert sauvage ce'le'brant la fraternite' des humains, et d'abord ceux que … : ルクレジオの作品は人類の博愛を讃えるのですが、まずなによりも、que 以下の関係代名詞によって説明されている ceux (humains)への連帯を歌うのです。
* le vent de l'Histoire : Histoire は、近代の発展を牽引した西洋のみが描いた「歴史」という含意があるのでしょうか。そこには、例えば南洋の小さな島々に生きる人々の歴史は含まれていません。
* Qu'il s'agisse des peuples de l'Ame'rique indienne... : qu'il s'agisse de... ou de... 「(それが)…であれ、….あれ」ルクレジオが愛する多様な人々の例示です。
  「こなれた」訳文を心がけるよりも、まず何よりも文章の構造、つまり論理の組み立て方をしっかり捉えることが大切です。その把握が曖昧なために日本語訳の「目鼻立ち」がぼやけ、その結果意味の通りにくい訳が出来てしまうのだと思います。何よりも論理の組み立てをしっかり見通すことです。

 [試訳]
 ほとんど半世紀に渡って、ルクレジオのそれぞれの作品は、しなやかで豊かな言語の魔法による離れ業であっただけではない。その言語は同時に、痛みに耐える世界の傷に浸されたその筆の、なかば動物的な本能によって導きだされたものだった。悲痛な響きを持ったその作品は、多様な人類への博愛を讃える、野生味にあふれた一大コンサートのようである。まずなによりも、歴史の荒風がその言語を、拠りどころを奪い、様々な出自のあとをかき消し、虚無へと押し流された人々のために、彼の筆は戦ってきた。ルクレジオは多様な人々を愛し、その魂を慈しむ。それはアメリカ・インディアンであることもあれば、彼自身のルーツでもある砂糖の島々、モーリシャスの人々であることもあった。世界を讃える彼の歌は、混血を讃える歌であり、差異を大切にし、植民地主義を退ける歌である。例えば『メキシコの夢』の中でルクレジオは、もしスペイン人が大西洋を横断しなかったらアメリカ・インディアンはどうなっていたかを想像している。
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 では、次回は残り少なくなりましたが、この論説記事を最後まで読むことにしましよう。
 いま大学の行き帰りに水村美苗『日本語が亡びるとき - 英語の世紀の中で』(筑摩書房)を読んでいます。肝心の結論部分にはまだ至っていませんが、評判に違わず大変面白い essai です - 「試論」と訳せばいいでしょうか。英・仏・日本語を操る著者だけあって、大変広い視野と深い射程の中で、近代国民国家の生んだ「日本語」の来しかた行く末を論じた本です。
 近代日本語は、<普遍語>(この場合、いわゆる漢文に英・仏・独・蘭を指します)を翻訳することによって生まれたとする著者はこう述べています。
 翻訳という行為の根底には、常に,もっと知りたいという人間の欲望 - 何とか<普遍語>の<図書館>に出入りしたいという人間の欲望がある。そのような欲望は、国家の存亡を憂える気持ちと独立し、人間が人間であるゆえに人々が宿命的に持つものである。(…) そのような人々が翻訳にたずさわることによって、日本語という<自分たちの言葉>が<国語>という高みへと到達しえたのであった。(pp..186-7)
 こうした評論的な部分のみならず、本書には、世界各国から集まった<作家・詩人>という人間の生態、かつてのフランス語の輝き、秀逸な『三四郎』論など、いろんな味わいの読みどころもあります。一度是非手にとってみてください。
smarcel