[注釈]
* Après l'outrance de la démonstration, place à… : la démonstration は1月11日のデモ行進のことです。place à...「つぎは…の出番だ」という成句です。
* Tout la panoplie de la laïcité… y est sagement déclinée. : la panoplie とは、この後のDroit au blasphème以下の事柄を指しています。つまり、宗教というものに懐疑的な「ライシテ信者」が掲げるリベラルな主張です。その偽善をトッドが批判、論破している、ということではないでしょうか。
* comme <<une bonne chose>> : このニュアンスも、トッドの著作に当たってみないとなんとも言えません。まったく自信はありませんが、以下のように解釈しました。また他のご意見があれば聞かせてください。
[試訳]
例えばカトリックの両親から生まれたフランソワ・オランドは、「ゾンビよろしく蘇ったカトリック教義を完全に体現しているように見える。」なるほど社会党は「主観的には」反人種主義ではあろうが、「客観的には外国人排斥集団である」とトッドは断言する。実際「社会党はフランス国民から移民の子供たちを排除している」のだから。要するに、あの日抗議の声を上げた人々の中核をなしていたマジョリティーの表現と行動には、完全な乖離があるということである。
「新たなライシテ・ヒステリーと闘う」
閑静な街の嫌イスラムから、打ち捨てられた郊外の反ユダヤ主義まで、この不平等な「新しい共和国」を構成する著名人の責任は重大だ。ではどうすればいいのか。それもひとつの宗教にすぎない「ライシテというあらたなヒステリー」と闘わなければならない。それがイスラムを犠牲の山羊にし、「マホメットを戯画化する義務」を説いているのだから。熱狂したデモ行進のあとには、終局としての教会一致会運動がやってくる。トッドが懸命に闘っている新共和国主義の構える「開かれたライシテ」という武器一式は、見事に矛先を逸らされている。冒涜の権利、国家によって保証されている表現の自由、移民の同化、イスラムの「積極的統合」…。多くの人にとって嫌イスラムの象徴とみなされている、学校におけるヴェールの禁止でさえトッドにとっては、逆説と矛盾を免れない「結構なこと」となるのである。トッドの数々の糾弾は、つまるところ共和主義の純粋な教理問答集へと向かう。さあそろそろ、著者が課した疑問に答えなければならない。「シャルリーとは誰なのか?」それはエマニュエル・トッドだ。彼自身はそのことを知らないだろうが。
……………………………………………………………………………………………..
misayoさん、Mozeさん、shokoさん、訳文ありがとうございました。今回は、ところどころ難しかったですね。
shokoさん、パリ便りありがとうございます。ぼくも昨夏、二週間足らずの滞在でしたが Mensuel を購入し、気にかかっていたパリ周辺の町をいくつか散策しました。歴史と伝統の街パリもいいですが、風と緑を満喫するなら、少しパリを逃れるのもいいものですね。ぼくはそういう周辺が好みです。
さて次のテキストですが、今年生誕100年のRoland Barthes のテキストを読もうかと考えています。
実は今高齢の縁者の具合が悪く、ちょっと先の予定が立ちません。申し訳ありませんが、あたらしいテキストはもうしばらくお待ちください。Shuhei
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます