[注釈]
*conjuguer avec les obstacles… : いろいろ調べてみたのですが、本来ならここで書き手はconjuguer以外の動詞を使うはずではなかったのか、と勘ぐっています。命からがら海を渡ってきても、今度は陸地で、東欧を中心とした国々が設けた障害を「かいくぐらなければ」ならないのだ、というふうに読めました。ここについて、何かご意見があればまた聞かせてください。
*nous avons tout à gagner : 文字通りは「手にすべきすべてがある」ということですから、試訳にあるように訳しました。
[試訳]
難民たちは救命ボートで海に漂うあらゆる危険とすでに向き合ってきたのに、今度はその到着を阻止しようとする国々が設ける障害をかいくぐらなければならない。彼らを殺すのは、嵐や飢えや渇きだけではなく、うち建てられる壁や有刺鉄線や日常化している人狩り、そして私たちすべての無関心である。私たちは、彼らに提供される生活物資(食料、水、仮設テント)が私たちの元から持ち去られるものであるかのように、すべての避難民を迎え入れることを恐れている。しかしながらすべてのヨーロッパ諸国のなかで協働して組織されるべき人道支援は、通連管のようにはまったく組織されていない。彼らを同胞として相応しく迎え入れれば、私たちには何一つ失うものはないにもかかわらず。一刻も早く彼らを受け容れるよりは、同胞が死んでゆくのを座視することを選ぶほどに、私たちはお互いを怖れているのだろうか?
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misayoさん、Mozeさん、shokoさん、訳文ありがとうございました。いかがだったでしょうか。そしてshokoさん、パリ便りありがとうございました。ちょうど先週末から今週にかけて教室でla Nuit blancheについて学生たちに話したところでした。長くて寒い夜長を楽しむための様々な工夫をフランスの人々は持っていますね。東海地方の夜も随分と過ごしやすくなってきました。ぼくも先週末は映画『岸辺の旅』を見、ピーター・ゼルキン(あのルドルフ・ゼルキンのご子息です)のピアノの音色を楽しんできました。
それから、今年生誕百年を迎える作家・批評家のロラン・バルトの今最良の入門書と思える『ロラン・バルト』(中公新書)を読みました。第一人者による良質のガイドブックです。この年内には再度バルトの文章を読むことにしましょう。
それでは、次回はこの文章を読みきります。28日(水)に試訳をお目にかけます。Shuhei
さあ今一度、私達の怒りの叫びを上げる前に、この砂の上に横たわる谷間の眠れる子供を真っ直ぐに見つめて、目の底に焼き付けよう。華奢な体、まだぽっちゃりとした手、砂にもたれかかる安らかな顔、水でいっぱいの肺。最後に今一度、彼が夜の冷たく暗い水に落ちた時の恐怖を想像してみよう。溺れまいともがきながら、水が肺の空気に取って代わるよりも前に窒息して海の底に沈んでしまった彼の恐怖を想像してみよう。想像することによって、私達の罪深い無関心を呼び覚まし、人間として、集団として振舞うことができるように。今問題となっているのは、もはや憤りではなく、男性、女性、子供の命が危険にさらされている時に、人が互いに持つべき人間性や連帯の急激な高まりなのだ。
21世紀は、今のところ集団的無関心と人間味のない憤りの痛ましい混合物だが、断念と無感覚の世紀となってしまわないようにしよう。いったい何人のアイラン・クルディーがすでに海の底に沈んだのだろう。そしてヨーロッパが行動するためにはあと何人が必要なのだろう。もし私達がこれらの悲嘆にくれる男性や女性を助けるのに成功しなければ、また移民問題を解決することに成功しなければ、私達の21世紀文明は後戻りできないほどに、人間性のすべてを失うのではないかと危惧される。
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今一度まっすぐに目を向けてみよう。砂浜に横たわるこの「谷間に眠る人」に、この華奢な身体、まだふっくらした手、砂に押し付けられた穏やかな顔、そして水で一杯になった肺に目をむけよう。私たちの怒りの声をあげる前に。最後にもう一度言うが、男の子の恐怖を想像してみよう。その子は冷たく暗い海水の中に落ちて、そして沈まぬようもがきながらも、海の底にとうとう沈んでしまい、水が完全に肺の空気と入れ替わる前になおも息をつまらせた時の恐ろしさを想像してみよう。とがめられるべき私たちの無関心を目覚めさせ、人道的、集団的行動をするために。今日問題なのはもはや怒りでなはく、男性、女性、子どもたちの生命がかかっている時、他者に対して持つべき人間性や連帯にはっとすることが大切なのだ。
21世紀は、さしあたり集団的な無関心と安楽な怒りが入り混じった苦いものであるが、あきらめと冷淡な世紀となってしまわないようにしよう。何人のアラン・クルディくんがすでに海中に沈んだのか。ヨーロッパが行動するためにまだ何人沈まなければならないのだろか?遭難した男性や女性を助けたり、移住の問題を解決するに至らなければ、21世紀の私たちの文明は、決定的にあらゆる人間的な部分を失う恐れがある。