Chang! Blog

福岡のハングル検定準2級建築士、そして一児の父の[ちゃん]のブログです

東京から野崎島への旅【5】野崎島を歩く

2013年10月19日 | ■旅と鉄道
 野崎島のある小値賀町は、「アイランドツーリズム」を標榜し、古民家ステイや自然体験など、さまざまな過ごし方を提案してくれます。
 今回の野崎島でも、まずガイドツアー(4,200円)に参加して、島を一通り学習することにしました。


 島の歴史から動物、木々まで精通したガイドさんが案内してくれます。


 野崎島には3つの集落があり、最盛期には650人が暮らした島なのですが、人口が急減し、1990年代には事実上の無人島になりました。
 先週おとずれたばかりの端島(軍艦島)と規模は違えど、島で暮らした人々の生活の痕跡は、どちらも色濃く残っています。


 主のいなくなった木造家屋は、急速に朽ちて行きます。この家も最近になって梁が落ちたそうで、崩壊寸前です。
 自然物で作られた家は、いずれ瓦だけを残して土へ還って行くのでしょう。


 離島の際に持って行ける荷物も限られたことから、テレビや食器といった「モノ」も、昭和の色のまま残されています。
 どこか懐かしさを感じるバックです。




 朽ちかけてはいるものの、島民の方がひょっこり姿を現しそうな区画も。
 「廃墟の島」と言えるのかもしれませんが、どこか温もりをも感じさせられる野崎集落でした。




 酒瓶がゴロゴロ。


 集落を登り、通称「サバンナ」と呼ばれる平原に。きれいに刈りそろえられた芝は、もちろん人の手によるものではありません。
 有人島だった頃から野崎島は鹿だらけで、今も400頭ほどが生息。しかし鹿の数に対しエサとなる植物は充分ではなく、食べられる草は食べつくされた結果の、きれいに揃った芝の原っぱなのです。よく見れば、鹿の糞がゴロゴロしてます。


 教員住宅はRC造なので、しっかりと残っています。室内もほぼそのままで、押入れには布団が残されていました。


 野首集落への峠道を超えると、九州とは思えない澄んだ海が出迎えてくれました。


 自然学塾村の裏手の石段を登ると…


 旧野首協会があります。明治時代に長崎で多くの教会建築を手がけた名工、鉄川与助の初期の作品です。
 教会としての役目を終えた建物ですが、ツアーに参加すれば見学することができます。




 日本の伝統工法で教会建築に挑んだ、試行錯誤の跡を伝えます。


 教会から見える棚田は、芝の原っぱに。


 約2時間の散策は、自然学塾村で終了。今日の泊りも、この施設です。1985年に廃校となった小中学校の木造校舎を利用した施設で、島で唯一トイレや電気が使える場所でもあります。
 思えば人のいない島にも関わらず電気が通り、水を使え、定期便まであるのですから、こんなに便利な無人島もそうそうないでしょう。


 午後は、ビーチに出てのんびり。他愛もない話をしながら、波の音と過ごしました。


 10月とは思えぬ暑さの中、ビールがうまい!


 学塾村には自炊設備や食器類はありますが、食材は持ち込みor釣ることになります。
 先発隊の皆様の「釣果」の南蛮漬けとともに、いただきまーす!


 食糧は持ち込みですが、水分は自販機で調達できます。アルコールも、時間制限なしで購入可能。


 半月だったこの日ですが、灯りのない島で月の存在感は大きいもの。月明かりに映るくっきりした自分の影が、驚きでした。
 月光で写真を撮影しているという「ムーンライトフォトグラファー」さんも加わり、時間を忘れて星空の下で語らいました。

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