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いのちの意味と環境と

2006年11月27日 | 生きる意味

 金曜日は、朝から呼吸器アレルギーの病院通い。

 終わって、駅のドトールでLサイズのコーヒーを飲みながら、締切り間際の原稿書き。

 なんとか無事書き終えて、夜は中級講座「摂大乗論を読む」。

 翌日土曜日は、横浜の電話相談のグループの学習会で論理療法の講義。12月にはコスモス・セラピーの話もします。

 そして土、日、月と可愛い孫娘を連れて娘夫婦がやってきました。

 もうすぐ2歳半の孫は、とても明るくて利発で楽しい子です。

 じいじとばあばのことを大好きでいてくれるようで、可愛い声で「ねえ、じいじ」「ねえ、ばあば」という呼びかけを連発してくれました。

 しっかりみっちりコミュニケーションを楽しんだ3カ間でした。

 こういうふうに愛するものと心が通う時には、もう「生きていることには意味があるか」「なぜいのちは大切なのか」などという問いは消滅しています。

 あるに決まっている、大切に決まっているのです。

 だから、そういう愛しいいのちが健やかに生きていくための基盤である環境もしっかりと守らなければならないに決まっている、と私には思えるのです。

 ばらばらコスモロジーで分野別に考えることに慣らされている方の中に、なぜいのちの意味の授業に環境を守る話、しかも政治の話が出てくるのかという疑問をもたれる方がいるようなので、ちょっとだけお答えしました。



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コメント
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