般若経典のエッセンスを語る3

2020年09月29日 | 仏教・宗教

 古代インド人は「何年何月に何があった」ということにはほとんど無関心な民族だった。時が永遠に巡り果てしなく輪廻が続くといった時間感覚があり、したがって何年何月に何かあっても同じようなことが巡るわけであるから、いちいちそのことを記しておく必要はないという感じが強かったのだろうか、歴史的記録が非常に少ない。

 そのため、わずかに残っている記録などをどう解釈するかで、古代インドの歴史的な事柄の年号は百年くらいすぐに前後してしまう。

 それに対して、中国は古代から「何年何月何日に何があった」という意味での歴史にうるさく、非常に早い時期から歴史書が残っている。

 そういう意味で、中国人とインド人は精神文化・精神構造が非常に違うといわれている。

 ともかくインドはそういう国で、大乗仏教の主張が最初に書かれたのが般若経典のいちばん初期のものであるから、そのもっとも初期の般若経典が書かれた頃が大乗仏教の興った時期だと考えられ、いろいろな資料を照らし合わせて、百年くらいの幅で紀元一世紀前後だろうと推測されている。

 大乗仏教がそれ以前の仏教を「それは小乗だ」と批判し「我々は大乗だ」と主張した際のいちばん大きな強調点は、「単に覚りだけではなくて慈悲がなくてはならない」ということにあった。

 もちろんゴータマ・ブッダの教えの基本も智慧と慈悲だが、以後の仏教がどちらかというと智慧のほうに、しかも専門家として出家した人が覚り・智慧を得るところに強く焦点を当てていた。

 それに対して「自分も他者も一緒に覚り救われていく、そういう大きな乗り物としての仏教こそがほんとうの仏教なのだ。これこそがゴータマ・ブッダがほんとうに言いたかったことなのだ」と主張し、ブッダの名前を借りて般若経典が書かれている。

 そのように、ゴータマ・ブッダが説いたことになっているが歴史的にはそうではないので、今日的には偽作であり著作権法違反とも言えるが、古代のインド人にはそうした意識はなく、「自分たちが理解したこの仏教こそが、ブッダがほんとうに言いたかったことであるはずだ。したがってブッダが語ったことにしてかまわない」というのが古代インドの文献に対する考え方である。

 それに対して現代人が現代人の感覚で「文献的に、歴史的なゴータマ・ブッダが書いたものではないではないか」と批判してもあまり意味がない、と筆者は考えている。

 しかし、二十の部派仏教の中で唯一現代まで残り東南アジアに広がった「上座部・テーラーヴァーダ」の僧は、「大乗仏教はゴータマ・ブッダが説いたものではない。我々のほうこそほんとうのブッダ直伝の仏教であって、大乗仏教はほんとうの仏教ではない」と主張することが多いようである。

 最近は、テーラーヴァーダの僧でも、チベット仏教などの他派の仏教や他の宗教も学ぶうちに、自分たちだけが唯一絶対に正しいというのは狭い考えだと考えるようになった人もいるようだが、まだ原理主義的な人が多いのではないかと思われる。

 

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