白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

時代に取り残された街を旅して

2017年03月06日 09時25分08秒 | 街道歩き

あれからもう何年になるのだろう。

僕らは日本橋を歩きだした。ザックひとつを背負って。

遠く京都の三条大橋を目指して。500キロ近い道のり。

歩き始めなければ始まらない。最初の一歩を踏み出さなければ。

東海道53次の旅はこのようにして始まった。確か2012年のことだ。

 

その前に中山道の踏破を終えた僕らは、次に東海道を目指した。

中山道はこの北信濃から近く、街道筋に出るのに便利だったが、東海道は遠い。

貧乏人根性がそうさせるせいもあるが、移動は鉄道の鈍行旅。

青春18切符を愛用した。

日本橋~横浜~小田原。箱根越えは後回しにして三島~浜松~宮の七里の渡しまで歩いた。何度にも分けて。

夏の間は山に登り、冬季間だけの街道歩き。

第一の目的は体作りだ。名所めぐりは二の次。ついでに見る程度。

今回は伊勢の桑名の渡しから歩き継ぐ。

旧東海道は尾張の宮の渡しから海上を船で桑名に渡ったという。

3月1日から4日までの予定。

僕らは関西本線で移動。

午後3時半くらいから歩き始めたが、あいにくの雨。

この日は四日市までの予定だったが、少し早めに切り上げて富田駅で切り上げ。15キロくらい。23,770歩。

 

翌日は四日市から富田まで戻り、四日市~鈴鹿~亀山まで。

この日は天候が回復したが、上空に寒気が入り寒かった。

四日市と言えば喘息が思い浮かぶ。

いくつかの煙突が煙とも蒸気ともつかぬものを噴き上げていた。

街道筋は古い宿場の面影が残っている地域もたくさんあった。

ただ、一番印象的だったのは商店がほとんどなく、あっても営業していないことだった。

登り旗も看板もない。コンビニも僅かで、食事処もない。

人の気配もほとんどない。

街そのものが、古代遺跡のようだった。

庄野宿でやっと見つけた骨董カフェ。

ようやくありついた食事は、名物伊勢うどん。

柔らかくて太いうどんはちょっと濃いめのツユに絡んでとても旨い。

素朴な感じの店のおばさんと少し話をした。

その中でのおばさんの一言に一瞬虚を突かれ、考え込んだ。

『どうして東海道歩いているの?』

8合目くらいまで歩いて、もう少しで山頂ということにばかり気を取られ、どうして登っているかなんて最近は、忘れていた。

 

『これ、サービスなんで...』と出してくれたのは、ぜんざい。なんと、伊勢うどんより値段が高い。

疲れた体と心に甘さが染み渡った。

オアシスを後にして、また僕らは歩き始めた。廃墟のような宿場町の遺跡の中を。

この日は亀山インターのそばまで。37キロくらい。56,138歩。

 

翌日の行程は関宿を越え、坂下から箱根に次ぐ難所鈴鹿峠越え。近江の土山から水口まで。

関宿は昔の面影が色濃く残り、店も営業しているところが多かった。

家々の木の格子には雛飾り。

 

時代に取り残されたような街道筋の宿場町で、人々はどのようにして暮らしを立てているのだろう。

そんなことがしきりと気になった。すでに住む人もない家もいくつも目に付いた。

限界集落という言葉は何も農村だけのものではないのだな。

この関宿は大きな宿だが、食料を仕入れる場所はなかった。

少し外れて道の駅で昼食用の食料を仕入れた。

この辺りでは街中で遭難することがありそうだ。

とにかく食事処がない。コンビニもない。

鈴鹿峠越えを控えて、道の駅の売店で業者が配達するのを待ち、店でおにぎりができるのを待ってやっと食料を確保。

 

坂下宿からは田舎で、道は登り。こんなところの方が僕は好きだ。

鈴鹿峠は急な登りになる。

だが、いつもの山登りに比べれば、思ったほどのことは無く、距離も短くて難なく頂上に立った。

それからの下りが長かった。

国道1号線に沿って歩くが、店は全くない。

やっとあいの土山という道の駅に到着。

ここで冷えた体をタンタンメンで温め、寿司とおにぎりをほおばる。

時は13時30分。

この辺りからは、宿の水口方面へのバスが何本かある。

かみさんには、リタイヤしてもオッケーと伝えてある。

だが、今回は弱音を吐かなかった。

以前は20キロを過ぎると、歩行速度が落ち、弱音を吐いた。

近江鉄道を渡って水口宿に入ったのは17時過ぎ。

この宿では山車を収めた、背の高い建物が各町にあり、祭りの時のにぎやかさを思わせた。

18時に宿着。

この日は38キロほど。56,138歩。

今回の旅はここまで。

東海道は、この後石部宿から草津へと続く。

中山道で草津から三条大橋まで歩いているので、行程は草津までの30キロほど。それに箱根越えが残る。

 

なんで東海道を歩いているのだろうか。

改めて考えている。もう終わりが見えてきた今になって。

それは人生の終わり近くになって人生って何だろうと考えるのにも似ているかもしれない。

 

帰路中山道でなじみの木曽谷を走る鈍行列車の窓から御岳山が見えた。

 

松本から長野への車窓からは暮れ行く常念山脈。

もうじき桜の季節が来る。

そして僕らの山登りの時期がやってくる。