白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

飯山線に沿って ランニング旅2

2018年09月25日 11時17分37秒 | ランニング

 

暑く激しかった夏。

夏祭り、盆踊り、敬老会と準備も含めて多忙な日々を送った。

区の役員の任期もようやく半分が過ぎる。

色々な山へ出かけようと思ったら、秋の長雨の季節になった。

 

春に、千曲川と飯山線に沿ったランニング旅を始めた。

第1回は立ヶ花駅からきた飯山駅までの約18キロ。

昨日は雨が降りそうもなかったので、続きのランニング旅に出かけた。

予定では北飯山駅から信濃平駅、戸狩野沢温泉駅、上境駅、終着は上桑名川駅。距離はおよそ15.5キロ。

 

10時少し前にカメラとGPSだけ持って出発。

15キロくらい楽勝と思っていたのが甘かった。

気温は徐々に上がり、蒸し暑かった。この夏、ほとんどランニングもしなかった。

そのツケが回ってきたのだろう。気持ちだけが先走る。

ウォーミングアップもなしに1キロ6分のペースで走り出す(いつものことだ)が、じきに肺が痛くなった。

汗がどっと吹き出した。2キロも走らないうちにペースダウン。この冬、ピッチ165から180に走法を変えた。そのリズムは体が覚えている。

その為、どうしても速度が上がってしまう。のんびり、ゆっくり走ることが難しくなっている。

1キロ7分以下のペース配分を自分に言い聞かせる。



道路はいわゆる裏道で、交通量は少ない。

飯山は豪雪地帯で、冬には積雪が1メートルを超える。


稲刈りが行われていた。こんな田園風景がたまらなく好きだ。

近くに高橋まゆみ人形館があり、。こんな農夫の姿が人形になっている。



飯山線は電化されていないので、線路だけのすっきりした風景を作り出す。



ここまで数キロだが、息も絶え絶え(うそです)に信濃平の駅に辿り着く。

2時間に1本くらいしか運行されない赤字路線(多分)なのでもちろん無人駅。

ここの駅舎は列車がそのまま使われていて、なかなかに趣がある。

ここで数分の休憩。



TOKYO(東京)は言わずと知れた大都会。ここ北信濃はいうまでもなく大田舎。対極にある。

OYKOT 。TOKYOをひっくり返したネーミング。オイコットというイベント列車が走る。

レトロ感満載の車内は、木製の凝った座席がしつらえられ、新幹線などとは違った高級感がある。

 

 

雪国の子供のデザインがかわいい。この車両は戸狩野沢温泉駅に停まっていた。

戸狩野沢温泉駅は珍しく有人駅だ。駅舎の改築中で、回りを足場が囲んでいたので写真は無し。

 

 

線路と千曲川に挟まれた路を走るうちに湯滝温泉が見えてきた。

ここまで10キロ余り走っただろうか。

この温泉は後ほど立ち寄ることにして、横目で見ながら通り過ぎる。

 

 

その少し先に、今日4番目の駅、上境駅がある。

 

全国の赤字路線が次々と廃止されていく中で、この飯山線もいつまで存続できるのだろう。

雪深いこの地方の人々にとって、生活に欠かせないかけがえのない鉄道に違いない。

とにかく繋がっているという安心感。お友達ばかり優遇するのではなく、地道に暮らしている人を応援してほしい。

 

 

千曲川の川幅もかなり広くなり、水量も増えてきた。

川の向こう側にバイパスができて、メインの道路ではなくなったが、僕がまだ若い頃は、この道が越後の津南町へ通じる道だった。

角栄氏の勢力が全盛の頃で、信州側の狭い道が、越後の入った途端、道幅が倍もある立派な道路になって愕然としたものだ。

あの頃はホンダのN360という空冷エンジンの車で、随分いろいろなところに行った。そんな懐かしい道だ。

 

 

感慨に浸りながら走るうちに、目的地、上桑名川駅に着いた。

かみさんに北飯山駅で車から降ろしてもらい、上桑名川駅で待っていてもらった。

何しろ昼間は2時間に1本程度の運行なので、今回は列車に乗らなかった。

この駅にも駐車場があるので、この次はランニング終わりの駅からこの駅まで乗ることになるのだろう。

かみさんには湯滝温泉に行くので、ということで同行してもらった。

飯山線は全長100キロ余り。終点は越後川口駅。今回で多分1/3くらいは走ったことになるのだろう。

走行距離15.53キロ。時間1時間42分50秒。ペース1キロ6分37秒。ピッチ170/分。歩幅0.84メートル。

 

この後、湯滝温泉に行った。

 

外湯は誰もいなくて、眼下に千曲川を眺めながら達成感に浸った。

 

 

紫米という古代米で作った笹寿司定食。

そば、おやき、笹寿司、こんな田舎料理にことさら惹かれる。

次回はいつになるのだろう。越後に入ったら、名物のへぎそばを食べてみよう。

 

 

 

 

 

 


いわむらかずお絵本美術館 那須岳 藤城清治美術館

2018年09月08日 10時34分10秒 | 登山

目に見えて夏が輝きを失っていった。

大雨が降り注ぎ、台風が何度も樹々を大きく揺らして通り過ぎ、次に地震が北の大地を大きく揺らした。

被害に遭われた方々に心からお見舞いを申し上げる。

ここ、北信州は台風の影響があった。主に農家の果樹が被害を受けた。

収穫直前のリンゴが落ちたり傷付いたりした。

気温も一気に下がった。

夜、庭に出ると秋の虫が鳴いてしみじみとした気分になる。

* * * * *

八月の終わり、かねてから計画していた那須高原への旅をした。

かみさんは那須高原にいわむらかずお絵本美術館があることを知り、連れて行ってくれと数年前から言っていた。

それなら、ついでに那須岳に登ろうと企画した。僕としては日本百名山の那須岳が目的で、美術館の方がついでなのだ。

いわむらかずおの絵本は我が家の子供たちが小さい頃たくさん読んだ。14匹シリーズなどは僕も好きだ。

美術館は小高い丘の上にあった。館内は撮影禁止なので割愛するが、とても懐かしくほっこりする空間だった。

 

那須高原の鹿の湯近くの民宿で2泊。

 

民宿の内湯もよかったが、近くに無料で入れる滝の湯と割引で半額の200円で入れる鹿の湯がある。

まずは滝の湯に出かけた。泉質は草津温泉と同じような硫黄系。鄙びた感じの建物もここちよい。

部屋はかなり古びていたが食事はとてもおいしかった。

特にごはんが特筆もので、聞けば会津の方から取り寄せている自慢のコメだという。

この日、何度も温泉に行った。

 

翌日、那須岳に登った。

かみさんは膝を痛めていてロープウェイで登るという。

一番近くの茶臼岳までが目標だ。

僕は茶臼、朝日、三本槍の三山縦走が那須岳を登ったという条件だと思っているので単独でピストンする。

 

曇り空だが、夜来の雨は止んでまずまずの天気。

 

ガスが流れる。

 

岳1,915mの山頂には那須神社があった。

那須火山帯というのは富士山までも含む広大な火山帯だと中学校で習った。ここがその中心なのだと改めて思った。

 

かみさんと別れて朝日岳へと足を踏み出す。

茶臼の岩だらけの路を降ると避難小屋が見えた。

 

ここは、下山路が分岐する交差点。たくさんのパーティが休んでいた。

先の方へ道が細く続いていた。それを見るとどうしてもその先へ行ってみたくなる。

短い挨拶を交わして素通り。

 

 

 

 

 

朝日岳へは脇へ逸れて往復する。

 

 

清水平は木道が設置されていてさながら尾瀬のよう。多分花の時期には見事なのだろう。

 

 

三本槍の名前からなんとなく槍の穂先のようなものが三本あるのだろうと思っていた。

何のことはない。たおやかな草原のような山頂だった。名前の由来は江戸時代に三つの藩が山頂に槍を立て、領地を決めたことから来ているという。

標高1,917mは毎年元日に登る飯綱山と同じだ。

日本百名山は特に完登を目指しているわけではないが、機会があれば登ってみたいと思っている。

信州には百名山に含まれる山がたくさんあり、何回も登っているが、県外はほとんど登っていない。

東北の山、関東の山あたりが手が届く範囲。

それでも百名山に選ばれた以上素晴らしい山ではあるのだろう。いつかは本州の山だけでも登ってみよう。

 

来た道を戻る途中、清水平あたりで雨になった。

それでも三山縦走がかなったことで満足だ。

 

かみさんの待つロープウェイ山頂駅には12時20分頃に着いた。3時間20分の短い山旅だった。

午後の残った時間、那須高原に来る途中で見つけた藤城清治美術館に行ってみることにした。

切絵の大家で、この地に美術館があることは知らなかった。

 

 

 

 

藤城清治さんもいわむらかずおさんもかなり高齢だが、今なお失わない創作意欲には脱帽。

 

この日の夕食もうまかった。

朝食も満点。

 

 

 

鹿の湯は6個に湯船が分かれていた。

41度、42度、43度、44度、46度、48度。

粋であることを何よりも大事に思い、バカなやせ我慢を好み、負けず嫌いな僕は46度、48度の湯船に入った。入る人は一人二人しかいなかった。

入ろうとすると、湯が揺れると熱いから後にしてくれと爺さんが言う。

そんならやせ我慢してそんなところに入るな、と心の中で言う。

野沢温泉の熱湯とどっこいどっこいだなと思う。

 

山と温泉が堪能できたこの旅は、この日本列島が災害列島の本性を現す数日前のことだ。