前から気にはなっていた。
『居ながらにして裏銀の山々を一望に収める豪華な展望を持った北アルプスで最高にぜいたくな小たのなのに、どうしてこんなに訪う人が少ない
のだろう。お陰で私はこの小屋に、昔の静かだった山歩きと小屋泊まりの楽しさを満喫することができた。
登山の大衆化によって、年ごとに北アルプスが俗化し、穂高の涸沢にも、テント村が出現するのは仕方のないことだけれど、その最も賑やかな北アルプスの銀座コースといわれる燕岳から、一歩北に踏み出すことによって、タイムトンネルに入りこみ、こんな昔のままの山が残されているのは、本当に信じられないような奇蹟である。』
信州百名山の著者、清水栄一はこう書いた。
本当に静かな山らしい山がここにある。だが、燕岳方面から辿る道も、反対の白沢から入る路も日帰りには躊躇する距離があったので後回しになっていた。信州百名山も残すところ14座となった今、日帰り可能な山の一番最初のリストに上がったのはこの餓鬼岳だった。白沢から登るコースは標準コースタイム12時間半、距離12.5キロ。これなら不可能ではない。だが、登山記録を読めば、かなりタフなコースらしい。さらに、10日ほど前、長野市内を10分ほど歩いただけで、足の感覚がなくなり、立っていられない状態になった。いわゆる間欠跛行の状態で、脊柱管狭窄症の代表的な症状だという。これで本当に山など歩けるのだろうか?そんな心配もないではなかったが、それよりも自分がどの程度歩けるのか試してみようという気持ちの方が強かった。梅雨明け宣言も出て、胸おどらせて白沢登山口駐車場に向かった。
県外の車ばかり数台が停まっていた。ここは日本2百名山のひとつでもあるので、登りに来る人もいるのだろう。
足場板の橋
アジサイの色が涼し気。
足場板の上を登山者が行く。
木製の朽ちつつある橋。
魚止メの滝。
最終水場。
大凪山山頂の看板があったが、斜面に看板が立っているだけで山頂とはとても思えない。
小屋まで30分。記録では何人かが『ここからまだ30分もあるのか。めげた。』と書いていた。
色々な高山植物を堪能。
山小屋の原形のような風情のある山小屋。これから出発するらしい登山者がひとりいただけで、小屋版の姿も見えない。こんな小屋でのんびり泊まってみたい。
あれが山頂らしい。
燕方面からの稜線。
期待していた眺望は霞の向こう。
気になってから既に40年近くが過ぎていた。この餓鬼岳の山頂についに立った。
周りには誰もいなくて、本当に静かな昔のままの山が奇蹟のようにここに残されていた。すぐ隣の燕岳の喧騒と較べれば嘘のようだ。
花を楽しみながら来た道を戻る。
このコースはかなり難度が高い。腐ったはしごあり、岩のへつり、渡渉、鎖場、崩れたがけのトラバース、足を置くたびに石が転がり落ちる急斜面、そして長い道程、一瞬たりとも気を抜くことが許されない。緊張の連続だ。穂高のザイティングラード、重太郎新道なんかより遥かに難易度が高い感じがする。
登りで5人を追い抜いた。
下山途中で二人には出会ったが、後の3人パーティにはなかなか出会わない。どうしたのだろうと心配しつつ降ると、3人のうちの一人が救助隊に背負われて、広い河原まで降りるのに出会った。無線で何所かと連絡を取っていた。ヘリを呼んでいるのだろう。野次馬根性でどうしたのですかと訊くのも憚られて、しばらく様子を見たのち、静かに目礼して脇を通り過ぎた。やがてヘリの音が聞こえてきた。余り重賞出ないことを祈るばかりだ。
このコースはそのようなことがあってもおかしくない。人があまり入らないため、あまり整備もされていない。他人事ではない。事故の大半は高齢者で、その多くはつまずき転倒だという。自分も高齢者に区分されてしまう年齢だ。
出発から7時間35分で戻ってくることができた。街中での歩行障害が嘘のようだ。
これまでも、腰痛が山行のあとケロッと直ったという経験を何度もしている。山は自分にとって最高のリハビリになっている。肉体的にも精神的にも。
次は上高地のはぐれモノ、霞沢岳にでも行こうか。