七月の末、いつも一緒に山に出かけた義姉が天国に旅立った。
あまりに突然で、言葉が出なかった。
その一週間ほど前、もう永くないと語る姉の口調はもう覚悟を決めた人のもので、実に立派だった。享年八十三歳。
形見として、二十数年ザックに入れていたお守り(現金が入っていた)を頂いた。これからは、私がこれをザックに入れて歩くことになる。
山の日の前日、山の日は混むことが予想されたので、義姉とも登ったことがある岩菅山(標高2,295)に追悼登山をすることにした。
かみさんも岩菅山には登ったが、裏岩菅までは行ったことがない。
これを機会に裏岩菅まで足を延ばすことにした。
登山口には県外ナンバーの車が七~八台停まっていた。
日本二百名山だけのことはある。
大体登山開始時間は六時くらいが一般的だと思うが、私たちは一時間遅れの七時から。
同じ志賀高原の他の山で、前日クマに襲われたというニュースが流れた。かみさんには言わないでおいた。熊鈴を二つ付けた。
このような階段の路が続く。
山頂が見えた。
この山は、山頂の上にもう一つ山が載っている感じ。
シャジン。義姉が大好きだった花。
岩菅山山頂。
この山は佐久間象山ゆかりの山。
毎年神主さんが来て山開きが行われる。
かつては一般の登山者も参加して盛大に行われていたが、もう大分前から、関係者だけで行うようになってしまった。
立派な避難小屋がある。
武蔵野大学さん、ありがとう。
この小屋で、四十五年前の大晦日、ストーブの火を見つめながら一晩過ごしたことがある。雪に包まれた小屋での一夜は、心に刻まれていて、今でも鮮明に思い出す。
途中で出会った二人組の男性は、福島から来て、昨夜この小屋に泊まったという。
今夜は斑尾のキャンプ場でテント泊。明日戸隠の高妻山に行くという。
これまで、私はほとんどの場合自分から声を掛けることがなかった。
どうした心境の変化か自分でも分からないが、できるだけ話しかけてみようと思い、数組だったが声を掛けた。
苦労して山に登ってくる人たちなのだから、みんな仲間だ。
中には嫌な人もいるけれど、そんな時は魔法の言葉「多様性、多様性」を唱えるようにしている。
こんな空が見れることも山登りの大きな魅力。
植物はもう秋の準備。
青い宝石。
裏岩菅への稜線は気持ちの良い天空の散歩道。
裏岩菅山の山頂は、2,341メートルと岩菅山より50メートル近く高い。
それにしては、地味な山頂だ。
もっともそれが案外似合っているのかもしれない。
岩菅山から一時間。本当の山好きだけが訪れる場所。
名前が、裏ではなく、せめて奥にした方がいいかな、あの聖のように。
ここまでは、かみさんも文句を言いつつ、標準コースタイムで来ることが出来た。
私もアスファルトを歩けば、腰痛や脚の痺れが出るが、山道はいたって快調。
下りは予定より一時間遅れたが、三時半に下山。
駐車場にはポツンと我家の車だけが取り残されていた。
帰途、温泉に立ち寄り、夕食。
今日のチョイスはちらし丼。八百五十円。
こうして追悼登山は終わった。
改めて思う。
ヒトは死ぬのだな。
頭では分かっていたけれど・・・
両親の死にも立ち会ってきたが、これほどの喪失感は・・・
私たち夫婦にとってとても大きな存在だったんだ。
合掌。