白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

一年前

2023年11月17日 21時52分11秒 | 日記
Gooblogから一年前に投稿した記事はこれですというお知らせが届いた。
『七十一歳の挑戦』という記事。
何気なく読んでいたら、誤字があることに気づいた。
仮装と書くべきところを仮想と書いていた。
恥ずかしい誤字をそのままにしておくのも嫌なので修正した。
それを公開するのボタンを押したら、現在の記事のような形で一番上に表示されてしまった。
自分の中では一年前の位置に修正されて収まるものと思い込んでいた。
これではまるで一歳サバを読んでいるようで後味が悪い。
これは一年前の記事です!

あのレースを引退レースと決めてその後はどうしてるの?とお思いの向きもあるかもしれない。
そこで少々その後の一年間を記そう。
今年は自治会の役員になり、時間はともかく気持ちに余裕がなくなった。ブログの更新もサボり勝ち。
それでも最低週三回はランニングをしていた。
かつては頻繁に山に行きそれがそのままトレーニングになっていた。
今年はなかなか山にも行けなかった。
まだまだ山に登り続けたいし、それには体力も必要だ。
そこでランニングの継続と、一日最低八千歩以上の継続となった。
一年前は脚の感覚が時々無くなるという症状に悩まされていた。
多分脊柱管狭窄症から来るものだと思う。
今年はその症状が消えて、代わりに右脚の神経痛に悩まされることになった。
神経痛なんて年寄りの病気、自分には関係ないと傲慢にも思い込んでいた。
考えてみれば自分ももう立派な(立派ではないか)年寄りではないか。
痛みは動かして治すをモットーにしているので(整形外科の先生には叱られるだろうが)走ることは辞めない。
もうレースは引退したので無理はしない。

カミさんは言う。『私がぬくぬくとこたつに入っている時に、雨でも雪でも歩きに行っていたのが効いているね。』
カミさんは数年前から変形性膝関節症の治療を受けている。
そして毎日朝の散歩とラジオ体操を始めた。
数か月続いている。
来年は大日岳に行くことにしているので足を作らねばならないから。
膝を守る足の筋肉を付けなければ膝の症状は良くならない。

息子は半月板を損傷した。
何度かマラソンやハーフマラソンのレースに出ていたが、これで今後のレースは諦めざるを得ない。
これも膝の筋肉の弱さから来るものもあるのだろう。
体重の問題、走り方やランニングフォームの問題もあるのだろう。
脚に付けるトレーニング用の重りを買ってきて使い始めた。

一年の終わりが刻々と近づいている。
この時期、いつも元日の飯縄山登山に思いを馳せ始める。
今度は四十五回目。
いつまで登れるだろうなんて考えもしない。
当たり前に登るだけ。
雪はどれくらいあるのだろう?北アルプスや富士山は見えるだろうか?
そんなことを考えると締め付けられるよう締まった冷たい空気が感じられる。
時々頬を撫でていく風さえ活き活きと感じられ、目の前に高妻乙妻の雪を纏った神々しい姿が浮かんでくる。
一歩一歩踏み占める雪の『ギュッギュッ』という乾いた音が聞こえてくる。
毎年のミッションである山頂のお地蔵様の涎掛けを付け替えてくる任務もある。
お地蔵様の涎掛けの色が褪せていくことで煩悩を消してくれるという意味もあるそうな。
吹き曝しのところにあるので色はすごく褪せる。煩悩をたくさん消してくれているようだ。

『一年前』を書いているのにいつの間にか来年のことになっている。
早々にペンを置こう。(キーボードだけど)

七十一歳の挑戦

2023年11月15日 19時41分00秒 | 日記
残り一キロ、猛然とスパートをかける人がいる。
釣られて付いていく。
ほどなくして並ぶ。
次々と周囲の人を置き去りにする。
五百メートルほど併走し、少し前に出る。
次第に引き離しゴール前十五メートル、持っていたカメラでゴール風景を撮る。
その隙にあとから来たライバル(知らない人だけど)がゴールを駆け抜けていた。黒い服装の人。
ここだけ書けば、すごいレースをしたようだけど、実は途中色々な写真を撮りまくり、給水所ではゆっくりとリンゴやどら焼きを食べ、真剣には走っていなかったのだ。

息子に強引に誘われ、『わかほとびっくらん』という大会でハーフマラソンを走る羽目になった。
関門がある。
第一 六キロ地点 四十五分
第二 十二キロ地点 一時間半
第三 十八キロ地点 二時間半
ゴール 三時間

今回は時間内に走れれば良しと目標を立てた。
息子に半ば強引に誘われて出走するハメになった。
数年前は二時間切りを目標にしていた。
頑張るより楽しむを優先。
七十一歳の爺さんなのだ。

いよいよスタート。
最後尾からゆっくり。

田園風景の中を気持ちよく走る。
当地は雨の心配もあったが、爺さんにはお天気の神様が付いている。

最近のレースは仮装部隊がいるのだが、総勢六百名程度の参加者では、大勢はいない。
サンタとトナカイの他は見当たらない。
元気よく雪の無いコースに飛び出して行った。

最初の給水所。
スタート直後から三キロほどの登りで、丁度水分が欲しいところ。


沿道にはたくさんの応援。


第一関門無事通貨。

稲刈りが済んだ田んぼ。

川田宿では太鼓の演奏。
しばらく聴き入った。
時間に追われないハーフマラソンはなんて気持ちが豊かなのだろう。

リンゴもどら焼きもゆっくり堪能。

トナカイはサンタを置いて先に行った。

第三関門。時間はたっぷりある。
一キロごとに看板がある。
地元の小中学校がデザインしたもの。


絵になる応援風景。

道路から公園に入る。ゴールはもうすぐ。
ここで冒頭の写真につながる。

多分脊柱管狭窄症で、脚の痺れがあり、正直ハーフマラソンを走り切れるか半信半疑だった。

この間多少のトレーニングはした。
それでも走った距離は十八キロが一回、十一キロが一回。あとはピッチ百八十以上で走る練習。一キロ七分くらいで走る練習をしたくらい。
ゴールタイムは二時間十五分ほど。
時間目標を掲げないことで楽になった。
息子より八分ほど速かった。
確かマイウェイという映画にこんなシーンがあったような・・・
『良い引退レースだった』
息子に言う。
本気にするだろうか。

最近の大会はゼッケンに着けたタグで時間を計測し、完走賞もネットから自分で印刷する。
コロナ前とずいぶん変わった。
こんな風にして世の中は変わり、爺さんは取り残されて行ってしまうのだろうか。
スマホを持たないのはポリシーだと本人は思っているが、周りから見れば、スマホも使えない浦島太郎だと思うだけなのだろう。
まあ、いいさ。

それにしても、晩秋の田園の中を走るのはなんて気持ちいいのだろう。
記録を狙うレースは引退しても、走ることは辞めない。
山に登る体力は保持したいから。
最後になったが、本日の大会の名前は『第十回ながのとびっくランinわかほ』
コロナで開催できなかった期間もあったが、再開できて喜ばしいことだ。

会場にはアルクマ君(長野のマスコットキャラクター)も来ていた。