白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

雪なんてどこにある?

2020年01月11日 20時46分06秒 | 日記
「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった。」
あまりにも有名な川端康成の雪国。
思想的には同調できないところもあるのですが、この文体が好きなのです。
冬、やっぱり北国、雪国に行ってみたくなるのです。
この地も決して温暖な地ではないのですが、それでも行ってみたくなるのです。
青春十八切符は甲州街道歩きで、5枚つづりのうち、四枚を使いました。あと一枚残っているのです。
北へ向かう飯山線で、越後湯沢に行こうと思いました。駒子の湯に行って雪国の情緒に浸ろうと思ったのです。
調べてみると、その日、駒子の湯は定休日だと判りました。
終着の越後川口の温泉で魚野川と信濃川の合流点を見下ろしながらのんびりする案も浮かびました。
飯山線は過疎地の赤字路線で、越後川口までの直通はわずかしかありません。乗り継ぎで長時間またなければなりません。
それならば、途中の、ターミナル駅、十日町にしよう、と消去法で決めました。
朝、六時過ぎの飯山線に立ヶ花駅から乗り、飯山、歴代最高の積雪量を誇る森宮野原、越後の津南を経て、八時過ぎに十日町に着きました。
雪は日陰に少し残っているだけでした。まるで、春のようでした。
温暖化、温暖化と繰り返すのも言い過ぎて少々気が咎めるのですが、ここまで雪が少ないと、もう後戻りできないボーダーラインを越えてしまったのではないかと心配になります。
一月に、この雪国で雪がないなんて、確かに異常です。
信濃川を東と西に街があります。
十日町の駅は東側にあります。こちらがもともとの十日町です。
信濃川の西側には川西町があります。合併して十日町になったようです。
川西にはまだ行ったことがないので、行くことにしました。
駅のすぐそばから、彫刻の道があります。遊歩道で、所々に石の彫刻があります。
二キロくらい歩くと信濃川に出ました。


河原にも雪はありません。雪ではなく雨も降り始めました。
川を渡り、少し行ったところに小さなお堂がありました。雪囲いもしてあり、雨宿りには願ってもない場所です。

お参りをして、持参した本を読んで過ごすことにしました。
題名は『ソロモンの偽証』(宮部みゆき)、三部作です。
図書館から借りてきたのです。
まず、丹念にキャラクターを作り上げた。そして場所を設定した。そして、シュミレーションのボタンを押した。
まさに、そんな風に生み出された物語。
そんな印象を受けました。登場人物は中学三年生という設定ですが、そんな中学生いるわけない。細かな心理描写、どんな時でもゆるぎないキャラクターの性格と特質。
レーモン・ラディゲというフランスの作家をなぜか思い浮かべました。ジャンルはサスペンスなのですが、これはもう純文学だと思いました。
そんな風にして一時間ほど過ごしました。
千手温泉、千年の湯が目的地です。
とても珍しい湯の色でした。薄いコーヒーの色なのです。露天風呂にはぬる湯とあつ湯があり、交互に入りました。仮眠室もあり、寝具も置いてありました。信州の温泉では見たことのない施設です。
昼食はこの地方の名物、へぎ蕎麦です。
繋ぎに海藻を使った珍しい蕎麦です。公式の見解では、かなりおいしかった、です。
以下は内心の声です。
『このつゆはうまみがあって、甘さと辛さのバランスがいい。蕎麦ののど越しも悪くない。五段階評価の四といったところかな。ただ、これは旨い!と思わず声を上げるほどの感動は、ない。』

川西地区の温泉と蕎麦を堪能したのち、今度は東側の明石の湯に向かいました。
この湯は何度か利用したことがあります。休憩所も広くて、食事処もあります。
駅にも近いので、列車の時間待ちに便利です。ここで午後の時間を済ませ、ソロモンの偽証を脇目もふらず読みふけりました。

夕方五時半過ぎに十日町から出発しました。あたりは少し夕闇がおり始めていましたが、まだ十分に明るくて、ここにきてずいぶん日脚が長くなったなあと思いました。
夕闇の駅のホームに面白いものがありましたので撮ってみました。特に意味はありません。

このようにして、雪国への旅は終わりました。
ソロモンの偽証三部作は読み終えて、図書館に返し、また三冊借りてきました。
小説だけだと重すぎるので、ジャンルの違うものにしました。
明日は雨の予報。雪ではないのですね。どうなっているのでしょう。
ともかくも、晴耕雨読の、読の日になりそうです。







甲州から相模へ     第10回甲州街道の旅

2020年01月08日 09時02分22秒 | 日記
男性七十二歳、女性七十五歳。
この年齢は何だろう?わかる人いますか。
そんな風に質問して答えられる人がどれくらいいるだろうか。
平均寿命は男性八十一歳、女性八十七歳だ。
その差は男性九年、女性十二年。これは長いのだろうか、短いのだろうか。
この差は「不健康期間」と呼ばれ、高齢になり、健康上の問題で日常生活に制限のある状態で暮らす期間を指す。
だから答えは健康寿命だ。
俺はあと四年しかない。人生を逆算するなんてしたくないが、考えないわけにはいかない。

健康寿命 都道府県ランキング
厚生労働省が2018年3月に発表した最新の都道府県別の健康寿命ランキングは次の通り。
男女別の都道府県別 健康寿命ランキング(2016)
男性女性
順位都道府県健康寿命順位都道府県健康寿命
1山梨73.211愛知76.32
2埼玉73.102三重76.30
3愛知73.063山梨76.22
4岐阜72.894富山75.77
5石川72.675島根75.74
6静岡72.636栃木75.73
7山形72.617岐阜75.65
8富山72.588茨城75.52
9茨城72.509鹿児島75.51
10福井72.4510沖縄75.46
新潟72.4511新潟75.44
12宮城72.3912大分75.38
13千葉72.3713静岡75.37
香川72.3714福井75.26
15鹿児島72.3115群馬75.20
16神奈川72.3016山口75.18
滋賀72.30石川75.18
18山口72.1818千葉75.17
19栃木72.12高知75.17
20長野72.1120青森75.14
21兵庫72.0821岡山75.09
22群馬72.0722佐賀75.07
23宮崎72.0523山形75.06
24東京72.0024福島75.05
25沖縄71.9825宮崎74.93
北海道71.9826香川74.83
27広島71.9727長野74.72
28岩手71.8528長崎74.71
京都71.8529埼玉74.67
30長崎71.8330福岡74.66
31三重71.7931神奈川74.63
32島根71.7132愛媛74.59
33鳥取71.6933秋田74.53
34青森71.6434岩手74.46
35佐賀71.60大阪74.46
36大分71.5436宮城74.43
岡山71.5437和歌山74.42
福島71.5438東京74.24
39大阪71.5039兵庫74.23
40福岡71.4940鳥取74.14
41奈良71.3941奈良74.10
42高知71.3742滋賀74.07
43和歌山71.3643徳島74.04
44徳島71.3444京都73.97
45愛媛71.3345北海道73.77
46秋田71.2146広島73.62
厚生労働省 第11回健康日本21(第2次)推進専門委員会  資料1-2「健康寿命の延伸と健康格差の縮小」よりウーマンズラボ作成(熊本地震により熊本県のデータはなし)・・・女性ヘルスケアニュースより引用

不健康寿命、嫌な言葉だ。我が県は長寿県とは言われているが、健康寿命のランキングは下位だ。

朝、五時、信州は一面の雪景色。第十回目の甲州街道の旅が始まる。
青春十八切符を使うのはルールブックに書いてある。だって、新幹線や特急を使うのって、旧街道歩きにふさわしくないじゃないか。各駅停車の鈍行こそふさわしい。
それに決して裕福ではない年金生活者だからね。
飯山線、篠ノ井線、中央線を乗り継いでいく。およそ六時間半もかかってスタート地点の上野原駅に着いたんだ。とてもお天気が良くてね、途中富士山が青い空にように突き出ていた。すそ野まではっきりしていて、少しも神秘的じゃなかった。
上野原はもう甲州のはずれ、隣は相模の相模原市だ。もうすぐ越境だ。
それにしても信州とはまるで気候が違う。まるで春じゃないか。
水の色だって全然冷たそうじゃない。

この辺りはみんなどうやって生活の糧を得ているんだろう。農地もなさそうだし、東京にも近いから、はたらきにでているのだろうか。どこの土地を歩く時も人々はどんな暮らしをしているんだろうと気にかかる。空家も目立ったり、はこりっぽくて活気がなかったり。そんな中でも子供が遊んでいる姿を見つけるとほっとするんだ。




藤野町はいろんな史跡、神社仏閣があるけど、旅行案内を書くんじゃないから書かない。自分が感じたことや関心のある事だけ書く。
マンホールは各地に違うものがあって、見るのが楽しい。直接会ったことないけど、先輩街道ウォーカーは写真にしてくレクションしている。
吉野宿のふじやは郷土資料館になっていて、のぞいてみると人のよさそうなおじさんが招き入れてくれて、見学していかないかという。この地が日本橋と甲府の中間に位置することや、展示品、地域の産物などについて説明してくれる。以前は教員をしていたという。経験を生かして第二の人生というのも、なかなかいいじゃないか。
さっきの暮らしについて聞いてみた。かつては養蚕なんかも盛んだったという。今では都心まで行っている人がほとんどだという。江戸がホントに近いんだ。
上野原、関野、吉野、与瀬。これが今回あるいた宿場だ。駅で言えば、上野原、藤野、相模湖。駅と駅の距離は大体四キロから五キロというのが、この間の経験則。実際の歩行距離は十三キロくらい。うん、丁度いい、かみさんにとっては。


相模原。そう、あの相模原だ。五十数年前、東京オリンピックのボート競技の会場になった街だ。今ではほとんどの人が自然湖だと思っているが、昭和二十二年に完成したダムなのだと、駅前のカフェのおじさんが言っていた。このカフェの創業が昭和三十九年だから、オリンピックとともにできたことになる。オリンピックの終わった後、砂漠のように寂れるとこもあるのに、良く持ちこたえてきたなあ。きっと、すごい努力を重ねてきたに違いない。
長野オリンピックで里谷多英さんが、金メダルを取った。その会場の飯綱スキー場が、いよいよ、と言うか、ついに、というか今シーズンを限りに閉鎖することが発表された。そり(何というか忘れた)のコースも維持できず、だんだんオリンピックが希薄になっていく。仕事だってそうだったんだ。オリンピック不況がやってきた。多分、東京だってそうなる。オリンピアンの活躍を見るのはたのしみだけど、あんな灼熱の真夏にやるのっておかしいじゃないか。政治的な、経済的な思惑にばかり囚われているなんて尋常じゃない。温暖化問題だってそうじゃないか。原発問題だって同じだ。
相模原。もう一つある。
相模原障害者施設殺傷事件(さがみはら しょうがいしゃしせつ さっしょうじけん)とは、2016年(平成28年)7月26日未明、神奈川県相模原市緑区千木良476番地にある、神奈川県立の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」に 、元施設職員の男A(犯行当時26歳)が侵入し   、所持していた刃物で入所者19人を刺殺し、入所者・職員計26人に重軽傷を負わせた大量殺人事件    である。・・・Wikipediaより抜粋
こういうことが現実に起こる社会、時代なんだ。この裁判がもうすぐのはずだ。社会の一部にある選民思想の誤りをあぶり出し、正す裁判にしてほしいものだ。
ついでに、アメリカのトランプ大統領が、勝手に他国の司令官を殺害する命令を出し、実行された。イランが報復のミサイル攻撃をした。先に手を出したのはトランプだ。非はそちらにある。当り前じゃないか。安倍首相は忠実な犬みたいに、中東に自衛隊を出すと言ってのける。アホだ。そもそも閣議決定というのが曲者だ。権力さえ握れば何をしてもいいのかよ。憲法を無視して。
船が火事になっている。それでも殴り合いの喧嘩が収まらない。そんなことしている場合じゃないのに。地球が終わっちゃうよ、僕らの星が。

言いたいことが山ほどあって、健康寿命のことなんか考えている暇もない。どうやったら、この星を美しいまま未来に引き渡せるんだろう。七月にはもう一人の孫が生まれるんだ。

甲州街道に話を戻すけど、この相模湖駅は実はここから一番遠い場所なんだ。甲府回りで行っても、東京回りで行ってもほとんど変わらない。ただ、東京回りは新幹線を使わないと行かれない。日本橋まで六十三キロ。もう、青春十八切符にこだわっている場合ではないのかも知れない。
次は小仏峠越えだが、昨年の台風十九号の影響で、峠から高尾駅に向かう道が通行止めだという。その区間は後回しにして先に進もうか。せっかく遠くまで行くんだから一泊か二泊はしてこなくちゃ。いろいろ思いいろいろ悩む。だけどそれは楽しい、間違いなくワクワクする。前に進もう。



再びの

2020年01月06日 16時59分31秒 | 日記
友あり遠方より来る。
もう50年以上前、白馬岳へ案内したことが始まり。
友達の伝手で一緒に登ることになった。僕は大雪渓の上部、葱平 (ねぶかびら)でミカンの缶詰を雪解け水の流れで冷やしながら待っていた。大雪渓を普通のシューズで登ってきた。彼女はまだ山の初心者だった。以来西穂~奥穂~北穂~槍を案内したり、やがて自分でヒマラヤのトレッキングに出かけたり、山にのめり込んでいった。
『女文太郎』とさえ言われていた。あの、孤高の人加藤文太郎にちなんだ命名だ。今は埼玉に住んでいる。10年ほど前我が家に立ち寄ったことがある。その時ふるまった蕎麦が忘れられないと旦那が言っていると電話で語る。この夫婦はスマホもガラケーも持たない。僕もそうだ。車だって持たない。これは違うところだ。田舎では車がないと生活できない。
正月に親兄弟に会いに来るという。その折に会いたいと。既に実家はなく、おふくろさんは施設にいる。兄、妹はそれぞれ家庭を持っている。北海道で教員をしている息子はおばあちゃんに会うのは最後になるかもしれないと、一緒に来るという。子供も含めて総勢5人。どこかに泊まれるところがないだろうか?
年末の押し詰まった時期に普通はそんなところはない。だが、有り難いことに懇意にしている民宿がある。頼んでみると快諾。良かった。胸をなで下ろす。
ついでに、厨房をお借りしてそばを茹でたい。場所も。お宅の分も打つから。
そして、年明けも15人前の蕎麦打ち。
宿泊の日の翌日、打ち上げた蕎麦とかみさんが上げたかき揚を持って山の温泉場に着く。
庭では6歳と2歳の子供が大きな雪だるまを作っていた。
写真でしか見たことがない息子さんが、もうお父さん。目の前にいる子供たちくらいだったんだよ、君は。
あいさつもそこそこに、さっそく蕎麦の準備に取り掛かる。
大きな鍋。強い火力のガスコンロ。うん、申し分ない。
次々と茹で上げる。運ぶのはかみさん。
民宿の夫婦と合わせて7人(幼児二人含む)で13人前を食べた。
1人前は打ち上がりで150グラム。決して少なくはない。中でも6歳の男の子は何枚もお代わりして食べた。
打ち手は喜んで食べてもらうのが一番うれしい。
久々の再会だったが、幼子もいて帰る新幹線の時間もあって、あまり話せなかったが、元気な姿を見ることができて良かった。
息子さんはトレイルランニングをしているという。北海道の原野をはしりまわっているのだな。
近くの森にリスがいて、手に乗せたエサを食べに来ると男の子が言う。
キタキツネもいるという。
ひぐまだっているよね。
水道と電気は来ているの?もちろんあのドラマを意識している。でも知らないか、6歳だもんなあ。元気でいい男の子だ。きっとお父ちゃんのように育っていくんだろう。
そんな風にして世代が移り変わっていく。

偏屈な僕と50年以上にわたって友達でいてくれるなんてすごいことだな。突然の頼みを快く引き受けてくれた民宿の夫婦にも感謝。
そばを茹でてみた感想は、やっぱり専門家の調理場はすごいということ。蕎麦の茹で上がりがすごい。家庭用のガスコンロは火力が弱すぎる。おいしい蕎麦が表現できない。

蕎麦を打って喜んでもらう。それがモチベーション。
今年はもっともっと上達する。
これまで、何回かそばを蒔いて花を楽しんだが、収穫作業が大変過ぎてそのままにしてしまった。今年、頑張って収穫まで行き着く。
それが今年の目標だ。(蕎麦に関して)

友達家族がおいしそうに蕎麦を食べる写真がある。
プライバシーに配慮して残念だが掲載しない。(本当においしそうにたべているんだ。)
それに、写真など使わず文章だけで読ませるブロガーがいるんだ。僕は少し羨ましい、嫉妬するくらいに。
だから、時には写真無しで綴る。
真似ではない。写真を多用するとそれに頼ってしまうから。
写真を使うにも3枚まで、という規制をかけていた時もある。
写真は便利だ。便利すぎる。
時には自省の思いも込めて。






すべてが完璧過ぎて ― 41年目の元旦登山 飯綱山(1,917メートル)

2020年01月02日 11時04分25秒 | 日記
新しい年に乾杯!
元旦は荒れる予想が出ていた。埼玉の古い山の友達や千葉の長男から『大丈夫?』
という心配の電話。ありがたいことだ。内心では”お天気の神様が付いているし山の神様にも愛されているから、心配ない”とつぶやく。
過去40年には色々な年があった。台風並みに荒れた日もあるし、胸まで積雪だったことも雨の日もあった。だが、自分が出かける時間帯には不思議と凪いだ。うん、心配ない。
7時過ぎに家を出て、途中で初日の出を見た。いい天気だ。
駐車場には10台近い車。既に下山して来る人もいる。
標高1,200メートル位だろうか。積雪量は10センチもない。かんじきもいらない。
この山靴はGoroでのオーダーメイド。もう40年も使っている。今時こんな山靴を履いている人はほとんどいない。自分も雪山でしか使わない。この山靴を履くと、一気に昭和の時代の古き良き山登りの気分が蘇る。山ボーイや山ガールには多分わからない至玉の山の世界があったのだ。重い山靴を履いて、日帰りの北アルプスでもザックの底にはツェルトを忍ばせていた。近年年とともに軽く、速くという方向にシフトしてきて、トレイルランニングにも足を踏み入れた。だが、時にはじっくりじっくり、自分を見つめ自然と一体になりながら歩いてみたくなる。
かつてはかみさんや子供たち、友人なども一緒に登ったこともあるが、近年は一人きりだ。途中で友人の子供たちに遭った。この兄妹は40代。妹には男の子が二人いて、昨年までは一緒に来ていたが、今年はいない。かつては何回か一緒に登った友人も既に引退。
「お坊ちゃんたちは?」
「思春期!」保育士をしている妹が端的に答える。
子供たちも成長しているのだ。


八ヶ岳の左に富士山が見える。(写真では薄くなってしまっているが)富士山はやっぱり特別の山だ。

登山道は雪が少なく融けた雪が凍って滑りやすい。すれ違う人はアイゼン使用。そのほうがいい。立派なアイゼンを持っているのだが、たかが飯縄山と傲慢にも思っていて家に置いたまま。まあ、無くてもどうってことない。

この山はたおやかで優美な曲線を持った双耳峰で、我家からよく見える。日本200名山のひとつ。山好きな人なら憶えていよう。かの田中陽希さんがこの山頂でギャラリーから「どうした元気ねえぞ!」と声をかけられて「ボクだって疲れますよ(人間だもの)」と心の中でつぶやいた事件。その後長い間そのトラウマを引きずって立ち直れなかったことを。まさにその現場がここなのだ。
双耳峰の手前側は少し低い。そして神社がある。
雪が多い年は鳥居の頭しか出ていなかった。
ここで初詣。欲張っていろいろな事を願った。(お賽銭も上げずに)
その代わりに南峰と北峰に一つずつあるお地蔵さんの涎掛け(前掛け?)を替える。
かみさんが作って託されたもの。


山頂はこれまでにないほど積雪が少ない。これも温暖化の危険な兆候なのだろうか。
天候も、景色も、歩きやすさも、体調も何もかも、完璧。それが逆に底知れぬ不安を呼び起こす。だが、今はそんなこと考えるのは止そう、正月なのだから。

高妻山から乙妻山への稜線は百名山にふさわしい。


下りは滑る前に足を前に運び、まさにトレイルランニングで一気に駐車場まで来た。一の鳥居の前で、今年も無事に楽しく登らせてもらったことに感謝して深くお辞儀。
走り終えたマラソンランナーのように。

11時頃、毎年行く温泉に着いたが12時からの営業なので、車で読書タイム。陽射しが暖かい。


この温泉はまさに隠し湯。人には教えない。
新年のサービス、甘酒と干支のタオル。


元日だけの海老天のうどん。
あまり混まないので畳の休憩所で手足を伸ばすこともできる。開脚をしながら『床下仙人』を読んでいるとうどんを運んできたおかみさん(社長)が「あら、柔らかいですね」と言った。「おかみさんも物腰が柔らかくていいですね」と心で返した。1時間待っていたことを知っていて謝ってくれたり、とても感じがいい。マニュアル対応の若いオネエチャンとは雲泥の差。ここで体も気持ちもほっこりして新しい年のスタートとなった。
2~3日箱根駅伝、4日埼玉の友達一家(三代)を迎えての蕎麦会、5日甲州街道歩きの旅、その後10日までの間に青春18切符を使っての列車旅。教育(今日行く)と教養(今日用)が盛りだくさんの1年が始まる。