白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

筋属疲労

2022年06月29日 19時23分57秒 | 日記
日航ジャンボが群馬県の山中に墜落したのは36年前。
その時、『金属疲労』という言葉を初めて聞いた。
金属も疲れるのか。

長年働いた人が『勤続疲労』、という言葉も流行った気がする。

私は2月から毎日1万歩以上歩くことを自らに課していた。
更に、朝夕にスクワット、腕立て伏せを60回ずつやっていた。
毎日ではないけれど、ランニングもしていた。

だが、脚の痺れや、痛みが取れない。
5キロの仮想レースをした。
タイム27分40秒。
齢70にして、これは速いのか、それとも遅いのか。

ここで一区切りつけることにした。
毎日の歩数を7千歩とした。
スクワットや腕立ては囲日に1日に60回に減らした。

あちこちの筋肉が悲鳴を上げているのかもしれない。
『筋属疲労』

そうはいっても、秋には『10キロ1時間を切る』を目標に掲げてしまった。
数年前、ハーフマラソンで2時間切りだったことを思えば、ずいぶん衰えたものだ。

山を歩くことが一番のリハビリ。
これまでがそうだったように、また出かけよう。

美の競演  

2022年06月26日 21時43分53秒 | 日記
梅雨が明けたような天気が続く。
山に出かけたいけれど、諸々の事情で全くの遊びモードにはなれない。
そこで短い時間で登れる笠岳をチョイス。
標高1900m付近まで車で行かれる。
半そでシャツでは寒いくらい。
登山道の笹は刈り払われていた。

急な階段が続く。

その名もゆかしいツマトリソウ。

少しごっついゴゼンタチバナ。

葉がつやつや、イワカガミ。

ついでに収穫、ネマガリダケ。

山頂直下の岩場。

山頂。
東京、千葉、新潟など各地からの登山者。
笠岳(2076m)は日本300名山。

大好きな岩菅、裏岩菅。


横手山。

浅間山。

火打山。

山頂に、二本300名山の標識と、山岳展望図が欲しい。
登山口には公衆トイレを、という声を上げているところだ。



白花のイワカガミ。珍しい。

マイヅルソウ。


美の競演。



短い時間だったが、花々を楽しむことが出来た。

昼食は温泉で天ぷら定食。
写真ばかり並べるのはちと気が引けるが、どれも捨てがたく、たまにはいいかと...。


御開帳で賑わう善光寺の裏山はとても静かだった

2022年06月14日 17時37分57秒 | 日記
七年に一度の善光寺御開帳は、コロナ禍の密を避けるため、六月の終わりころまで延長されている。
聞くところによると、結構賑わっているらしい。
その蜜を避けて、裏山の地附山に登った。

一時間くらいで登れる標高七百三十三メートルの山。
東急でお弁当を買っていくことになった。
四階の立体駐車場から階段を降りて一階まで歩くのが大変だった。
脚が痺れて、あまり感覚がない。
かみさんの後をついていくのがやっとだった。
MRIは撮ってないが、脊柱管狭窄症なのだと思う。
典型的な間欠跛行の症状だから。
そんな状態で麓の駐車場に着いた。

この山は昭和六十年に大規模な地滑り災害が起き、大きな犠牲者が出た。
この神社はずいぶん由緒があるようだ。

現金なもので、山道になると脚は何の問題もなく歩ける。
『俺たちゃ 街には住めないからに』ということなのだろう。
これまでも、山歩きをすると治ってきた。

途中に金刀比羅神社。
プーチンの戦が終わる様に祈った。
そして、そっと脊柱管狭窄症の症状が少し改善することも付け加えた。

樹林帯の中の小路は気持ちいい。



花々もひっそりと咲いている。
静かな佇まい。


善光寺平が一望。

なんと、昔はここにスキー場。
動物園もあった!

山頂には高齢のご婦人が、ベンチで昼食。

これが東急で買ったお弁当。
おいしい。

飯縄山が眼前に。

トレイルランの女性が一人で登ってきた。
栃木から善光寺の御開帳に来たという。ついでに地附山に来てみたという。
信州は山がたくさんあっていいな、という。
移住してきて、と返す。
さっそうと下って行った。

今年はもう、半分が過ぎようとしている。
例年より早い梅雨入りで、北アルプスにはちと行き難い。
手近な山に行くしかないか。





相模から江戸へ  甲州街道の旅

2022年06月09日 21時30分50秒 | 日記
一昨年の一月、甲州から相模(現代では山梨から神奈川ですね)の相模湖駅まで歩いた。
その後、江戸との境目、小仏峠越えは、大雨の影響で通行止めとなっており、街道歩きは中断していた。そこにコロナ騒ぎが重なり、二年以上足止めを喰らってしまった。
次第に馬齢を重ねるうちに、歩き切れないまま終わってしまうのも悔しい。
意を決して小仏峠越えを決行した。
深夜割引の効く午前四時前に高速に乗った。
相模湖駅前八時頃到着。

古い街道筋と国道二十号線をしばらく歩いた後、その名も美女谷方面の山に入っていく。高速道路の拡張工事が行われていた。
車道を離れ、いよいよ本格的な山登りの道。細い道だが、かつての旅人はここを歩いていたのだと思うと感慨深い。
重層的な時間を旅しているような気がする。

峠の頂上に出た。
ここは交差点になっていて、高尾山、景信山、相模湖方面、高尾駅方面に行くことが出来る。
ここは大勢の人たちが行きかっていた。
相模湖方面の道には全く人影がなかったのに比べると、表と裏の違いがある。
トレラン姿の人や、かなり年配の人、女性の単独行者など多彩。

峠を下り、裏高尾の街に出た。
ここに、するさしの豆腐屋さんがあって、かなり有名らしい。
立ち寄っておからドーナッツ購入。
甘すぎず、おいしい。

小仏の関所跡など見つつ高尾駅に到着。およそ十六キロ。五時間。
電車で高尾から相模湖まで一駅。

信州の下諏訪から歩き始めた甲州街道の旅も、いよいよ江戸に入った。
日本橋まで残り五十四キロ程。
コロナ下の都会を歩くのはちょっと躊躇するが、もう少し収まったら出かけるとしよう。

帰途は塩山温泉の旅館に一泊。
これまでは日帰りだったが、寄る年波には勝てず、無理をしないことにした。
ベッドでなく、畳の上で眠れるのは最高だ。
朝夕の食事も、手作りで美味しかった。
さらに、ナンタラの県民割だとかで二人で四千円の割引。
そこに、山梨県で使える四千円のクーポン券ももらった。これは、取扱店舗が限られているので、使わずに持ち帰った。

翌日は下道で、清里、野辺山の高原ルートをドライブしてのんびり帰宅した。
良い旅だった。