年末のこの時期、たくさんのそばを打つ。
仲間が集まって、餅つきをするときに、手打ちそばをふるまうのが恒例になっている。
明日が餅つきの日だが、今年は十数人が集まる予定。
大晦日には知り合いなどに、配る分が、20人前くらい。
例年、四十人分くらいのそばを打つ。
今年はそばを栽培した友人が、そばを打ってくれと、玄そばを持ってきた。
そこで、石臼で粉を挽いた。
ふるいにかけて、使える粉にするには、500グラム摂るのに2時間くらいかかる。
その粉を使ってそばを打ってみた。
殻ごと挽いたそばなので、色は黒い。
いわゆる田舎そばだ。
食べてみると、風味豊かで、コシがある。
手間をかけた分だけのことはある。
これは3人前だけで、残りは製粉所から仕入れた二種類のそば粉を使って、18人前のそばを打った。
明日は午前中餅つき、午後はそば打ち。
こんな風に年の瀬を過ごせるなんて、幸せなことと言わねばなるまい。
あの3.11の、まるで、作り物の映画の中の一場面のような津波の映像、そしてそれに続く原発事故の、日本の終わりのような狂騒曲のことを、片時も忘れることはない。
昔風にいえば、もうすぐ一つ歳をとる。
正月は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし
そろそろ、人生の逆算を始める年齢になった。
無から生じて無に帰る。人生は差し引きすればゼロだ。
何かを残そうなんて思ってはいない。
ただ、花鳥風月を楽しみ、山に登り、ローカル線に乗って旅をしたいだけだ。
自分の中には隠遁生活者の嗜好が色濃く住み着いている。
それと相反するように、社会の不合理が目について、そうもいかない状況の中に、僕はいる。
ノーベル賞授賞式でのサーロ節子さんの演説を読んだ。
アメリカの意向を忖度して歯切れの悪い安倍首相の演説と較べれば、深い感動を覚える名演説だ。
戦争ができる国へと、アクセルを踏む阿部さんにブレーキをかけねばならない。
戦争をして喜ぶのは軍需産業だけ。泣くのはいつも庶民だ。
ともあれ、新しい年になれば、38回目の飯綱山元旦登山。
登山靴の手入れをした。これも、40年近い相棒だ。
元旦登山に続いて、2~3日の箱根駅伝のテレビ観戦が待っている。
今年の夏、東海道歩きの箱根越えの折、駅伝コースを歩いたり、箱根にある駅伝ミュージアムに立ち寄ったり、芦ノ湖のゴール、スタート地点に立ったりした。
これまでになく、箱根駅伝が身近なものになった。
そして、4~6日は東海道歩きの最終章、水口宿から石部宿、そして最後の草津宿まで歩く計画になっている。
日本橋を出てから数年かかってようやく完歩することができる。続けてさえいれば、いつか終わる。そんな当たり前のことを改めて思う。
次の街道歩きの旅は、下諏訪から日本橋までの44宿、甲州街道の予定。春には旅立てるだろう。
来年から、プールデビューの予定。
水着と水中眼鏡を購入した。
買ってしまったからには、覚悟を決めて行かねばなるまい。
陸上の動きとは別の動きが、腰痛の体にいい影響を与えてくれるだろうか。
来年の5月に行われるカチューシャマラソンの案内が届いた。
来年もハーフマラソンに参加するつもり。
その為に体つくりをしよう。