白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

脱力こそ一番の要

2016年03月29日 22時28分40秒 | 日記

僕が読者登録しているブロガーさんの何人かが、最近書く意欲が失せてしまったとか、書けなくなってしまったとか、一区切りつけたいとか、そんな風に書く。

確かに、毎日何かを書かなければならないとか、意味のあるものを書かなければならないとしたら、他に仕事や生活を持っている人には大変なことだ。

だから、単なるつぶやきが流行るのだろう。それはそれでいい。だけど、ちょっと軽すぎて、僕はつぶやかない。

書きたいときに書く。書きたいことを書く。誰にあててということもなく、ただ思いを綴る。時には情緒的だったり、政権批判だったり、趣味の話だったり。

昔からよく言われていることだけれど、力んではいけない。実力が発揮できない。これは、スポーツの世界だけではない。ブログの世界でもそうだ。

分かったようで分からない、この力を抜くということの難しさを、僕は今行っているランニングの中で日々感じている。

今日は10キロを平均時速11.2キロで走った。この中で、早く走ろうとすると、肩に力が入り、脚全体に力が入る。それに気づいて、いかんいかん、脱力脱力と呟きながらフォームを修正する。すると、ストライドが伸びる。腕も自由に振れる。腰の回転が良くなる。結果的にスピードが上がっている。

ゆらゆらと揺れながら立っている老人が、ほんのわずかな動きで相手の攻撃をかわし、何の力も入っていないかの如き佇まいで、その場を圧倒している武術の達人。そんなイメージをりそうとする。必要な時だけ、必要な力を入れる。これこそが一番の要。体も心も柔軟でしなやかであることが必要だ。

 

僕の趣味の一つ、漢字パズル。

 

 

これまで、何度も全問正解を繰り返してきた。

だが、当選してプレゼントをもらったことなんて一度もなかった。

なぜだか、自他ともに認めるとても籤運がよくない人なのだ。

それが、今回当選した。たとえ、高価なものでなくても、当選したことが、とてもうれしい。

 

 

うれしいといえば、北信濃の我家の山野草園(そんな大げさなものではないが)でいちげのはなが咲いた。

千曲市のあんずの開花宣言が出た。

桜よりちょっと前に咲くピンクのじゅうたんのようなあんずの花畑は、とても見事だ。

真田家ゆかりの松代へ、毎年あんずの花を見に行く。

背後に、奇妙山、尼厳山(あまかざりやま)があって、この時期に山の上から見下ろすのも一興。

東海道歩きから帰ってきたら登りに行こう。

 

 

 

春になって、ミツバチたちも盛んに花の蜜を集め始める。

そのはちみつを分けてもらおうと、ミツバチの巣箱を作った。

 

 

巣箱を置かせてもらう場所も決まった。

『貸し間アリ 入居者募集』の看板を出しておこう。

そういえば、昔読んだ詩編の中に、『こころには いつも 貸し間アリ の看板が出ている』というフレーズがあったな。どうでもいいことだけれど。

 

繰り返して言うが、年を取ると、力んではダメだ。意識して、繰り返し繰り返し、不要な力を抜かないと、何もできなくなる。

ヨガで前屈をするときもそうだ。力ずくで倒そうとすると曲がらない。力を抜くことですっと曲がる。

少しは僕も達人の域に近づいたかな?もう、残り少ない人生だから、そろそろまとめに入らないと初心者のまま終わってしまう。

 

今日の走行距離 10.0キロ。  3月の走行距離 254.0キロ。

3月の月間走行距離250キロ以上という自分との約束を果たせてホッとしている。

明日から東海道歩きの旅に出る。桜の下を歩くのだろうな、うきうきと。

 

 


流れゆく季節の中で

2016年03月26日 21時24分41秒 | 日記

目まぐるしく春と冬が入れ替わった。

この2週間ほど、真剣に仕事をしていた。

まずは、五百数十軒分の水道メーターの検針作業。

そのあと、雪の舞う中での電気工事の作業を数日。これは、その前が春のように暖かく、桜の便りも聞こえて来ていただけに、寒さが身に染みた。

その間に、選定した樹木の焼却作業。

地球温暖化が問題になる中、樹木を燃やすのは二酸化炭素を増やすことになるのでは、と少し心配していた時期もあった。

だが、何と、樹木の焼却は二酸化炭素を増やすことにはならないという。もともと樹木は、酸素を作り出しているので、それを燃やしても、計算上は二酸化炭素排出量はゼロになる。

それに、村の条例か何か知らないが、選定枝を燃やすことは許可になっている。

ロケットストーブを使って燃やしているので、ほとんど煙は出ない。

畑のニンニクの手入れもした。

 

長い冬の間、重い雪の下で、よく耐えてきたと、労わりながら、肥料を根元に与え、草を取った。枯れた部分の葉をちぎって身ぎれいにした。

この下を、モグラが地下鉄工事をして、根が浮いて枯れてしまう被害が過去にあった。指で一本一本根元を押さえてみる。浮いているものもある。油断は禁物。

 

ようやく、今日から自由の身になった。

この間、1週間ほど、ほとんどランニングができなかった。仕事あるし、寒いし、、、、、やらない理由はいくらでも作れる。

だけど、3月の始め、自分に約束をした。月間250キロ以上は走ろう、と。

その約束を果たさなければならない。たとえ、どんなバカげた約束であっても。

もう、1週間ほど前から、走行距離は199キロのままだ。

幸い今日は上天気。

 

五竜岳の武田菱の雪形も現れている。

 

 

蓮華岳から針ノ木岳、爺ヶ岳へと続くスカイラインも美しい。

槍ヶ岳、穂高連峰も冬の厳しさとは違った表情を見せている。もう春なんだな。

 

 

元日に登った飯縄山もとても穏やかな佇まい。

 

 

自分との約束を果たす為に、午後千曲川の堤防へ走りに行った。

あと51キロ。まあ、なんとかなるだろう。

 

水量も増えて、水の色も温んでいる。

 

 

中野市の北に孤高に聳える高社山も、雪を纏うと、レースのカーテンのような裳裾を曳いてとても美しいのだが、雪が消えるとただの里山に戻る。

ただ、どんと晴れに登場する岩手山に似ていないこともない。

今日は、小布施橋から立ヶ花橋に向かい、橋を渡らず千曲川の下流に向かう。初めてもコース。高速道路の下をくぐり、上今井の橋を渡る。

それにしても、なんてのどかな午後だ.風は強いけれど。

平均時速は約10キロ。

上今井の橋から、千曲川の左岸を上流に向かう。左岸というのは上流から見て左側ということらしい。

上流に向かうとは言っても、それほど急な流れではないので、坂を上る感覚はない。

プロ野球のキャンプインに合わせ、2月の初めから走り始めた。2月初め頃、諏訪湖一周16キロを走った時は、平均時速10.4キロだった。

その時は、いっぱいいっぱいだった。

あれから、2月は150キロ以上走り、3月も200キロ近く走った。これで、ようやくランナーの仲間入りができた気がする。

車もほとんど通らない旧道を、飯山線に沿って走り、すでになじみの立ヶ花駅に出る。

立ヶ花の橋を渡って、往路と同じ道を走り、小布施のハイウェイオアシスで、水分補給。

出発点の小布施橋に戻って、走行距離は21.5キロ。平均時速10.4キロ。

諏訪湖一周の時と同じだが、いっぱいいっぱいの感じはない。(距離も長いし、、、)

これで、月間走行距離は220.5キロとなった。あとは30キロほどだ。(よっしゃ!)

 

もう一つ、自分に約束したことがある。

冬の間、リンゴをたくさん食べたので、体重が増えた。大体60キロ近くなった。これを58キロに戻すこと。体脂肪率15%以下にすること。

この約束は、どうなったのだろう。

朝一番で体脂肪計に乗る。体重57.7キロ。体脂肪率14.7%。

夜、夕食後、2時間ほどたって体脂肪計に乗る。体重58.3キロ。体脂肪率(14.6%)。

今回は走った後水分をたくさん摂ったので、体重の増加になっているが、朝晩の平均でみれば、約束は果たされている。

体脂肪率は、メーカーや機械によって、随分数値が違う。

温泉施設にアスリートモードというのがあって、かなり運動をする人はそのモードで測る。それで測ると、5.4%と出た。

ただ、アスリートモードは年齢制限があり、確か60歳以上は対象外だったと思う。

家のタニタで測ると体内年齢が39歳と出るので、そちらの年齢を採用してもいいのかもしれない。

賭博問題で揺れる中、プロ野球も開幕した。

4月、いよいよ山のシーズン開幕だ。

よく頑張った自分に、2泊3日の東海道歩きのご褒美は、3月30~4月1日。

三河から尾張のあたり。多分満開の桜の中を歩けるだろう。楽しみ、楽しみ。

 

 

 

 

 

 

 

 


不協和音が含まれていないと美しい旋律は生まれない

2016年03月17日 20時54分21秒 | 日記

定年後、妻が突然、離婚届に署名と捺印を求めてくる。

「俺は何も悪いことはしていない!何故だ?」

「あなたの存在そのものが、ストレスなんです」

      * * *

長野市の権堂というアーケードの繁華街に、日本で一番古いという、長野松竹相生座という映画館がある。

数年前、近くに長野グランドシネマズという、近代的な映画館ができた。

きれいで新しいので、若い人のみならず、ほとんどの人が、そちらの映画館に行くようになった。

だが、僕は、年季の入った松竹相生座の方が好きだ。

もう、随分と昔から、この映画館で男はつらいよシリーズを見てきた。

新しい映画館は、受付のお姉さんが、抑揚のない話し方で、とてもなじめない。

松竹相生座は、人間と話している感じがする。

お茶のサービスもしてくれる。

何よりも、映画館が込み合っていない。営業的には大変なのだろうけれども、本当に映画好きといった年配の人たちがここに来る。

今日は、山田洋二監督の『家族はつらいよ』を見た。

前作の『母と暮らせば』は、『父と暮らせば』と対比したときにイマイチだったが、今回は違う。

不協和音は必要なんだ、と、少し安心する。

我家は、不協和音がたくさん散りばめられている。

色々ななもめごともありながら、それもハーモニーの中に組み込まれて、全体が調和して流れていく。

よくある当たり前の生活こそ、かけがえのないものだと、そんなことを思う。

 

以前に比べて、さびれてしまった権堂だが、ちょっと脇道にそれたところに、ランチ定食580円、の看板を見つけて、入ってみた。

カミさんはコロッケ定食、僕はカレイの荷魚定食を注文。

夜は居酒屋になるのだろう。様々な名前の、日本酒の瓶が並んでいた。

落ち着いた感じの店で、『東京家族』や『男はつらいよ』のポスターが飾られていた。定食も旨かった。

主人と奥さんもとても感じがよくて、今度映画に来た時も、多分、吸い込まれるように、ここに寄ってしまうだろう。

新しい発見をした一日だった。

 

このところ、ランニングをしに、千曲川の堤防に通っている。

ここは、長野マラソンを来月に控え、練習をする人の姿が増えてきた。

雪が豊かに残る北信五岳や、志賀高原の山々、時折日本一気温が低くなる菅平に聳える根子岳がきれいに裾を引く姿、それらを眺めながら走る。

僕は長野マラソンに出るわけではないが、三月に250キロ以上走ると決めたので、せっせと走りに来る。

大体コースは決まっていて、約12キロくらいの距離を、平均時速10キロ以上を目標に走る。

これも、準備運動などせずに、走り出すので、最初は遅い。

昨日は、その前に20キロくらい歩いていたので、始動が早かった。12.2キロを平均時速11.2キロ。これは、フルマラソンで3時間46分くらいのペース。

だが、今日は映画を見てきたので、スロースタート。最終的に12.1キロを平均時速10.6キロで走り終えた。

一流のランナーの半分ほどのスピードだが、それでも、後半にスピードが上がってくる走りには満足している。

無駄な力を入れず、腰を高く、腰の回転を意識して走る。

僕は、美しくは知っているだろうか?

腰を落として走っているランナーを見ながら、自問自答する。

*********************************************

本日の走行距離 12.1キロ。 3月の走行距離189.0キロ。

*********************************************

 


遅ればせながら

2016年03月12日 23時03分10秒 | 日記

うもう、大分前から、暖かい地方では、春を告げる花だよりが届いている。

ここ、北信濃の我家でも、福寿草の花が咲いている。

 

何日も前から、ブログで写真を見てしまっていて、自分でも新鮮味が感じられないのだが、それでもやっぱり、ここにも春が来たと、うれしい。

 

 

こぶしの芽も膨らんできた。

外はまだ風が冷たいので、家の中で、かきなとリーフレタスとキャベツの種を蒔いた。

 

もう、3週間くらいが過ぎる。

種が芽を出し、毎日少しづつ育っていく。それを見ているのは、とても楽しみ。命がここにある。

お彼岸ころには、外に植え付けよう。温室育ちのひ弱な苗たちも、きっと春の日差しの中で、生きる喜びを全身で感じ取るだろう。

 

カミさんたち、四ババは、今朝早く2泊3日の鎌倉の旅に出かけて行った。

大体どこへ出かけても、おじさんたちより、おばさんたちの方が、圧倒的に数が多い。

僕とカミさんは、月末に、東海道歩きの旅に出る。これも二泊三日の旅。

個人で歩いている人はおじさんが多いが、ツァーで歩いている団体はおばさんたちが多い。

おじさんたちは何をしているのだろう。

『お墓の中で眠っているのさ』と、冗談のように言ってみる。

おじさんである僕も、もう少し起きていなければならない。

東海道歩きの旅は、今三河を進行中。

現地までは遠い。この時期、5枚つづりの青春18切符が、11,850円で買える。

とても安上がりだし、何より東海道歩きに、特急や新幹線は似合わない。

問題は、5枚というところ。なぜ奇数なんだ。

二人で往復使えば4枚。一人でも、往復を一単位と考えれば、とても中途半端。

一枚余らせて得をしよう、あるいは二冊買わせようという、JRの姑息な深謀遠慮が潜んでいるのではあるまいか。

そんな訳で、余る(あるいは足りない一枚をどうしよう、というのが、目下の大問題。

金券ショップで売りさばくなど、論外。ここは田舎だ。

残るは、鈍行で日帰りできる、かなりギリギリ遠くの、JRの線路が繋がっている目的地を見つけること。

今は、いろいろな路線が、第三セクターになり、JRの路線が限られてしまった。

今度歩き継ぐ為に向かう駅は、名電山中駅。

長野から松本、木曽谷を抜けて中津川へ入っていく。

時間はかかるが、車窓を眺めながら、鈍行で行く旅が好きだ。

藤川、岡崎、知立、鳴海、宮と名古屋方面へ歩く。

昔は、宮から船で桑名へ渡った。七里の渡しという。今は陸路だ。

多分今回はこの辺りまでになるだろう。

今年は、桜が早いという予想が出ている。

満開の桜の中を歩けるだろうか。

 

昔の街道といえば、ランニングコースの途中に、千曲川の渡しの跡がある。

 

この渡しのあった辺りは、今は北陸新幹線の線路が走っている。

 

 

 

行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず。流れに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しく留まる試しなし。

容赦なく時は流れ、望むと望まざるに関わらず、すべては変わっていく。

自分の気持ちだけをそこに取り残して。それもいいか。

 

 

三月は、中野市は土ひなの季節です。

 

 

中野市は、退職勧告の、ではなく、童謡肩たたきの作曲家、中山晋平の故郷でもあるのです。

 

*********************************************

本日の走行距離 14.0キロ。 3月の走行距離 138.3キロ。

*********************************************

 

 

 

 

 

 

 

 


忘れる訳ではないけれど

2016年03月10日 20時58分25秒 | 日記

あの日、僕は新築中の家の上がり框に腰を下ろし、缶コーヒーを飲んで一服していた。

突然、眩暈を感じた。天井が回っている。

頭の中の血管でも切れたのだろうか。不思議と冷静に、そんなことを考えていた。

落ち着こう。冷静に対処法を考えよう。

コーヒーを一口飲んだ。

再び、眩暈が襲ってきた。

 * * * * *

聞いていたラジオが、東北で地震があった事を告げた。

その時になって、ようやく、あれは地震だったんだと、僕は理解した。

ラジオから流れてくる情報は、次第に緊迫度を増し、僕の想像力をはるかに超えた。帰宅後のテレビは、現実離れした、ゴジラの映画のセットが壊されていく架空の世界のような光景を映し出した。

さらに、その深夜、信州の北部では震度6の地震が起きた。

それに続く原発事故の狂想曲。対応の拙さも手伝って最悪の事態に陥っていった。

 

確かなもの、確かだと思ったものがあっけなく、崩れ去っていくのを、僕はどうしようもなく見ていた。

あの時、人生で何が一番大切なのか、どんなふうに生きるのか、何をすればいいのか、そんなことを真剣に考えた。

社会の中で、自分が果たすべき役割というようなことも、考えないではなかった。

それとともに、人生なんていつ幕を閉じるかわからない、と改めて、強く思った。

もう、人生の後半。やりたいことをやろう、思い残すことなどないように。

僕はその年、六十歳で、会社を辞めた。

年金も満額もらっても、とても生活ができる額ではないし、まだ、その年齢でもない。

それでも、アルバイトをしたり、家庭菜園で野菜を作ったり、旧街道歩きをしたり、登山をしたり、そばを打ったり、そんな生活を選んだ。

そういう意味では、確かに僕の生き方を変えた出来事だった。

 

あれから5年が過ぎる。

僕は今でも、あの時の、残された時間を大切に大切に生きようと思った気持ちを、持ち続けているだろうか、と自分に問う。

毎日のありふれた日常の中で、そんなことはほとんど意識していない自分に気づく。

だが、確実に人生のカウンターは減り続けている。

 

そして、あの震災に会い、原発事故に直面し、風にもてあそばれる木の葉のように、なす術もなく翻弄された人たちのことを思う。

みんな同じように、カウンターは進んでいる。

故郷を追われ、諦念の中で、日々を過ごしている人達もたくさんいるのだろう。

政治は、そうした人たちを救わなくて、一体何をしているのだろう。

一日、137億円。一年で5兆円。

これは、戦争はしない、軍備は持たないという憲法を持つ日本の、軍事費だ。

このうちの何割かを、どうしてこの人たちのために使わないのだろう。

保育園を作るためにも使わないのだろう。

政府と電力会社は、まるで人ごとのように、原発の再稼働を推し進めようとしている。

やるべきことは『企業が世界で一番活躍しやすい国を作る』のではないだろう。

 

忘れる訳ではないけれど、どうしても、あの時の記憶というものは、日々の暮らしの中で色彩を失っていく。

年のせいだと、少し哀しげに笑ってみることもできる。

だけど、やっぱり、芯は残る。

この日が来るたびに、この問いが突きつけられる。

『お前の、今の生き方は、本当にそれでいいのか』と。

まだ、『カウンター』を意識しなかった自分から、今は、どれくらい遠くに来てしまったのだろう。

 

*********************************************

本日の走行距離 20.6キロ    3月の月間走行距離 115.8キロ

*********************************************