今日は社会保険事務所へ年金の手続きに行った。
説明書を読み必要な書類をそろえ、申請書に記入したものを持って、それでもきっと一回では済まないのだろうなと思っていた。
何回でも来ればいい。そう覚悟していた。
窓口にはちょっとどっしりした中年の女性。
にこやかに、テキパキと処理し、説明してくれる。
60歳から65歳までは比例報酬部分の年金が支給されるが、それは年間24万円に満たない。雇用保険受給中は年金は支給されない、等々。
これが世界で3番目の経済力を持つという日本の実際の姿だ。
労働者が稼ぎ出した富は何処へ行った。
大企業の内部留保というダムに貯め込まれている。
244兆円。国家予算の3倍。
このダムを放流しなければ下流の人々は干上がってしまう。
それをやるのが国家の仕事だ。
社会保険庁はあれから少しは変わったのだろうか。
少なくとも今日対応してくれた職員は合格点だ。
その他に企業年金も掛けていたので、企業年金連合会にも電話した。
以前、年金申請書が送られてきた。
5年くらい前のことだ。
60歳になったので年金の申請をしてくださいというものだ。
書類の生年月日を見ると実際よりも6年前に生まれたことになっている。
同封されてきた返信用葉書で、その旨を書き送った。
何の音沙汰もないので、しばらくして電話した。
生年月日が違っていること、変更の手続きをしなくていいのかということ。
返事はこうだ。
『はい、判りました。手続きは特に必要ありません』
あまりにおざなりな返事なので、そのことは心にとめておいた。
60歳になれば変更された申請書が送られて来るかもしれない、と。
だが、送られてこなかった。
電話をしてみると記録は修正されていないままだという。
葉書も出し、電話もしたというのに!
『あなたたちは社会保険庁の天下りなのか!』
思わず叫んだ。
あくまで、こちらが申請しなければ向こうからはアクションを起こすことにはなっていないという。
ぼくがこのことを心に留めておかなければ、そのままになってしまっているということだ。
『そのような申し出があったかどうかこちらでは確認できません。記録では生年月日は前のままになっております』
『社会保険庁よりひどいじゃないか!いったいどうなっておるのだ!』
『前の申請書お持ちなら、生年月日のところだけ直して申請してくださればけっこうです』
『。。。。。!』
そのようなことがあって、次は財形年金。
会社を辞めた時、金融機関からの書類を書かされた。
『財産形成貯蓄預金天引預入変更依頼書』
住所と名前だけ書いて項目には何も書かなかった。
しばらくして会社から呼び出しがあって同じものをもう1枚書けという。
前のは天引きの中止用。今度のは解約用で、書いたら自分で信金の窓口に手続きに行けという。
『もしもし、財形年金の件でおききしたい。』
『はい、何でしょうか』
『契約では8月10日で払込期間満了になっている財形年金を、なんで天引き中止や解約の書類をかかなければならないんでしょうか。ましてや窓口まで手続きに来いというのはどういうことでしょう!』
『は、はい。担当のものに替わります』
というやりとりがあって、担当のものに替わるが埒が明かない。
ややあって、次長なるモノが出る。
『申し訳ございません。契約の内容を十分確認しないままそのような手続きをしてしまいました』
『契約を取るときだけ揉み手をしておきながら、こんな扱いをするなんてせいじかといっしょじゃないか!そのまま言うとおりにしていたら、解約することになって税金を取られ、損をすることになるじゃないか。何のための財形なんだ!』
思わず怒鳴ってしまった。
まったく、油断も隙もあったものではない。
気を取り直して松本まで夜の仕事に出かけた。
かみさんと73歳の義姉を伴って越後の巻機山に登った。
日本百名山のひとつで、全国から登山者がやってくる。
一般ルートの尾根道から離れて沢ルートへ。
割引沢(われめきさわ)、支流のヌクビ沢は美しいナメ滝がたくさんある。
しぶきを浴びながらのシャワークライミング。
名前も知らない花の数々が迎えてくれる。
このたおやかな草原状の頂の上に山頂はある。
この山に最後に登ったのは25年も前のことだ。
当時は静かな山だった。
広島から来たという老登山者は直下の避難小屋で泊まるという。
奈良から来た人もいる。東京からの青年もいる。
一頃ほど大勢の人が押し寄せてくるという状況ではないが、それでも人気の山だ。
帰路は井戸尾根という一般コース。
美しいブナ林が続いていた。
車で帰る途中、清津峡温泉に立ち寄った。
源泉かけ流しの、鄙びた温泉。入浴料300円もうれしい。
これまで勤めていた会社から離職票が送られてきた。
それを持ってハローワークに行った。
自己都合の退職だと雇用保険をもらえるまで3カ月の待機期間がある。
会社都合による解雇等の理由だとすぐに適用になる。
退職理由等、面倒な詮索があるかと思っていたが、意外にあっさり認めてくれた。
これで、失業者と認められたことになる。
まあ、あせらず求職活動をするとしよう。
給付期間は最長240日。
充電期間。
これまで休日も夜も仕事でつぶれることが多かった。
少しくらいのんびりしても許されよう。
家の片づけ、庭の手入れ、菜園の仕事、登山、中山道歩き、蕎麦打ち。。。
やることはたくさんある。
この夏、木曽駒ケ岳と御嶽山に登った。
仕事から趣味の活動に軸足を移してもいい時期だ。
この期間を利用してまだ足を踏み入れていない山域、南アルプスの南部縦走に出かけようと目論んでいる。
北アルプスの裏銀座コースも未踏破だ。
これらの縦走には1週間程かかる。もちろん単独行だ。
他に槍ヶ岳への案内も頼まれている。
穂高岳へも行くことになっている。
収入は少なくなる。
だけど、やりたいことを我慢して収入だけを追い求める暮らしなど何の意味があるだろう。
地獄の沙汰も金次第とはいうけれど、死ぬときに貯金通帳など持っては行かない。
最低限、生きるのに必要なだけあればいい。
明日は越後の名山、巻機山(まきはたやま)に登る。
この山は日本百名山のひとつ。
豪雪に刻まれた沢と、たおやかな草原状の山頂を持つだいすきなやまのひとつだ。
73歳になる義姉とかみさんのガイド役だ。
失業もまた楽しからずや。
マスコミは格好の餌があったと、喰らいついた。
芸能人は影響力が大きいから、暴力団と関係を持つなどとんでもない。
そんなことは当然のことだ。
だが、マスコミは他にもっと伝えなければならないことは無いのか。臨時ニュースを流すほどのことか。
違うだろう。他にもっと大事なことがあるはずだ。
マスコミは原発の推進に多大な貢献をした。電力会社からの金の前に、真実を伝えるという大事なものを投げ捨ててしまった。
大企業の莫大な広告費の前に社会的な役割を果たせなくなってしまった。
だが、ぼくの言いたいことはそれだけではない。
暴力団と親密な関係を持ったことは批判する。
なぜ、暴力団の存在そのものを批判しないのだ。
暴力団がなぜ公然とその存在を認められているのだ。
社会にとって良くない存在だと認識されているから『暴力団』という名前が付いているのだろう。
『窃盗団』『強盗団』が公然とその存在が認められ、看板を掲げているか。
マスコミはなぜ、暴力団の存在そのものを問題にしないのだ。
あるのが当然。付き合うのが悪い。
そんな論調ばかりではないか。
問題の本質は暴力団の存在そのものではないのか。
普通に真面目に暮らしている人たちが情報を得たり、色々な判断をするときに、知らず知らずのうちにマスコミの論調を自分の考えだと思い込んでいることが多い。
それだけに、社会の公器としてのマスコミの責任は重いのだ。
権力におもねたり、大企業の金の前にひざまづくなどマスコミの自殺行為だ。
隠遁生活を夢見る俺だが、どうしても黙っていられない。
マスコミよ、もっと本質を見極め真実を伝えよ。
もう会社勤めの身ではない。
文字通り晴耕雨読の生活ができるのだ。
朝から畑仕事をした。
夏の野菜から秋の野菜への切り替え。
畑の一部の草を取り、前作の片づけをし、石灰と肥料を撒き、畝を作った。
今日蒔いたのはほうれんそう、レタス、サニーレタス、サラダ菜。
まだ畑の手入れは時間がかかりそうだ。
だが、収穫を思い浮かべながらする農作業は楽しい。
収穫した枝豆と夏大根。
これは別のところに借りている専用の大豆畑。
今花が咲き始めた。
家の庭ではみょうがが顔を出していた、
初収穫。
みょうがを刻んでオクラと混ぜ、鰹節を乗せ、しょうゆを少しかけて食べた。
旬の味が元気を与えてくれる。