白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

たかがパズルされど...

2020年05月31日 21時30分18秒 | 日記
以前漢字パズルをやっていた。
漢字百選、漢字特選という雑誌が舞台だった。
かなり難解で、周りの人はみんな途中で投げ出した。
超難問などは1問に1週間かかったこともある。
それでも、全問正解を8回くらい続けて卒業した。
2年ほど前から数独、またはナンプレに取り組み始めた。
最初は初級問題、それが解けるようになると中級問題に取り組んだ。頭がさび付かないように1日2~3問。中級問題になると1問30分以上かかることはザラで、時には数時間解けないこともある。かなりの集中力も必要だ。上級問題になると全く解き方が判らず、手も足も出なかった。とにかく中級問題に取り組んで感覚を磨くことを意識して取り組んできた。最近になって、上級問題も何とか解けるようになった。

この問題はネットのナンプレ放題の難問として公開されているのだが、今日はこれを解いた。縦、横、3x3の9マスに重複した数字が入らないという簡単なルールだ。正解だと難問10ポイント、上級問題8ポイントなどが付いて、5,000ポイントで500円相当になる。頭を使い、時間も使いポイントも溜まる。暇な人にはこの上なく有効な時間の使い方だ。残念なことには他にやることがたくさんあり、かみさんの目を盗んでは解いている有様だ。
マーちゃんの数独日記というブログに詳しい解き方が書かれていて、参考にさせて頂いている。上級問題の解き方になるとかなり難しくて、正直読みこなすのは大変だ。だから、つまみ食いというか、拾い読みで済ませている。
解法を身に付けて、事務作業のように数字をマスに埋めていくだけというのも詰まらない。自分の頭であれこれ考えて、行き詰まり頭をかきむしる。それが今の状態だ。
コロナでスティホームを余儀なくされ、暇を持て余している御仁はぜひ取り組まれることをお勧めする。
図書館の本はこれまで3冊2週間だったのが、10冊1ヶ月となり、本もたくさん借りてきている。とにかくもっと時間が欲しい。
コロナ騒ぎで明け暮れた5月も今日で終わろうとしている。新しい月になれば、緊急事態宣言も解除されたことだし、明るい兆しが見えるような気分になっている。カレンダーを1枚めくった。レンゲツツジの咲く美ヶ原の風景。今年ももう折り返しの地点に入って行く。


特別給付金でツーリングバイク(自転車)

2020年05月30日 21時05分44秒 | 日記
この村では特別給付金が日に振り込まれた。
世帯数が2千ちょっとで、事務手続きにも時間がかからないからか、速やかに給付された。生活費に回そうとも思ったが、そこは回避して思い切って買ってしまった。
びっくりするのはとても軽いことだ。サドルとスタンド、ライトは別売ということで、しめて156,417円。特別給付金ではとても足りないが、体つくりのための投資として決心した。ロングツーリング仕様なので少し重量は増えるがスタンドを付けた。どこかに立てかけなければならない自転車なんて、いくら軽い方がいいと言ったってそんなのはいやだ。購入した店から乗って来たら、30キロほどの距離があった。自宅までの数キロはかなりの登り坂なので、結構きつい。ランニングやウォーキングとは違う部位に効くので、いいトレーニング効果が期待できる。いつか、軽テントを積んでキャンプに行きたいものだ。それには荷物バッグも追い追い買い足さなければならない。グローブもあったほうがいい。圧力計付きのポンプも必要だ。夢は尽きない。
街を走っているとロードバイクに乗っている人とすれ違う。最近多いようだ。やはり自分の体を使って移動するのは気持ちがいい。特にこの季節、若葉の中を走るのは格別だ。
緊急事態宣言が解除されて街には人出が多くなった。百々川(どどがわ)の河川敷では子供たちを連れて散歩したり、テントやターブを張りバーベキューを楽しんだりする姿があった。動物園には多くの入園者があり、臥竜公園ではおでんの店に多くの客がいて、湖面にはたくさんのボートが出ていた。ほとんどの人はマスク着用で、それを除けばいつもの年と変わらない。ほとんどの人がコロナ疲れでスティホームにうんざりしているのだろう。そんな姿を見ながら自転車で走っていると、車やランニング、ウォーキングの時とは違った風景が見える。梅雨入り前の、おそらく一年で最もいい季節のこの時を思い切り楽しまなければ損だ。もう人生はそんなに長くはないのだから。

それにしても、家にいてやることがないという人は一体どういう生活をしているのだろう。
今朝蕎麦を打っているときに気付いた。
そば打ち台が少し反っているきていることに。
これは修正しなければならない。そば切り包丁もそろそろ研いだ方がいい。
そんな風に、一つの仕事をすると、それに絡んでさらに二つも三つも仕事が出てくる。
 

 

農耕摂食者なのでそろそろ草取りの仕事も待っている。種まきや苗の植え付けもある。
家の周りも手入れしなければならない。
アンネのバラが咲いた。


ニッコウキスゲも咲いた。
庭は消毒をしないので、アメリカシロヒトリを見つけては駆除。アブラムシも発生するが、天敵のテントウムシも増えているので、その循環を壊したくない。庭木や花の密を解消すべく剪定したり刈り込んだり、仕事は尽きない。

たまにブログを書くと、バイクのことだけ書こうと思っていたのが、ついでにあれもこれもとついでに書いてしまう。多分一つのテーマで一つの文章を書かないと冗漫になってしまう。手を机に置き首うなだれて反省のポーズを取ってみる。
末廣亭が営業再開するという。喜ばしいことだ。落語の合間に色物と呼ばれる漫才やマジック、漫談などの芸が入る。これは、落語ばかりだと疲れてしまって息が抜けない。
同じように、一つのテーマだけでなく、色物くらいの軽い文章が入るのは悪くないのかも知れない。









安曇野

2020年05月21日 20時28分49秒 | 日記
安曇野の春。
同じ信州でも、できることならここに移住したいとさえ思う。
残雪の後立山連峰と田園風景はこの上なく美しく、吹き渡る風は爽やかだ。
山の名前など知らない人でも、あれは何の山なのだろうとしばし見とれてしまう。
もちろん僕は何度も登っている馴染み深い山々だ。見ていて飽きることはない。その時々の山の思い出がほろ苦い、あるいは甘美な思い出とともに蘇る。
爺ヶ岳、鹿島槍、五竜、唐松、白馬三山、これらの山は自宅からも見えるけれど、こんなにも大きくは見えない。迫力が違う。
安曇野はもうすぐ田植えだ。
僕らの棚田は長野市中条にあるが、今年は新型コロナの影響で、共同作業は中止と田んぼの会の会長から連絡が入った。23日に家族で田植えをするという。会長は今年で八十七歳になる。過疎で隣近所がほとんどいなくなった中で、夫婦で山の中に住んでいる。こんなところに一軒家に登場しそうだが、残念ながら近所に空家が3軒くらいある。幸い町場に住む娘さんや、いい若者になった孫が手伝ってくれる。孫は後は任せろと頼もしいことを言ってくれると会長はホッとした様子。先祖伝来の土地、ましてや苦労して切り開いた棚田を荒廃地になどとてもできないのだろう。何とか稲刈りはみんなでできるようにと思っているという。会員のほとんどは遠方なので簡単には来れない。田植えが終わりしばらく経ったころに簡単な手土産など持って訪ねてみよう。何しろ山の中なので、人恋しくて話したくて堪らないという人なのだ。

この山は鹿島槍。
この山の山頂で、一晩中月を眺めて過ごしたことがある。

この山は餓鬼岳。
ここは一昨年に登った。
人にほとんど会わない静かな山で、北アルプスの葉簿中央にあるとは信じ難いくらいだった。山小屋も近代風のホテル然としたものとは対照的な、古き良き時代の雰囲気をたっぷり持った山小屋だった。ゆとりがあれば一週間ほど泊まってみたい。もちろん懐の話だ。

安曇野を訪れるもう一つの理由はわさび漬けの買い出しだ。
わさび漬けの店は何軒もあるが、お気に入りの店が三軒ある。店によって、味にかなりの違いがある。使う酒粕によるのだと思う。甘過ぎず、もったりしていなくて、キレが良い、爽やかな辛味がスッと鼻に抜ける、そんなわさび漬けがいい。

安曇野という名前が何とも言えず好きだ。僕の住むこの地は高井野と古くは言った。勝てない。字面がいい。音がいい。安曇野と口に出して言うだけで、写真のような情景が浮かんでくる。
移住したい。叶うことなら移住したい。小さなそばの店を週三日位営み、自家焙煎のコーヒーも飲めて、おやきもある。そんなことを夢見る。
一方で夢だからこそ美しいということも分かっている。十分すぎるほどに。
事程左様に安曇野は僕の心をつかんで離さない。





新しい試み始動 地域のコミニュティの構築に向けて

2020年05月19日 06時56分34秒 | 日記
冒頭に新型コロナ禍を書くのが最近の定番となりつつあるが、天邪鬼の僕はスルーする。
一昨年、僕は区の会計という仕事に携わり、何とか後任を確保して、後を託した。そして、この4月からの役員を選ぶ役員選考委員としての仕事をした。その難航したことと言ったら筆舌に尽くしがたい。2月の寒風吹きすさぶ寒空の下、何軒もの家に足を運び、次期役員のお願いをして回った。その度に断られ、中には明らかに家にいると思われるのに、居留守を使う家さえあった。かつては役員を選べず、止む無く役員選考委員が責任を取って役員に就任するとか、区長と副区長が入れ替わって留任ということさえあった。誰も好んで役員になどなりたくないのだろう。
僕は考え込んだ。区とは何なのだろうか。本当に必要なのだろうか。区の仕事は一体何なのだろう。そこに住んでいれば、ゴミ出し、周辺の清掃、協力しての雪かき、夏祭り、分館の活動やPTA活動、敬老会、新年会、お祭り、等々色々あるにはある。ただ、ゴミ出しを除いて別になくて格別困りはしない。町場なら、特にアパート暮らしであれば、それが当たり前なのだろう。
ここはできてから50年が過ぎつつある団地。第一世代は山の炭鉱が閉山になり、団地を造成して移り住んだのが始まりだ。90世帯位だった。そのほとんどが密閉された山の暮らしのしきたりや雰囲気を濃厚に持っており、特に労働組合が大きな力を持っており、その幹部だった人たちが陣頭指揮をしてこの団地を作り上げてきた。そのご苦労には頭が下がるが、やがて時が移るにつれ、それが桎梏となった。あとから移住してきた人達や第二世代、第三世代にとっては、言いたいことも言えない窮屈な地域となってしまった。誇りをもって区の仕事に当たっていた人々は引退し、多くの人達は区に何も期待しなくなり、役員のなりてが無くなってしまった。(これは個人の感想です)
改めて、区とは何なのだろうと考える。
そこに住む人たちが最低限気持ちよく暮らせる簡単なルールを作る。そして、最もよく言い表せる言葉を選ぶとすれば、コミニュティなのだと思う。いろいろな決まりで縛るのではなく、人と人とが自由に交流できる場を創ることが一番の役割だ。
住民センターがその役割を担う場所となる。
次第に退職者も増え、会社人間だったおとっつあんが、そう簡単に地域には溶け込めない。やることもない。そんな状況を打開できる方策はないだろうか。
その上で、自分にできることは何なのだろう。そうだ、そば打ち教室をやってみよう。
そのうち、打ち手を増やして、敬老会などでふるまい蕎麦ができればいいな。いずれは同好会にして、退職者を中心にした趣味の同好会にして交流の場になればいいな。あわよくば区の予算で蕎麦打ち道具をそろえてもらって、活動資金なども出してもらえればいいな。何しろ毎月区費で2,500円も払っているのだから。
そば打ちに限らずこんな風にみんなができることや、興味や趣味を生かして交流していくことで地域が本当のコミニュティとなっていくのではないだろうか。そうした活動を通じて、区の役割が鮮明になり、やりがいも感じられ、やがては役員の誕生にもつながっていくのではないだろうか。ほとんど顔も知らないような仲で、誰も役員などやりたくはないだろう。

今の時期、密集、密接、密閉を避けなければならない。そこで、最初は少人数でと、二人に声をかけた。年末には自分で年越しそばを打とうとスローガンを掲げた。一人は今年の副区長、もう一人は東京出身の移住者で、ワインぶどうの栽培を始めている。5・17に第一回の教室を開いた。移住青年はブドウの草刈りが追い付かないとのことで不参加となったが、二人でそば打ちをした。初めてそば打ちをする人なので、僕も人に教えるなどとおこがましいことはできないが、と断りつつ、一緒にそばを打った。
 


       

自分で打ったそばを食べて彼は言った。
「この、太さが不ぞろいなのが、まさに手打ちという感じで、格別です」
道具は僕が用意した一組なので、交代で使った。捏ね鉢は二つあるので同時進行。
彼は左利きとのことで、左利き用の蕎麦打ちセットが欲しいとやる気満々。
今回は住民センターの庭で作業していた区長と衛生組合長にも声をかけふるまい蕎麦。
区の予算で蕎麦打ち道具を揃えてもらえればいいな、敬老会にもふるまい蕎麦ができるのにな、と付け加えておいた。
何にしても、ここ何年か温めておいた企画の第一歩を踏み出した。
「これは売り物になるね。ここで店を開かないか」
お世辞でもそば打ちにとってはうれしい言葉だ。
出来れば、今後も月に一度くらいは教室を開きたい。
細く、長く。まさにそばのようではないか。
『誰一人取り残さない』
この言葉に僕は言いようのない感銘を受ける。弱者を切り捨てない決意の表れだ。
今回参加できなかった移住青年の都合に合わせ、いつでもそば教室を開くつもりだ。
今回使ったそば粉は諏訪にある高山製粉さんの八ヶ岳という銘柄だ。この粉は初心者でも良く繋がる粉で、打ちやすい。慣れてきたら徐々に上級者向けの粉にも挑戦するつもりでいる。
僕はもう、名誉とか功名心と言ったものから解放されているので、一緒に打った仲間たちが、早く僕を越えて行ってくれることを切に願っている。同好会にして、やる気のある人に運営も任せられればいいなとも思う。本来、『単独行者』の僕にはこういう仕事は向いていない。