白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

5月が終わる時に

2015年05月31日 22時44分47秒 | 日記

この一ヶ月をどのように過ごしてきたのだろう。

色々な花が咲き、散って行った。

今、蕎麦の花が咲いている。

何かに追い立てられるように、毎日やることがある。

退職したオヤジが何をしてよいかわからず家にいて、カミサンから邪魔者扱いされるという話を聞く。

反対に僕はやることが多過ぎる。

昨日、オーナーになっている棚田の田植えに行って来た。

庭の手入れがある。

知人から頼まれている借りてい

る畑作業がたくさんある。

手作りの物置小屋の防腐剤塗りがある。

梅雨入り前の北アルプスにも登りに行きたい。

バイクツーリングもやりたい。

剪定作業がふたつある。

ミツバチの巣箱作りがある。

 

そんな風に、忙しく過ごしているのだが、ふと気付くと戦争法案が審議入りしている。

戦争をして喜ぶのは武器商人だけだ。

そこから政治献金という名のわいろをもらっているのだろう。

安倍よ、おぬしも悪よのう。

 

雨がちっとも降らないけれど、この時期になると決まって浮かんでくる曲がある。

カスケーズ『悲しき雨音』、ジリオラ チンクェッティ『雨』、湯原昌幸『雨のバラード』、ちあきなおみ『雨に濡れた慕情』、太田裕美『雨だれ』、、、、、、

雨にちなむ歌はたくさんあるけれど、僕が少年から青年に変わる多感な時代にラジオから流れていた曲が一番印象深い。

今、これらの歌を聴くと、柔らか過ぎる心と、漠とした未来への不安と、淡い恋心とを持ったあの頃の自分に帰ったようで、柄にもなくセンチメンタルな気分になる。

あの日から、僕は一体何をして今まで生きてきたのだろう。

もう明らかに折り返し点を過ぎて、いまさらどうすることも出来ないけれど、それでもふと立ち止まって振り返ってみたくなる。

 

科学技術が進歩して、便利さを追い求め、多分大事な物を置き去りにしてしまったりはしていないだろうか。

時々思う。

携帯電話は持たない。

車もできるだけ乗らない。

エレベーターは使わない。

除草剤も農薬も使わない。

味噌もとうふも、豆からの手作り。

精米も、パン焼きも、ヨーグルト作りも自家製。

コーヒー豆も自家焙煎。

蕎麦も自家製粉からの手打ち。

時代から取り残されたような生活の中に生きるということの大切な核というようなものがあるような気がして。

 

今日の一枚

ブロッコリー

雪のある頃に種を播き、リビングで大切に育てた。

今日、いよいよ収穫。

無農薬、無化学肥料。

安全、安心は食でも一番大事。

 

 

 

 

 

 

 


自家焙煎

2015年05月26日 20時54分28秒 | 登山

これまで、コーヒー豆を買ってきてミルで豆を挽いていた。

香りがいいし、うまい。

それでも、もっとうまいコーヒーを飲みたい。

そんな思いが募って、自家焙煎のキットを購入した。

コロンビア、ブラジル、ガテマラの生豆も500gずつ購入。

さっそく焙煎してみた。

この豆はコロンビア50g。

これは標準の炒り方。

深煎り、浅煎りで味がずいぶん違うという。

焙煎後1週間で味が落ちる。

さっそくコーヒーを落として飲んだ。

コクがあるが、苦くは無い。

『おいしい!』

かみさんが言った。

他の豆もどんな味と香りがするのか楽しみだ。

 

 

今日の一枚。

収穫した大根とカブ。

自宅で精米した時に出る糠を使って糠床を作った。

そこに入れて糠漬けを作る。

生活がどんどん便利なものから手間のかかるものに移り変わっていく

 

 

 

 

 


なんでこんなに忙しいんだろう

2015年05月25日 22時27分41秒 | 日記

このところやけに忙しい。

勤め人だった頃よりはるかに多忙。

数日前、豆畑の耕運。

翌日はかみさんの実家の庭木の剪定。

すっかり木が伸びてしまって屋敷に日が当らない。

樹高は10メートルを超える。

頼んでいる植木屋さんはなかなか短くしてくれないという。

そこで僕の出番となった。

2連梯子で木に登り、思い切って切り落とした。

一日かかったが散髪の後のようにさっぱりとして光と風が入るようになった。

翌日は小諸に出かけ街歩き。

その翌日は64キロのウォーキング。

翌日は勝手口への網戸の取り付け。

川口技研のオーケー網戸で、ドァに合わせて加工して設置する。

エアコンが無い我家では、ここに網戸が付くことで格段に涼しく過ごす事が出来る。

さらに、サツマイモの苗の植え付け作業と草取りがあり、休む暇もない。

明日は朝から、かみさんの実家の剪定枝の片付け作業が待っている。

その翌日はシルバーの剪定の仕事がある。

その翌日は月に二回のヨガ教室。

中一日あいて、棚田の田植えがある。

ほとんど雨が降らないので、晴耕雨読という訳にはいかない。

 

畑の野菜も花を付けた。

 

ピーマンとナス。

 

 

とうやというジャガイモの花。

 

 

ブロッコリー。

 

季節の進みは速い。

庭先の花も時と共に主役の座を譲る。

 

今日の一枚。

何といっても今の一番はラベンダーの花。

柔らかな薄紫の色合いと甘い爽やかな香りが最高。

 


古い上着よ さようなら   僕は脂肪を脱ぎ捨て夏の衣を身に付けた

2015年05月24日 22時02分35秒 | 日記

僕は古い上着を脱ぎ捨てた。

寒い冬の季節、たくさん着こんでいた脂肪を脱ぎ捨てた。

もう、水着だって大丈夫。(多分着ないけど)

この冬、僕の体重は一番多い時で64.5キロあった。体脂肪率21.3%。

現在、体重56.9キロ。体脂肪率13.7%。

体はすっかり夏の衣に着替えた。

脂肪を筋肉に変えること。

ただ体重を落とすだけなら食事を抜けば簡単に落ちる。

しなやかで強靭な筋肉を作る。それが目標。

 

 

今日の一枚

蕎麦の花。

こぼれ種から芽を出し花を付けた。

清楚で余分な物が無い。

こんな体と心を持ちたいものだ。

 


苦行

2015年05月24日 19時43分28秒 | 登山

小諸なる古城のほとり 雲白く 遊子悲しむ

所は小諸の懐古園。

時は明けの四時。

主催者発表、2,015人のうちの何人かが一斉に歩き出す。

先頭は武者姿で登り旗を持った二人。

目指すははるか64キロ先の善光寺。

思い思いのいでたちでまだ薄暗い小諸の街を歩く。

いかにも軽快なランニングスタイル。

普通の街歩きスタイル。

パンダのぬいぐるみスタイル。

僕は30年以上昔の登山シャツと登山ズボン。

最近の登山シャツや登山ズボンは化繊主体の、乾きやすいものに変わっているが、僕のは綿が主体のとてもさっぱりしたもの。

ただし、直接肌に付けTシャツは汗で濡れても冷たくないように化繊のもの。

牛にひかれて善光寺参りにちなんで、時あたかも御開帳で賑わう善光寺まで歩こうというイベント。

この懐古園からの64キロは名付けて苦行コース。

途中の戸倉からスタートするのは27キロの極楽コース。

2015人の振り分けはよくわからない。

僕は終始先頭から20人くらいのところに位置していたからうしろにどれくらいの行列ができていたか知らない。

布引観音では、勇壮な太鼓で出迎えてくれた。

ここで武者姿の先導はおしまい。

勇躍走りだすもの十数名。

僕もその中の一人。

次第に夜が明けてくる。

朝日があたり始めた街を走るのはいい気持ち。

来年の大河ドラマに決まった真田家の城、上田城は最初のチェックポイント。

ちょうどラジオ体操の時間で、たくさんの人たちがラジオ体操をしていた。

ここには真田神社もある。

六文銭がついた赤兜も祭られている。

昔の北国街道の面影が残る海野宿。

ここも朝早いので街はまだ眠っていた。

以前北国街道を踏破したことがある。

その時のように日中は賑わうのだろう。

何人かと抜きつ抜かれつしながら進む。

上山田のチェックポイントでは、受付の開設時間まで40分以上前に着いてしまい、サービスのカレーライスを食べて休憩。

残りの距離は26キロ。

まだ走れる。

途中、戸倉で極楽コースの人たちと合流。

渋滞に巻き込まれ、歩きに変える。

極楽コースの参加者はかなりの年配の人から小学生くらいまで、幅広い。

多分苦行コースの3倍くらいはいるのではないだろうか。

次のチェックポイントは千曲橋。

ここでも受け付け開始までだいぶ待たされる。

残り17キロ。

ここからは千曲川の堤防をゆく。

歩きとはいえ、僕の歩きは速いのでどんどん追い抜いていく。

極楽コースの先頭に出た辺りからまた走りだす。

日も高くなり、気温も上がって来たので、無理をせず歩きも交えて距離を稼ぐ。

旧長野市内への入口、丹波島の橋を渡れば善光寺まで4.5キロ。

車の列が渋滞していた。

善光寺の境内は回向柱に触る為の行列が出来ていた。

人々がごった返す境内を抜け、裏手の城山公園がゴール。

午後1時到着。

ここでも受付開始まで1時間あったが、それでも受け付けてくれた。

完歩賞をもらって苦行終了。

 

 

これは完歩賞ではないが、参加記念にもらったもの。

 

 

翌日(今日のこと)、庭を見ると立った1本だけあるニッコウキスゲが咲いていた。

 

今日の一枚。 

ニッコウキスゲ。

 

この花がたくさん咲いているのは霧ヶ峰。尾瀬。

登りに行きたいものだ。