白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

1月が終わる時に

2015年01月31日 22時38分04秒 | 日記

 人の命を取引に使うなんて最低だ!

殺してみたくて実行に及ぶなんて、人類はコワレテしまったのだろうか。

日本の中も外も、一体どうなってしまったのだ。

アメリカは無差別爆撃で多くの一般人を大量に殺した。

それに対してテロで報復するなんて同じ穴の狢ではないか。

多くの宗教の教義は『殺すなかれ』ではなかったか。

宗教の自由は守られるべきだ。

信じる人は信じればいい。信じない人の自由もあるはずだ。

僕は特定の教義を持たない。

歴史の中で進化してきた知性と理性を信じようとするだけだ。

 

戦争をしないこと、戦争の準備をしないこと。

殺し合わないこと。

そうしたことが、現段階で人類の理性と知性が到達した最高地点だと思っていた。

沖縄では、船の上で、海猿が女性の映画監督に馬乗りになり首を絞めた。

辺野古の基地は戦争準備のお手伝いだ。

軍事費五兆円は、一日百三十七億円。

このお金を福祉や教育に回す方が余程いいことは自明ではないのか。

貧富の格差解消のために使う方が、余程国民を守ることになるのではないか。

 

そんなことをあいも変わらず憤っているうちに、もう一月も終わりだ。

年末にはたくさんの蕎麦を打った。

だが、正直なところ、数をこなす事だけに追われて、気に入ったそばをじっくり打つことができなかった。

そこで、とっておきの玄そばを石臼で挽いてそばを打った。

 

 

この粉はしっとりしている。十割そばも水捏ねで簡単に打てる。

粉が生きている。

 

茹でたては綺麗な薄緑色。

 

 一キログラム二千円の粉も玄そばから石臼で挽いた粉にはかなわない。

そばとおやきは北信濃人のソウルフード。

 

このところ、なかなか本読みも進まなかった。

 

理由はパキスタンやアフガニスタン、そしてマララさんの本に関わったことだ。

イスラム国の人質問題が起きる前、タリバンの非理性的な蛮行とそれに対するマララさんの戦いの本を読んだ。

もちろんマララさんも勇敢で、とても理性的。

それ以上に感銘を受けたのはマララのおとうさんの活動だ。

子供達のためにいくつもの学校を作った。

女の子でも教育を受ける権利がある。学ぶべきだ。

無知からの解放こそが、事態を良い方向に向かわせる唯一の道だと信じた。

その書物が、僕の読書スピードを極度に遅らせた。

興味本位で読み流せなかったのだ。

『舟を編む』はとても面白く、一気に読んだ。

国語辞典編纂に挑む人たちの物語。

面白い人間たちが物語になかに生きていた。

 

 

今回は少し骨休みの意味も込めて、落語本、科学本にした。

雪が降り続いている。

晴動雪読。晴れた日は体を動かし、雪の日は読書。

 

いよいよ、二月がやって来る。

光の春。プロ野球のキャンプも始まる。

冬太りになった体にカツを入れ、始動しよう。


北アルプス後立山連峰が屏風のように

2015年01月19日 15時36分02秒 | 日記

冬真っ盛り。今日も雪が舞っている。

だが、晴れた日には朝日に輝く山々が見える。

単純な風景ではなく、重層的に重なった山々の背景に北アルプスが見える。

槍穂高ももちろんだが、白馬三山、唐松岳、五竜岳、鹿島槍ヶ岳、爺ヶ岳、針ノ木岳、蓮華岳などがここからは近い。

その分、はっきりと見える。

他の山々と違い、銀嶺の峰々には独特の気品がある。

右側の山は元旦に登った飯縄山だ。

 

 

 

 

 

白馬三山の圧倒的な迫力。神々しさ。

右から白馬、杓子、白馬鑓。

今年も夏には縦走に行こう。

 

今は心身と雪が降っている。

 

太郎をねむらせ 太郎の屋根に雪ふりつむ

次郎をねむらせ 次郎の屋根に雪ふりつむ

 

 

 

大好きな三好達治の詩の一節が浮かぶ。

 

 

今のところ無職なので、この機会に園芸や剪定について、基本から学ぼうと通信講座に申し込んだ。

庭園技能講座。受講料47,000円。6ヶ月間。

終了すると庭園管理士という称号が得られる。これは業界内部の資格というか称号で、『これが目に入らぬか』というほどのものではない。

が、持っているとそれなりの泊は付くらしい。

ともあれ、じっくりと学ぶことにしよう。

テキストは4冊。

庭園の定義から歴史、種類などを学び始めたところだが、つい先を急ぎすぎてしまうので、じっくりじっくりを心がけるようにしようと思っている。

一日2時間位のペースで学んでいこうと思う。

 


北信濃の冬の一日

2015年01月12日 21時48分30秒 | 日記

千曲川の川辺から見た飯縄山。

新しい年が明けて十日あまりだが、年末に比べて随分明るい感じがする。

まだまだ寒さが厳しい日々が続くが、それでも太陽は南回帰線からこちらへ向かって帰り始めた。

間違いなく春が一歩々々近づいていると思えば、縮こまってばかりはいられない。

雪で山に餌が無くなったのか、山鳩が我が家の庭にやって来た。

最近よく見るのは雀、シジュウカラ、メジロ、ヒヨドリ、ツグミなどだ。

たまに、名前のわからない鳥が来たりすると飽きもせずに庭を眺めている。

 

部屋の中ではストーブの火が赤々と燃えて、北信濃の冬はこれでなかなか良いものだ。


ふたつの山登り

2015年01月08日 08時08分49秒 | 日記

元日には決めていることがある。

自宅から西の方に優雅に聳える飯縄山。

この山に登り続けて今年は35周年。

標高は1917.4m。今年は雪が多く、ラッセル覚悟で出かけた。

先行者がいて、ラッセルしてくれてあった。ありがたいことだ。

この山は双耳峰で、南方には飯綱神社がある。

 

建物は雪に埋もれていたが、内部は10人くらい休める空間がある。

ここには飯綱三郎天狗が祀られている。

うろ覚えだが、砂粒を大麦に変えて飢饉の村々を飛び回り、人々の苦難を救ったという。

今の政権に、爪の垢でも煎じて飲ませたいような話だ。

35年前、山仲間のkくんがヒマラヤで死んだ。

静かに彼の死を悼みながらこの山に登った。それがこの山の元日登山の始まり。

その後所帯持ちとなり、危険な冬山登山は自粛してこの山を登り続けた。

 

登山口は一の鳥居。

この山は昔修験者の山。

一不動、二釈迦、三文殊、四普賢、五地蔵、六弥勒、七薬師、、、と続く目印も今年は雪の中で見えない。

南峰から北峰への釣り尾根は本日は一名がかんじきを履いて往復したのみ。

他の人はかんじきがなくて沈んでしまいとても行けないとすぐに引き返してきた。

僕はおもむろに、ザックからかんじきを取り出し、本日二人目の北峰登頂者となった。

 

帰りはかなり急斜面なので同行者は尻セードで滑り降りた。

僕はそういう不格好な真似はできないので、オーソドックスなグリセードで降りたことは言うまでもない。

 

 

山の帰りは若槻温泉という小さな温泉で体を温めた。

新年だというので羊の絵が入ったタオルをプレゼントされた。

この温泉はまさに穴場と言える。

湯上りには甘酒のサービス。

このようにして恒例の元日登山は終了。

 

その後は箱根駅伝を見たり、ゴロゴロしたり、本を読んだりと家の中で過ごした。

そろそろ体も動かさねばと、小布施町にある雁田山に登りに行ったのは七日だった。

標高は七八六mと、それほど高くないが、善光寺平の中央を流れる千曲川を挟んで向かい側に飯縄山が見える。

途中までは雪はほとんど無くて、暖かな日差しはもう春を思わせるものだったが、ひとたび風が吹くと、耳が痛くなるほど。

やっぱり冬なんだな。

山頂の展望広場からは小布施の街並みや千曲川、飯縄山、妙高山、等が一望できる。

春になれば、柔らかな風が吹き、カタクリの群落も見られる。

善光寺と別所温泉の北向観音は向かい合っていて、両方に参拝して願いが叶うという。

同じように飯縄山と雁田山は向かい合っているので、飯縄山だけでは片手落ちなのかなと思いつつ登ってきた。

小布施の街は観光客が何人か歩いていたが、この街並みの東にある雁田山にはこの日人影はなかった。

静かな良い山歩きができた。

 

これで、今年は二つの山に登った。

この次は何処の山に登ろうか、などと夢想しつつ雪が残る庭を眺めていると、いろいろな小鳥がやってくる。

 

目白はりんごが好きだ。ひまわりの種もつつく。

庭に来る小鳥は我が家の冬の楽しみの一つ。

 

 

それにしても、今年はどんな年になるのだろうか。

今朝の新聞は軍事費が過去最高の4.98兆円となったことを伝えている。

一日あたり137億円だ。

守ってほしいのは命や暮らしだ。

大砲や戦車で守れるのだろうか。

 

僕らは爆弾を抱えたまま生きていくことはできない。

安全でないことが明らかになった原発が再稼働だなんて、一体何を考えているのやら。

 

貧富の格差がますます広がっている。

強食弱肉の極めて野蛮な社会に戻っていくようだ。

 

儲けだけが至上命題の資本主義という社会体制は、もうすでに耐用年数を過ぎているのではなかろうか。

どんなに繕ってみてもあらゆるところから綻びが次々と。

今のままでいい、という人はどれくらいいるのだろう。

この道を強引に突き進めば、崩れ落ちた鉄橋にしか差し掛からない。

墜落するだけだ。

 

知らなければそれで良かった。

知ってしまったばかりに現状には我慢できなくなった。

例えばドイツ。

ナチズムは今でも免罪されない。

ところが日本はどうだ。

軍国主義の亡霊共がのさばっているではないか。

ドイツは原発からの脱却を決めた。

日本は再稼働を目論んでいる。

世界に目を向ければ、今よりマシな社会システムを構築している国がある。

それに学んで、猿真似でないもっとマシな日本の社会システムの構築を目指す時だ。

諦めてはならない。