暑すぎる日々、六十代最後の誕生日を迎えた。
記念にどこかの山に登ろうとふと思った。前日のことなので、準備も、気持も整っていない。
コロナ禍で、北アルプスまで出かける気はしない。
そこで頭に浮かんだのは、志賀高原の岩菅山から裏岩菅山。
この山域はスキーブームの時の開発や、長野オリンピックの会場から辛うじて逃れた奇跡の山だ。
スキーブームが去った後の志賀高原は夏場に行っても活気が感じられず、かつてのようなリゾート地の輝きはない。
登山口の聖平登山口まで約一時間で行ける。
ツーリングも兼ねて、愛車セローで行く。このところ自転車に乗ることが多くなって、セローの出番は少ない。
九時の登山口には車が四台。長野ナンバーの中に一台栃木ナンバー。
別に他県ナンバーを排斥する気持ちはない。確認するのは山の認知度を探るためだ。
聖平登山口。標高千五百三十五メートル。
しばらく、樹林帯の中、丸太の階段が続く。歩きやすい。
岩菅山までの中間点、だそうだ。
のっきりというちょっと滑稽な響きを持つ地点は、東館山方面からの登山道との合流地点。樹林帯を抜け、岩菅山が姿を現す。
振り返れば美しい山稜。
次々と迎えてくれる花々。
山頂はもうすぐ。
佐久間象山ゆかりの神社に無心で頭を下げる。
この山頂は、二十数年前、開山祭が行われていた頃、何度も参加していたものだが、このところご無沙汰している。
神社の脇に咲く花。
登る途中に、別々に下山して来る男性登山者とすれ違う。
男女のパーティを追い越し、山頂で別の男女のパーティに出会う。
これで、車四台分の勘定が合う。
ここから先の裏岩菅山までは誰もいない。貸し切り状態。
岩菅山は標高二千二百二九十五.三メートル。裏岩菅山はそれより四十五、七メートル高い二千三百四十一メートル。志賀高原の最高峰。
多くの登山者はこの岩菅山で引き返すが、実はこの先こそが岩菅山の一番いいところだ。
予想がガラッと変わり、雲上のプロムナードとなる。
途中にあった。
文字も消えかけた裏岩菅山の看板。
ひっそりとしたこの山にけばけばしいものは似合わない。
ここまで
ここまで、無補給でおよそ二時間。
昔の人間なので、『水は喉が渇く前にちびちび飲むべし』『休憩は取るべし』『ストックは使うべし』という現代の教科書には従わない。
遠くは霞んで良く見えないが、焼額山が目の前に見えていた。この山もオリンピックで開発されてしまった山だ。山頂には美しい池塘があり、ウメバチソウが清楚に咲いていた。
時折霧が流れ、爽やかな空気を運んできた。
この山頂に一人いると山と一体になった気がする。
さて戻ろう。
岩菅山に戻り、避難小屋を覗いてみた。
この小屋は、四十年以上前、越年登山で泊まったことがある。
あの年は大晦日でも雨が降った。今では珍しくないが、当時はびっくりしたものだ。
中は大分きれいになっている。
一晩中火を燃やして過ごした山小屋の一夜を懐かしく思い出した。
登山口に帰り着くと丁度一時だった。
四時間の自分だけの登山。
歩く速さを意識する必要もなく、景色と花と登山道と体の反応だけに意識を向けられるゴールデンタイム。
前日北海道の娘から、アメリカ製の水筒とナッツの行動食がメッセージとともに届いた。
帰宅後、家族が誕生祝をしてくれた。