白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

長野オリンピックの開発から逃れた奇跡の山 岩菅山から裏岩菅山へ

2020年08月22日 20時08分31秒 | 日記
暑すぎる日々、六十代最後の誕生日を迎えた。
記念にどこかの山に登ろうとふと思った。前日のことなので、準備も、気持も整っていない。
コロナ禍で、北アルプスまで出かける気はしない。
そこで頭に浮かんだのは、志賀高原の岩菅山から裏岩菅山。
この山域はスキーブームの時の開発や、長野オリンピックの会場から辛うじて逃れた奇跡の山だ。
スキーブームが去った後の志賀高原は夏場に行っても活気が感じられず、かつてのようなリゾート地の輝きはない。
登山口の聖平登山口まで約一時間で行ける。
ツーリングも兼ねて、愛車セローで行く。このところ自転車に乗ることが多くなって、セローの出番は少ない。


九時の登山口には車が四台。長野ナンバーの中に一台栃木ナンバー。
別に他県ナンバーを排斥する気持ちはない。確認するのは山の認知度を探るためだ。


聖平登山口。標高千五百三十五メートル。


しばらく、樹林帯の中、丸太の階段が続く。歩きやすい。








岩菅山までの中間点、だそうだ。







のっきりというちょっと滑稽な響きを持つ地点は、東館山方面からの登山道との合流地点。樹林帯を抜け、岩菅山が姿を現す。













振り返れば美しい山稜。

次々と迎えてくれる花々。

山頂はもうすぐ。


佐久間象山ゆかりの神社に無心で頭を下げる。
この山頂は、二十数年前、開山祭が行われていた頃、何度も参加していたものだが、このところご無沙汰している。



神社の脇に咲く花。



登る途中に、別々に下山して来る男性登山者とすれ違う。
男女のパーティを追い越し、山頂で別の男女のパーティに出会う。
これで、車四台分の勘定が合う。
ここから先の裏岩菅山までは誰もいない。貸し切り状態。
岩菅山は標高二千二百二九十五.三メートル。裏岩菅山はそれより四十五、七メートル高い二千三百四十一メートル。志賀高原の最高峰。
多くの登山者はこの岩菅山で引き返すが、実はこの先こそが岩菅山の一番いいところだ。
予想がガラッと変わり、雲上のプロムナードとなる。






途中にあった。



文字も消えかけた裏岩菅山の看板。
ひっそりとしたこの山にけばけばしいものは似合わない。


ここまで


ここまで、無補給でおよそ二時間。
昔の人間なので、『水は喉が渇く前にちびちび飲むべし』『休憩は取るべし』『ストックは使うべし』という現代の教科書には従わない。
遠くは霞んで良く見えないが、焼額山が目の前に見えていた。この山もオリンピックで開発されてしまった山だ。山頂には美しい池塘があり、ウメバチソウが清楚に咲いていた。


時折霧が流れ、爽やかな空気を運んできた。
この山頂に一人いると山と一体になった気がする。

さて戻ろう。

岩菅山に戻り、避難小屋を覗いてみた。
この小屋は、四十年以上前、越年登山で泊まったことがある。
あの年は大晦日でも雨が降った。今では珍しくないが、当時はびっくりしたものだ。

中は大分きれいになっている。
一晩中火を燃やして過ごした山小屋の一夜を懐かしく思い出した。

登山口に帰り着くと丁度一時だった。
四時間の自分だけの登山。
歩く速さを意識する必要もなく、景色と花と登山道と体の反応だけに意識を向けられるゴールデンタイム。

前日北海道の娘から、アメリカ製の水筒とナッツの行動食がメッセージとともに届いた。
帰宅後、家族が誕生祝をしてくれた。




















山の日 志賀高原のシンボル笠岳へ

2020年08月12日 19時48分45秒 | 日記
山の日、遠くの山へは行かない。多分混み合うと思うから。
わが村の裏山ともいえる笠岳へ行くことにした。
それでも標高は2,076メートルある。立派な二千メートル級の山。この山は清水栄一氏の信州百名山のひとつ。遠く日本海からもドーム型の山の姿が、空気の澄んだ日には見えるという。
この山は車で1,900メートル位まで行けるので、30分もあれば山頂に立てる。

夏の雲と秋の雲が同居している。

峠の茶屋はお休み。

フジバカマにアサギマダラ。


花はいつも心のカンフル剤。

元旦にいつも登っている飯縄山も霞んでいる。

急な階段が続く。

雲が流れる。

山頂の笠岳神社。

さすがに山の日。

定位置。
向こうに見えるのは横手山。

この笠岳の麓には山田牧場が広がる。
スキー場もあるのだが、昨今のスキーブームの終焉で青息吐息の状態。牛の放牧も数が減り、この地区の旅館や飲食店の経営も大変らしい。
この山田牧場に、足湯を作り、ドッグランも整備して観光客を呼び込むという計画を村当局が計画した。なんと1億1千万円掛けるという。
そんなことをしても観光客が増えるとはとても思えない。愚策としか言いようがない。
ここには素晴らしい自然がある。だが、ここから滋賀草津道路に抜ける林道が今年いっぱい通行止め。これではなかなか足が向かない。
温泉もある。日本のサンモリッツともいわれたこの山田牧場はとてもいいところだ。






密かに ささやかに 八月のそば教室

2020年08月10日 08時42分14秒 | 日記
数人に声をかけ、地区の住民センターを使って五月から始めたそば教室。
八月は九月の第二日曜日に開いた。
コロナ禍の元、密集、密閉、密触は避けなければならない。
これまでの参加者は二~三人。
今回は初めて四人の参加となった。
初めてという人はいないので、手際よく準備は進む。
親子で参加されたOさんは自前の道具を購入し、やる気満々。
二回目の参加のNさんは奥様の父が手作りしたという麺棒を持参。この麺棒は断面が少し円ではない為、気長に紙やすりで修正するようアドバイス。
そばの栄養と効能について記したプリントを元に簡単にウンチクを語るが、早く打ちたいという雰囲気がアリアリなので、さっそく粉の計量から。
Oさんは八ヶ岳、Nさんは黒耀という銘柄を選択。ともに高山製粉の粉で初心者でも打ちやすい。
二八そばなので、そば粉四百グラム、中力粉百グラム。加水率は四十四~四十五パーセントなので、二百二十、二百二十五㏄を用意。そば打ちは加水の一グラム多い少ないが致命的な結果を生みかねない。

水回しが始まる。
一次加水で八十パーセントの水を加えて掻き回す。
この作業の良し悪しが決定的な結果をもたらす。
そば粉は小麦粉と違い水を吸ったら離さない。手早く均一に水を回すことがポイント。

これから練りの行程。

丸延し。

麺棒を使っての丸延し。


麺棒で̚角出し。


延し。

切り。なかなか細く切れない😥 

自分で打った蕎麦の味は格別😁 

自分でも脇で打ちながらの撮影なので所々しか写せなかった。
今回はゴマダレにした。おいしい。本当は氷を用意して締めればもっとおいしくなるのだが。次回考えよう。

それぞれ、自分の打ったそばを試食した。
Nさんは家で奥様が家で湯を沸かして待っているという。奥様も蕎麦が大好きだという。

今回で四回目だが、改めて気が付いたことがある。
自分では何気なくやっていることが、慣れない人にとっては案外むずかしいということがある。
指を立てての水回し。菊練り。角出し。猫手での延し。細く均一に切る事。
改めて結構技術を要することなのだなと。
ほとんど先生というべき存在を持たない自分にとって、教えるのはむずかしいことなのだなと。
そういう点では、教えてもらっている。謙虚でなければならない。相手をリスペクトすること。そば打ちを通して交流し、ともに腕を磨いていくこと。
同じ粉、水を使い、同じ時間茹でる。とてもシンプルだ。ところが、打つ人によってまるで違ったそばになる。陶芸のように形で決まるものではなく、味わい食感、いわゆる旨さが違ってくる食べ物を他に知らない。




飯のメニュー。
ナスのおやきは郷土食。十個以上は食べられる。別腹だ。






七夕メニュー

2020年08月06日 21時15分43秒 | 日記
今日はもう立秋。
そして旧暦の七夕。
空を見上げると、織姫と彦星のあいびきは雲に隠れて見えない。
子どもの頃のように、大きな竹に飾りつけをすることはなくなったけれど、やっぱり夏の風物詩、ささやかな七夕メニューで夕食。
そうめんと、畑で採れた野菜のかき揚げ、漬物、生野菜、モロコシ。
デザートは北海道のマスクメロン。

北海道にいる娘が送ってくれたものだ。
とても自分では買えない超高級品。
北海道のメロンといえば、決まって思い出す。
『男はつらいよ 寅次郎相合傘』の中で、船越英二扮する兵頭から届いたメロンを巡る騒動のことを。
居れば迷惑極まりないこの男が、居ないと何故か気になり懐かしくなる。渥美清がなくなってもう二十五年が過ぎる。おいちゃんも、おばちゃんも、御前様もみんな旅立った。
もうお盆も近い。旅立った人々を偲ぶのもいい。
昨日は広島の原爆忌。
黒い雨裁判がやっと被害者の救済に道を開いた。
終戦から七十五年になる。
裁判関係でもう一つ、安曇野市の介護施設、あずみの里でドーナッツをのどに詰まらせて死亡した事故で准看護師の責任が問われ、一審で有罪になっていたが、二審で無罪判決となった。介護施設の職員たちはいつ自分に降りかかって来るかと戦々恐々として委縮していた。そもそもその職に就くことそのものが敬遠されていた。
自分も無罪にするよう署名に参加していたので、この判決はうれしい。
八月は、キラキラした透明なイメージとともに、原爆、終戦、お盆と、意外と近くに死があることを意識する月でもある。

話は逸れたが、北海道のメロンは甘くておいしかった。

我家の畑でも毎日いろいろな野菜が採れる。
これは昨日の昼メニュー。
この時期、やっぱりそうめんは定番。

畑に熊が出たらしいという情報が入った。
近所のトウモロコシが荒らされたという。
うちのそば畑に足跡があるという。
大きさからみて熊に間違いないらしい。
幸い我が家のトウモロコシは無事。
山際とか川の縁には電柵が設置されているが、どこか抜け道があるらしい。

午前中は真面目に草取りに精を出した。


畑の縁に花畑を作ってあるが、マリーゴールドが繁殖して、他の花が咲けない。
密を防いで適度な空間を作らねばなるまい。
秋作の苗作りや土作りもそろそろやらねば。
八月、夏山へも幾つか行ってみたい。
色々と忙しいこの月、自分は一つ歳を取る。

細胞の隅々まで蘇った気がする 久々の火打山

2020年08月06日 20時14分23秒 | 日記
長かった雨の季節。
今も続くコロナ騒ぎ。田舎暮らしにはさほど影響はないけれど、さすがに高い山には気楽に出かけられない。
ほどほどに高くて、ほどほどに混雑していないだろう山として、火打山を選んだ。
深田百名山のひとつ。標高は2,462メートル。日本ではこれより北にこの高さを超す山はない。
朝3時半に自宅を出た。
車で約1時間半、登山口の笹ヶ峰に着いた。笹ヶ峰は深田久弥が『おそらく日本で最も美しい高原のひとつ』と呼んだ。
朝5時の駐車場には県外ナンバーの車が何台も並び、平日ではあるが、人が来ているのだなあと思う。
登山口で登山届を提出。何人かが出発準備をしている。既に登っている人もいるようだ。
ブナの森を抜け、木の歩道が敷かれた道を登る。
ブナは特別な樹だ。森の進化の最終形。安定した豊かな森のシンボル。
とうとうと水が流れる黒沢橋。そのあとに出てくる十二曲がり。急坂を登り切ったところにある富士見平。どれもみんななじみの場所だ。
ほぼ平坦な草原を辿れば、まばらな林の中に見えてくる三角屋根。高谷池ヒュッテだ。思い違いだろうか。昔は赤い屋根だったような気がする。今は自然に溶け込んだ焦げ茶色。
テント場にはテントが数張り。北アルプスとは違い、テント場の予約までは必要ないそうだ。
生まれ変わったら、天狗になってここに住みたいと書いていた人が居る。分らんでもない。
キラキラした短い夏。草紅葉に染まる秋。天井の楽園。
ただ、一年の半分は深い雪の中だ。冬にはどこか別荘が必要だ。














湿原にはワタスゲが咲き、目の前にはたおやかな火打の姿や、ドーム型の焼山。それらを映す水面。





もはや言葉などいらない。
山に来て、細胞の隅々まで生き返った気がする。
長距離の運転を二日続けた後遺症で、腰痛が続いていた。
それも山に来れば直る。

ここを登れば山頂。山の上の大きな平地にもう一つ山が乗ったような火打山。

何となく日本海が見えるような...。
白馬三山も雲の上に見えていた。

槍の姿も見えていた。何か呼ばれているような気がした。

山頂まで三時間。気持ち良い汗をかいた。

下りは走りも入れて二時間ほど。

登山口にはこれから上る人の姿も。

下山後、途中にある温泉に立ち寄ったが、あいにくの定休日。
仕方がないので近くのランドマークなんたらという施設で入浴。基本的にカタカナ名前や大きな施設の温泉は好きではない。鄙びた山の湯が好きだ。

半日の山旅だったが、久々の山を堪能した。
さて、次はどの山にしよう。