白樺小舎便り(しらかばごやだより)

北信濃の田舎暮らしの日々

第5回甲州街道の旅

2018年12月22日 20時35分15秒 | 街道歩き

 

日本海側と違って、太平洋側はまるで別の国に来たようだ。空が青い。

甲州街道の旅も第5回。

飯山線の立ヶ花駅から長野で乗り換え、中央線で出発点の竜王駅まで行った。

 

 

 

 

 

 

朝一番に乗っても鈍行では到着が10時40分になる。

 

北国街道、中山道、東海道と歩き、今は甲州街道を江戸に向かって歩いている。

何故そんなことをしているのかなど、もはや考えない。

あるくことが楽しいだけだ。冬は山登りを控えているので、その代わりに歩いている。

何にしても、この辺りの街道筋にはもう昔の面影はほとんどない。

それでも知らない土地に風物を目にするのは楽しい。

 

甲斐駒、鳳凰三山、北岳、富士山も大きく見えた。

 

 

冬、こんな天気の下に居たら、人間の性格も雪国とは違うのだろうなとしみじみ思った。やたら明るかった。

 

この日の予定は石和温泉駅までの十数キロの距離。

 

 

甲府はとても暖かで、手袋も必要なかった。

 

 

甲府名物のほうとうが、この旅の楽しみのひとつだった。

ミレーの落ち穂拾いがるという山梨県立美術館の近くにその店はあった。

 

この店の名前は甲府の駅近くにあって、一度入った記憶がある。

 

ちゃんこほうとう。

 

きのこほうとう。

 

その土地でしか食べられないものを味わうようにしている。旨かった。

 

甲府の駅もすぐそばだがスルー。

 

何故なのだろう。ゆったり流れる川があるとつい写真に撮ってしまう。

 

多分江戸時代から続いているのであろう問屋街で、来年の干支の手ぬぐいを見つけた。

元旦の飯綱登山の後に入りに行く温泉で、年始に暮れるタオルもこのようなものだ。来年はどんなイノシシのタオルをもらえるのだろう。

 

メインの街道筋を歩き続け、石和まであと5キロの看板が出てきた。

 

この辺りには山梨学院大学の建物がたくさんあった。

つくばのような学園都市なのだろうか。

 

帰りの電車の時間までゆとりがあったので、デニーズで一休み。

 

 

 

 

 

 

 

石和温泉街に到着。

 

 

川のほとりに河童と笛吹童子の像。

 

石和温泉駅の横に、足湯があったので、30分ほど足を浸けた。

 

この駅のホームの待合室に行くと、椅子の上に財布が落ちていた。多分すぐ前に出た特急に乗った上極のものに違いない。慌てて改札の駅員に届けた。

落とした人は青くなっているだろうと思うと、何とか電車に連絡を取って、車内放送でもしてくれないものかと思った。果たしてそこまでやってくれるものだろうか。落とし主が問合わせないと、駅からはアクションを起こさないのだろうか。他人事ながら気になった。

 

到着駅の立ヶ花に着くとあたりはすっかり暗くなっていた。時刻はまだ19時30分。夏ならまだ明るいが、今は最も昼の時間が短い。

 

次回は年明けになる。

鈍行の旅をモットーにしているので、現地までの往復で8時間くらいかかるのではそろそろ現地での宿泊も考えなければならない段階になってきた。

石和温泉駅から勝沼ブドウの郷駅までの十数キロが、日帰り旅の最後となる。

江戸まであと133キロ余りだ。

 

この旅は12月19日だった。

今は12月22日、冬至。七十二候では『乃東生(なつかれくさしょうず)』。夏枯草が芽を出すという意味だ。

こんな暗く寒い季節の中でも自然界では新しい季節に向けた準備が進んでいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


第2回甲州街道歩き すずらんの里駅~信濃境駅

2018年02月07日 21時12分23秒 | 街道歩き

 

諏訪湖に御神渡りが出来たというニュース。

これは見に行かねばなるまい。

ついでに甲州街道も歩いて来よう。

諏訪サービスエリアから見る諏訪湖は全面結氷していたが、御神渡りらしい筋は化すあに見えるだけ。

車で前回歩き終えたすずらんの里駅まで行った。

すずらんで有名な入笠山の最寄り駅だ。

少し離れた国道20号線。ここが甲州街道。

お世話になっている街道歩きの先人に倣ってマンホールの撮影。(面識はないけど)

入笠山には富士見パノラマスキー場があり、斜面で滑っている人の姿が小さく見えた。

両側の畑にはせきせつがあったが、道路はおおむね乾いていた。

国道から外れる場所もかなりあって、のどかな田舎の風情を醸していた。

これはいかにも昭和の、僕らが子供だった頃に見た風景。

昭和も遠くなりにけりだ。

平成ももうじき終わる。

天皇に合わせて元号を変えるのはそろそろ終わりにしてはどうかな。

天皇個人の問題にしても、たまたまそこの家系に生まれたというだけで、生涯を縛り付けられてしまうなんて変だ。

今の天皇に悪感情は持っていないし、前天皇の贖罪を立派に果たしている方だと敬意すら覚える。

もう、人類史の発展段階として、そろそろそういう制度をなくしてもいいんじゃないかな。

まあ、ともかくものんびりと歩こう。

僕の住む北信濃の地は、一応日本海気候の影響下にあることになっている。

だが、コウモリのように、時によっては太平洋気候の影響下に入る。

なにしろ、すぐ東側は志賀高原の山があり、噴火したばかりの本白根山から向こうは関東平野だ。

だけどやっぱり、この諏訪盆地に比べれば、空が暗い感じがする。

立春になり、日差しが強くなったこともあるが、乾いた空気の中で空が底抜けに明るい。

これが、その地に住む人の気性にも影響を与えるのだろう。

街道を歩いていると、民家の庭にいたおじさんが声をかけてきた。

街道歩きのテレビ取材があった時、案内役をしたという。

一里塚の大きなケヤキの木を見て来たかと問う。

それは前回見てきたところだ。

単なる田舎ではなく、甲州街道という何百年も続く街道筋に暮らしてきた人として、街道歩きをする人に声をかけずにはいられないのだろう。

右側に里山とは違うギザギザの山が見えた。

地図で確認したわけではないので確かなことは分からないが、これは多分、鋸岳ではないだろうか。

信州百名山にも数えられている。また今度登らねばなるまい。

遠くに富士山が見えた。

ここは富士見町だ。

古い宿場の風情を感じる建物が続く。

駅から駅までの行程で旅を組み立てている関係で、今日の予定は十数キロの歩き。

少し軽すぎるが、中央線は近づいたり離れたりしてうまくいかない。

甲州街道からは2.6キロほど横にそれるが、信濃境駅までと決めた。

コンビニもなく、飲食店の看板もない。

お腹も空いて来たころ、ドライブイン赤石という店があった。

味噌ラーメンと餃子でホッと一息。

道端で見つけた福寿草。春なんだなあ。

街道歩きのガイドブックを作っているわけではないので、宿についての詳細は記すつもりはないが、看板には蔦木宿とある。

この辺りが、信州の終わりなのだろう。

一応、蔦木宿本陣の写真。

少し先に道の駅蔦木宿。

ここには温泉もあったが、歩き終わった後下諏訪温泉に立ち寄ることにして、甲州街道はここまで。

この先数百メートルで信州から甲州に入るはずだ。

ここからは少し戻って信濃境駅に向かう。

 

 

南八ヶ岳の編笠山、権現岳が近くに見えた。

多分、今年は雪が少ないのではないだろうか。

かなり急な坂道を登って信濃境駅に向かう。

僕は見なかったが、青い鳥探してというドラマのロケ地になったらしい。

標高は900メートル以上あって、夏にくれば、いかにも高原の駅という感じでいいんだろう。

甲斐駒ヶ岳の雄姿が斜めになった冬の太陽光線に浮かんでいた。

2時13分発の松本行の列車がやって来た。

さあ、戻ろう、現代へ。北信濃へ。

 

この旅は立春の2月4日だったが、ブログにアップするのが今になってしまった。

もちろん、自分がずぼらだというのが大きな原因だが、もうひとつの言い訳がある。

僕は基本的に写真を多用したブログを書くのを潔しとしない。

だから、本当の事を言えば、写真は3枚から5枚に収めたかった。

だが、どうしても写真を選びきれなかった。

不本意ながらこのような仕儀と相成った。

自分は、、、、古い人間でございます。

 

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本日の走行距離 9.01km   1月の走行距離 120.42km 2月の走行距離 28.78km  本年の走行距離 149.20km

恐怖の30日チャレンジスクワット 7巡(7クール) 16日目 155回

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新たなる旅立ち いざ江戸へ

2018年01月21日 20時10分20秒 | 街道歩き

 

 

東海道の旅を終えて、今度は下諏訪から日本橋に向け甲州街道を出発した。

中山道と甲州街道の合流点が旅の始まり。

甲州街道中山道合流点の碑が建っている。

すぐそばには塩羊羹で有名な新鶴という老舗の和菓子屋さんがある。

塩羊羹といくつかの和菓子を買った。

旅先で古い和菓子屋さんがあると立ち寄ることにしている。

地方地方の珍しい和菓子は旅の疲れをいやしてくれる。

諏訪湖に来ても普段は通ることのない少し高台の街道はとても静かで、遠い昔の空気を漂わせているようだ。

3月頃の暖かさの中、眼下にのどかな諏訪湖が見えた。

一里塚も残されていた。

日本橋まで200km以上の道のりだが、東海道、中山道と比べれば半分以下だ。

中央線に大体沿っているので、交通の便も悪くない。

下諏訪までは車で行って、駅近くに駐車しておくことにした。

この下諏訪をベースにすれば、あとは中央線経由で行き来すれば何とかなりそうだ。

古い街道に欠かせない蔵もある。

 

途中にアララギ派の歌人、島木赤彦の生家があった。

なかなかにいい感じ。

 

昔ながらの古いリュックサックを背負った旅人が急ぎ足で通り過ぎた。

 

諏訪には作り酒屋が沢山ある。

左党にはこたえられないだろうが、ぼくはアルコールには弱いのでそのまま通り過ぎる。

 

茅野駅まで歩き、近くのお店で昼食。

八ヶ岳ラーメンという、ご当地っぽいラーメンを注文。

あっさりさっぱりのラーメンで、ぼくの好みに合っていた。

油ギトギトのラーメンはできれば敬遠したい。

八ヶ岳連峰が見えた。

雪がとても少ない感じだ。

 

和菓子屋があり、うぐいす餅などの和菓子を購入。

となりのおかめ神社で一休み。

道反対には、貧乏神神社があるという。

触らぬ神に祟りなし。行かない。

 

歩き続け、一里塚の立派なケヤキが落ち始めた太陽の弱い陽射しに照らされて黒い影を作った。(写真は横向きのまま。すまぬ。)

 

八ヶ岳の南部、編笠山、権現山(多分)が残照に浮かび上がった。

 

本日のゴールはすずらんの里駅。

この日歩いた距離は30.49km。

天気に恵まれ、景色も良くて、気分の良い街道歩きが楽しめた。

 

JRで下諏訪駅まで戻り、温泉に向かった。

この地は温泉天国で、たくさんの温泉がある。

チョイスしたのはこの温泉。

入浴料が230円というのがうれしい。

少し集めの湯が疲れた体をほぐしてくれた。

早くも第2回の甲州街道歩きの予定を立て始めている。

 

 

 

 


旅の計画

2018年01月17日 22時46分16秒 | 街道歩き

東こまかい海道を歩き終えた今、次の旅をしたくて目標を甲州街道(甲州道中44次)に定めた。

下諏訪から日本橋までの210.8kmの行程だ。

東海道に比べるとわが家からの交通の便がいい。

旅立ちの日をこの20日と定めて、こまかいルートやら時間の設定をしている。

最初の予定は車で下諏訪まで行き、中山道との分岐点から歩き始める。

上諏訪を越え、金沢宿の先にあるすずらんの里駅までおよそ22kmを歩く。

JR中央線で下諏訪駅まで戻り、車で帰宅する。

しばらくは日帰り旅で間に合うだろう。

この季節、日本海側の気候と太平洋側のはざまにあるこの地では、明るかったり暗かったりするのだが、

下諏訪から甲州にかけては太平洋側の気候は勝り、ずいぶん明るい感じがする。

諏訪湖も今年は氷が張って、もしかすると久しぶりの御神渡りが出現するかもしれない。

この旅は青春18切符を使わなくても何とかなるし、東京近辺に近づくまでは日帰りも不可能ではない。

今年中には完歩したいものだ。

 

雨の日だったので、久しぶりにプールに行った。

平泳ぎ、クロール、あおむけに浮かんでのカエル足泳法、水中ウォーキングを少しずつやって、合計40分ほどプールに入っていた。

泳ぎも実際にやってみると、余分な力が入るのか結構疲れるものだ。

あまり長くやってプール嫌いになるといけないので、早めに切り上げる。

子供の頃は、夏休みの間中プールで遊んでいたものだ。

休みの日が次第に残り少なくなり、空があまりにも青く、雲がくっきりと白いことに何かしら言いようのない不安を感じていたあの日々。あれはいったい何だったのだろう。やり残した宿題のせいばかりではなく、あまりにも単純すぎる風景の中で、漠然とした将来への不安を感じていたのかもしれない。

友達と潜って石を拾う遊びやボール投げなどをして遊んでいて、休憩の時間になり、プールサイトに上がると、どの場所にいても決まって向かい側のサイドに同じ女の子が座っていることにいつか気が付いた。

だが、僕は気が付かないふりをしていた。

そんなことなどを、取り留めもなく思い出す。もう半世紀も昔のことだ。

みんなあれからどんなふうに人生を生きたのだろうか。

年月の過ぎるのは早いものだ。

阪神淡路大震災の日からもう23年が過ぎる。

復興は進んでいるのだろうか。

いつか神戸の街も訪れてみようと思っている。

この1995年は地下鉄サリン事件も起きた。

1998年の長野オリンピックからも、ついこの間だと思っていたが20年が過ぎる。

僕も爺さんになるわけだ。

爺さんは爺さんなりにがんばろう。

 

 

 


東海道完歩

2018年01月07日 12時47分40秒 | 街道歩き

 

 

 

2013年の2月のことだ。

僕らが日本橋から三条大橋に向けて旅立ったのは。

中仙道を歩き終え、意気揚々と東海道を西に向かった。

箱根駅伝でおなじみの横浜権太坂、大磯の海岸と何度かの遠征で順調に進んでいた。

ところが、翌年の春、我が家にとってはとても大変な出来事が持ち上がった。

東海道歩きは2年間凍結された。

ようやく、一昨年の秋、大磯から箱根湯本駅まで歩くことができた。

その後、箱根越えは後回しにして、三島から駿河、尾張、伊勢、近江と歩き継いできた。

昨年の夏、待望の箱根越えをした。

その時、芦ノ湖の箱根駅伝のゴール、スタート地点や、駅伝ミュージアムを見た。

箱根駅伝がぐっと身近になった。

この正月、残された水口~石部~草津宿を歩きに出かけた。

青春18切符を使う旅だ。往きに一日、帰りに一日かかる。

歩くのに一日、約三十キロの歩き旅。

早朝の駅はすっかり雪景色。

飯山線、篠ノ井線、中央線、東海道線と鈍行を乗り継ぎ、草津のホテルに着いたのは陽が落ちたころ。

翌日、JRと近鉄を乗り継いで、水口宿に着いた

水口から石部、草津の街道は昔の面影が色濃く残っていた。

道幅も広くはなく、今は静かな住宅街と言った趣。

僕らの他には、一組の夫婦らしき男女が街道歩きをしていた。

色々な歩き方がある。

僕らはどちらかというと、史跡や名所を見物するというより、歩くことそのものが主目的だった。

山登りが冬の間は思う様にできない。

それなら、代わりに街道歩きをしようと始まった。

軽井沢の追分から出雲岬までの北国街道、約250キロ。

次に中山道、約500キロ。

そして東海道、約500キロ。それがこの旅で完歩する

この辺りはひょうたんとか、かんぴょうの産地だという。

大きなミカンの実が、北国から来た身には珍しかった。黄色が馬鹿に鮮やかに見えた。

草津名物のうばがもちやに立ち寄ってお土産を買った。

このうばがもちやは、信長の頃から続いているという。

僕らの旅は、その土地の和菓子屋さんに立ち寄り、珍しい和菓子を買うという楽しみもあった。

試食に出された、柔らかい餅を餡に包んだうばがもちは、上品な甘さが疲れた体と心に沁みた。

もうゴールは近かった。

中仙道の時に、草津から三条大橋までは歩いているので、この中山道との合流点が今回のゴールとなる。

左 中仙道美のぢ

右 東海道いせみち

この道標を見て中山道を歩いたのはもうずいぶん昔のような気がした。

そして、かみさんと握手はしたけれど、前回のような感動は沸いてこなかった。

もう、歩けば、歩き続けさえすれば、たどり着けるということを、わかり切っていたからなのか、大きな達成感はなかった。


この夜、彦根のホテルに泊まり、外へ夕食を食べに出た。

そこで、ビールでささやかな乾杯をした。

終わってみれば、もう次の旅のことを考えている。

確かに違う風物を見て、違う場所へと旅していた。

だが、それだけでなく、違う時間へと、過去へと重層的な旅をしていたのだと、しみじみ思う。

そしてもうひとつ、自分の内面への旅もしていた。

時には目の前に、やじさんきたさんが前後して歩いていた。またある時には落語の抜け雀に出てくる無一文の絵かきが歩いていた。

浪人者や、腰元風の女連れや商人、飛脚、時には明治維新の薩摩や長州、土佐の坂本などが歩いていた。そんな空間の中を旅していた。

還暦を幾つか過ぎ、残された時間はそんなに多くはない。だが、多分短すぎることもない。

これから、何をなすべきなのだろう。そんな問いをいつも抱えながら生きてきた。

草津駅前で、ハンドマイクで憲法を守ろうと演説している一人の女性を見た。

思わず激励と握手をしにいった。

どちらかと言えば、ひっそりと好きなことをして片隅で生きることに志向が向く我が身には、とてもまねができない。

庶民が平和に、しあわせに暮らしていた時代への重層的な旅はしてみたいが、あの暗い戦争の時代への逆戻りはしたくないものだ。


今夜は七草がゆを食べた。

明日から、通常の暮らしに戻る。

さっそくどんど焼きの櫓作りの仕事がある。

夜にはひとつ会議が入っている。

実家の不動産処分の相談や手続きも進めなければならない。

年末に送れなかった、息子夫婦と孫ちゃんに、手打ちそばを打って送ってあげよう。

せっかくプールデビューしたのだから、少なくとも週に3。日くらいは通おう。

雪が消えていれば、千曲川の堤防に、ランニングに行こう。

図書館に本を探しに行こう。

隠れ家兼工房をもっと快適にするために、道具類を収納するための小屋を作ろう。

そろそろ、リンゴの選定が始まっている。枝をもらってきて、庭のリンゴの木に接ぎ木をしよう。

そして、この年末年始で増えた数キロの体重を落とそう。


こんな風にして僕の生活は日常に戻っていく。