日本海側と違って、太平洋側はまるで別の国に来たようだ。空が青い。
甲州街道の旅も第5回。
飯山線の立ヶ花駅から長野で乗り換え、中央線で出発点の竜王駅まで行った。
朝一番に乗っても鈍行では到着が10時40分になる。
北国街道、中山道、東海道と歩き、今は甲州街道を江戸に向かって歩いている。
何故そんなことをしているのかなど、もはや考えない。
あるくことが楽しいだけだ。冬は山登りを控えているので、その代わりに歩いている。
何にしても、この辺りの街道筋にはもう昔の面影はほとんどない。
それでも知らない土地に風物を目にするのは楽しい。
甲斐駒、鳳凰三山、北岳、富士山も大きく見えた。
冬、こんな天気の下に居たら、人間の性格も雪国とは違うのだろうなとしみじみ思った。やたら明るかった。
この日の予定は石和温泉駅までの十数キロの距離。
甲府はとても暖かで、手袋も必要なかった。
甲府名物のほうとうが、この旅の楽しみのひとつだった。
ミレーの落ち穂拾いがるという山梨県立美術館の近くにその店はあった。
この店の名前は甲府の駅近くにあって、一度入った記憶がある。
ちゃんこほうとう。
きのこほうとう。
その土地でしか食べられないものを味わうようにしている。旨かった。
甲府の駅もすぐそばだがスルー。
何故なのだろう。ゆったり流れる川があるとつい写真に撮ってしまう。
多分江戸時代から続いているのであろう問屋街で、来年の干支の手ぬぐいを見つけた。
元旦の飯綱登山の後に入りに行く温泉で、年始に暮れるタオルもこのようなものだ。来年はどんなイノシシのタオルをもらえるのだろう。
メインの街道筋を歩き続け、石和まであと5キロの看板が出てきた。
この辺りには山梨学院大学の建物がたくさんあった。
つくばのような学園都市なのだろうか。
帰りの電車の時間までゆとりがあったので、デニーズで一休み。
石和温泉街に到着。
川のほとりに河童と笛吹童子の像。
石和温泉駅の横に、足湯があったので、30分ほど足を浸けた。
この駅のホームの待合室に行くと、椅子の上に財布が落ちていた。多分すぐ前に出た特急に乗った上極のものに違いない。慌てて改札の駅員に届けた。
落とした人は青くなっているだろうと思うと、何とか電車に連絡を取って、車内放送でもしてくれないものかと思った。果たしてそこまでやってくれるものだろうか。落とし主が問合わせないと、駅からはアクションを起こさないのだろうか。他人事ながら気になった。
到着駅の立ヶ花に着くとあたりはすっかり暗くなっていた。時刻はまだ19時30分。夏ならまだ明るいが、今は最も昼の時間が短い。
次回は年明けになる。
鈍行の旅をモットーにしているので、現地までの往復で8時間くらいかかるのではそろそろ現地での宿泊も考えなければならない段階になってきた。
石和温泉駅から勝沼ブドウの郷駅までの十数キロが、日帰り旅の最後となる。
江戸まであと133キロ余りだ。
この旅は12月19日だった。
今は12月22日、冬至。七十二候では『乃東生(なつかれくさしょうず)』。夏枯草が芽を出すという意味だ。
こんな暗く寒い季節の中でも自然界では新しい季節に向けた準備が進んでいる。