たまにおいしいコーヒーとかパスタとかを食べたくなって、そういう店に行くことがある。
入口でにこやかな作り笑顔の店員に訊かれる。
『禁煙席になさいますか?喫煙席になさいますか?』
僕はその度に違和感を覚える。
それはなぜなのだろう?
漠然とではあるけれど、かなりはっきりとした嫌悪感だ。
どこででも使われている普通の言い方だが、僕の中で警報が鳴る。
『違うだろう。なんで禁じられなければいけないんだ。僕が何か悪いことでもする可能性があるので禁ずるという表現をしているように感じるではないか。』
禁じられたくなんかない。
もちろん、僕は喫煙者ではない。それどころか、他人の吸うたばこの煙が眼に沁みる、咽喉にもこたえる。
だから、喫煙者と同席したくない。同室にいたくない。
かつては少数者だったが、今では僕らは市民権を得た。
そういう存在に向かって『禁ずる』という言葉を発していいのか!
むしろ、喫煙する人は特殊な人々であって、そうした人々に向かって
『君たちは煙草を我慢できない人たちだから、まあ隔離されたところでなら吸うことを許可してあげようか』
というような上から目線で『許可する』というようなことであってシカルベキダ。
そんなことを思っているのである。
非喫煙者の僕らは普通なので、特に『禁煙席になさいますか?』と訊かれることはない。大手を振って店に入ればいい。
喫煙者は身をすくめながら、『あの、許煙席に案内していただけますか?』と申し訳なさそうに言えばいい。
僕はそういう店に入る度にそんなことを夢想するのである。
それとは知らず、作り笑顔のおねえさんは『ご注文決まりましたらそのベルを押して下さい』
などと言いながら去って行く。
そんな僕の思いをカミサンに披露すると、
『またか、そんな他には通用しない小理屈を捏ねて。困ったもんだ』
というような表情をあからさまに見せながら、完全に無視するのである。